第二十二話 「森の診療所」

 殺気立ったエルヘ達に囲まれ、麻呂とライナはリンを庇うことぐらいしかできなかった。

 住民相手に剣を抜くわけにもいかない。

「挨拶代をよこせ!」

「そうだ払え! 銀貨一枚だ!」

 四方八方からそう声が轟く。

 その時だった。

 鋭い笛の音色が木霊し、住人達から殺気が失せた。

「何をしているか!」

 男の声が聴こえ、住人達が道を開ける。

 そこには警棒を持った軽装の鎧姿の衛兵と思われる人物達が数人立っていた。

 麻呂はこれでこの窮地を脱することができると内心安堵した。

「これは何の騒ぎだ!?」

 衛兵が声高に尋ねる。

「おまわりさん、こいつらが挨拶代をよこさないんです」

 エルヘ達が訴える。すると衛兵は表情を険しくして頷いた。

「外部の者が挨拶代を渡さないことはエルへ島刑法に該当する。よってお前達三名を逮捕する!」

「おじゃる!?」

 衛兵達が麻呂達の肩を掴む。そして手に縄をかけようとする。

 リンが声を上げて泣き出した。

「リン! こんな小さな子供からもお金をむしり取れないから逮捕するって何か変じゃない!?」

 ライナはそう言うと衛兵達を突き飛ばした。そして背中から剣を抜いた。

「貴様、本官に立てつく気か!?」

 衛兵達が警棒を捨て剣を抜いた。

 一触即発の事態になった。

 麻呂の脳裏を様々な人々の、ライナとリンのことを頼むという声が駆け抜けていった。

 もはやライナが剣を抜いてしまった以上、捕まれば厳しい罰が待っているだろう。リンにも及ぶかもしれない。ならば、切り抜けるまでだ。

 麻呂も前傾姿勢になり居合の構えを取った。

「そこの大道芸人も逆らうか! 構わん、三人とも殺してしまえ!」

「それはこっちの台詞よ!」

 ライナが掛かって来た衛兵目掛けて頬を剣の腹で打ち付けた。衛兵は吹き飛んだ。

 麻呂は安堵した。ライナも殺す気はない様だ。ならばと、麻呂も対峙する衛兵目掛けて刃を放った。刃の背で首筋を打たれた衛兵は白目を剥いて倒れた。

 衛兵達は次々向かって来ては二人の剣の前に倒れた。血は一滴も流れていない。全て気絶させただけだった。

「さて、ここにはいられなくなくなったわね。どうしようかな」

 泣きじゃくるリンを撫でながら冷ややかな声でライナが麻呂に言った。麻呂には当てがあった。ティアの言葉だ。有事の際は森を頼れと言っていたのを思い出したのだ。

 それを伝えるとライナは頷いた。そして遠巻きに怯えるエルヘの島民達に向かって尋ねた。

「森はどっちかな?」

 するとその中の一人の男が北の方を指差した。

 ライナは巾着から銀貨一枚をその男に放った。だが、男は未だ怯えているのか、警戒しているのか受け取らなかった。

「フン」

 ライナは不機嫌そうに嘲笑うとリンを連れて歩き出した。麻呂も続く。島民達がそんな三人をただ見送るのを麻呂は振り返って確認した。

 


 二



「リンまで逮捕だなんてどうかしてるわよ。っていうか、挨拶代って何よって感じだわ。衛兵も完全に向こう側だし、グシオンの奴が早々に引き上げた理由が分かった気がするわ」

 ライナは怒り心頭だった。

 三人は森の中を歩いていた。

「ティア殿は、森を頼れと言ってたでおじゃるが、一体、その頼りとやらはいつ現わられるのでおじゃろうか」

 麻呂は弱気になってそう言った。何せうっそうとした森の中を、道も無くただ我武者羅に歩いているだけなのだ。

「野宿の準備はして来てるんだし、しばらくはその頼りがなくても生きてはいけるけど……」

 もう町には戻れない。いや戻れないことはない。ただし最悪の空気を味わうことになるだろう。島民からは恐れおののかれる。物は売って貰えないだろう。いや、逆に怯えているからこそ売ってもらえるかもしれない。言い値がどのぐらいなのかは見当はつかないが。

