第十五話 「エイカー」

 船が港に入ると乗客達は下りる準備を始めた。

 船から見たエイカーの町は広かった。

 そうして桟橋が架けられ、下船する客達の列に並び、久しぶりに地上を踏んだ。

「それでは私は故郷の方に戻りますので」

 リシェルが言った。

「うん。また会えたら良いね」

 ライナがキラキラした笑顔で応じると向こうも上品に微笑んだ。

「そうですね。ライナさん、麻呂さん、リンちゃん。お世話になりました」

「こっちこそ、ありがとね」

「道中の安全を祈ってるでおじゃるよ」

「リシェルー、バイバイー」

 そうして銀髪の女剣士は一行の前から去って行った。

「さて、ティアおばさんのところに行くわよ」

 ずいぶん前にエイカー滞在費は浮くとライナは言っていた。ティアという人物が家主の家に泊まることになるのだろう。

「いきなり押しかけて迷惑でないでおじゃろうか?」

 麻呂が不安を口にするとライナは言った。

「大丈夫、大丈夫。このアタシがいるんだからさ」

 ライナは気持ち良さそうに笑うと言った。

「じゃあ、しゅっぱーつ!」



 二


 

 賑わう商店街を麻呂とライナはリンの手をそれぞれ握り人々の間を縫う様に脱出する。

「そのティア殿という方はライナの親戚の方なのでおじゃるか?」

 道々麻呂が尋ねると、ライナは頭を振った。

「違うよ。母上の昔の仲間だった人だよ。ほら、今じゃ平和の使者シルヴァンスがあっちもこっちも仲睦まじくしちゃったから無くなっちゃったけど、冒険者っていう職業があったじゃない。その時の仲間同士だったんだって。他にも何人かいるよ」

「そうでおじゃったか」

 ライナの言う通り、人間やエルフ、ドワーフ、リザードマン達は、魔物として決めつけ互いに殺し合い奪い合っていたゴブリンや、ミノタウロス、オーガー、コボルトなどの種族と手を結び、今では友好的で、日常的な関係になっていた。冒険者ギルドはそういったかつての魔物と認識されていた種族からの襲撃から身を守るために彼らを討伐する依頼などを請け負っていた。

 そして冒険者ギルドは役目を終えて姿を消してゆき、町や村の一般の仕事の斡旋所として大半は現在は機能している。しかしそれでも人々は武器や防具を手放さなかった。理由は、この大陸が光りと闇に分かれていがみ合っているからだ。大陸を東西に分断する大樹海の西半分は、闇の神を崇拝している種族の国家が成り立っていた。光りと闇は相対することは、神々の教えの中にお互いに記されていた。こちらは光りの神々を信仰している。なので時折小競り合いが起きたり、侵略戦争、防衛戦争にもなったりする。だが、敵は闇の者だけではない。残念ながら賊に身を落とした者達からの襲撃に備えてということもあるし、船旅でクラーケンに襲われたように、話の通じない凶暴な魔物や猛獣から身を護るためということもある。

 場所は住宅街になっていた。先を行くライナの足は止まる気配が無い。

 ライナからティアの話を初めて訊いた時は、恰幅のある豪快で優しい壮年の人物を想像していたが、今では印象が違っていた。冒険者をしていたのだ。きっと身体はもっと引き締まっているだろう。

