最終コンタクト 間違いだらけのIwant you
私は、普通の人間だったはずだった。確かに就職に失敗して家にいるちょっと空気の読めないニートではあったけど、少なくとも普通の人間だったのだ。
「いやあ、すごいね。地球の恋人って本当パワフルなんだね。・・・俺ももうちょっと頑張ってもいいんだけど?」
「・・・何の話をしているのか全くわからないんだけど、」
ニコニコと楽しそうに笑いながら、私の隣りを歩くまあまあイケメンな男を見つめながら私はため息を吐いた。
「今日、俺はマイハニーであるユウヒちゃんの趣味を覚えるべく映像屋さんに行ってきたのね。」「・・・ビデオ屋ね。レンタルショップね。」
どちらかといえば、いや、通常よりもだいぶ小さい私はかなり背の高いこの男を見上げながら話の腰を折る。
「そうしたら、なんかそこのおじさんがやたらと話しかけてきてさあ。お兄ちゃん、彼女いるんならちゃんと勉強しねえとなあ。なんて言いながら、今までユウヒちゃんと行ったことのない棚に連れて行ってくれたの。」
「どこだろ、基本的に特撮コーナー以外に行かないから心当たりが多すぎるんだけど。」
「うんとね、なんか英語?が書いてあったかな。」
「英語?なんだろ、それってCDコーナーじゃなくて?」
窺うように見上げると、不意に酷く優しい色をした切れ長の瞳とかち合った。一瞬だけ何も言葉が出てこないくらいに頭が真っ白になった。
何か言おうと開いた唇に、不意に近づいてきた良い匂いのする男の唇が触れた。パチパチと頭がショートしたように火花が散って、私の脳がこの行為を認識する。
「・・・最初は、キスから始めるんでしょ?」
「・・・・」「ちょっと、ちょっと、私のユウヒちゃんに何してるの、このケダモノ!!!」
至極嬉しそうに微笑む貴公子のような男が、私からゆっくりと放れて。途端に上から物凄い勢いで誰かに抱きかかえられる。後頭部に柔らかい肉が当たる。
「おいおいおい!何、俺のハニーを掻っ攫おうとしてるの。今からが本番だったでしょ!!」
「本番?いったい何をおっぱじめようとしていたの?信じられない。大丈夫?ユウヒちゃん。」「はい。とりあえず大丈夫ですが、今度はシラユキさんの触手が私の体を弄っているのですが。」
もう、かれこれ一年近くこんな感じだと何に突っ込んでいいやらわからなくなってくる。シラユキさんの長い髪がうねうねと触手になっていることなのか。いつの間にか、遠くなっていく地面を蹴ってさっきまで朗らかに笑っていた優男が、およそ人間とは形容しがたい姿になって飛んでくることなのか。
「俺のユウヒに何してんの!??」
「シラユキさん、ヨナカが本気で怒ってるんで触手は止めてもらっていいです、っか。」
「あら?今、ちょっと声が、」「シラユキ、てめえぶっ殺す!!」
一音だけ、声が跳ねてしまった。それを本当に耳聡く聞きつけたシラユキさんとヨナカが、まさかの本気モードになってしまった。あぁ、これは本気でまずい。だけど、そりゃああんな場所を触手が・・・いや、なんでもない。
シラユキさんの触手は、ヨナカの攻撃を受け止めながら器用に私の体を這い回ることを忘れない。正直言ってもうそろそろやめて欲しい。それにしても、頭に当たるシラユキさんの胸がちょっと、想像以上に柔らかくて驚いている。これ、本物なんだろうか。
「あの、シラユキさん。」「ん?何かしら?触手を本気にしてもいい?」
触手を本気にするって一体どういうことだろうか。今は、本気じゃないってことか。
「いえ、そうではなくて。シラユキさんの胸はこれ、本物ですか?」
絶対に落とされないと知っているので、私は多少無理をして体を半回転させてシラユキさんに向き合う形になる。それから、すぐ目の前に現れた胸を突いた。むにょんとなんともいえない感触に、一瞬これを揉んでみたい衝動に駆られた。
「あん。そうねえ。一応、本物よ。私は、ちゃんと地球の人間のデータを体に取り込んで人間体になっているから。あのケダモノと違って子作りだってできるわよ。」
うふふ、と妖しく笑うシラユキさんに聞かなければよかった。と今更後悔した。これから、もしかしてこれを理由に毎晩家に来るかもしれない。そうなったら、ヨナカと毎晩、こうやって戦闘を繰り広げるのか。それは、それで面倒だ。
「ちょっと、ユウヒ!胸を触りたいなら、俺がっ」「黙りなさい、ケダモノ!!」
隙を付いてヨナカが、怪物みたいな真っ黒な色をした手を伸ばしてきた。後ろを向いていたせいでそれに気づくのが遅れた、シラユキさんの普通の手がパシンと乾いた音をたててその手を払う。怪物みたいな姿をしているヨナカは、はっきり言って強い。それに今は、結構本気で怒っているからたぶん、強いなんてもんじゃない。
「いい加減にしろよ、この野郎があああ!」
