第十七話 「二人のお仕事」
衛兵の仕事は楽な時は何も起きずに楽だったが、何か起きた時が面倒だった。
特に酔っ払い同士のいさかいだ。誰も彼も酒に飲まれて激高しやすい。武器を町の中で抜くのは禁止されているが、酔っ払った彼らは勢い勇んで剣を、斧を、槍を抜いてくる。
「許可無く武器の刃を見せるのは法令違反だ! 全員逮捕する! 麻呂、縄をかけるぞ!」
二人一組の相棒を買って出たブルダークによって麻呂はキビキビと動き、二人で打ち倒した酔っ払い達の手に縄をかける。そうして詰所の地下にある独房まで連行するのだった。ちなみにブルダークは剣を麻呂は刀でそれぞれ器用に扱い相手を気絶させていった。
衛兵の勤務は朝と夜の二交代制だった。酔っ払いがいる分、圧倒的に夜の方が事件が多い。
今日も仕事を終え、朝日を浴びて港町をトボトボとティアの屋敷へと帰ってゆく。
「只今戻りましたでおじゃる」
麻呂は疲労に蝕まれながら玄関の扉を開けてそう言った。
「麻呂ー、お帰りー、おはよー!」
リンが駆けてくる。まだ寝巻のままだった。
リンと共に屋敷の食卓へ行くと、質素だが料理が用意されていた。
ティアが本を読みながら席に座って待っている。
「ティア殿、只今戻りましたでおじゃります」
「ん、お帰り。ご飯食べちゃいなさいよ。それとも風呂に行きたいんだったらそれでも良いし」
「ご飯の方をいただくでおじゃりますよ。いつもかたじけのうおじゃります」
リンも着替えてきて麻呂の前に座って食事を始めた。
「ライナは寝ているのでおじゃりますか?」
「そうよ」
ティアが本から目を離さず答えた。
ライナが何の職業に就いたのかは分からない。だが、彼女の勤務時間は夕方から夜中までだった。なので最近はすれ違いが多かった。
「ティア殿、ライナが何の仕事をしているか御存知でおじゃりますか?」
「劇場」
ティアが答えた。
「劇場?」
「そうよ。そこの踊り子やってるんだって」
「踊り子でおじゃるか」
ぼんやりとしたイメージしかできなかった。麻呂は牛乳をすすった。
二
例によってブルダークと夜勤の仕事をしていたが、その途中激しい雨に降られてしまった。
「通り雨だと思うが、麻呂、こりゃあ少し仕事はお預けだ。劇場で雨宿りするぞ」
「劇場でおじゃりますか?」
そう言って小走りでブルダークの後を追う。
すると夜中も近いというのにやたら活気のある大きな建物が見えて来た。
カウンターがあり、両開きの扉は閉められている。だが、扉の向こうからは人々の叫ぶような声が聴こえてきていた。
「今日は俺のおごりだ」
ブルダークがカウンターの男性に金を出すと、彼は両開きの扉を開けた。
まるで解放されたかのように絶叫が轟いた。中は満員だった。
「ここで立ち見だな」
劇場の中は建物が示す通り広かった。灯りが煌々としてる舞台があり、二十段以上もの客席が正面はおろか、右にも左にもある。正式には舞台から見て右斜め、左斜めだが。舞台上では踊り子達が踊り、男で埋め尽くされた客席からは熱いエールや贔屓にしている踊り子の名前が叫ばれていた。
麻呂は踊りには興味が無かったが、その劇場の踊り子の衣装ときたら、破廉恥極まりない物だった。極薄の白い衣装を身にまとい、腹を出し、下着が見えそうなほど短いスカートを履いている。口元は薄いスカーフで隠されていた。
「リリザちゃーん!」
「ヒナちゃーん!」
男達が声を上げる。
この熱狂的な渦に巻き込まれたかのようにそう男達は口走り続けている。
そして麻呂は「うわっ」と両手で目を覆った。踊り子が動く度に豊満な胸元が挑発するように揺れ、踊り子が足を高く上げる度に下着が見えそうになるのだ。
あ、と麻呂は思い出した。
ライナも劇場で踊り子をしているとティアが言っていた。
麻呂は目を覆った手を提げて舞台を見た。
