第二十三話 「レイチェル」

「さぁ、どうぞお入りなって」

 建物から出て来た人物は好意的な態度でそう言った。

 麻呂が先に行き、リンを背負ったライナが歩んでゆくと、燭台の灯りの中その人物の姿よく見えるようになった。

 長く青い髪の女性だった。年の頃はおそらく中年だが、そう年嵩では無い。若い頃の面影が残っているぐらいの顔立ちだった。

 女性に言われ、建物の中へ入る。

 建物は木でできていた。

 厚い布の敷かれた木の長椅子があった。

「ギギンボ、皆さんにお茶をお出しして、それから悪いけれど部屋の準備も頼むわね」

 女性が言う。

「はい、所長」

 ゴブリンのギギンボは気前よく応じてカーテンの向こうへ行ってしまった。

 女性が長椅子に座る様に促す。リンも起きていた。寝起きの彼女はまだボケっとしていて状況が呑み込めていないようだった。

「森の診療所にようこそ。所長のレイチェルです」

 女性が名乗った。

「私はライナで、この子はリン、こっちは麻呂です」

 ライナが代表で自己紹介した。

「あ、いや、麻呂にも本当の名前があるでおじゃるよ。麻呂の名前は――」

 その時だった。

「お茶をお持ちしました」

 ギギンボがお盆に人数分の茶を乗せて現れた。

 紅色のお茶だった。

「どうぞ、気分が落ち着きますよ」

 レイチェルにそう言われ、麻呂はお茶を飲んだ。芳しい香りが鼻を抜ける。

「これハーブティーですね?」

 ライナが尋ねる。

「そうです」

 レイチェルが頷いた。

「皆さんは、港のエルヘの方達にお金を全て取られてしまったんですか?」

 ゴブリンのギギンボが尋ねてきた。

「奪われそうになったけど切り抜けて来たのよ。リンまで逮捕するとか言って泣かせるし、最低な奴らでぶち殺したくなったけど、衛兵は全員気絶させて脱出してきたわ」

 ライナが未だ冷めやらぬ怒りの口調でそう言った。

「大変だったわね。でも血を一滴も流さずに事を済ませてきたことには感心するわ」

 レイチェルが微笑んで応じた。

「では部屋の方を整えてきます」

 ギギンボが再びカーテンを潜って行った。

「あなた達はどうしてこの島に来たのかしら? 島の悪い評判も大陸には広まっているでしょうし、観光とは思えないわね」

 レイチェルが尋ねた。

 麻呂とライナは、リンがこのエルへ島から攫われ、自分達が助けて、彼女の祖父に送り届けにきたことを話した。

「はぁ、考えてみたら、もしかしたら港にリンのこと知ってる人いたかもね。お金を捲いてでも情報を得るべきだったのかな」

 ライナが言った。

「エルへ島には幾つか集落があるわ。どこも閉鎖的だけど、それでも港の人達ほどではないわよ」

 レイチェルはそう言うと笑顔を浮かべてリンに尋ねた。

「リンちゃんのお家は海の近くにあったのかな?」

「ううん」

 リンは頭を振った。

「だったら残りの森の中の集落のいずれかのようね」

 レイチェルが言った。

「明日、案内してあげるわ。だけど、全ての集落を回ることを考えるとどうしても途中で野宿することになるけど。それでもあなた達は大丈夫?」

「野宿なら慣れてます。大陸でもたまに野宿してましたから」

 ライナが言った。

「そう、なら大丈夫ね」

 そうして部屋の準備が整ったことを告げにゴブリンのギギンボが現れた。

 三人はひとまず食卓に案内される。カーテンを潜ると、そこにはテーブルと椅子、書類の詰まった棚とベッドが一つあり、診察室だということを悟らせた。更にカーテンを潜ると四人掛けのテーブルと炊事場があった。

