【11】私が兎を穢したの?
「ねぇねぇ薫、あんたのペットさぁ――」
放課後、薫が職員室での雑用を済ませ、教室の前まで戻って来ると、友人の一人が声をかけてきた。
なにやら微妙に不穏当な発言に聞こえるけども……。
李斗が転校してから一週間、あまりにも甲斐甲斐しく薫の世話を焼く彼は、恋人や幼馴染みというよりも、ペットとか下僕として周囲に認識されつつあった。
「ペット……? ああ、雪宮のことね。あれがどうかしたの?」
友人は教室のドアを少し開けて中を覗き込み、指をさして、
「あれ見て?」と囁いた。
「なによ、ったく。……って、雪宮がいるだけじゃん」
李斗がスーパーのチラシを机に広げたまま、眺めるでもなくぼーっとしている。
「薫と一緒にいるときは明るいんだけどさ、最近ね、一人になると信じらんないくらい、ものっっっそ暗いオーラ立ちこめてるよ。
マジで声かけらんないほど暗いよ。転校してきたときはそうでもなかったのに、
……薫さ、あの子いじめてんの?」
一人の時の李斗。
言われてみれば確かに、失恋でもしたかのように、悲壮感をまとってどんよりとしている。
――あれは、本当にそうだったのかもしれない。
数日前の幽霊。
彼女について、李斗はずっと口を閉ざしている。薫を婚約者だと呼ぶのなら、多少は説明してくれてもいいはずなのに。
でも、もしかしたら彼は記憶が戻らないのを気にしてるのかもしれない。
――もしかして幽霊が元カノで、そして自分は彼にとって片思いの相手で……。
あああ、どう考えてもこれじゃ李斗は明るくなれない気がする。
「いじめてないよ……。多分」
「薫といるのが、よほどつらいんじゃないの?」
『グサリ』
いまそれを言われると非常につらい。いや、つらいのは李斗の方だった。
「あんなにこき使われて可愛そうに……。雪宮ファンクラブの連中に殺されないように、注意しなさいよ?」
「なんじゃそりゃ?」
そんなものが存在するなんて薫は初耳だった。
もっとも、普段意識していないものの、あの可憐とさえ言える李斗のかわいらしさなら、ファンクラブが出来てもおかしくなかった。
でも、自分以外の女達がアレを見て騒いでいるのは、不愉快な気分にさせられる。李斗は自分専用なのに……。
「いつのまにそんなのが……。まぁ、せいぜい気をつけるわよ」
「ホントだよ。ただでさえ薫は目立つんだから」
「ご忠告どーもです」
☆
薫は思った。
いくら彼が好きで自分に付きまとってるとはいえ、一緒にいるのが苦痛だなんて思いたくない。こっちだっていたたまれないし、誰も幸せになれない。
……まあ、死んでしまった人はもうどうにも出来ないけども。
他人から見て「よほどつらい」と思えるなんて、どんだけ李斗のこと苦しめてるんだろか……自分は、と。
別に李斗のことは嫌いじゃないし、顔だって、ちょっと幼いけど整ってるし、自分のことたくさん知ってるし、年下っぽく振る舞ってるけどホントは結構大人だし、一緒にいるとなんとなく落ち着くし、なんだかんだいって嫌な顔一つせずに面倒見てくれてるし。こないだも藤沢で服とかいろいろ買ってくれたし、何気にお金持ちだし。
……ってソレ、保護者じゃん。っていうか、私たかってる? でもそれも餌付けの一環なのかもだし……。でも、やっぱり好きだから、なのかな。
もっと優しくしてあげるべき、なんだろうな。記憶が戻らないなら、せめて。
☆
薫は教室に入って、李斗に気付かれないように、こっそり後から接近してみた。
ワイシャツの襟から覗く白いうなじが妙に
嫉妬するほど綺麗な肌。
ホントにどこから見ても造り物みたい。
多分神サマだから、なんだろうけど。
そんな李斗が、はぁ……、とため息を漏らしている。
薫は、彼が何かを貯め込んでるのは分かってたけれど、自分が責められているような気がして見ないふりをしていた。幽霊のことを話してくれない彼を、若干恨めしいとも思ってた。
だから、苦しんでいる彼を、薫は放置し続けていた。
でも、それはもう終わりにしよう、と思った。自分は彼とはまったく無関係な他人でもないのだから。
薫は李斗の背後に立って、彼の首にそっと腕を回した。
「李斗、お待たせ」
「ぅうわっ、……か、薫ちゃんか。……はぁ、驚いた」
李斗は本気で驚いたのか、呼吸が乱れ、心臓がドキドキしている。
……か、かわいい……。
李斗につい萌えてしまい、ぎゅむ、とさらに腕に力を入れた。
彼の匂いが胸をざわつかせる。
……同情? 罪悪感? ペット愛? それとも、執着?
