第二話 「道連れ」

 宿に入った彼はさっそく部屋へ案内された。二階である。まず窓が目に入った。寝台と小さな机と椅子はあったが、壁の石が露出しており殺風景な部屋だった。だが、問題はない。

 ちなみに料金は前払いだった。

「御貴族様には、誠に申し訳ない部屋なのですが……」

 店主が恐縮しながら言うと、彼は頭を振った。

「いやいや十分でおじゃる。麻呂は今は世を忍ぶ仮の姿、何卒その辺りは気にせぬ様にでおじゃる」

「は、ははあっ、肝に銘じます。御夕食の時間になったらお呼び致します。それではどうぞごゆるりと」

 店主が去り、扉が閉められると彼は烏帽子を脱ぎ、寝台に腰を下ろした。簡素な造りでおまけに布団が固かった。彼が暮らしていたイージアの都の自室にあるものとは全くの正反対だった。

 如何に貴族が恵まれているのか、彼は身を持って知った。

 そのまま軽く一眠りしようかと思ったが、顔の化粧で布団を汚すわけにもいかず、諦めた。

 そして先程の強盗達のことを思い返していた。

 奴らはまた来るだろうか。

 あの口上からすれば、こちらの命と金とを諦めた様子はない。また来るだろう。早くも道中用心しなければならないことができた。


 

 二



「御貴族様、御貴族様、いらっしゃられますか?」

 外から聴こえる声に、彼は座ったまま寝入っていたことに気付いたのだった。

「夕げの時間でおじゃるか?」

 彼が尋ねると扉の向こうから再び声がした。

「左様でございます。御貴族様は確か刀をお持ちだったとお見受けしますが、大変申し訳ありませんが、帯刀はお控えいただけると当宿としてはありがたく思うのですが」

「分かったでおじゃる」

 彼は刀を頭陀袋の隣に置いた。

 そして廊下に出る。既に宿の者はいなかった。部屋に鍵をかけた。

 彼は一階に下りる。階段を下るたびに賑やかな談笑が大きく聴こえて来た。

 食堂は満員だったが、彼の席はちゃんと用意されていた。

 席に着くと、さっそく食事が運ばれてきた。場合によっては幾つかの料理の中から選ぶ形式だと知っていたが、どうやらこの宿は既に決められた料理が出されるらしい。

 羊のローストと、パン、サラダに豆のスープが食卓に並べられた。

「お酒はお飲みになられますか?」

 彼は元服したので酒を試そうかとも思ったが止めた。その理由は向かいの席に座る客の存在だった。

 同い年ぐらいの女だ。金色の髪をした他の地域の出身者だった。これが一人で葡萄酒をガバガバ呑み、すっかり酔って大騒ぎしているのだ。

 見た目は麗しかったが、ああはなりたくないと思い、酒を断り、ヤギのミルクを頼んだ。

 彼が食事を終え席を立つまで、その女は上機嫌で注文を繰り返し次々と料理を平らげていた。

 見かけによらず大食らいのようだ。しかし、追加注文は別料金だ。懐の方は大丈夫なのだろうか。

 彼はそう心配しつつ食事を終え部屋に戻った。



 三



 彼は早起きだった。これからは起床を告げる召使もいない。自分でしっかり起きなければならない。

 化粧をし、準備を整える。

 そうして宿を発とうと一階に下りた時だった。

「何と!? お金が払えないと、そう言うので!?」

 見れば驚く店主の前で委縮するするのは、あの昨夜向かいの席で騒いでいた女だった。

「ごめんなさい! 財布無くしちゃったみたいなんです!」

 すると別の客が言った。

「そりゃ、嬢ちゃんスラれたな。外に出る時部屋に鍵を掛けなかったんじゃないか? この地方ではそういうスリや泥棒が多いんだよ」

「ううっ、そうみたいです」

 女は泣きそうな顔になっていた。

「昨日、あんなに飲み食いして、これだけの料金を払って貰う必要があるんだがね」

 店主は途方に暮れたように帳簿を見せた。

 女は改めて委縮していた。

 気付けば彼は歩んでいた。

「麻呂が立て替えるでおじゃるよ」

 彼は一時の油断で窮地に陥る羽目になった女が憐れに思うと共に、この辺一帯を治める貴族の一人としてスリや泥棒が多発していることに気付けずにいたことに責任を感じたのだった。

 帳簿を見る。どれだけ飲み食いしたのだろうか。想像以上の金額だったが、問題なかった。

 金を受け取ると店主は恐縮した様子だった。

「羊皮紙とペンとインクを借りるでおじゃるよ」

 そうして彼はイージアの太守である長兄に向けて文をしたためた。内容はスリや泥棒が多発していることを訴える内容だった。

 治安維持の改善が必要でおじゃる。

「あいすまぬが、これを飛脚に渡して欲しいのでおじゃるが」

「はい、ええ、お任せください」

 宿の店主は恐縮しそうな様子を見せながら受け取った。

「それでは部屋の鍵を返すでおじゃる」

「はい。どうも当宿をご利用いただきましてありがとうございました」

 彼は宿を後にし、旅路へと戻ったのであった。



 四



 サボテンに囲まれた街道を進んでゆくと、後ろから声を掛けられた。

「待って! そこの人!」

 彼が立ち止まると、現れたのは宿で料金を立て替えてやった女だった。

 肩口まで伸びた金髪を揺らし荒い呼吸しながら追いつくと相手は言った。

「さっきはありがとう。御礼言いそびれちゃって」

 馴れ馴れしい口調で女は言った。

「別に気にすることはないでおじゃるよ」

 彼は金を立て替えたが、女から請求する気にはなれなかった。

「そういうわけにはいかないわよ。ねぇ、旅してるみたいだけど、どこ行くの?」

「バルケルでおじゃるよ。そこにある勇者の火山に麻呂は行くつもりでおじゃる」

「えええっ!?」

 女が大声で驚いた。

「な、何でおじゃるか?」

「奇遇、奇遇! アタシの家、バルケルにあるのよ!」

「そ、そうなのでおじゃるか」

 耳がキンキンしていた。

「借りた分のお金、これで返せるね!」

 ニコリと相手が微笑む。元気の良い女だった。いや、まだどこか少女の面影が残っているようにも思える。だが、注目すべきは背中に見える剣の握り手だ。どうやら両手持ちの剣らしい。それに今頃気付いたが、彼女は重い金属鎧を身に着けていた。

 どうやら戦士らしい。華奢な身体とは言わないが、それなりに筋肉もあるようだった。

「さ、そうと決まったら出発、出発!」

 女が先に歩き始める。

 と、不意に足を止めて振り返った。

「あ、アタシの名前はライナ、よろしくね」

「麻呂は――」

 その時だった。

 左右に聳える巨大サボテンの裏側から覆面をした者達が現れた。

「おう、昨日の借りは返すぜ」

 聞き覚えのある頭目の声が言い、手下達が剣を引き抜く。

「まだ懲りないでおじゃるか!」

 相手は覆面の下で無言で睨み返してきた。

 彼はライナのことを思い出した。

「とりあえず、ライナは下がってるでおじゃるよ」

「相手になるわ」

 だが、当のライナは彼が言い終わる前に進み出て両手剣を背中から引き出し構えていた。

「ライナ、危ないでおじゃるよ!」

「大丈夫、大丈夫、剣なら結構自信あるからね」

 ライナはニコリと微笑んだ。

「ちっ、邪魔するならこいつもまとめて殺しちまえ!」

 頭目の声が響き渡った。

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