第四十五話 「霧の宿屋(四)」

 程なくして、ルーチェの斧と自分の得物を手にライナは戻って来た。

「これがキルケーだよ」

 ライナが大剣を差し出すとルーチェは繁々と見詰め、鞘から抜いて上から下まで眺めて目を輝かせた。

「これ良いかも!」

 ルーチェがそう言った時、メアー老人が現れて言った。

「ほぉ、これはこれは共に業物ですな。どれ、少し周辺を片付けて、気軽に振るえるようにしておきましょう」

「麻呂も手伝うでおじゃります」

 麻呂とメアー老人は周囲のテーブルと椅子とを隅に運んでいった。

 その時、階段下にザンデが現れた。

 ザンデは困った様に立ち尽くしていた。

 その様子に気付いた麻呂は、ザンデが混浴の申し込みをしにきたのだと悟った。

 メアー老人も鋭く自分に用があるのだと感じたようでザンデの方に歩んで行った。

 二人は二言三言話して、やがてザンデは上へ、メアー老人はこちらへ戻って来た。ライナはルーチェとの話に夢中でザンデには気付いていなかった。

「これがスリナガルの剣かぁ」

 ルーチェは顔を真剣なものにすると周囲に下がる様に手で制した。

 麻呂達三人が下がるとルーチェは両手で剣の柄を持ち自由自在に振るった。

「これ、良い! すごく良い!」

 ルーチェは興奮気味に言った。

「じゃあ今度はアタシの番だね」

 ライナが上機嫌で手斧を構え、片腕で振り回した。

 重々しい風切り音が轟いた。

「良いわね」

 ライナはうっとりとした顔で斧を見詰めていた。

「でも、まぁ、自分の武器が一番でしょ」

「そうだねぇ。名残惜しいけどね」

 ライナが言うとルーチェが頷いた。そして互いに武器を返した。

「ねぇ、ライナは何処に住んでるの? アタシんちはコロイオスにあるの。ロッソっていう姓なんだけど」

「コロイオス、雪国じゃん。凄いところに住んでるんだね。アタシんところはバルケルだよ。ちなみにグラビスって姓だよ」

「バルケルは港町だよね。まだそっち方面には連れて行ってもらったこと無いんだ。船とか海とか見たいなぁ」

 麻呂はその言葉に違和感を覚えた。船と海を知らずにエルへ島に来ているということだろうか。麻呂が質問しようとしたところでライナとルーチェが声を上げた。

「勝負しよう!」

 二人とも髪が短いのと長いのの違いだけで双子の姉妹のように似ていた。

「おやおや、お互いに武器を振るわれますかな?」

 メアー老人が言った。

「あはは、建物の中でそんなことしませんよ」

 ライナが言った。

「そうそう、戦士の勝負と言ったらあれだよね」

 ルーチェが応じ、そうして二人は席に着き向かい合って肘を付き手を合わせた。

「腕相撲よ! 麻呂は、審判やって!」

「良いでおじゃるが」

 麻呂はてっきり模擬戦で勝負をつけるのだと思っていた。なので幾分安堵した。この二人が戦って負ければそちらは大怪我をするだろう。魔人退治の前にそんなことになってはどちらも困るはずだ。