ごごごっと効果音をつけたくなるような雰囲気とともにヨナカの周りがそれこそ、夜中の空みたいに青とも黒ともつかない色になっていく。あぁ、もう嫌だ。
いったい、どうしてこうなったのか。話は、一年ほど前に遡る。
私は、就職に失敗した。そうして、ニートになった。それだけだ。社会不適合者の私の家の前にやってきた巨大な宇宙船。いや、そのときには宇宙船だとは思っていなくて何かどこかの国が戦艦でも送り込んできたのか、なんでそんなことを一般市民の私の家にしてきたのか。なんて思ったくらいだ。
そこから、降りてきた見たことのない人が楽しそうに笑いながら「俺、宇宙人でーす。」と、意味のわからないカミングアウトをしたのを聞いてようやく、そうかこの船は宇宙船なのか。と納得した。
それから、私の日々は一変してしまった。
「大丈夫だった?ユウヒ、大丈夫だった?」
大きな背中を丸めるようにして、心配そうに顔を覗き込んでくるヨナカにできる限り平気な顔で頷けば安心したのか、怪物バージョンだった体が蜃気楼のように揺らいで人間の姿になる。
私は、はっきり言って怪物バージョンの方が好きなのでガッカリだ。でも、そんなことを言ったらヨナカはきっと一日中どんなときでも怪物バージョンでいるに決まっている。それはそれで面倒なので言わないでおくことにしている。
「それよりも、落ちていったシラユキさんは大丈夫かな。」
「あぁ、大丈夫でしょ。あいつも人間じゃないんだから。それよりも、俺にとってはユウヒが怪我してないかの方が大事。」
風に流されるように見えなくなってしまったシラユキさんを探しに行こうかと思ったけど、そういわれればあの人、前にもっと高いところから落ちても平気だったから大丈夫だろう、と勝手に推測して納得する。なんと言ってもあの人も人間じゃない。
そう、私の周りは宇宙人で溢れているのだ。
ヨナカに横抱きにされながら、いったいいつまで宙に浮いているのだろうか。なんて暢気なことを考えていると、今度は近くの電柱から鋭い一閃が仕掛けられる。
「おっと、」「うわぁっ、」
ふらり、まるで野良猫のタックルでも避けるように軽やかにヨナカの長い足が、空中でステップを踏む。横抱きにされているまま、嫌な予感もそこそこにそこにいるべき相手に声をかけようと顔を覗かせる。
「こんなところでドンパチするなんて、私を誘っているのかしら?闇の覇王?」「にゃあ、こんな胸の小さいちびっ子を誘う奴なんてそうそういないにゃああ。」
はたはたと風にツインテールを靡かせて笑う女の子は、凹凸がほとんどない身体にぴったりとした黄色の全身タイツを着て、まるでペンライトのような棒を持っている。(前に、あれを触ろうとしたら手が切れるわよ、と怒られたことがある。たぶん、あれは剣なんだと思う。)傍らには、まるで一昔前に流行ったような犬型のロボットを連れている。
「あのねえ、何度も言うけど。俺は、お前みたいな宇宙刑事を相手にしてるほど暇じゃないの。これから、ユウヒと恋人の語らいをしなくちゃいけないんだから。」
「いえ、いえ、ヨナカさん。そんなつもりは毛頭ないんですが。・・ハイヅキちゃんこそ、大丈夫なの?今日、学校は?」
ああ見えて、いや、正確には見たままでハイヅキちゃんは中学生だ。なにやら、地球を守るために派遣された宇宙刑事らしいが、家の近くの中学校に潜入している。学年は、二年生。どうやらクラスメートからは、重症気味の中二病だと思われているらしい。
「行ったわよ!ていうか、まさに行ってたのよ!それなのに、あんたたちがドンパチするから、授業抜け出してきたのよ!!わかってるの!?」
わあ、怒ってる。そりゃ、そうか。なんて思いながらすぐ上にあるヨナカの顔を見る。下からのアングルだからそう見えるのか、ヨナカはまるで悪役のような表情をして悪役のように高らかに笑う。まるで、というかヨナカは闇の覇王という通り名を持つほど強くて悪い宇宙人でいわば、ヒーロー物でいうと悪役の親玉のラスボスで黒幕な存在だ。
「全くご苦労様だねえ。毎度毎度、そうやって来るわりには俺のこと苦戦させることもできないくせに。さ、ユウヒ、帰ろう。」
「あー・・ごめんね、ハイヅキちゃん。そういうわけだから、早く授業に戻ったほうがいいよ。」
これ以上、話がややこしくなると面倒だから早々に話題を切り上げてヨナカに横抱きにされたまま手を振る。ハイヅキちゃんは空を飛べるわけじゃないから、電柱やら屋根やらがないところに飛んでいけば、追ってこれない。
「待ちなさい!!あんたね、闇の覇王をそんな風にタクシーみたいに扱うんじゃないわよ!っていうか、ユウヒ!あんたが、そんなだから宇宙人がたくさん来るんじゃない!私の出席日数、足りなくなったらユウヒ、責任とりなさいよ!!!」