「粗食だけど、晩御飯の支度をしてくるから、皆さんはここで待っていてね」

 レイチェルが一段低い炊事場へ降りてゆく。彼女はギギンボと共に調理を始めた。

「リン良かったね、もうすぐお祖父ちゃんに会えるわよ」

 ライナが言うと、リンは頷きもしなかった。眠いのだろうか。ぼんやりとしていた。

「リンを送り届けたらどうしようか。次のエイカーからの定期便は二か月後だし……」

「確かに困ったでおじゃるな」

 やがて食卓には調理された肉と野菜、スープとパンが並んだ。

「森の恵みに感謝を」

 席に着くとレイチェルが言った。

「森の恵みに感謝を」

 自分の分の椅子を持ってきたギギンボがそう続く。

 麻呂とライナは顔を見合わせた。

「森の恵みに感謝をー」

 リンが先に言ったので慌てて二人も後に続いた。

「森の恵みに感謝を」

「森の恵みに感謝をでおじゃる」

 料理は絶品だった。ライナの母にも、エイカーのティアにも劣らない味だった。

「レイチェルさん、もし、リンを送り届けることができたら私達、次の定期便が来るまでどこかで待たなければならないんです。どうしたら良いでしょうか?」

 ライナが率直に尋ねた。

「ここに滞在すれば良いわ。簡単なおもてなししかできないけれど、それで良ければいつまでいても良いわよ」

 レイチェルはあっさりとそう言い、気さくに微笑んだ。

「ありがとうございます」

 ライナが礼を述べた。

「かたじけないでおじゃります」

 麻呂も続いた。

 ふと、レイチェルの目がリンの方を見た。

 リンは食事に手を付けていないようだった。

「リンちゃん、ちょっとごめんね」

 レイチェルはそう言うとリンの額に手を当てた。

「熱があるわね」

 彼女はそう言った。

「おじゃる?」

「え?」

 麻呂とライナは驚いた。

 ライナが自分の額とリンの額とに交互に手を当て頷いた。

「ライナちゃん、麻呂君、リンちゃんは今日はもう寝た方が良いわ」

 仮にも医者の判断だ。間違いは無いだろう。

 レイチェルが寝室へ案内する。炊事場の横手の扉を彼女は開いた。ライナがリンを背負って部屋の中に入ってゆく。麻呂も後に続いた。

 そこは言うまでもなく寝室だった。ただベッドが八台もあることから、本来は入院の必要がある患者のための部屋なのだと分かった。

 リンをその一つに寝かせる。窓際だ。

「リンちゃん、寒い?」

 レイチェルが尋ねると、リンは頷いた。

 ゴブリンのギギンボがすぐさま毛布をもう一枚用意した。

 少し見守っているとリンは眠り始めた。

 カーテンを閉めた窓の出っ張りのところに水筒を置いた。

「脱水状態だけが気になるから、水だけは飲ませてあげてね」

 ライナがリンの看病をすると申し出たので、レイチェルはそう助言した。 

 それから食事を再開し、ゴブリンのギギンボが浴場の風呂を沸かしてくれたので、麻呂とライナはそれぞれ手早く湯に浸かった。

 ライナの方が先に風呂に入ったので、麻呂は後から寝室に入った。

「明日は無理だね」

 ライナが言った。眠る少女を心配気に見ていた。

「そうでおじゃるな」

「リンのためとはいえ、アタシ達、ずいぶんリンのこと振り回してきちゃったのかもしれないね」

「そうかもしれないでおじゃるな」

「ごめんね、リン、ずっと知らないところで頑張って来たんだよね」

 ライナが泣いているように麻呂には見えた。

「ライナ、責任の一端は麻呂にもあるでおじゃる。そう自分を責める必要はないでおじゃるよ。それに今はもうエルへ島に着いているでおじゃる。今後は前ほど、長い距離を行くとは思えないでおじゃる。すぐにリンのお祖父さんに会えるかもしれないでおじゃるよ。リンが回復したらまたお互い頑張ろうでおじゃる」

「うん、そうだね」

 ライナがこちらを見た。

 二人は頷きあったのだった。

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