3
――ノイズ。
―――ノイズ。
――――ノイズ。
何かアトラクションに乗るたびに、ノイズが聞こえるようになってきた。
そのノイズが聞こえる時、最初は音だけだったのに、目の前が一瞬だが、暗くなるようになってきた。
「大丈夫じゃないだろ。もう、帰るか?」
そのため、彼もさすがに異常を感じたのか、そう告げる。
「でも……」
「でもも何もない。帰ろう」
「……せめて、最後に観覧車に乗ってから……」
「……わかった。それが〝最後〟だ」
だけど、まだ帰りたくない。だから、少し足掻かせてもらった。
せめて、最後に乗りたいと思っていた観覧車に乗りたいとねだる。彼も、これが最後だと念押しした上で、観覧車乗り場へと、ゆっくりと向かってくれた。
こちらもさほど並ばず、観覧車に乗り込むことができた。動き始めてすぐに、彼が心配そうに言う。
「本当に、〝大丈夫〟か?」
「うん……。たまに、ちょっとクラってするだけ。帰ったら休むから」
「ああ。……ほら、だいぶ上に上がってきた」
本当はクラっとするわけではないが、一応そう答えておく。彼は、訝しんでいたが、これ以上は言わないことにしたらしい。純粋に、観覧車からの景色を見ている。
私も彼に合わせ、顔を上げて景色を見―――
――ザザ ザザザッ ザザザザッ
また、ノイズ。しかも、今日で一番ひどい。
――ザザザッ ザザザザッ
しかも、また、視界が奪われるような感じ。
なのに、目の前は黒じゃない。あれは―――赤?
「―――い! おい! 大丈夫かっ!?」
気がつくと、彼が心配そうに、私の肩を掴んで軽く揺さぶっていた。
「早く、帰るか。帰ったらしっかり休めよ」
「うん……」
それからは無言のまま観覧車は一周し、地上へ戻る。
そのあとはすぐに、手を繋いで園外へ出た。
「タクシーで帰るか」
彼は言って、近くにいたタクシーに二人、後部座席へ乗り込む。
「――なあ、今日、楽しかったか?」
タクシーが動き出すと、彼が、小さな声で問うてくる。その顔は心配に彩られている。
「楽しかったよ」
だから、これ以上心配をさせないためにも微笑んで答える。
事実、楽しかった。ジェットコースターで少し怯えた様子の彼、降りてすぐは、ふらふらしていて危なっかしかった。
ミラーハウスでも、自分の場所を見失いそうになっていたのか、何度か鏡にぶつかりそうになっていた。それを、繋いでいた手を引いて、何度阻止したか。
お化け屋敷は、逆に私が怯えて震えて、彼にしがみつきながら歩いた。彼は笑いながらも、私をしっかりゴールまでエスコートしてくれたものだ。
バイキングとウォーターライド、フリーフォールは逆で。私のほうがしっかりしていて、少し怯えている彼の手を引いて、アトラクションを楽しんで。
そのすべてで、一度はノイズに襲われたけれど、それでも、楽しかった。
「そうか、それはよかった」
正直に告げると、彼は本当にほっとした表情を見せる。
「着いたら教えるから、少し寝てていい。休んでろ」
「うん……」
優しく言ってくれる彼に甘えて、彼の肩を借りて目を瞑る。それから間もなくして、睡魔が訪れた。
‡
―――――ああ、これは、〝なに〟?