ピョコン、ピョコン、まるでうさぎのように電柱の上で器用に飛び跳ねながらハイヅキちゃんは私に向かって叫ぶ。これ、今度会ったらきっと殺されるかもしれない。なんて思いながらも出席日数の不足分って私にどうやって責任取れって言うのか。
真剣に悩んでしまいそうになる私の顔に影がかかる。その正体を追うように上を見れば、すぐ目の前にさっきまでの悪役とは打って変わって柔らかい表情をして笑うヨナカがいた。
「・・・何?」
「ううん。悩める乙女なユウヒも可愛いなあ。って、思っただけ。」
ナニイッテンノコノウチュウジン。喉元まで出かかった言葉を飲み込みながら、曖昧に笑ってヨナカの切れ長の瞳から視線を逸らす。この宇宙人は、どっかおかしいんだよね。
「相変わらず、ラブラブなのですよ。お二人さん。」
ようやく地面に着地したヨナカの背中の方から、小さい子供のような舌足らずな声がした。ヨナカに横抱きにされたままでいるから、その肩越しにそちらを見ると声と同じくらいに小さい子供が、身体に不釣合いなほど大きな緑のキノコ帽子とダッフルコートを着てこっちに手を振っていた。
「あ、アオクサちゃん。と、マヒルさん。どうしたんですか?デートですか?」
その身長110センチほどしかない幼女の少し後ろに佇むスーツ姿の長身男性は私の言葉に、明らかに眉を寄せて不快感を表したあとわざとらしく口元に拳を持っていき、コホンと咳払いをする。アオクサちゃんも、それに合わせて困ったように眉を寄せて照れたように泣きそうな顔をしてマヒルさんを見上げた。そんな光景を見ていると、まるで歳の離れた兄弟のように見えるけれど、外見年齢はともかく精神年齢はタメと言ってもいい。
「ユウヒさん、前にも言いましたが、そういう誤解を招く発言はやめていただきたい。」
「誤解を招くのは、発言でなくて二人の関係ではないですか。まあ、アオクサちゃんも、小学生か幼稚園児に見えますが、とっくに二十歳を超えているんだからなんも問題はないんだけど。なんとなくねえ。」
「ユウヒくんも、そうしてヨナカくんに抱っこされていると子供みたいに見えるのですよ。」
アオクサちゃんに笑いながら言われると、本当に自分が子ども扱いされているように思えてなんだか途端に恥ずかしくなる。ヨナカを見上げて、降ろしてと訴えるとかなり渋々といった表情で腕が地面近くに下がる。
「あぁ、そうだ。アオクサ、お前の居候がまた俺のこと追っかけまわしてきたんだけど。いい加減どうにかしてくれない。あんまり俺とユウヒとの間に入ってくるなら俺にだって我慢の限界があるんだけど。」
私が地面に足を着けるのを見守りながら、ヨナカは後ろにいるアオクサちゃんに低い声で告げる。こういうときのヨナカは、闇の覇王らしく温度の篭らない声を出す。
「わかっているのですよ。リクには十分注意しておくのです。」
苦笑とともに返ってきたアオクサちゃんの言葉には、微塵も恐怖は入っていない。最初の頃はヨナカがリクさんのことを話題に出すだけで敵意むき出しだったのに今ではヨナカがリクさんに本気で危害を加えないだろうと確信しているようだ。(ちなみに、リクさんというのはアオクサちゃんの保護者としてアオクサちゃんと一緒に住んでいる見た目中年のおじさん、中身乙女なまあ、言ってしまえばおかまだ。普段は、ただの良く絡んでくるおっさんなんだけど、ヨナカに片思いしていてヨナカのことを半ストーカーしている。)
でも、油断しないでアオクサちゃん。ヨナカは時々本気でリクさんを殺そうとしているよ。
そんな忠告を口から出す前に、朗らかに大人二人は笑いながら行ってしまった。
それを横目で睨むようにしながら、ヨナカは私の肩を掴んだまま。特に行く場所があったわけではないから、別にいいけど。このまま、ここでじっとしているのはなんとなく意味ないからどっか、出来れば家に帰りたいんだけど。
「ヨナカ、」「動かないで。」
低い、それなのに甘えたような声が囁くように耳元で震える。その声に釣られるように顔だけを動かしてヨナカを見る。肩をヨナカに掴まれているから、言われなくても動けないんだけど。すぐそばにあるヨナカの表情はなんとも言えず、艶やかでさっきのキスと言い確実にヨナカはよくない知識を仕入れてきてしまっている。今までのヨナカも変態だったけど、これからは行動も伴った変態になるんじゃなかろうか。
「ヨナカさん、顔が近いです。近いです、近いです。」
ゆっくりと迫ってくる顔から逃れるべく手を壁代わりにしてヨナカに向けて押し返しますが、なんだろうこの宇宙人は人間と皮膚の作りが違うのか、全く気にすることなくグイグイ迫ってくるのですが。首の力、強すぎでしょ。どんだけ力んでんの。
「いーじゃない、誰もいないんだから。」
