第二十六話 「長老の頼み」

 翌朝、野宿した場所から集落へはさほど時間は掛からなかった。

 草藪と木々の間に開けた場所が見え、幾つかの小屋が並んでいるのが目に入る。畑を耕す人の姿もあった。

「またオメェか。また魔物どもと仲良くしろとか言いに来たのか?」

 畑を耕していた中年の男がぶっきらぼうにそう言い捨てた。どうやらレイチェルに言っているらしい。

「こんにちは、長老様はいらっしゃいますか?」

 レイチェルが男の言葉を無視してそう尋ねた。

「何度来ても同じだ。魔物どもと仲良くする気なんか俺達には無い」

 男は頑としてそう言い放った。

「では、この子を御存知ですか?」

 レイチェルはリンをスッと前に出した。

 すると男の表情が驚愕に変わった。

「リ、リンじゃねぇか!?」

 麻呂とライナは顔を見合わせた。

「ビンゴね」

「おじゃるな」

「大変だ、長老!」

 集落の男はすっ飛んで行き、やがて一人の老人を連れて戻って来た。

「おじいちゃんー」

 リンが駆け寄って行くと老人はリンを抱き締めた。感動の再会になると麻呂は思ったが、長老の方は思ったほど感激していない様子だった。

「よくぞ戻ったリンよ。して、あなた方がリンを人攫いから助けてくれたのですな」

「うん、まぁ、そうだけど」

 ライナが釈然としない様子でそう答えた。

「よくぞ、大任を果たしたリン。勇者を二人も連れて来た」

 長老が言った。

「大任? それってどういうこと?」

 ライナが訝し気に詰問する。すると長老は言った。

「敵を人攫いと見抜き、小さな子供を助けて連れてくる。そのような勇敢で清い心の持ち主を我々は待っていたのです」

 訳が分からず麻呂は長老の言葉を頭の中で反芻させていた。と、ライナが言った。

「もしかしてわざと?」

 ライナの緑色の目が怒りに震えている。彼女は言葉を続けた。

「わざとリンを人攫いに渡したってこと?」

「おじゃる!?」

 麻呂は驚いたが、長老は頷いた。

「何でそんなことを! あと一歩でリンは奴隷商人に売られるところだったのよ! それにリンがどんなに長い間辛くて怖い思いをしたのか、アンタ分かってんの!?」

 ライナが背中の剣に手を掛けた。

「ライナ」

 麻呂は手で制して長老に尋ねた。

「長老殿、貴殿がリンにした仕打ちは麻呂も許しがたいでおじゃるが、御自分の孫娘に危険を冒させたその理由は一体何でおじゃるか?」

 ライナが既に極限状態にまで怒っているので、麻呂まで怒ることは事はできなかった。その代わりに、こうして比較的冷静な心境で謎を紐解いてゆく導き手のような役に自分はなった。

「全ては魔人ディアブロのせいなのです」

「魔人ディアブロ?」

 麻呂が尋ね返すと、長老は深く頷いた。そして肩を震わせて話し始めた。

「魔人ディアブロと我らエルヘ族は大昔から対立してきました。時には勝ち、時には負け、互いの領土を奪ったり奪われたりしてきました。今は各集落の長老の力でエルヘ結界を張り、その侵攻を防いでいるのですが、それももう限界。島には若い者はいれど、勇敢なる者はいない。だから外部の勇者の資質のある者をこの島へ導くためにリンを犠牲にしたのです。あなた方もきっと港で大金を渡すよう、あらゆる難癖をつけられたと思います。それはもしもディアブロがエルヘ結界を破った時のための和解の上納金にするつもりだったのです」

「和解というよりは隷属ね」

 ライナが冷たい言葉で言った。

「確かにそうはなるでしょう。しかし、ディアブロは気まぐれな性質故、それにかけてみようと……」

「貢物はするから手を出さないでくれっていうことですか?」

 レイチェルが尋ねた。

「全くその通りです」

 長老は相変わらず肩を震わせながら応じた。

「でも、気まぐれなんでしょう? そのディアブロって奴は。だったらその気まぐれで、負けたアンタ達エルヘ島の人達全てを殺し尽すことだってするかもしれない」

 ライナが言った。

 すると長老は地面に屈した。

「その通りです。ですからどうか、リンをここまで連れてきてくれたあなた方の清く勇敢な心を我々にお貸しください。ディアブロめを討伐して下され!」

 長老が叫ぶと、いつの間にか集まって来ていた集落の住人達も同じように地面に平伏した。

「あー、もう、怒りたいのに怒りが冷めちゃったわ。どうする、麻呂?」

 ライナが言った。

「リンを利用したのは許しがたいでおじゃるが、ここはリンの故郷、リンの家も家族もあるでおじゃる」

「そうよね。それにすっかり悪評ばっかり立っちゃってこの島にいる戦士なんてアタシ達ぐらいのもんでしょうし」

 するとリンがこちらを見上げながら歩んできた。

「麻呂ー、ライナー、助けてー」

 そう言われ二人は顔を見合わせた。

 ライナの表情が若干諦めたかのようになる。麻呂も自分で似たような表情をしているだろうと思った。

「分かった。斃してやろうじゃないの、そのディアブロって奴をさ」

 ライナが言った。

 長老が顔を上げる。

「それはまことでございますか?」

「勘違いしないでよ、リンのためだからね」

「そういうことでおじゃるな」

 すると長老は涙を流した。

「ありがとうございます。ありがとうございます。リンにした仕打ちを思えば」

 途端に長老が腰から短剣を取り出した。

「その仕打ちの清算を今ここで!」

 長老が短剣を自分の胸に突き立てようとしたのを麻呂が慌てて掴んで引き止めた。

「早まってはいけないでおじゃる! 御貴殿はリンにとって大切で唯一の家族でおじゃりましょうが!」

 すると長老は声を上げて泣き始めた。

 リンは確かに危ない目に遭った。イージアの奴隷商人に売られ、下卑濡れた貴族のもとで酷い目に合わされていたかもしれない。しかし、長老も島を思い苦肉の策だったのではないだろうか。子供なら他にもいる。だが、あえて責任のある自分の子供を犠牲に差し出したのではないだろうか。

 麻呂はもう長老を憎んではいなかった。

「死んではいけないでおじゃる。麻呂達は必ずディアブロとやらを斃してくれるでおじゃるよ。その平和のもと、御貴殿には責任あるリンの生育に励んでほしいでおじゃるよ」

「わ、わかりました」

 長老は涙を拭った。

「貧相なもてなししかできませぬが、今宵はここで祝宴を上げさせていただきます。ディアブロ討伐に行かれるあなた方のために。さぁ、皆、準備を」

 住人達が忙しげに去っていった。

「そういえば、レイチェルさんはどうするんですか?」

 ライナが振り返った。

「ご一緒させてもらうわよ。よろしくね二人とも」

 レイチェルの強さはクマと戦った際に存分に見ることができた。同行して貰うのは心強いことだった。

「麻呂ー、ライナー、レイチェルー」

 リンがこちらを見上げて言葉を続けた。

「ありがとー」

「リンのために頑張ってくるからね。吉報を待っててね」

 ライナが幼い少女の頭を撫でながら言った。

「きっぽー、待ってるー」

 リンが頷いて言った。

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