それがどんな気持ちなのか分からない。でも李斗がそばにいるのが当たり前になり始めてて、いつのまにか、李斗を手放したくないと、ほんの少し思うようになった。
相変わらず記憶はほとんど戻らないけども。
「君の大好きな薫様ですよ、少年! そんなに驚かなくてもいいじゃん、失敬な」
「ご、ごめんね。だって〜、薫ちゃんにこんなことされるの、八年ぶりなんだもん」
「ふふ。……ね。私じゃ、ダメ?」
李斗の真似をして言ってみる。
薫は李斗の肩に顎を乗せ、彼の大福のような白いほっぺたに、むぎゅっと頬を寄せてみる。
放課後の人気のない教室でもなければ、こんな真似出来ない。
「だ、だだだめじゃない、だめじゃない、ていうか嬉しいですっ感動ですっ幸せですっ」
よほど嬉しかったのか、足をバタつかせて軽くパニクって、胸の前に垂らした薫の手を握って「んむ〜、んむぅ〜〜」と意味不明なうめき声を上げている。
でも、お通夜のような顔で、読んでもいない特売チラシと睨み合いされるよりずっとマシだった。
「そんなに嬉しいの?」
「僕は薫ちゃんが横にいてくれるだけで幸せなのっ。薫ちゃん以外いらないのっ」
……ちょっとは元気になってくれたかな。
この調子なら、幽霊のことも話してくれるかもしれない。
李斗のこのショタノリにもいい加減慣れたこの頃では「薫ちゃんラブラブアピール」にいちいち鳥肌を立てることもなくなり、むしろ一方的に李斗から好意を垂れ流させている状況に、自分は優越感さえ覚え始めていた。
それはそれでヒドイ話だけども。
でもこれ程の美少年に無条件に言い寄られるというのは、実際に体験してみるとナカナカ悪くないもので――。
「安上がりだな、李斗は」
フフン、と鼻で笑うと、腕のくびきから李斗を解放してやる。
横で微妙に残念そうな顔をしていたのを敢えて無視しつつ、薫は帰り支度を始めた。
☆
時折ちらちらと過去の李斗が、薫の脳裏をよぎる。
彼のことを真剣に思い出そうとしていると、その度に、何かが胸の中でガリガリと爪を立てる。
思い出してはいけないと警告するように、頭の内側をささくれ立たせる。
あれから、わずかばかり思い出せた記憶の中の李斗は、もっと天真爛漫で、もっと凜としていて、今よりも遙かに透き通った印象だった。子供だったからそう感じたのかもしれないが。
でも、あの八年の歳月が土地神たる彼を
八年前、自分の身に何があったのだろう?
思い当たることと言えば、親の離婚くらいしかない。
そのせいで隣町に引っ越すことになり、李斗の神社へは足が遠のいたという予測は簡単に出来る。
だからといって、自転車でも使えば十歳の子供が行かれぬ距離でもなく、あれだけ頻繁に会っていた彼のことや、神社で過ごした長い時間の全てが、ごっそり記憶から欠け落ちている理由が分からない。
断片的な記憶、……たとえば匂いや味、触覚なんていう、脳の原始的な部分に記録されたものは、比較的容易に思い出すことが出来た。
李斗の香りや、境内で食べた駄菓子の味、髪を撫で付けられる感触の記憶が、自分と彼との関係をおぼろげに証明している。
でもそれは、記憶のアウトラインをなぞるだけで中身がからっぽのままだ。
一番思い出したい記憶――、「自分は李斗のことをどう思っていたのか?」ってことが思い出せない。
それが思い出せなければ、李斗のこと、多分本当には好きになれない、なってはいけないような気がした。
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