「そんなことを言っているわけでなくて、」「・・・ユウヒ、ちゃん?」「覇王さま?」
ヒュッ、心臓を一瞬、鷲づかみにされたように冷たくなる。いや、いやいや、え、タイミング良過ぎじゃないですか。なんでもっと前じゃなくてこのタイミングでそこの角曲がってきちゃったの。なんでこのタイミングなの、最悪だよ。
「ひぎゃああああ!!!!ち、違う!違うよ、ミソラ!こんな公衆の面前でそんなことしないよ。」
「おやおや、ベニザクラ。俺の邪魔するなんて何様になったつもり?」
ゴゴゴッと音がしそうなほど、ゆっくりと振り返るヨナカの顔は怖くて見れない。変わりにヨナカの向こうにいるミソラとベニザクラちゃんを見る。ミソラは私の従姉妹で可愛くてイマドキの女子高生なんだけど、その隣りにいるベニザクラちゃんは振袖を着た純和顔の美人さんなんだけど。というか、私の従姉妹とヨナカを追っかけてきた宇宙人がいつの間に二人で並んでクレープ持って歩いてくるほど仲良くなっていたのか、というのが本当に謎なんだけど。今は、それどころじゃないんだけど、だけどこういう時ってそういうどうでもいいことばっかりが頭に思い浮かんでしまう。
「す、すみません、覇王さま。邪魔をするつもりはなかったのですが。」「ユウヒちゃん、前はあんなに間接キスすら嫌がってたのに。その人とだと、直接でもいいんだ。」
直接とか、なんか生生しいからやめてよ。悲しそうな顔しているけど、心では怒っているのがまるわかりだい。隣でアワアワと無表情ながら慌てているベニザクラちゃんのほうがまだ可愛く見えるよ。初めて会ったときに私のこと殺そうとしてた人と同一人物とは思えないほどキュートだよ。それなのに、私のこと大好きだって涙の告白してきたミソラのほうが禍々しいオーラ出してるってどういうことなの。
「違うんだってば、違うんだってば、ミソラ、これは誤解で。」
「誤解?じゃあ、キスしようとしてたってわけじゃないの?ユウヒちゃん。」
「えー?してたじゃん。恋人同士の語らいをしようって、キスからはじめる共同作業しようって。」
言ってないよ。しかも、キスで終わりじゃなくてキスから始めようとしてたのかよ。こんな往来でおっぱじめようとしてたのかよ。良かったよ、むしろ最高のタイミングで二人が来てくれたよ。二人が来なかったら、危うく危なかったところだよ。
「キスからはじめる、共同作業・・・そっか、二人はもう、そんなところまで。」
「行ってない!!キスすら、してない!!」
「え?キスはしたでしょ?俺、ちゃんっと覚えてるよ。ユウヒと初めて唇合わせたときのこと。」
「し。したのですか!?覇王さま、と、ききき、キスくぉ!?」
なんだ、なんだ。ベニザクラちゃんってこんな可愛い人だったの。今までちょっと誤解してたよ。勘違いヤンデレっ子だと思って怖がってたよ。ごめんね、これからはもっと積極的に仲良くしよう。
っと、いうか。ちょっと待てヨナカよ。
「違うから、あれはキスとは言わないから。よくある少女マンガ的な事故だから。」
「えー?キスでしょ?唇と唇で触れ合ったんだから。かなり熱い口付けだったねえ。」
「うん、確かにそうだけど。あれは、キスっていうよりは、口移しだから。口移しで薬をくれたっていうだけだから、それ以上でもそれ以下でもないから。熱くなんてないから、それは熱があったからそう思っただけだから。」
いつの間にやら、肩に腕を回してぐいと身体を近づけてくるヨナカから逃れながら、状況を説明するとミソラとベニザクラちゃんの表情がわかりやすく変わる。だけど、たぶんそれ以上にわかりやすく私の表情が変わった。
そう、確かにあれは口移しだったの。死にかけてた私を助けるためにヨナカが口移しで自分の血をくれたのだけど。はっきり言って恥ずかしくて覚えていないということにして今まで過ごしていたのだ。曖昧にして誤魔化してきたのに、今、テンパッちゃってポロリと口から零れてしまったよ、覚えていたということを。
私の表情が変わったのと同じくらいにわかりやすく頭上にあったヨナカの顔もわかりやすいくらいにニッコリと笑顔になる。それはもう、嬉しそうで楽しそうで幸せそうで。なんというか、ああ、もう逃げられないかもしれない。なんて覚悟を決めざるを得ないな、と思わせるほどの笑顔だった。
「なーんだ、やっぱり覚えてたんじゃん。俺とのファーストキスのこと。」
まるでアイドルか何かのように、片目を閉じて長い指を唇に当てる。それだけの仕草になんだか一瞬だけ、色気を見つけてしまって慌てて目を逸らす。逸らす先にいたミソラとベニザクラちゃんの視線が痛くてこっぱずかしくて逃げるように空を見上げる。
うん、太陽と青空が眩しいね。