「では」

 麻呂が言うとライナとルーチェは睨み合った。

「始めでおじゃる!」

 麻呂の声と共に腕相撲が始まった。

 共に顔を真っ赤にし唸り声を上げながらも、腕は左右のどちらにも触れなかった。

 そのまま勝負が続く。

 麻呂は横目で階段を下りてくるザンデとリシェルの姿を確認した。二人はライナに見つからず浴室の方へと消えていった。

 もうそんな遅い時間になったのかと麻呂は気付いた。そして目の前の勝負は相変わらずどちらも譲らなかった。

 そして三十分位続き、二人はそこで同時に手を放した。

「手が痛い」

 両者は揃ってそう言った。

「ルーチェ、強いねぇ」

「ライナこそ鍛えてるじゃん」

 二人はそこで仲良く豪快に笑い合った。

 するとメアー老人がお盆を片手に現れた。

「ハーブティーです。良かったらお飲み下さい。よく眠れますよ」

 白いカップにピンク色のしたお茶が注がれていた。

「いただくでおじゃります」

 麻呂が言うと、ライナとルーチェもメアー老人に礼を述べてカップに口をつけるや、二人揃って一気に飲み干した。

「さて、それじゃあ、アタシ部屋に戻るね。ライナにのっぺらぼうさん、色々ありがとう、楽しかったよ」

「こっちこそ」

 ライナが言い、女二人は拳と拳を付き合わせて微笑み合っていた。

「おやすみなさいませ」

 メアー老人が言った。

 そうしてルーチェが去って行く。

「麻呂、ごめんね、つき合わせちゃって」

「良いでおじゃるよ。麻呂も楽しかったでおじゃる」

 二人も席を立つ。

「あ、メアーさんすみません。テーブルと椅子の配置直しますから」

 ライナが言うとメアー老人は微笑んで頭を振った。

「お客様の手を煩わせることではありません。その優しいお気持ちだけいただいておきましょう。それではおやすみなさいませ」

 メアー老人が言い、麻呂とライナも食堂を後にし階段を上がって行った。

「リシェル、起きてるかなぁ」

 ライナが唐突にそう言ったので麻呂は慌てて応じた。

「リシェルはもう疲れたので寝ると言っていたでおじゃるよ」

 今頃は、ザンデと二人で湯船に浸かっていることだろう。後々面倒な事になりそうだったので麻呂は素早くそう答えたのだった。

「ふーん、残念。マッサージの続きやってあげようと思ったのになぁ」

 と、言いつつライナは欠伸をした。麻呂も心なしか眠くなってきていた。

「今日はみんなゆっくり眠るでおじゃるよ」

「そうだね、ふかふかのベッドだなんて久しぶりよね。アタシもさっさと寝よっと」

 二人は三階の廊下で別れた。

 麻呂は自室に入ると、ベッドの上に倒れ込んだ。

 心地良いまどろみが襲ってきている。この宿にきて安堵したために、今までの疲れがまとめてやってきたのかもしれない。

 麻呂は早々にベッドの中に潜り込み目を瞑った。そうして眠りについたのだった。



 二



 仲間達が揃って朝食の席に着くと、ルーチェ親子も現れた。

 ルーチェはこちらに向かって微笑んで手を振った。

 それからがまたすごかった。

 ライナとルーチェのおかわり合戦だ。しかしメアー老人は嫌な顔一つせず、すぐに料理を運んできたのだった。

「店主、霧はどうなっている?」

 ルーチェの父親が言うとメアー老人は頷いた。

「もう晴れます。旅の妨げにはならないでしょう」

「そうか。出発するぞ」

「うん」

 ルーチェ親子が去って行く。

「あの、メアーさん、保存食を売って頂けることはできますか?」

 リシェルが尋ねた。さすがリシェルだと麻呂は感心した。ディアブロの迷宮までどれだけかかるのか、また迷宮がどれほどなのか知れないのだ。食料は多く持って行くに越したことはない。

「ええ、勿論ですとも」

 メアー老人は快く応じた。

 食事がちょうど終わり、五人はメアー老人の後を付いて行ったが、老人は厨房と思われる扉を閉めてしまった。まるで何かを隠しているかのようにだ。

 五人とも疑念を感じたらしく顔を見合わせたが、すぐにメアー老人が扉を開けて大量の保存食を二往復して持ってきた。それらを麻呂達は喜んで購入した。各々の頭陀袋も食料でいっぱいになっていた。水袋の方も満杯にしてもらった。

