――ノイズ。

 ―――ノイズ。

 ――――ノイズ。


 何かアトラクションに乗るたびに、ノイズが聞こえるようになってきた。

 そのノイズが聞こえる時、最初は音だけだったのに、目の前が一瞬だが、暗くなるようになってきた。


「大丈夫じゃないだろ。もう、帰るか?」


 そのため、彼もさすがに異常を感じたのか、そう告げる。


「でも……」

「でもも何もない。帰ろう」

「……せめて、最後に観覧車に乗ってから……」

「……わかった。それが〝最後〟だ」


 だけど、まだ帰りたくない。だから、少し足掻かせてもらった。

 せめて、最後に乗りたいと思っていた観覧車に乗りたいとねだる。彼も、これが最後だと念押しした上で、観覧車乗り場へと、ゆっくりと向かってくれた。

 こちらもさほど並ばず、観覧車に乗り込むことができた。動き始めてすぐに、彼が心配そうに言う。


「本当に、〝大丈夫〟か?」

「うん……。たまに、ちょっとクラってするだけ。帰ったら休むから」

「ああ。……ほら、だいぶ上に上がってきた」


 本当はクラっとするわけではないが、一応そう答えておく。彼は、訝しんでいたが、これ以上は言わないことにしたらしい。純粋に、観覧車からの景色を見ている。

 私も彼に合わせ、顔を上げて景色を見―――


 ――ザザ ザザザッ ザザザザッ


 また、ノイズ。しかも、今日で一番ひどい。


 ――ザザザッ ザザザザッ


 しかも、また、視界が奪われるような感じ。

 なのに、目の前は黒じゃない。あれは―――赤?


「―――い! おい! 大丈夫かっ!?」


 気がつくと、彼が心配そうに、私の肩を掴んで軽く揺さぶっていた。


「早く、帰るか。帰ったらしっかり休めよ」

「うん……」


 それからは無言のまま観覧車は一周し、地上へ戻る。

 そのあとはすぐに、手を繋いで園外へ出た。


「タクシーで帰るか」


 彼は言って、近くにいたタクシーに二人、後部座席へ乗り込む。


「――なあ、今日、楽しかったか?」


 タクシーが動き出すと、彼が、小さな声で問うてくる。その顔は心配に彩られている。


「楽しかったよ」


 だから、これ以上心配をさせないためにも微笑んで答える。

 事実、楽しかった。ジェットコースターで少し怯えた様子の彼、降りてすぐは、ふらふらしていて危なっかしかった。

 ミラーハウスでも、自分の場所を見失いそうになっていたのか、何度か鏡にぶつかりそうになっていた。それを、繋いでいた手を引いて、何度阻止したか。

 お化け屋敷は、逆に私が怯えて震えて、彼にしがみつきながら歩いた。彼は笑いながらも、私をしっかりゴールまでエスコートしてくれたものだ。

 バイキングとウォーターライド、フリーフォールは逆で。私のほうがしっかりしていて、少し怯えている彼の手を引いて、アトラクションを楽しんで。

 そのすべてで、一度はノイズに襲われたけれど、それでも、楽しかった。


「そうか、それはよかった」


 正直に告げると、彼は本当にほっとした表情を見せる。


「着いたら教えるから、少し寝てていい。休んでろ」

「うん……」


 優しく言ってくれる彼に甘えて、彼の肩を借りて目を瞑る。それから間もなくして、睡魔が訪れた。


 ‡


 ―――――ああ、これは、〝なに〟?

 目が覚めて見たのは、事故現場。多くの車がぶつかり、へしゃげ、破片が広い範囲に広がっている。そして、人も多く倒れていた。

 その中を走り回る、救急隊員。あたりで存在を主張する、救急車やパトカーの赤いライト。


 ――この光景を、私は……知っている。


 そうだ。〝私〟は――


「思い出した?」


 目の前にいたのは、〝彼〟。誰なのかも分からない、だけど、一緒に遊園地に〝お出かけ〟をした、彼。

 彼は、哀しそうに微笑みながら、私を見ている。


「今日は、楽しかったね?」


 彼の手が私の手に伸び―――そして、すり抜けた。

 ああ、そうだ。

〝私〟は――


「これで、きちんと旅立てるかな?」


 そう、〝私〟は――この、大事故で命を落としたのだ。


「旅立つ前に、楽しい記憶を。楽しい記憶と共に、旅立ちを。それが、俺の役目。君が遊んでいる間に遭遇したノイズは、少しずつ思い出そうとしていた結果。……忘れたままのほうが、楽しめたんだけどね」