目が覚めて見たのは、事故現場。多くの車がぶつかり、へしゃげ、破片が広い範囲に広がっている。そして、人も多く倒れていた。
その中を走り回る、救急隊員。あたりで存在を主張する、救急車やパトカーの赤いライト。
――この光景を、私は……知っている。
そうだ。〝私〟は――
「思い出した?」
目の前にいたのは、〝彼〟。誰なのかも分からない、だけど、一緒に遊園地に〝お出かけ〟をした、彼。
彼は、哀しそうに微笑みながら、私を見ている。
「今日は、楽しかったね?」
彼の手が私の手に伸び―――そして、すり抜けた。
ああ、そうだ。
〝私〟は――
「これで、きちんと旅立てるかな?」
そう、〝私〟は――この、大事故で命を落としたのだ。
「旅立つ前に、楽しい記憶を。楽しい記憶と共に、旅立ちを。それが、俺の役目。君が遊んでいる間に遭遇したノイズは、少しずつ思い出そうとしていた結果。……忘れたままのほうが、楽しめたんだけどね」
「え……」
「不思議に思わなかった? 知らない男がいきなり来て、一緒にお出かけ。まあ、疑われないように、いろいろと細部工作はしてるんだけど」
「思った……けど、考えられなかった……」
「だよね。楽しい記憶に、辛い過去や知らないという感情は邪魔だから、少し弄らせてもらった。でも、楽しめたよね?」
ああ、そうか。
私が最初のぼうっとして立っていたのは、自分が死んだことを忘れていたから。だから、いつもの朝の格好、朝の荷物を持って立っていたのか。
そして私が彼を受け入れたのは、彼が、少し弄っていたから。だから私は彼を受け入れ、遊園地を楽しめたのだ。
「辛い思いをした魂に救いを。楽しんでくれて、本当によかった」
まだ考えている私に、彼はゆっくり告げる。
そんな彼に、私は尋ねる。
「ねえ……、〝私〟はどこ?」
ここは、事故現場。
命あるものは救急搬送されたはずだが、既に死んでいる私は、どうなっているのか。
「―――こっちだよ」
彼に案内されて、私は着いていく。
そしてそこに、私は―――〝あった〟。
まだ片付けられておらず、そのままの状態の〝私〟。
血まみれで、お腹のあたりは特に真っ赤。右腕と右足が、骨が折れているのかあらぬ方向に曲がってしまっている。顔も、どこかにぶつけたのか歯が折れて、少し変形している。
それでもわかる。これは、〝私〟だと。
「君は、即死だった」
「そう」
「残念なことに、事故の中心地点にいたんだ」
「そう」
「事故の原因、知りたい?」
「……お願い」
「よくあることさ。……高齢者の運転だよ。わけのわからない蛇行運転を、アクセルを踏みっぱなしでやった結果が、対向車との正面衝突。君は、それに巻き込まれたんだ」
「……そう」
ここ最近、高齢者の運転による事故は、ニュースでよく聞いていた。が、まさか、自分まで巻き込まれることになるとは思っていなかった。
だけど、こうやって巻き込まれることは、私でなくても充分にあり得ることなのだ。
ただ歩いていただけの人が、巻き込まれる。
信号を渡っていただけの人が、巻き込まれる。
今の日本は、そんな社会なのだ。
運転が覚束なくなった高齢者が免許を手放さないから、高齢者の運転による事故が起こる。
先日も、幼い子どもとその母親が犠牲になった事故があった。母親だけが犠牲になった事故があった。多くの子どもが巻き込まれ、二人の幼児が犠牲になる事故もあった。私のこの事故も、そんな事故の一部だ。
「最近は、事故が続いている」
「……そうだね」
「関係ないのに巻き込まれる被害者が、多い」
「……そうだね」
「だから、死への旅立ちの前に、せめて、楽しい思い出を作りたかった」
「……そう」
自分をじっと見続ける私に、彼は悲痛そうに告げる。それは、嘘のようには聞こえない。本当にそう思っているのだろう。
「君も、楽しめたのならば、よかった。……せめて、楽しい思い出を持っていってほしいから……」
「ありがとう。楽しかった。……でも、なんだろうね、この空虚感」
「それは………どうしようもないものだと思う。ごめん、俺には何にもできない」
「……うん、言ってみただけ」
「ごめん」
「謝らなくていい。私はこれからどうなる?」
「死への、旅路を行くことになる」
「そっか。……うん、そうなんだね」
「旅路は、どのくらいかかるかわからない。だから、今日の思い出が、ほんの少しの糧にでもなればいいと思うよ」
「うん。――ありがとう」
静かに、目を閉じる。これ以上〝私〟を見る必要はない。〝私〟は死んだ。それだけなのだから。
「さようなら。来世は、よい人生でありますように」
そして私は。
彼の、そんな言葉を耳にしつつ――死への旅路へと、向かっていった。
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