第四十四話 「霧の宿屋(三)」

「は?」

 そう応じたのは先に下りて来た少女の面影の残った女性だった。同じく金色の長い髪をしている。

「あの、母上ってアタシのこと?」

 相手は困惑しながら言った。

「いや、そうじゃなくて」

 と、ライナが応じた時には、麻呂にも相手が男だということが分かった。

「じゃあ、うちの父上のこと?」

「え、う、うん、そうだったけれど、すみません、人違いでした」

 ライナも気付いたらしく軽く頭を下げた。

「行くぞ」

 ライナの母に似た父親が当然ながら男の声で静かに言った。

 どうやら、父と娘だけらしい。

 親子は離れた場所に席を着くと、メアー老人が現れ応対していた。

「ああ、恥ずかしい」

 ライナがこぶしを握り、テーブルを叩いた。

「やめろ、皿が落ちる」

 ザンデが言い、彼は続けた。

「確かに、男だが、どことなく叔母上と雰囲気が似ているな。着ている衣装からすれば神官か」

 ザンデの言う通り、父親の方は純白の神官の衣装を羽織っていた。

 そしてこんな時にまで警戒をしているのか、左右の剣帯には剣が鞘に収まってそれぞれ差さっていた。

 続いて娘の方を、見て驚いた。とても大きく迫力のある立派な手斧を椅子の脇に置いていたからだ。

「御二人でこんなところまできていらっしゃるようですが、魔人ディアブロのことを御存じなのでしょうか?」

 リシェルが言い、麻呂もだが、全員がそのことに気付いたようだった。

 ここは魔人の領地の様なものだ。それをたった二人で歩いて大丈夫なのだろうか。

 麻呂も、仲間達も訝しんで、親子をずっと眺めていた。

 すると、娘の方が咳払いしてこちらを見た。

「何か言いたいことあんの?」

「あるよ」

 ライナが率直に言った。

「何さ?」

 娘が問う。

「アンタ、じゃなかった。あなた達は、ここが魔人ディアブロの支配している地域だって知ってて二人でここまで来たの?」

「魔人ディアブロ? 父上、他にも魔人がいたみたいだね」

 娘が言った。父は何も答えず静かに飲み食いしている。

「アタシ達は魔人ヤープルのシグを追ってるところよ。片腕で魔剣をもったウサギの耳に似たのが、えっと触覚っていうのかな、それがついてるやつ」

「他にも魔人がいたか」

 今度はこちらでグシオンが唸った。

「そうなんだ。でも、シグって言う魔人の噂はこの辺りじゃ聞かなかったけれど」

 ライナが言うと、娘も答えた。

「こっちも、ディアブロなんて聞いたことも無いよ」

 二人の女性は首を傾げた。

「とりあえず、ご飯食べたいから、こっち見るの止めてもらえる?」

「ああ、ごめん」

 ライナが謝り、麻呂達は向き合った。

 それぞれが困惑気味の顔をしている。

 このエルへ島でディアブロの噂を聞かず、こちらの知らない別の魔人を追っている。

 討伐しなければならない相手が増えたのか、麻呂も、詳しく問い質したかった。

 そしてこの娘が凄かった。見るなと言われてもついつい見てしまった。

 ライナ顔負けのおかわりし放題で、食べて飲んで、またおかわりを要求する。

 この分だと長くなりそうだった。

「俺は部屋へ戻るぜ」

 ザンデが席を立った。

「気にはなるが、当分、終わる気配もないようだ」

 グシオンも席を立つ。

「すみません、私も先に戻りますね」

 リシェルも続いた。

 麻呂が席を立とうとすると、ライナの手がしっかりと掴まえた。

「何だかアタシ一人だと自信無いから、麻呂も残ってくれない?」

「分かったでおじゃる」

 麻呂は席に座り直した。

 どのぐらい時間が経っただろうか。

 父と娘は食事を終え、こちらに歩んできた。と、言っても通り道だったらしい。ライナの母に似た父親の方は金色の長髪を揺らしながら一瞥もくれずに上の階へ去って行った。

 しかし、娘は残ってこちらの席に座った。手にしている大きな手斧の柄の先端には竜というより龍を模した飾りがついていた。

「お待たせ。アタシ、ルーチェ」

「アタシはライナ。こっちは麻呂」

 すると、ルーチェは麻呂を見て吹き出した。

「ごめん、何かのっぺらぼうみたいで」

 一頻り腹を抱えて笑うとルーチェは言った。

「で、アンタ達も魔人を追ってるんだって?」

「うん、ディアブロよ。知らないでこんなところまで来たの?」

「アタシ達はシグを追ってここまで来たのよ。ディアブロなんて魔人がここにいたなんて驚いたわ」

 お互いどこか嚙み合っていない会話だったが、どうやら他にも魔人がいるらしいことが分かった。

 ライナもルーチェも同感だったらしく唸った。

「ディアブロね。気を付けておくわ」

 やがてルーチェがそう言った。

「シグね。こっちも気を付けておくわ」

 ライナも言った。そして彼女は相手の斧を指して言った。

「ずいぶん、というより、かなり重そうだけど、ルーチェの武器なの?」

「そうだよ」

「それだとドワーフが打った物? それともエルフ?」

 ライナが興味深げに尋ねる。

「うーん、そこまでは分からないけど、頑丈で切れ味抜群。名前はサイドンの龍頭斧っていうんだ。旅先で古美術商の人を助けたら譲ってもらえたんだけど」

「ちょっと貸してもらえる?」

「良いよ」

 するとライナは斧を軽々持ち上げた。

「うわっ、これは確かに重い! アタシのキルケー以上かも」

「キルケー?」

 ルーチェが尋ねる。

「名匠何とかが打った物なんだけど」

「スリナガルでおじゃるよ」

 麻呂が補足した。

 するとルーチェの顔色が変わった。

「スリナガルの!? マジで!?」

「うん、マジよ」

「マジマジ!? 見せて見せて」

「分かった。ちょっと待ってて」

 ルーチェがせがむとライナはルーチェの手斧を持ったまま、脱兎の如く椅子を飛び出し、階段を駆け上がって行った。

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