「霧が晴れるんですよね?」

 ライナがメアー老人に尋ねた。

「ええ。私はこの地で長く商売をしております。霧についてはよく存じているつもりです」

 メアー老人は謙虚に、それでも自信あり気にそう答えた。

「だったら出発ね」

 ライナが言い、麻呂を見る。

「そうでおじゃるな。再び、我ら円卓の騎士団は打倒魔人ディアブロのために旅立つでおじゃるよ」

 麻呂が言うと他の四人は声を上げて応じた。

 ふかふかした素晴らしいベッド、生気漲る食事の数々、そして極楽の様な湯。名残は惜しいが麻呂は旅立たねばならなかった。そんな思いをしながら円卓の騎士達と階段を下り終ると、入り口のドアの前に旅姿のルーチェ親子とメアー老人が立っていた。

「あ、ライナ! あれ? アンタ昨日ののっぺらぼうさんだよね? そうか、正体は大道芸人さんだったんだ」

 違うと否定する前にライナがルーチェのもとへ駆けて行っていた。

 メアー老人がドアを開ける手を止めて言った。

「大変申し訳ありませんが、出るのは一組ずつとさせていただいております。なのでお別れの挨拶はここでお願いいたします」

 若干疑問だったが、メアー老人の方針に逆らうつもりは無かった。

「そうなんだ。でもすぐに外で会えるしね」

 ライナが言った。

「そうだね。待ってるよ。でも一応やっておこうか、ライナ!」

「ルーチェ!」

 ルーチェとライナは拳を突き合わせた。

「店主、世話になったな」

 ルーチェの父親が言った。

「いえいえ、こちらこそ当宿を御利用頂き誠にありがとうございました。それでは外まで御見送りさせていただきます」

 扉が開け放たれた。

「あ、すっかり晴れてるじゃん」

 ルーチェが言った。

 だがどう見ても外は厚い霧に包まれていた。麻呂も、どうやらライナもそれに気付いたようだが、ルーチェ親子とメアー老人は出て行き扉は閉められた。

「外、すごい霧だったよね?」

 ライナが尋ねた。

「麻呂にもそう見えたでおじゃる」

 だが、ルーチェのたった今の言葉を思い出す。すっかり晴れていると彼女は言っていた。

 扉が開きメアー老人が現れた。

「メアーさん、外すごい霧でしたけど、どうして二人を行かせたのですか?」

 ライナが詰問すると、メアー老人は言った。

「いいえ、見間違いかと思われます。外は既に晴れておりますよ」

 メアー老人は扉を開いた。

 そこはよく見た森林地帯だった。霧の陰は微塵もない。

「あれ?」

 ライナは首を傾げた。

「それでは皆様も出立されるのですね?」

 メアー老人が尋ね、麻呂は頷いた。

 そうして老人に促されるまま外へと出て行った。

「店主、北はどちらか?」

 グシオンが尋ねるとメアー老人は応じた。

「このまま真っ直ぐです」

「感謝する」

 グシオンは短く答えた。

 五人はメアー老人に向かい合い礼を述べた。まさにこの宿の存在は地獄に仏だった。

「お気をつけて。またの御利用お待ち致しております」

 そうしてメアー老人に送られ五人は歩み出した。

「お、おい!?」

 十歩ぐらい進んだところでザンデが後ろを振り返り声を上げた。

 何事かと麻呂も仲間達もそちらを見ると、声を上げて驚いた。そこにあったはずの宿の建物がすっかり消え失せていたのだった。あるのは生い茂った緑ばかり。宿が建っていた形跡などまるで感じられなかった。

「そういえばルーチェは!?」

 ライナが慌てて言ったが、どこにもその姿は無かった。彼女は外で待っていると言っていた。

「御父上に連れられて先を行かれたのでしょうか?」

 リシェルが言うが、一行は府に落ちなかった。頭陀袋の中を確認すると購入した分の保存食がめいいっぱい詰まっていた。

 嘘では無かった。宿での体験は本物だった。

「もしかして幽霊屋敷だったのかな」

 ライナが若干青褪めながら言った。

 建物は無い。ルーチェ親子はいない。

 疑念は湧くが、事実身体は軽く、一行は立ち止まっても仕方がないと決めてさっそく次なる木の印を見付けて歩んで行ったのだった。

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