 枝葉の間に見える陽が傾いて来た頃、三人は未だに森の中だった。

「今日はここで野宿しよっか」

 ライナが言った。深紅の鎧を纏った女戦士は少しは怒りが治まったようだった。

「そうでおじゃるな」

 そうして麻呂が薪拾いに出掛けようとしたとき、茂みがガサガサとなった。

 麻呂とライナはリンを庇い素早く剣の柄に手を掛けた。

 猛獣だろうか。

 緊張したまま待っていると、ピョコりと二足歩行の生物が飛び出してきた。

 毛むくじゃらな身体にエメラルド色の大きな瞳、背丈は大きな子供位あった。

 それはゴブリンだった。

「こんばんは」

 ゴブリンはこちらに気付くと親し気にそう声を掛けて来た。

「こんばんはでおじゃる。ゴブリンの方でおじゃるか?」

 どう見てもゴブリンだが、麻呂は改めてそう尋ねた。

「はい。おや、ここで野宿されるのですか?」

 ゴブリンは流暢な共通語でそう返してきた。

「そうでおじゃる」

「小さなお子さんもいるのに野宿は少々身にこたえるでしょう。良かったら宿代わりに使える場所まで御案内しますがどうしますか?」

「そう言って、高額な料金をむしり取ろうとか思ってないわよね?」

 ライナが声を鋭くして尋ねると、ゴブリンはまるで害がないのを伝えるように両手を上げて応じた。

「私達森の住民は、エルヘの方々と違って何も見返りは求めやしませんよ。食事もベッドもあります。全て森の恵みです。どうします、御案内いたしましょうか?」

 ゴブリンは純粋な親切心でそう言っている。麻呂とライナは顔を見合わせた。

「嘘を言っているようには思えないでおじゃる」

「ま、嘘だったら、こっちだって容赦しないし」

 ライナはまだ急性の人間不信に陥っているようだと麻呂はみた。それでも話は決まった。

「それでは一晩御厄介になるでおじゃるよ」

 麻呂が答えるとゴブリンは頷いた。

「分かりました。そろそろ日も傾いてきています、暗くて私の姿を見失った時はすかさず声を上げて下さいね。この森には猛獣もいますので」

 ゴブリンは茂みに飛び込んだ。麻呂が続き、リンとライナも遅れずついてきた。



 三



 藪を潜り横たわる古木を跳び越え、枝葉を掻き分け、道なき道をゴブリンの後に従って麻呂達は歩んでいた。

 陽が完全に沈んだころ、ゴブリンは松明を灯した。そのうちの一本を最後尾のライナに渡した。

 ゴブリンは親切心だけで動いている。いくら道の無い暗い森の中を一時間ほど進もうが、麻呂には疑念は湧いてこなかった。

 途中、リンが疲労困憊になったため、ライナがおぶった。麻呂はライナの分の松明を手にした。

「もう少しです」

 闇の中ゴブリンが励ました。

 程なく進むと、開けた場所に辿り着いた。そこには一階建ての家が建っていた。建物のガラス窓の向こうからは灯りが覗いている。井戸の姿も見えた。

「着きました」

 ゴブリンが言った。

「ここは何なの?」

 ライナが尋ねた。

「ここは森の診療所です。でも、エルヘの人々にお金を巻き上げられて困った方達が生活できる場所でもあります。森の約束さえ守れればですが」

「森の約束でおじゃるか?」

「そうです。草木も動物も生命です。その生命を頂く際には、森の主に感謝の言葉を述べることを忘れないこと。これだけを守って頂ければ何も問題はありません」

「じゃあ、その感謝の言葉を忘れて、例えば花とか摘んじゃったらどうなるの?」

 ライナが尋ねた。

「その時は森の主の怒りに触れるでしょう。命の保証はありません。でも大丈夫、あなたはそのような尊大な態度を取る方には見えませんので」

 ゴブリンが言うと、ライナは機嫌よく微笑んだ。

「ちょっと待っててくださいね。診療所の主に来客を告げてきますので」

 ゴブリンは小走りで建物の方へ行くと扉を開いた。

「所長、急ですがお客様をお連れしました」

 すると建物の中から女性の声が聴こえた。

「そう、ギギンボ、わかったわ。ありがとう」

 そうして灯りに照らされる入口に人影が姿を見せたのだった。

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