第十三話 「出発」

 顔にはおしろいを塗り、丸い眉を左右に描く。そしてお歯黒をして唇に紅を塗る。

「麻呂、まだなの?」

 洗面台の鏡にライナの姿が映った。

「今終わったでおじゃるよ」

 黒い烏帽子を被る。身に纏う薄い緑色の着物の帯には、このグラビス家から借りた刀「牙翼」が提げられている。そして背嚢を背負い麻呂は外へ向かった。



 二



「麻呂登場!」

 そう声を上げて玄関口でライナが麻呂の背中を押す。小突いたつもりだろうが、それでもなかなかの力だった。

「おじゃじゃじゃ!?」

 麻呂はよろめきながら外へ出た。

 麻呂とライナ、リンは、ライナの母と向かい合った。

 御礼と別れの言葉を麻呂は述べようとしたのだが、その前に背嚢を担いだザンデが現れ、ライナの母はそちらに驚いたらしい。

「叔母上、長い間お世話になりました」

「ザンデ、家に帰るのか?」

 ライナの母が問うとザンデは頭を振った。

「いえ、己の居場所を探す旅をするつもりです。どこかに俺の手を必要としている人が、場所があるなら……俺はそこに身を置きたいと考えております」

「そうか。ザンデ少し待て」

 ライナの母が家の中へ駆け込み、やがて戻って来た。

 鞘に収まった一振りの剣を手にしている。

「業物ではないが、これを持って行け。丸腰では得意の剣術も発揮できんからな。それと少しばかりだが路銀だ」

 ライナの母が剣と路銀を差し出すとザンデは受け取った。

「叔母上、良いのですか?」

「お前は私の自慢の甥だ。お前を必要としている場所は必ずあるはずだ。道のりは楽では無いかもしれんが、頑張って見付けて来い」

「ありがとうございます」

 ザンデは丁寧に一礼すると言葉を続けた。

「それでは俺は行きます」

 ザンデはどうやら麻呂達とは反対方向の陸路を行くようだった。

「兄貴、頑張ってね!」

 ライナがその背に声を掛ける。

 ザンデは立ち止まり振り返って言った。

「お前らも。幸運を祈ってるぞ」

 そうして紫色の髪の剣士は黒い外套を翻して、坂を下って行き、見えなくなった。

「さて、ライナ、麻呂殿、それとリン」

 ライナの母が言い、麻呂達は相手の方を見た。

「お母さんー」

 リンが声を上げてライナの母の脚に飛び付いた。

「リン、また来て良いー?」

「ああ、勿論だ。いつでも来て良いぞ」

 ライナの母はリンを抱き上げて下ろした。

「だが、まずは、おじいちゃんを安心させてやることだ」

「うんー」

 リンが素直に頷いたので麻呂とライナは顔を見合わせてホッとした。リンはライナの母にずいぶん懐いていた。ここで行きたくないと、泣かれては、説得するのに時間が掛かりそうだったからだ。

「ライナ、リンをしっかり守ってやれ。酒は程々にして麻呂殿に迷惑を掛けるのではないぞ」

「分かってるよ」

 ライナが気楽そうにそう答えたのでライナの母の表情が険しくなった。

「やだな母上、本当に大丈夫だよ。しっかりやるから」

「……まぁ、信用しておいてやることにしよう。麻呂殿、二人をよろしく頼む」

「承知したでおじゃります。必ずやリンを無事に送り届けて、この刀を返しに再び伺うでおじゃります」

 その言葉を聴いてライナの母は深く頷いた。

 そうして三人はライナの母の前から辞去し、ライナの案内で港へ向けて歩いて行った。



 三



 麻呂は初めて海を見た。船もだ。

 水が蠢き白波が立ち、港に停泊する幾つもの船を揺らめかせている。

 麻呂の住んでいた砂漠とは違い、海そのものから潮の香りと生命の脈動を感じたのだった。

「感動しているところ悪いけど、行くわよ麻呂。これからしばらくは海の上なんだから、そのうち、海なんて見飽きるわよ」

 ライナが言った。

「そうでおじゃるな」

 麻呂は言われてみて気付いたのだった。そして胸を躍らせた。この青い海の上を初めての船で行くのだ。これは貴重な体験になるだろう。

 三人はエイカーへ向けて出る船の列に並んだ。そして船賃を渡し、桟橋の上を歩き、船の上へと到達した。

「おお、これが船の上でおじゃるか」

 忙し気に走り回る船員達を見ながら、今、麻呂は海の上に立っていることに対して改めて感動を覚えた。

「いかりを上げろ! 帆を張れ!」

 声が上がり、桟橋が畳まれる。船員が数人がかりで鎖を引っ張りいかりを引き上げている。

 頭上では白い帆が展開していた。

「いざ、出航!」

 潮風が帆を孕ませる。船が少しずつ動いてゆく。陸が離れてゆく。ライナの母上、ライド、そしてザンデ。新たな出会いを生んだ港町がゆっくりゆっくり遠ざかっている。

「さらば、バルケル。また来るでおじゃるよ」

 麻呂はそう呟いた。

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