消失的世界の欠片

出雲 蓬

シャッタードスカイ

 ――――カシャリ、と。

 ファインダーから覗いた景色を、シャッターで切り取った。色は満ち、人は停まり、世界は静寂なまますくい取られる。二度と見る事の出来ない世界を、永劫のものにしてくれる。

 顔を上げる。白い息が溶ける京都河原町の冬景色は、なおも押し寄せる観光客の波に辟易とするが、それでも歩き回ることに飽きない。寺社仏閣などを巡る古都京都を感じるのも良いものではあるが、住んでいるからこその街歩き。京都の真の魅力は大っぴらな和を感じさせるものではなく、開発され栄えている街中に溶け込んだ和を見つける楽しさにあると考えられるのかもしれない。勿論、これは僕の弁であって総意ではない。他県から移り住んだ人間だからこその視点とも言えるかもしれないが。

 時刻は昼過ぎ、天候が悪化するとまではいかないが、太陽光を阻む雲に覆われた今日は何処か仄暗く寒々しい感覚に陥らせてくる。いや、実際に寒いが。

 時間的にも良い頃合い、小腹を満たすために何処かに入ろうと思案するが、さて何処へ行こうか。ファミレスなどに入るのは味気ない、かといって初見の小洒落た個人経営の店に入る勇気も無し。当ても無く三条から四条へと河原町を歩いていると、あるカフェが目に留まった。

『星乃珈琲店』。全国にも多数出店している人気カフェの一つだ。仄かに香る珈琲の苦みを孕んだ匂いと甘い芳香が鼻孔をくすぐる。別段此処と言う目的も無い、たまには大学生らしくお洒落なカフェに一人入るのも悪くは無いだろう。こう考えている時点で洒落も何も破綻しているのかもしれないが。

 食欲そそる食品サンプルを横目に、扉を開け中に入る。厳かな雰囲気を持ちつつも気負わせない店内は心落ち着く音楽が優しく満たし、柄にもなく目に焼き付けようとしそうになったが、ぼんやりと立ち止まれば邪魔になる。気持ちをそっと落ち着けウェイトレスの案内に従い階上へと上がる。淡い暖色の照明に照らされた木製の階段を上がり、右側へと曲がる。柔らかいソファーの席に着き、息を一つ吐いて手荷物とカメラを置いた。ゆっくりと沈む体は朝から歩き回った疲れが僅かに出ていたので、ここを選んだのは正解だったのだろう。

 数分、ただ無意味に窓ガラスから外を眺めながらその場の空気に浸る。静かな音楽と耳障りにならない他の客の会話、ソーサーにカップを置く音。聴覚に訴えかける感覚は気分に一番影響を与えると思う。その点で言えば此処は最高の憩いの場なのかもしれない。勿論個人経営の喫茶も違った良さがあり好きである。

 なんて思いに耽るのも程々に、壁際にあるメニューに手を伸ばす。何時までも雰囲気に浸っていては何をしに来たのか分かったものではない。手頃な重さのメニューを開き中を吟味する。サンドウィッチやスパゲッティー、ラザニアやオムライスと言ったしっかりとしたメニューにも目が惹かれるが、今回僕が特に気になったのは『バニラのスフレ チョコレートソース』と『ロイヤルミルクティー』だった。字面からして美味しそうだったから選んだが、少々安直過ぎただろうか。いや、自分しかいないのだから気にする事でもないか。

 呼び鈴を鳴らし、ウェイターに注文をする。手短に、簡潔に。注文ははっきりと伝えなければ双方困るのでいつも気を遣っているが、毎度言ったのちにしっかり伝わったか不安になるのは如何なものかと思う。






 数十分後、ぼんやりとし過ぎてうとうとしていたことに気付き慌ててかぶりを振った。危ない、気を抜くにはここが最適なのは否定しないが、間抜けな寝面をウェイトレスに見られては恥ずかしさで喉を掻き切ってしまうだろう。眠気と緩んだ気持ちを正そうと水を一口、口に含む。それとほぼ同時に、ウェイトレスが品を持ってきた。眼前に並べられるは湯気の曇り立つふっくらとしたスフレと、目に優しい白いミルクティー。これには頬をほころばしてしまうのも仕方のない事だろう。まさかこうも食欲に刺激をもたらされるとはと思いつつ、ミルクティーに砂糖を入れ混ぜる。キンカンコンと匙がカップに当たる音を聴きながら、機嫌よく回す。適度に混ぜた後に匙をソーサーへ置き、カップの取っ手を持ち一口 すする。ふわりと香る茶葉とミルクが混ざり合った匂いは疲れの出ていた四肢に染み入る。良い気分に浸りそのままで居たい所だが、まだメインが残っている。

