第九話 「ライナの家族」
「ただいま、母上!」
扉を開け放つとライナの元気いっぱいの声が静かな家中に響き渡った。
程なくして慌ただしい足音がし人影が現れた。
「ライナか!?」
そう言ったのはスラリとした若い女性だった。長い金髪と切れ長の目をしている。眉は太く美しい。それが麻呂の第一印象だった。
「アハハハッ……帰ってきちゃったよ」
苦笑混じりでライナが言うと相手の女性は言った。
「ひとまず無事に帰って来てくれて良かったぞ。武者修行の成果は明日にでも試させてもらおう」
どこか上から見る様な口ぶりから、麻呂はこの人物はライナの姉だと思った。
「いや、それがまだ終わりじゃないのよ」
ライナが再び苦笑いしながら言うと、相手の目が厳しくなった。
「それはどういうことだ? まさか途中で修行を放棄して路銀も無駄に使い果たして来たというのか?」
「お金がなくなったのは本当だけど、遊んでいたわけじゃ無いよ」
ライナがそう答えると相手の女性は推し量る様にその顔を歪ませた後、麻呂の姿にようやく気付いたようだった。
「何だ、大道芸人を連れて来たのか? はっ!? まさか、お前の思い人か!?」
相手の女性が驚いた口ぶりでとんでもないことを言ったがライナは別段驚く様子もなく言った。
「この人はイージアの人だよ。化粧してて大道芸人に見えるけどさ」
「ほぉ、イージアから遥々ここまで」
相手の女性は感嘆するように言った。
「母上、この人は麻呂。アタシの恩人なんだ」
母上!? その言葉に麻呂は驚いた。ライナほどの年の子供がいるというのに何と若く麗しい姿をしているのだろうか。
ライナはそこで路銀を盗まれ、麻呂が立て替えてくれたことを話した。
「そうだったのか、麻呂殿と申されたか、娘が御迷惑をおかけした」
丁寧に挨拶をされ、麻呂も少しばかり恐縮した。
「いやいや、どうぞライナを叱らないでほしいでおじゃるよ。道中、彼女には色々助けられたでおじゃるし」
「え? アタシ、何か助けたっけ?」
「お互い支え合ったからこそ、ここまで来れたでおじゃるよ。リンのこともそうでおじゃる」
「リン?」
ライナの母はそこでようやく麻呂の後ろに隠れて恐々様子を窺っている幼い少女に気付いたのであった。
「おお、可愛らしい。おいでおいで」
ライナの母は笑みを浮かべて腰を落として言った。
「母上! まったく、リンは犬や猫とは違うんだよ!」
ライナが呆れ気味に言ったが、リンは出てゆくとライナの母の腕の中に収まった。
「よく来たな、ここではもう怖いことはないぞ」
そうしてリンを抱きつつ、ライナの母が視線でこちらに告げた。恐らく「訳ありか?」と。
麻呂とライナは揃って頷いた。
二
家の中へ通され、麻呂とライナはライナの母と向かい合った。
そして麻呂とライナは話した。
リンが人攫いによって誘拐されたこと、彼女の故郷がエイカーの南にあるエルへ島というところだと。
「それで二人はリンをそのエルへ島へ送り届けようと言うのだな」
「そうだよ。ね、麻呂?」
「おじゃる」
二人が言うとライラの母は真剣な顔で頷いた。
「エルへ島というところがあること自体が初耳だ。しかし、責任を持ってあの子を送り届けるという二人の意思は素晴らしいぞ」
リンは別室で寝ている。旅の疲れと、ライナの母の包容力に触れ、一気に安心しきったのだろう。それは共に成人したばかりの若者二人には無い力であった。
「それでね、母上、言い難いんだけど、路銀多めに持っていきたいのよ」
「未知の領域だからな」
ライナの母が頷くと、ライナは頭を振った。
「そうじゃなくて、聴いた話だとエルへ島の人達ってお金にうるさいらしいのよ。その聴いた人も早々に路銀を巻き上げられて退散したって」
グシオン・ノヴァーの話だった。
「分かった、あの子のためだ」
ライナの母は快く応じた。
三
ティンバラの大会の事など、すっかり話し込みそれから夕食の時間となった。
ライナの母が炊事場に立っている。ここを宿代わりに滞在してくれと、ライナの母は麻呂にそう勧めたのだった。
ライナは風呂へ行ったため、麻呂は一人で食堂の椅子に座っていた。
炊事場、台所からは時折、もう一つの声も聴こえる。
それはリンの声だった。
「お母さんー」
リンは早くもライナの母をそう呼んで慕い料理を手伝っていた。
「何だ、リン?」
「お鍋がブクブク言ってるのー」
「ああ、忘れていた。教えてくれてありがとう」
その微笑ましいやり取りに麻呂の心は和んでいた。リンはここを離れる時きっと寂しがるだろう。そう麻呂は思ったのだった。
「只今戻りました」
玄関から男の声が聴こえた。
ライナの弟だろう。と、麻呂は察した。
程なくしてその姿は現れた。
純白の神官衣装を見に纏い鈍器を手にしている。予想通り、年の頃は麻呂よりも幾分年下の様だった。母譲りの金色の髪に柔和な笑顔を浮かべてこちらを見ていた。
「わぁ、大道芸人さんが来てる! 母上、今日は何かお祝い事とかあるのですか?」
相手がそう言うと炊事場から声が飛んできた。
「その方はお客様だ。麻呂殿という、大道芸人では無いぞ」
「あ、そうでしたか。ごめんなさい、失礼しました。改めまして僕はライド・グラビスと言います」
相手は無礼を詫びるとそう自己紹介し微笑んだ。
「ライナの弟君でおじゃるな。申し遅れたでおじゃる、麻呂の名は――」
その時だった。
「ライド、ただいまー!」
ライナが姿を見せるや弟に飛び付くように抱き締めた。羽織っているのはバスタオル一枚であった。
麻呂が目のやり場に困っていると炊事場から声が轟いた。
「ライナ、ちゃんと着替えないか! はしたない! ライドは逃げも隠れもしない!」
母の言葉にライナは素直に従って消えていった。
「まったく、武者修行に出て弟離れもできたかと思ったのだがな」
炊事場の方からそう溜息が聴こえて来た。
なるほど、ライナは重度の弟大好き病というわけでおじゃるな。麻呂はそう思いつつも、ライナのような可愛い娘に抱き締められたことが羨ましくも思えた。自分は五人兄弟の末っ子だ。上に姉がいたらちょっと甘えてみたかった。そう思ったのだった。
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