第二十八話 「魔人ディアブロ」
祝宴も夕暮れに差し掛かった頃だった。
麻呂は酒こそ殆ど遠慮したものの、各集落の人々に囲まれ、他愛の無い話の座に加えられ、大笑いが木霊する中、一人だけ愛想笑いを浮かべていた。
何せ昼ぐらいからずっとこの調子なのだ。酒の杯が空になれば、左右から次々注がれる。麻呂は酒は嫌いでは無かったが、明日の出発の事を考えてチビチビと牛歩戦術をとって抵抗するしなかった。
一方、ライナなどはまだまだ豪快に飲んでいる。さすがに麻呂も注意しに行こうと思った。
彼が腰を上げた時、どこからか、宴会の騒ぎを静めるほどの含み笑いが聴こえて来た。
その人物は草藪を踏みつぶし姿を見せた。
灰色の身体にパンツ姿の男だった。
筋骨隆々だが、決して背は高くもなく身体も太くはなかった。面長の顔をしていて薄い緑色の髪が逆立っていた。
「お、お前は、ディアブロ!?」
集落の長の一人が声を上げるや、人々は杯を放り出して後方へ逃げて行った。
残ったのは奥で休んでいる長老を抜いた各集落の長だけだった。
「馬鹿な、我らのエルヘ結界をどうやって!?」
集落の長の一人が動揺の声を上げる。
ディアブロは短く嘲笑った。
「あの程度の老いぼれ結界で、この俺を止められると本気で思っていたのか?」
ディアブロの赤い目が大きく見開かれるや、集落の長達は一人、また一人と倒れていった。
「久々に賑やかな空気を感じてな。迷宮で寝て待つのもつまらんし、俺も仲間に入れてもらいたくてやって来たってわけだ」
ディアブロは片手を横に向けた。
途端に大きな火の玉が手の平から放たれ、一軒の家屋を破壊し残骸を燃やし始めた。
「俺からの余興はこれぐらいにしておこう。次はお前達の番だ、人間どもよ。どのような余興を俺に見せてくれるのか? まぁ、円卓の騎士のいないお前達からは大したものは期待していないが」
ディアブロが言った時だった。
「余興というかさ、アンタの最期にしてあげるよ」
杯を置くとライナが立ち上がり、キルケーを引き抜き構えた。
「ほざくことぐらいなら雑魚にでもできる。だが余興には丁度いい。見せてもらおうか、名工の剣を手にする貴様の腕前が伊達でないことを」
ディアブロは天に向かって右腕を掲げた。すると、何処からか風を切る音がし、次の瞬間、魔人の手には槍が収まっていた。
槍はほぼ何の変哲の無い単純な鉄の短槍だった。ほぼと、麻呂が思ったのは、飾り気のないあまりにも単純過ぎる得物のため、もしかすれば何か想定外の力を秘めているのではと予測したからだ。
ディアブロは笑った。
刹那、槍が稲妻の如く突き出された。
ライナはそれを見切り、剣で受け止め、どうにか競り合いにまで持って行った。
魔人が楽し気に笑うと、ライナも声を上げて笑った。
「面白い、人間の女よ、お前の力は俺と伯仲するほどだ。だが、この場で俺を斃せるほどでは無い!」
「確かめてみようじゃないの!」
ライナと、ディアブロは武器を交え、打ち合った。鉄のぶつかり合う音が、途切れることなく続く。
不敵な笑みを浮かべるライナとは違い、魔人の方は少々焦りの表情を見せていた。
「穿て!」
魔人が叫んだ。
途端に槍先が伸びライナの身体にぶつかった。
ライナが吹き飛び倒れる。
「ライナ!」
麻呂は駆け出し、魔人の前に跳び込むや、居合を放った。
完璧な一撃だったのにも関わらず、それは魔人の縮んだ槍によって受け止められた。
「やはり何か力を隠していたでおじゃったか」
「フフ。見ない構えだな。そして力こそ、今の女よりも非力だが、速さだけは目を見張るものがある」
槍が振るわれる。
麻呂は避け、踏み込み必殺の一撃を放った。
「もらったでおじゃる!」
それは魔人の身体に真一文字の傷を付けた。青っぽい血が灰色の身体を伝って垂れてゆく。