踊り子達が、観客に名を呼ばれ手を振っている。
「ベリーちゃーん!」
観客達の声が重なり最後の踊り子の名を呼んだ。
「はーい! 声援ありがとねー! みんな大好きだよー!」
そう答える声は紛れもなくライナだった。
麻呂は呆気に取られた。
つまりはライナも胸を揺らして、観客達を魅了し、下着が見えそうなほど脚を上げて観客達を誘惑していたのだ。麻呂の心臓が高鳴った。
「おう、今日はこれで終わりか。仕事に戻るぞ、麻呂」
ブルダークに言われ麻呂は仕事に戻ったのだった。
三
「職業に貴賤は無い。というでおじゃるが……」
麻呂は朝食の席で面と向かってティアに相談していた。
「あの子が楽しんでやってるなら良いんじゃない」
ティアは冷淡な口調で応じた。
「ティア殿、しかし、少々過激な内容でおじゃったのです」
「身売りしてるんだったらアタシも黙ってはいないけれど、まだ踊り子だったら、そういう段階でも無いんじゃない? ただ、そろそろ一度危ない目に合うかもしれないわね。あの子だったら大丈夫かもしれないけれど、アンタ、今週は日勤でしょう? 念のため夜、ライナのことを見守ってやってくれないかしら? 嫌なら、アタシが行くけど」
「危ない目でおじゃりますか?」
「そろそろ暴走した勘違い共が現れるかもしれないってことよ」
ファンのことだろう。ライナの仮の名、確かベリーだったが、その時の観客の熱狂は凄かった。
「麻呂が行くでおじゃります」
「そ。じゃあ、頼りにしてるわね」
ティアはそう言うと再び本に目を戻した。
そしてその日の警備の仕事を終えると衛兵の制服姿のままティアの家に走って戻った。
薄闇が支配する時刻だった。
「ティア殿、ライナは?」
ティアは部屋で本を読んでいた。何冊もの蔵書が山積みになり、あるいは壁という壁を埋め尽くしている。その足元でリンが寝っ転がり絵本を声に出して読んでいた。
「少し先に出て行ったわよ」
「そうでおじゃりますか! では、麻呂も行ってくるでおじゃります! リンのことよろしくでおじゃります!」
麻呂は素早く着物に着替え、烏帽子をかぶると外へ飛び出した。
劇場はまだ開いていなかった。麻呂は一番目に到着したのだ。カウンターには受け付けもいないし、両開きの扉は締まっている。
すると綺麗な女達がこちらを見て微笑みながら裏の方へと行った。
徐々に麻呂の後ろに列ができ始めた。誰もかれもがすっかり鼻の下を伸ばしている。
両開きの扉が開け放たれ、カウンターに男性が入った。
「さぁ、お待ちどう! 今宵の劇場も今から開幕だよ!」
麻呂はお金を払った。
そしてどの席に座るか思案している間に後ろから次々押され、最前列へと押しやられたのだった。最前列の真ん中だった。
劇場が騒がしくなったころ、司会の男がステージに現れ、開幕を告げる。入れ替わりにあの衣装を着た女達が左右の舞台袖から現れた。
観客の男達が踊り子の名を叫ぶ。
やがて踊り子の後ろの薄暗い中に控える楽器を抱えた者達が曲を引き始めた。
踊り子達がキレの良い踊りを披露する。
麻呂はライナを探した。口元が隠されているため、肩口まで伸びた金色の髪しか手掛かりがなかった。
踊り子のたわわな胸が一斉に揺れ、前列の男達は歓声を上げた。
踊り子のグループは幾つかあるらしく、曲ごとに変わっていった。
と、麻呂の目の前に現れた踊り子がウインクしてきた。肩口まで伸びた金色、ライナだった。
「ベリーちゃんだ! 今日のセンターはベリーちゃんだぞ!」
客達が騒然とする中、曲が始まり踊りが披露された。
下着が見えそうなくらいまで上がる脚に、初めて知ったがライナの胸は大きかった。それが動くたびに揺れている。
麻呂は妙な気分になるのを抑えなければならなかった。劇場の空気にも踊り子の身体にも飲まれてはいけない。今日の自分の目的はライナの護衛にきたのだから。