「え……」

「不思議に思わなかった? 知らない男がいきなり来て、一緒にお出かけ。まあ、疑われないように、いろいろと細部工作はしてるんだけど」

「思った……けど、考えられなかった……」

「だよね。楽しい記憶に、辛い過去や知らないという感情は邪魔だから、少し弄らせてもらった。でも、楽しめたよね?」


 ああ、そうか。

 私が最初のぼうっとして立っていたのは、自分が死んだことを忘れていたから。だから、いつもの朝の格好、朝の荷物を持って立っていたのか。

 そして私が彼を受け入れたのは、彼が、少し弄っていたから。だから私は彼を受け入れ、遊園地を楽しめたのだ。


「辛い思いをした魂に救いを。楽しんでくれて、本当によかった」


 まだ考えている私に、彼はゆっくり告げる。

 そんな彼に、私は尋ねる。


「ねえ……、〝私〟はどこ?」


 ここは、事故現場。

 命あるものは救急搬送されたはずだが、既に死んでいる私は、どうなっているのか。


「―――こっちだよ」


 彼に案内されて、私は着いていく。

 そしてそこに、私は―――〝あった〟。


 まだ片付けられておらず、そのままの状態の〝私〟。

 血まみれで、お腹のあたりは特に真っ赤。右腕と右足が、骨が折れているのかあらぬ方向に曲がってしまっている。顔も、どこかにぶつけたのか歯が折れて、少し変形している。

 それでもわかる。これは、〝私〟だと。


「君は、即死だった」

「そう」

「残念なことに、事故の中心地点にいたんだ」

「そう」

「事故の原因、知りたい?」

「……お願い」

「よくあることさ。……高齢者の運転だよ。わけのわからない蛇行運転を、アクセルを踏みっぱなしでやった結果が、対向車との正面衝突。君は、それに巻き込まれたんだ」

「……そう」


 ここ最近、高齢者の運転による事故は、ニュースでよく聞いていた。が、まさか、自分まで巻き込まれることになるとは思っていなかった。

 だけど、こうやって巻き込まれることは、私でなくても充分にあり得ることなのだ。

 ただ歩いていただけの人が、巻き込まれる。

 信号を渡っていただけの人が、巻き込まれる。

 今の日本は、そんな社会なのだ。


 運転が覚束なくなった高齢者が免許を手放さないから、高齢者の運転による事故が起こる。

 先日も、幼い子どもとその母親が犠牲になった事故があった。母親だけが犠牲になった事故があった。多くの子どもが巻き込まれ、二人の幼児が犠牲になる事故もあった。私のこの事故も、そんな事故の一部だ。


「最近は、事故が続いている」

「……そうだね」

「関係ないのに巻き込まれる被害者が、多い」

「……そうだね」

「だから、死への旅立ちの前に、せめて、楽しい思い出を作りたかった」

「……そう」


 自分をじっと見続ける私に、彼は悲痛そうに告げる。それは、嘘のようには聞こえない。本当にそう思っているのだろう。


「君も、楽しめたのならば、よかった。……せめて、楽しい思い出を持っていってほしいから……」

「ありがとう。楽しかった。……でも、なんだろうね、この空虚感」

「それは………どうしようもないものだと思う。ごめん、俺には何にもできない」

「……うん、言ってみただけ」

「ごめん」

「謝らなくていい。私はこれからどうなる?」

「死への、旅路を行くことになる」

「そっか。……うん、そうなんだね」

「旅路は、どのくらいかかるかわからない。だから、今日の思い出が、ほんの少しの糧にでもなればいいと思うよ」

「うん。――ありがとう」


 静かに、目を閉じる。これ以上〝私〟を見る必要はない。〝私〟は死んだ。それだけなのだから。


「さようなら。来世は、よい人生でありますように」


 そして私は。

 彼の、そんな言葉を耳にしつつ――死への旅路へと、向かっていった。

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