「俺の身体に傷を付けるとは変な顔の割にはよくやった」
傷は浅かった。麻呂は悔やんだ。名刀牙翼をもってしても魔人の身体にはこの程度の傷しか与えられなかった。魔人の身体が固いのか、いや、違う。よく見れば間合いがずれている。魔人はどうやらあの一瞬の間に後退したらしい。
「麻呂!」
ライナが並ぶ。彼女の赤い甲冑の右胸の部分に大きな亀裂が走っていた。
「ライナ、無事でおじゃったか!?」
「鎧が無ければちょっと大変な事になってたけどね」
ライナがニヤリと微笑み、麻呂の隣に並ぶ。
「真剣な打ち合いの最中に、槍を伸ばすなんてアンタちょっと卑怯よ。まぁ、そのぐらいしなければ、あの打ち合いに勝っていたのはアタシってことかもしれないけど」
すると魔人は笑い声を上げた。その声が森中に響き渡る。
「その通りだ。女」
「潔いじゃん。でさ、アンタ、偽物でしょう?」
ライナが言うとディアブロは鼻で嘲った。
「よく見破ったな。俺は本物の俺の三割程度の力を持った分身に過ぎない。しかし、その分身でも、お前達を殺すことは充分にできる」
ディアブロが躍り掛かって来た。
槍が薙ぎ払われ、麻呂は避け、それを剣で受け止めたライナが吹き飛んだ。圧倒的な膂力だった。
「ライナ!?」
「どこを見ている!」
刺突が、斬撃が麻呂を嵐の如く襲った。
速さも力も今までのディアブロとは比較にならないほどだった。受け止め続け腕に痺れが走り、呻いた瞬間だった。
凶刃の切っ先が麻呂の胸目掛けて放たれていた。一瞬の油断だった。
だが、刃は麻呂の胸の直前で止められていた。
ディアブロの額を鉄の矢が貫いている。
「麻呂君、今よ!」
レイチェルの声が響き、麻呂は刃を即座に鞘に戻し、走らせ、全身全霊の一撃を放った。
魔人の首が地面に落ちる。頭を失った胴体の頸部からは青い血が噴き出し、力を失って倒れた。
ディアブロを斃した。
「麻呂!」
ライナが駆け付けてくる。
エルヘの住民達は沈黙していたが、やがて歓喜の声が轟いた。
だが、その声はすぐに打ち消された。ディアブロの嘲笑う声が不気味に響き渡ったのだ。
見れば、胴から離れて横たわっている首が怪しい笑みを浮かべていた。
「もう一人潜んでいたとは俺としたことが計算外だった。だが、お前達は面白そうだな。俺の用意した火の粉を払い退け、本物の俺と対峙する時を楽しみにしているぞ」
すると魔人の頭と体は煙を上げて蕩けていった。
「負けたくせに偉そうなこと言っちゃって」
ライナが言った。
「レイチェル殿、おかげで命を拾ったでおじゃる。かたじけない」
麻呂が振り返って礼を言うと、クロスボウを提げたレイチェルが頭を振った。
「このディアブロが本当に自身の言う通り本物の三割程度の実力しか無いとすればかなりの難敵になるわね」
レイチェルは続けた。
「速さと力と魔力を兼ね備えた究極の形体と、私達は渡り合い、勝たなければならない」
麻呂は頷いた。
「おじゃるな」
「まぁ、確かに苦戦はしたけどね。正直、鎧が無ければアタシなんか一回死んでるわけだしさ。そこんとこはさすがに反省してる」
ライナも正直に感想を述べた。
すると長老が歩んできた。
「だからこそ、皆さん、急いでエルヘ円卓の騎士を結成しなければならぬのです。ですが、エルヘ結界を、たった三割の力だけで抜けて来られたとすれば、ディアブロは、円卓の神殿を先手を打って破壊しようとするやもしれません。神殿には常駐する守り人がいて、より凝縮された強力なエルヘ結界が張られてはいますが、ディアブロの前にいつまでもつか分かりません。是非ともお急ぎください」
長老が言い、麻呂とライナとレイチェルは頷いた。
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