このまま走り去ってしまいたい衝動に駆られるけど、そんなことをしてもこの隣りで笑う宇宙人はきっと楽々追いついてきてしまって結局のところ私が疲れるだけだということはわかりきっている。
「・・・・違う、今のは、ちがううううううううう!!!」
それでも、やっぱり私はすぐに叫びながらダッシュすることを選びました。ここ数年ぶりの全力ダッシュはそんなに速くはなかったけれど、不意をついたおかげで三人は追いかけてくる気配はなかった。
「ひー、ひー、はあ、はあ、なんとか、にげ、きった、」
だいたい数十分ほど走ったところで心臓が破裂しそうな前兆を感じ取り一時停止。まわりを空も含めてぐるりと見回したところで追手がいないことを確認。壁に背中を預けて深呼吸。
「はあ、はあ、ひー・・・苦しぃ。」
足がかくかくと震えている。日頃からひょっとしたら、運動不足かなあ。なんて思ってはいたけれど、まさかここまでだったとは。甘く見てた。ニートで引きこもりだとやっぱり圧倒的に運動量が少ないんだ。一人納得しながら、よし、明日あたりから運動しよう。と一人決意もした。健康のためにはやっぱり運動が必要不可欠だね。
「・・・ユウ?お前、何してるんだ?」
「ひわっ!?」
「大丈夫ですか?ユウヒさん、汗びっしょりですよ?」
「ナナミお嬢さん、と、あーちゃん。」
呼吸を整えようとやけに青い空を見ながら、酸欠の頭がぼんやりとしていた。うん、まだ、脳が酸欠状態ではっきりと思考が回復していない。ちょうど、私はT字路の真ん中の壁に背中を預けていたわけで、そこに私の真正面から歩いてきた男女。いずれも美男美女で身長もスタイルもはっきり言ってつりあいの取れたカップルにしか見えない二人。片方は私の幼馴染でもう片方はその婚約者。うん、そう、つまりは見たままのお似合いのカップルなんだけどね。
心配そうな顔をしながら、駆け寄ってきた髪の長い上品なお嬢さまはこれまた上品な真っ白なハンカチを取り出して全力疾走のせいで滲んだ汗を拭いてくれた。なんか、良い匂いした。なにこれ、香水。それとも、体臭。お嬢さまだと体臭もフローラルなの。
「どこか具合でも悪いんですか?」
「あぁ、違います。ちょっと、走ったら、運動不足で。」
まだ、整わない息と回転しない脳のせいで完全に頭が弱い子みたいな答えになっちゃったよ。確かにちょっとばかり頭は弱いけど、普通のときだったらもうちょっとマシな受け答えができたんだけどね。お嬢さまの後ろで顔を背けて小刻みに震えて大笑いしているアサヒにだって反撃の言葉くらいは思いついたんだけどね、いつもならね。今は、ちょっと脳みそが酸欠になってるから、見ているだけで勘弁してやるよ。
「大丈夫ですか?お水、いりますか?」
「いりません、今飲んだら飲んだ先から出してしまいそうなんで。」
「あっはっは、お前、どんだけ運動不足なんだよ。ほら、ユウ、おぶってやろうか?」
背の高いアサヒは見下すように笑う。ちくしょう、悔しい。そんな風に思っていたけど、その瞳が案外優しい色をしていることに気づいてしまってどうしようかと心が跳ねる。いっそのこと、冗談のふりをしてその誘いに甘えてしまおうか。
「あー、」「ちょっと、俺のユウヒになにをしようとしていたのかなあ?」
何かを答えようと開いた口は、しかし、その答えを出す前に低い殺気を孕んだ声に遮られた。口調は柔らかいのに、その語気には微塵も優しさなんてない。
コツン、コツン、といつの間にか近づいていたブーツの音が死神の靴音にも聞こえるのはなぜだろうか。声はすれども姿が見えない。さあ、いったい真っ赤な姿をした死神はどこにいるんでしょうか。
コツン、コツン、すぐそばでヨナカの履いているブーツが立てる高らかな音がしているのにT字路のどこにもヨナカの真っ赤なポンチョは見えてこない。
「・・・・?」「あ、ヨナカさん?」「出たな、変態宇宙人。」
それなのに、アサヒとお嬢さまはしっかりとヨナカの姿を確認しているらしく焦点がしっかりと定まった瞳を私の上を見つめている。え、私の上ですと。
「弱ってる女の子に手を出すなんて、本当最低だと思うけどなあ。」
「ヨナカッ!!」
目の前にあったお嬢さまの顔から上に視線をずらす。カメラの動きが速すぎます、上等な速さで背中を預けている塀を見上げるとそこには見慣れた真っ赤な姿。しかも、下からのアングルだとまるでスカートの中が見えるように、ポンチョの下に着ている緑のシャツまで見えてまるでクリスマスカラーだね、なんて思ってみたり。ちなみに下からだと、ヨナカの良く通った鼻筋が本当によく通っているのがわかる。
「弱ってるの意味が違うだろ、それにユウはお前の物じゃない。」
「へえ、何それ。婚約者さんの目の前で宣戦布告?やるじゃん。ま、最も例え弱っているところを持ってかれたとしても、俺がまた取り戻す自信はあるんだけど。」