ライナが投げキッスを間違いなく麻呂にした。麻呂は興奮を抑え、素知らぬ顔を装った。
まさに天国なのに地獄の時間がようやく終わりを告げた。
司会が閉幕を告げ、客達が談笑しながら去って行く。
麻呂もその列に加わり、外に出た。
外に出ると数十人の男達が待っていた。
程なくし、裏から仕事を終えた踊り子達が姿を現す。
男達は夢中になって踊り子の名を呼び手を振る。
踊り子達が手を振り返すと、彼らの一部は役目を果たしたかのように宵闇に消えていった。
「ベリーちゃん!」
普段着のライナが姿を現すと、残った男達が呼び止めた。
「みんな、こんな時間まで応援してくれてありがとうね!」
律儀にライナが言った時だった。
一人の男が進み出て興奮の冷めない様子で言った。
「ベリーちゃん、俺、アンタに恋しちまったんだ! 俺のものになってくれ!」
そうしてライナの手を掴もうとしたとき、先輩の踊り子が庇って、手を振り払った。
「お客さん、今日の幕はもう終わりよ。さぁ、お帰りになられて、明日も」
「オメェには言ってねぇ!」
男が拳を繰り出し先輩踊り子を殴り飛ばした。
「リリザさん!」
ライナが声を上げる。
すると場の空気が変わった。
「みんなで、ベリーちゃんを分け合おうぜ」
薄気味悪い声を出し、男達がライナに迫る。
「いくらお客さんでも、やって良いことと、悪いことがあるよ!」
ライナが怒りの声を上げる。
麻呂は出遅れたとばかりに、その間に割って入った。
「何だ、この大道芸人は!?」
「退け! 俺達はベリーちゃんと仲良くなるんだ!」
麻呂は刀に手を掛けた。
「それ以上、近付くと、暴行罪と脅迫罪とストーカー規制法でお主等を逮捕するでおじゃる! 麻呂はこう見えて衛兵でおじゃるぞ!」
「お前みたいな顔の衛兵がいるものか! やっちまえ!」
興奮した男達が襲い掛かってくる。
麻呂は素早く相手をみね打ちにし、気絶させる。と、彼の隣でライナも拳を振るっていた。彼女は怒髪天だった。
そうこうしているうちに片付いたころ、劇場の支配人を名乗る男と他の男達が現れ、全員の出禁を告げた。その中には麻呂も含まれていた。
ライナと、先輩であるリリザが麻呂が守ってくれたことを主張しても支配人は頭を振った。
「喧嘩両成敗。それが私のモットーだ」
四
「麻呂、ありがとね。本当は心配して来てくれたんだ」
帰り道、ライナがそう言った。その表情は少し悲しそうだった。それはそうだ。大切なファンだと思っていた男達に裏切られたのだから。
「ティア殿に頼まれたでおじゃるよ」
「そっか、ティアおばさんが」
「ライナ、踊り子の仕事にはこういう危険がつきものなのかもしれないでおじゃる。それでも続けるでおじゃるか?」
するとライナは溜息を吐いた。
「本当に楽しい仕事だったけれど、麻呂にもティアおばさんにも心配されるなら辞めようと思う。明日、支配人に言いに行くわ」
「そうでおじゃるか」
「ところでさ、麻呂」
「何でおじゃるか?」
「アタシ、どうだった?」
麻呂は言葉は詰まらせた。妖艶だった。その色香に麻呂は心を奪われてしまった。ライナの揺れる胸を、高く蹴り上げられる美しい脚を思い出し、身体の感覚が変になって来た。だが、そんなことは言えない。
「輝いていたでおじゃる」
麻呂はそう答えた。
「そっか。良かった。それと助けに来てくれてありがとう、麻呂。暗いし、手、繋ごうか」
「おじゃる!?」
ライナの大きな手が麻呂の手を掴む。その温もりが伝わり、麻呂は途端に緊張のようなものを覚えた。
そうして星が瞬く中、二人は手を繋ぎ、帰路を歩んで行ったのだった。
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