 カップをソーサーに戻し、スフレへと目をやる。メレンゲが混ざっていると思しき生地はそれだけで美味しそうであるが、隣に据え置かれたチョコレートソースがまだ控えている。これの食べ方を正しく知っている訳ではないので、まずは匙でそのまま中心を掬う。まるで綿菓子に差し込んだような、スプンと音が鳴った様な感触に驚きつつ、一口。

 ――――美味い、これは美味い。

 どうしようもなく陳腐な感想になってしまったが、事実そうであった。舌に乗った瞬間、指先に雪を乗せた時の様に脆く崩れ甘さでコーティングされた様だった。それでいてくどくない、後味が変に纏わり続ける事は無かった。

 これだけでも満足にはなれるが、しかしここでは終わらない。おもむろに横に鎮座するチョコレートソースに手を伸ばし、穿った真ん中を中心に満遍なくかけていった。とろりとスフレにかかり染み込んでいく様を眺め、かけきった所で器を置き匙をまた取る。ほろほろと崩れる生地とチョコレートを適当に掬い、垂れないように口元へ運んだ。

 先程よりもより素早く溶ける、なのにその後味はチョコレートによってそのままで食べた状態に遜色のない美味しさだった。今度は物理的にも舌をとろけさせる感覚に、柄にもなくしみじみとした顔で味わった。他人が居てはとてもじゃないが見せられない、一人だからこそできる事。僕はただ無心にスフレとミルクティーを口に運び続けながら、寒空の昼下がりを過ごした。







 あの後、スフレとミルクティーを心行くまで堪能した僕は、十分程度そこで寛いだ後に再び街に出ていた。店に入る前よりも一層寒さは増し、心なしか風も出ていた。正直あまり歩きたくないなと思ったが、気持ち観光客含めた人混みが和らいだように見えたためここぞとばかりに今歩き回っている。現在歩いているのは、河原町の通りから一本ずれた高瀬川付近。柳の木が立ち並ぶ、嘗て京都中心部と伏見を繋ぐ物流用に開削されたその川は、まさにせせらぎとも言うべき音が満ちていた。通りの人が減ったのならば、裏通りに近いここはより人の少ない環境になっている筈だと言う予測は当たっていた。川の辺を気ままに歩きつつ、カメラのシャッターに手を掛ける。気に入った景色ならば即座にカメラを構え、ふと気になった景色もまた同様に、心動かされる様なものならば殊更だ。自分の内にある琴線に触れるものならばなんだって撮る。何時か泡沫の如く消えてしまう今日を残すために。

 と、ふと歩き回り練り歩きをしている内に小腹が空いた事に気が付いた。昼食の様なものはあのスフレで済ましたつもりでいたが、それでも空くものは空く。はてさてどうしたものかと思案した所で、休憩も兼ねて鞄の中にあったアルバムを見ながら座っていた僕は、一つの写真を見て良い場所があるのに気付いた。

 マップアプリで検索し、出てきたその行き先は祇園。そこで目的の物を買い、またこの高瀬川近辺に戻ってくることにした。







 場所は変わり祇園、花街としての名もさることながら、かの有名な八坂神社や知恩院、迎賓館であった長楽館もあるこの街の、河原町に程近い場所。京都四條南座の斜向かい、仲源寺の向かいにある和菓子屋『おはぎの丹波屋』。僕はそこへ赴いていた。

 店先に並ぶは有名なおはぎや団子を筆頭に、赤飯などなど。手頃な値段で大変美味なものが味わえると言う事らしく、来た次第だ。店の前に立ち、さてどれにしようかと迷う。正直を言えば尽くを味わいたい。しかしそれは無粋であるし金銭的にもよろしくない為泣く泣く断念。その代わりによくよく熟考し、視線を右に左にと動かした。

 そうしている内に迷いが膨らんでいく、風船の様に。あまり熟考するのもあれなので、思い切って直感に頼ることにした。

 注文を伝える。きな粉のおはぎ一つ、粒餡団子二つ、草餅一つ、安倍川餅二つ、しめて五百二十円。

 ――――単価が安いばかりに少し買い過ぎただろうか。

 しかし後悔はない。美味な和菓子が堪能できるなら安いものだし、少しいい店で食べるよりもリーズナブルだ。そう考えておこう。

 買った品を袋に入れてもらい、気持ち軽やかな足取りで河原町方向に歩きだす。ゆっくり食べるなら八坂神社のその奥、長楽館付近の広場でもよいのだが、どうせなら高瀬川のせせらぎを聴きながら頬張りたい。丁度鴨川を越えて直ぐの所に、川の真横で休憩できるスペースがあるのも先程の休憩で知った。寒さは依然として変わらないが、欲求には勝てなかった。

