第四十二話 「霧の宿屋(一)」
魔人主従を退け、一行は先を進んだ。
魔人達の襲撃は無かったものの、ゴーレム達とは昼夜問わず度々戦闘を重ねた。
いくら撃退してもゴーレム達はすぐに湧いてくる。一行は知らず知らずのうちに疲労を重ねていった。
円卓の騎士の筆頭として麻呂は、仲間達の顔色に注意しつつ歩みを続けたが、昼夜の戦いと、先の見えない旅で、保存食を細々と食べている状態では、誰も生気漲る顔をしてはいなかった。
山のような野菜と肉料理を平らげ、湯に浸かり、ふかふかのベッドで眠れれば。
麻呂は皆のことを心配しつつ、自分も疲労と軽い絶望感に蝕まれていることに気付いた。
いけないでおじゃる! 麻呂は円卓の騎士の筆頭! 皆を率いらなければならないでおじゃる。
狩りでもして動物の肉をいただくことができれば士気も上がるだろう。幸い加工の仕方はレイチェルのやっているのを見て大体は覚えている。だが、動物すらもこの辺りにはいないのだ。
クマでもトラでも良いから出てきてほしかった。円卓の騎士五人がかりなら何とかなるだろう。現にレイチェルはクマを一人で斃していた。
ふっ、と周囲の様子が見えなくなった。
麻呂は歩みを止めた。
「霧か?」
ザンデの声が聴こえた。
その時、霧の裾の向こうからチラチラと光る灯りを麻呂は見たのだった。
「何か光ってるね」
ライナが言った。
「魔人でしょうか?」
リシェルが訝しむように応じた。
するとグシオンがズンズン歩んで行った。
「確認して来よう。皆はここで待っていろ」
人間の名工が打ったという戦斧を担いでグシオンはたった一人霧の向こうへ消えていった。
大丈夫だろうか。
四人はそれぞれ顔を見合わせ、不安に思いながらグシオンの帰りを待った。
すると影が歩んできた。グシオンだった。
「宿だ」
彼は短くそう言った。
「宿?」
ライナが尋ね返すとグシオンは頷いた。
「宿の主とも話した。老人だったが、怪しい風体は無い」
グシオンが言うとザンデが応じた。
「こんな敵地のど真ん中に宿なんて建てるか? 魔人共に殺されるのが普通じゃないか?」
「エルヘの方かもしれませんよ。神殿のカーナギスさんのように強力なエルヘ結界を張っているのかもしれません」
リシェルが冷静な声で言う。全員の視線が麻呂に集まった。
「行ってみるでおじゃるよ。グシオンがそこまで言うなら魔人の罠でも無いでおじゃろうし、リシェルの言う通り、強力なエルヘ結界に守られているのかもしれないでじゃる」
リーダーの麻呂が言うと一同は頷いた。
二
古めかしい建物だが、頭上の霧で何階建てなのかは分からなかった。
その入り口で一人の老人が一同を待ち受けていた。
「ようこそ、当宿に」
老人は見事な白いヤギ髭を蓄え、眉毛が太くふさふさしているので目元まで覆い隠されていた。
「私は当宿の主を務めます、ナイツ・メアーと申します」
老人はそう名乗った。
「こんにちはメアーさん。アタシがライナで、これが麻呂、グシオンとザンデの兄貴と、リシェルです」
ライナが言うと老人は僅かに微笑んだように麻呂には見えた。
「ご丁寧な御挨拶痛み入ります。それで皆様はどうなさいます? この霧では先へ進むのは困難かと思えますが」
確かに、メアー老人の言う通りだった。霧の中、木に刻まれた印を見付けるのは困難を極めるだろう。一刻も早くエルヘ島の平和のために先を進みたかったが、皆、疲労し果てしない道のりで困窮している。一日か二日、いや、霧が晴れるまで休息をとっても良いのではないだろうか。麻呂はそう思うと言った。
「部屋が空いているなら泊まりたいでおじゃるが」
誰も文句を言わなかった。
「五部屋ですね。空いてございます。本日は、あいにくともう一組、お客様が泊まっておられますがご了承ください」
「お風呂はありますか?」
ライナが尋ねた。
「ございます」
メアー老人が言うと、そこでライナとザンデが安堵の溜息を吐くのが聴こえた。
「それではどうぞ」
メアー老人に案内され、一行は宿の中へ足を踏み入れた。
受付のカウンターと、灯りに包まれた広い食堂があるが、今は誰の姿も無く閑散としていた。他には上への階段がある。
メアー老人はカウンターの向こう側へ行くと鍵を差し出してきた。三〇一から三〇五をお使い下さい」
麻呂は鍵束を受け取った。仲間達にそれぞれ配ると、三○一が残された。つまり麻呂が泊まる部屋になったわけだ。
料金は先払いだったが、麻呂が代表として全員分の宿泊費を驕った。リシェルだけが申し訳なさそうに礼を述べた。
部屋へ上がってゆく。踊り場には銀の燭台に五つの蝋燭が灯されていた。
二階を通り過ぎ、三階へ行く。
「ひとまず、荷物を置いて、風呂だな」
ザンデが言った。
「賛成!」
ライナの声の下、全員が頷き、廊下に敷かれた高級そうな赤い絨毯の上をそれぞれの部屋へ向かって行く。
麻呂も自分の部屋に入った。
廊下の灯りが部屋の中まで薄く照らしてくれた。
窓がある。覗いてみたが、見事に霧で覆われていた。この霧はいつ晴れるのだろうか。
ふと壁をノックされた。
振り返ると、仲間達が待っていた。
「麻呂、お風呂行こうよ」
ライナが言った。
「そうでおじゃるな」
麻呂も荷物を置き、仲間達に加わる。全員で一階に下りると、メアー老人が風呂場まで案内してくれた。階段の隣に奥へ行く廊下があった。
「メアーさん、このお風呂って混浴ですか?」
ライナが尋ねた。
おじゃる!?
麻呂の頭の中を淫らな妄想が走った。バスタオルで身体を包んだライナが隣にいて、一緒に入浴している。顔は湯の温度で僅かに紅潮し、その肩口が綺麗でほんのちょっと視線を下へ向けると、彼女の豊満な胸の谷間が見える。
おじゃる!? おじゃる!?
「いいえ、男女別となっております」
老人の落ち着いた声が耳に入り、麻呂は妄想の世界から脱出して一息吐いた。
「残念だったな。ザンデ」
グシオンが真顔で言う。
「うるせぇ。こういうのには段階ってものがあるだろう」
ザンデが言うと、リシェルが顔を真っ赤にした。
「夜間、二十二時から二十四時までに限りますが、お風呂を貸し切りにして、混浴にするということもできますが」
メアー老人が言うと、ザンデがリシェルの方へ弾かれるように顔を向けていた。
「ザンデ様……あまりジロジロ見ないでください」
まだ浴室の入り口にも来ていないのにリシェルが更に顔を真っ赤にしてそれらしいことを言うと、ザンデは慌てて顔を逸らした。
そうして長い廊下を行くと浴室に辿り着いた。男と女と書かれた暖簾がそれぞれの入り口に掛けられていた。
「じゃあね、麻呂。久々のレッツお風呂タイム! リシェル、背中流しっこしようね!」
「え、ええ。そうですね」
女性二人が部屋の中へ入って行った。
「麻呂、ザンデ、俺達も背中流しっこだ」
グシオンが冷静な顔で言った。
「そうでおじゃるな」
「背中に手が届けば、そんな虚しいことにはならなかったのに」
麻呂に続いてザンデが溜息を吐いた。
そうして三人の男は浴室へと入って行った。
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