「ほお、上等じゃねえの。」
バチバチ、ヨナカとアサヒの間をわかり易く稲妻が走る。私とお嬢さまは、それを見つめたまま、本能的に身を寄せ合っていた。だって怖いもん。私を挟んだ塀の上と下で睨み合われるとか本当に怖いもん。そんなことしないと思うけど、殴り合いとかに発展したら絶対巻き込まれちゃうし。お嬢さまも私も肉弾戦に強いとか隠れコマンド持ってないし。
「お嬢さま、逃げませんか?」
「え?っと、そうですね。そうしましょうか。」
お嬢さまも身の危険を感じたらしく少し引きつった表情をして頷く。視線は、しっかりと油断なく喧嘩越しの会話を繰り広げる二人を見つめている。
前に進むとアサヒにぶち当たってしまうから、お嬢さまと一緒に真横にずれる。それも、ゆっくりと静かに。息を殺して気配を消して。そっと、そっと。
「幼馴染だかなんだか知らないけど、ちょっと調子に乗りすぎなんじゃない?」
「それはこっちの台詞だな。突然、現れて恋人気取りか。は、変態は考えが突飛だな。」
こっそり、ひっそり、真横にずれて二人の稲妻の間から抜け出す。はあ、とお嬢さまと顔を見合わせて安堵の息をついた。良かった、これで何か不足の事態に陥ることはないな。
このまま、そのまま、逃げおおせてしまおうとお嬢さまとアイコンタクトを交わして(どうでもいいけど、アイコンタクトって愛コンタクトみたいでキュンとする。)くるりとアサヒとヨナカに背を向けた。
「ちょっと、ユウヒちゃん。どこに行こうっていうのかな?」「おい、ユウ。まだ、話は終わってないぞ。」
「ひゃあう!!」「!!」
ビクン、突如としてかけられた声に私と隣りに並んでいたお嬢さまの肩がわかりやすく跳ねる。それから、ぐぐぐっと油が切れたロボットのようにぎこちなく首を回して後ろを見る。見たくない感じがもう全体から滲み出ている。見なくても後ろで二人がどんな表情しているかだいたいわかるからね。
「「お前はどっちがいいんだ!!ユウ(ヒ)!」」
ザ・マジ、としか言いようのないくらい真剣な顔でこっちを睨むアサヒとヨナカにあげられる答えを私は未だ見つけることができない。だから、とにかく今はこの場は、お茶を濁して見えなかったことにして
「・・・・ごめん、知らないわからない!!!」
逃げるしかない。本日、二度目になる猛烈ダッシュ。全力疾走。隣りで呆気に取られるお嬢さまを泣く泣く置き去りにして脇目も振らずに走り出す。走り去る。
いや、これは仕方ない。だって人間誰しも自分が一番可愛いんだもん。それに、お嬢さまが巻き込まれることはないだろう。だって、あの人たちの目には私しか映ってないもん。いや、それは別に私モテモテみたいな、私のために争わないで。みたいな話ではなくてね。そんなウハウハ絶好調みたいなことではなくてね。これ、掴まったらどっちかに決めるまで挟まれながら延々両耳サラウンド状態になるってことよ。耳がちょっと弱めな私にとってそれは耳鼻科通いになること必須な残念結末しか待っていないってこと。
一応、私は、普通の人間だったはずだった。確かに就職に失敗して家にいるちょっと空気の読めないニートではあったけど、少なくとも普通の人間だったのだ。それなのに、どうしてこんな少女マンガやら乙女ゲームやらの主人公みたいなポジションに置かれているのか。誰か、私に教えてほしい。いや、割とマジでそう思っている。
しかし、私は知らなかった。この先、私はもっと大変なハーレムに巻き込まれることになるということを。
私とヨナカが出会って一年が過ぎようとした頃にやってきたのが、シキさんだった。その頃には私の周りに溢れる宇宙人もかなりの人数になっていて最早人間を探すほうが難しいのではないだろうか。と本気で思い始めていた。
「ユウ、仕事がないんだったら俺を手伝え。金は出すぞ。」
その日もいつも通りに幼馴染で大金持ちのアサヒからの御慈悲である簡単な秘書業務を依頼されてホイホイとついて行こうとしていた。
「わーい、あーちゃんありがとう!ちょうど、本当にお金がなくて困ってた。」
「ちょっと、ちょっと、俺がこうして見張っているのによくそんな風に何もないみたいに俺のユウヒを気安く誘拐しようと出来るね。」
「誘拐じゃない、仕事の依頼だ。お前と違うんだ。誘拐なんてするわけないだろ。」
アサヒとヨナカははっきり言って仲が悪い。いや、もっとはっきり言ってしまうとヨナカと仲の良い人なんて存在しないのだけれど。それでも、この二人は格別に仲が悪い。
「人聞きの悪いこと言わないでくれますか。俺は誘拐したんじゃなくてちょっと・・こう、借りたの。持って帰ったの。なんだっけ、テイクアウト?」
「それ、余計にタチが悪いだろ。」
ちょっと俺様だけど、真面目で優しいアサヒと表面だけ穏やかで中身が変態であるヨナカが分かり合えるはずもなくて。私は、間に挟まれたまま流れに身を任せて歩いていた。