 その内に川の辺に到着。木々の葉でやや見えにくいそこにある石の椅子に腰を掛ける。ひんやりとした感覚が襲い掛かるが気にせず、手に提げていた袋を開けプラスチックのケースを出す。膝の上に乗せ、カメラで川をバックに撮る。これも大事な思い出だ。

 二、三枚撮影し、カメラを鞄に一旦仕舞う。そしてケースを開け、まずきな粉のおはぎを手に取り頬張る。丁度良い大きさの為きな粉特有の粉が飛ぶ現象は抑えられた。甘さはそう強くなく、舌に触るもち米とうるち米の食感もまた絶妙に良い。咀嚼するときもきな粉の香りが仄かに感じられる。次に粒あん団子、串に刺さった白玉にふんだんに乗った粒あん。こしあんの良さであるまろやかな舌触りも良いが、粒あん特有の感触も乙なものである。昼過ぎに食べたチョコレートとは違う、甘さの主張がありつつも余韻はさらりとしているのが餡の良い所だろう。お次は草餅、ヨモギの葉香る餅と先程と同じ粒あん。持った感じはずっしりした重量感、しかして一口食べたならばヨモギと餡がいい塩梅の比率で口内を席捲するが如く広がる。それなのに甘さの刺激は寧ろほんのりと。こうも立て続けに食べても飽きがこないのはそれのおかげだろう。そして最後に安倍川餅。柔らかな餅にきな粉をまぶした簡素なもの。だが侮ることはできない。その餅の柔らかさときな粉の甘味はつい急いで食べきってしまう程だ。きな粉を食べる時に生じるぱさぱさとした感覚はこれにはない、しっとりとした餅にまぶされたきな粉もまた同様に不快にならない水気を帯び、食べる時の煩わしさがないのがまたいい。

 などと、柄にもなく下手な食レポを一人脳内で繰り広げながら完食した。我ながらこのハイペースはどうかと思う。今更言った所で後の祭りと言われればそれまでだが、しかし心を占める多幸感は中々に得難いものだろう。

 満足げに僕は袋にケースを仕舞い、鞄へと入れる。それと代わる様に、カメラを取り出した。さぁ、もう少しこの街を切り取ろう。








 気が付けば、時刻は既に六時を回っていた。辺りは夜の帳が下り、街並みは昼間とは違う一面を見せてきていた。

 相変わらず僕はシャッターを押していた。時には大通りを、時には小道裏道を、時には市場を。歩けば歩いた分だけ、その時々に見えるものがある。大は小を兼ねるとは言うが、だからと言って大だけを見ていれば決して見ることのできない小があるのもまた事実。それこそに僕は美と感動を見出している。だから切り取る、大いなる世界に内包された小の世界を。

 だが今日の散策はこれで御終い。バスに乗って帰ることにした。丁度良く目の前でバスが到着、乗ると席が一つ空いていたのでそそくさと座った。

 今日は楽しかった。様々なものを見て、あらゆるものを感じた。毎回が発見の連続で飽きる事がない。

 ――――そう、毎回が初めてなのだ。

 世界は固定的な概念ではない。極大にしろ極小にしろ、この世界と言う際限の無い時空間は流動的であり変化が絶え間なく行われているのものだ。人間の体さえもタンパク質の塊が空間内を常にその存在する場所を変動させているものなんだから、当たり前だろう。

 ――――『刹那的』。

 それが正しい表現と言い切れるかはわからないが、僕は僕の生きるこの世界をそんなものだと考える。刹那の邂逅、刹那の離別。その繰り返しできっと同じものは二度と見ることは叶わないのだろう。

 だから僕は世界を切り取る。毎回初めてから始まる無色の世界を疑似的にでも記憶するために写真を撮る。久遠に出会うことが出来ないであろうこの世界を記憶し、記録するために。

  また世界は僕の知らない何かになるだろう、記憶は褪せ新たな世界の光景に徐々に塗り潰されていく。でも僕の撮ったこの世界シャッタード欠片スカイが、僕の中に残る褪せた世界に着色してくれるだろう。

 さようなら、僕が見た今日の世界の欠片。

 次にまみえる時も、どうか素晴らしいほど美しく、儚くて脆い世界を見せておくれ。

 イヤホンを耳につけゆりかごの様なバスの振動に揺られながら、僕は茜と紫苑に消えていく街並みに別れを告げ瞼を落とした。

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