 住宅街の中でも、一際大きな金持ち達が住んでいるだろう地区に差し掛かった。中には門番のいる家もたくさんあった。

 麻呂は度肝を抜かれていた。

 ティア殿とやらは金持ちらしい。商人から成功するのはよくある話だが、ティア殿は冒険者で成功したのだろうか。

 そうして一軒の大きな家の前に辿り着いた。門番はいない。白塗りの壁の上品そうな屋敷だった。

 ライナが進み出る。てっきり扉をノックするのかと思ったがそうではなかった。彼女は扉を開け放ち、唄うような大声を上げていた。

「ティーアおばさーん!」

 近場の他の屋敷の門番達が訝し気にこちらを見ている。

「うるさいわねぇ」

 不機嫌そうな声が聴こえ、屋敷の中から女性が姿を現した。

 容姿はまだ若々しく、長い金色の髪をしている。これだけ見ればライナの母の事を思い出す。

「ヤッホー、ティアおばさん、お久しぶり!」

 するとティアおばさんは、小さく溜息を吐いた。

「元気そうで何よりね、ライナ」

「うん!」

 するとティアおばさんは言った。

「母上は元気なの?」

「うん、母上も父上もライドもみんな元気だよ!」

 ライナが元気いっぱいに応える。するとティアおばさんの麗しい顔にあった不機嫌な表情が僅かにほころんだ。

「だったら良いわ。ところで、アンタはイージアの貴族よね?」

 柔らかだった視線が冷厳なものに変わり、麻呂を凝視する。

 だが、麻呂は驚いていた。正直、また大道芸人と間違われるかと内心覚悟していたのだ。

「そうでおじゃります。初めまして、ティア殿。麻呂の名は――」

「で、その小さい子は何?」

 ティアは麻呂の事を無視して今度はリンを見た。

「アンタ達の子供にしては特徴が見られないわね」

「アタシ達の子供じゃないよ。この子はリン。アタシ達、この子をエルへ島に送り届けるんだけど」

 そこまで言うとティアが手で制した。

「続きは中で聴くわ。入りなさいよ」

 そうして先に家の中へ入ってゆく。その背に白い鳥の翼が生えていた。麻呂はティアの若さと美貌の正体がようやく分かった。有翼人だからだ。有翼人は美男美女が多いと聴いたことがあった。エルフやドワーフには及ばないが、寿命も人間よりはやや長いらしい。

「おじゃましまーす!」

 ライナが声を上げて後に続く。

「おじゃましますでおじゃる」

 麻呂とリンも後に続いた。



 三


 

 広間に通された。

「ヴァロウおじさんとか元気?」

 ティアと対座する形で三人はソファーに腰かけると、ライナが尋ねた。

「ヴァルクライムならリールとガガンビ連れて、仕事に出たわ。グスコムまでの商人護衛のね」

「サンダー君は?」

「ジミーはアイツの義理の兄弟達のところにいるわよ」

「ふーん、そうなんだ」

 そう答えてライナはカップに入った紅茶を飲み干す。

「おばさん、おかわり!」

「アンタは相変わらずね」

「おばさんの淹れた紅茶は美味しいんだもん!」

 ライナがそう答えるとティアはカップを取って引っ込んでいった。

 それにしてもと、麻呂は広間を見渡す。壁という壁が本の背表紙で埋め尽くされているのだ。

「ティアおばさんはね、王立……えっと、なんだっけ。とりあえず、国から依頼されて古い本の解読とかしたりしているのよ」

 ライナが言った。

「なるほどでおじゃる」

 何故、金持ちの地区に住んでいるのかこれで納得がいった。ティアは王宮お抱えの学者みたいなものなのだろう。

 ティアが湯気の立つカップを持って戻ってくる。

「エルへ島に行くとか言ってたわね」

 ソファーに座り、ライナの前にカップを置くとティアはそう言った。

 そこでライナと麻呂はティアにリンがエルへ島から誘拐されてきたことを話した。

「エルへ島行きの船は二か月後よ」

 衝撃の一言をティアは伝えた。

「ええっ!?」

 ライナが驚いたが、麻呂もだった。

「それ本当!? いや、ティアおばさんが嘘つくわけないけど……でも」

「港に行って自分の目で確かめてきたら?」

「うーん。アタシそうする! 麻呂、行こう!」

「おじゃる!」

「ティアおばさん、リンのことお願いね」

 ティアが頷くと、ライナに力いっぱい手を引っ張られ、麻呂は港へと急いだのだった。



 三



 結局はティアの言う通りだった。エルへ島行きの船は早くて二か月後だった。

「つい最近になって便が減ったのよ。エルへ島の連中が業突く張りでね、観光客も行商人も激減したのよ」

 ティアはそう言った。

「二か月もどうしようか?」

「さっきも言ったけどエルへ島の連中は欲深いわよ。アンタ達の路銀で足りるかしら? 少なくとも向こうに着けば二か月はこっちに戻ってこれないってことよ」

 ティアが言った。麻呂はグシオン・ノヴァーの言葉も思い出した。彼はあっと言う間に路銀を失い早々に退散しなくてはならなかった。

「お金を少しでも稼がなきゃね」

「おじゃるなぁ」

「よし、ここでしばらく働こう! エルへ島でいくらむしり取られても大丈夫なように!」

 ライナが言った。

「つまりここを根城にするわけね。まぁ、良いけど」

 ティアが言った。

「さすが、ティアおばさん話が早い!」

「話が早いー」

 リンが無邪気にそう言った。

 麻呂は路銀の入った巾着袋の中身を見て頷いた。余裕がありそうだったが、グシオン・ノヴァーのことを再び思い出し、念には念をと決めた。

「確かに麻呂の方も路銀が心配でおじゃる」

「じゃあ、決まり!」

 ライナが言うと、ティアは頷いた。

「良いわ。アンタ達が仕事に出てる間はこの子はアタシが面倒見とくから」

「ありがとうティアおばさん!」

「かたじけないでおじゃる」

「かたじけないでおじゃるー」

 ティアは別段顔色を変えることなく席を立った。

「アンタ達の部屋に案内するからついてきなさい」

 そうして麻呂は慌ててカップの紅茶を飲み干して、ティアと先に立つライナの後にリンの手を引いて続いたのだった。

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