「なんでよ?俺は、ちゃーんっと聞いたよ。ユウヒに許可を得てから連れて行ったの。」
「俺だって今、聞いてただろ。」
「けど、俺には断ってないよ。ほら、ほら、俺にもちゃーんと断んないと。」
「絶対に、許可しないんだったら、聞いたって無駄だろう。」
背の高い二人に挟まれて歩いていると、まるで自分が宇宙人になってどこかに運ばれていくような錯覚を持ってしまう。おかしいね、宇宙人は違うほうなんだけどね。なんて思いながらも未だぎゃいのぎゃいのと言い争いをしている二人の真ん中に落ち着かないまま、落ち着きながら前方を見たときだった。
「・・・・・おっと、原石みーつけたっ」
そんな言葉とともに、私の身体が一瞬で宙に浮いた。日頃から、不可解なことには慣れていた私であったが、さすがに突然に自分の身体が宙に浮いていると認識したときは驚きました。
「ひゃああ!!」
「ユウヒ!!」「ユウ!!」
何かに握られているかのように、身体が動かせない。何かが、例えばシラユキさんの触手のような物が巻きついているのかと思って体を見回したけど、自分の体があるだけで何もない。うえ、自分の体を見回すと自動的に下を眺めることになるんだね。足の下に何もないっていうのはちょっと本当、気分悪いね。いや、別に高いところが苦手というわけではないんだけどね。なんか、何もないっていうのがね。
「へえ、中々良い子だね。」
「だ、だれ?といか、え?どちらさん?」
何もなかった私の下にテクテクと楽しそうに笑う青年がやってきた。目に留まるのは鮮やかなオレンジの髪。それから、その派手さに不釣合いな柔らかで可愛い笑顔。上から見下ろしているから、顔が妙に大きく見えるけど、もっと滑稽なのはその顔からにょっきりと出ているように見える肘。肘の先は見えないから、たぶんポケットに手を入れているのではないだろうか。
「お前、何者?」「ユウに何の用だ?」
「はじめまして。僕の名前は、シキ。君を守るためにやってきた王子様だよ。」
「すいません、え?誰ですか?大丈夫ですか?え?なに、言ってるの。」
今までにないキャラにちょっと面食らってしまって反応がうまく行かなかった。アサヒとヨナカは、並んだままシキくんと名乗った彼を睨んだまま距離を測っている。
「ぷぷぷ、まあ、わからなくても仕方ないよ。でも、大丈夫。これから、僕のことを知っていけばいいよ。優しく教えてあげるから、ね?ユウヒちゃん。」
「いや、あの・・え、なんで名前知っているんですか?どっかでお会いしましたっけ?」
もう、完全に混乱の極みみたいになっちゃってる私を差し置いてヨナカが、まず動いた。ゆらり、ゆらり、ヨナカの周りだけ空気が歪んで黒く淀む。次の瞬間、ヨナカの姿が消える。見えないけれど、これまでの経験でヨナカが次にどこに来るか予想はできる。たぶん、シキくんの背後。あの長い足を高々と上げて渾身の蹴りを繰り出すことだろう。
「っは!!」「発想がワンパターンだね。」
いつもなら、相手がハイヅキちゃん辺りならこの一撃で決着はつく。だけど、今回は違った。見下ろしていたオレンジの髪が、楽しそうに揺れていた場所に一瞬で鮮やかな赤いポンチョが変わりに舞う。消えた、避けた、どちらだかわからないけれど、シキくんはヨナカの渾身の蹴りを逃れてどこかに移動した。
「ど、どこに?」
私の心の声を言葉に出したようなヨナカの疑問に答える声は意外に近くから、
「ここだよーん。」
ほとんど反射的に横を見れば、そこには下にいたはずのオレンジヘアーのシキくんが、下にいたときと同じように柔らかくて可愛い笑顔を浮かべてついでに下にいたときはポケットに入れていた手を出してひらひらと機嫌良く私に向かって振っている。
「ぎゃあ。」
申し訳程度に悲鳴を上げる。あぁ、自分で出していて色気も緊迫感もない悲鳴だな。なんて思って恥ずかしくなる。だってさあ、こんなに何回も何回も連れ去られたり、吊るされったりしてるのに中々うまく悲鳴上げられないとかさあ、ヒロインとしてどうなのよ。まあ、ヒロインなのかわかんないけどね。
「な、なに?まさか、」「どうなっている、変態!お前、」
ヨナカもアサヒも驚いてこっちを見ている。見ているのは私ではなく隣りにいるシキくんなんだけど、しかも、なんかシキくんいつの間にか私の背中に手を回している。アサヒもヨナカのずば抜けた戦闘力を知っているから、さっきので仕留めたと思ったみたいで信じられないというような顔をしてヨナカと私の隣りにいるシキくんを見比べている。
「ふふふ、そんな使い古された攻撃なんて僕には通用しないよ。だいたい、同じようなパターン化された動きなんてちょっと分析すればあっという間に攻略できちゃうんだから。」
「シキくん、顔が近いです。そして顔が近い。」
ヨナカに向けたそんな嘲笑を含んだ言葉を言いながらグイグイとその可愛いお顔が距離を詰めてくる。近づいてくる、接近してくる。逃げようにも空中。避けようにも金縛り。必死に拒絶の意志を伝えるけど、全く聞いてくれません。シキくん、人の話を聞こう。
「こんのお、まぐれで避けたからって調子に乗るなっつうの。」
ゆらり、またヨナカの周りが歪む。え、ちょっと、待てよ。また同じような感じで来るなら、これ、私も危なくないですか。ちゃんと狙い分けとか出来るんだよね。ヨナカの蹴りの精度を信じていいの。
「まぐれなもんか。僕は、ちゃーんと、」「うりゃっ!!」
おかしそうに笑いながら、シキくんはくるりと後ろを向いた。太陽が眩しい、みたいに顔に腕を翳している。と、そこにピンポイントでどこから出て来たのかヨナカの足が振り下ろされる。ヨナカが、防御している場所にわざわざ蹴りを出すはずがない。それなら、シキくんが、ヨナカの蹴りを予測して防御したって、こと。
「分析して、傾向と対策を練って来てるんだよ。ふふふ、もう君の攻撃は対処済みだよ。残念だね。」
ニコリ、さっきと変わらないはずの柔らかくて可愛い笑顔が、なぜか酷く真っ黒な微笑みに見える。シキくんは、楽しそうにそれでいて無邪気に笑う。対称的にヨナカの表情は驚きと戸惑いで歪んでいる。
ヨナカのこんな顔は、珍しいな。普段のヨナカはその化け物を越したほどの基本能力の高さと人を食ったような性格でどんな相手を目の前にしていても余裕綽々な言動と表情を崩さない。まるで誰も敵わないRPGのラスボスのような存在だった。
そのヨナカが、苦々しい表情で振り下ろした足を弾かれている。
「おい、何してる!変態宇宙人!」
下から聞こえてくるアサヒの罵声に似た叫び声に、ヨナカは忌々しそうに舌打ちだけを返す。視線は、射るように鋭くシキくんを捕らえている。
「よ、ヨナカ、」
窺うように、気を引くように、名前を呼ぶ。
「大丈夫だよ、ユウヒ。すーぐに、俺が抱きしめてあげちゃうから。」
いつものように明るく軽く口だけが笑う。だけど、視線はちょっともこっちを見ない。切れ長の瞳は、私を捉えずに敵を射殺すように鋭く動かない。
「ぷぷぷ、でっきるっかなあ。君に僕を倒す、なんてこと。できないと思うよ。だって、僕は彼女を守る王子様なんだから。」
「ユウヒの王子様は、俺だけで十分。下にいる奴だけでも余っているっていうのに。」
「ぷぷぷ、」
ヨナカは、吐き出すように低く呻くと獣が獲物に飛び掛るように姿勢を低くする。何かを感じ取ったらしいシキくんはさっきまで浮かべていた笑顔を少しだけ引っ込めると、へえ、と目を細めて応じるように体勢を整える。
「え、ちょ、待て待て待て。せめて下に降ろしてよ。ていうか、下でしようよ。空中にこれ以上ぶらぶらしてるの嫌だよ。降ろしてよ、降ろしてくれたらもう好きに戦っていいから。」
辛うじて動く足先と首を動かして抗議の声をあげる。民衆よ、立ち上がれ。我に自由を。必死の猛抗議にシキくんはちょっとだけ顔を動かして私を見た。それから、溜め息とも苦笑ともつかないものを吐き出すと、いいよ。と言った。
途端に、浮いていた体はゆっくりと地上に舞い降りる。まるで天空の城から降りてきたように私の足は地面に受け止められる。痛くない、痛くないよ。
「ユウ、大丈夫か?」
駆け寄ってくるアサヒに、なんとかして笑顔を浮かべる。いや、正直言ってそんな大丈夫ではないんだ。なんか、ふわふわしているといかなんともまだ浮いている感があるというか。
「違う!ちょっと、浮いてる!私の足、地面に受け止められてない!!」
「せっかく捕まえたお姫さまをそう簡単には逃がさないよ。」
地面近くまで降ろしてくれたけど、地面に降ろしてくれたわけじゃないんだよ。うわい、シキくんってば可愛い見た目に反してSじゃない。ピュアそうに見えて真っ黒だよ、お腹の中。知りたくなかった。知りたくなかったよう。
「へえ、なーんだ。やっぱ、お前のこと倒してユウヒを俺が救い出すって結末になっちゃうわけね。待ってて、お姫さま。王子様のキスで目覚めさせてあげるから。」
いらない。こんな王子様地獄いらない。なにこれ、選ぶ種類Sと変態しかないとか罰ゲームでしょ。何に負けたら、こんな悲しい罰ゲームさせられるの。何、人生。知ってたわ。
「情けないな、俺にはあいつみたいに空に飛んで戦う力がない。あの変態宇宙人と訳のわからない王子様気取り野郎を倒してお前を守る力もない。自分の無力さが、本当に歯痒い。」
すぐそばに立っていたアサヒが、悔しそうに空を見上げる。空の上にいたときは動かせなかった体は今はだいぶ自由に動かせる。だから、腕を伸ばしてアサヒの手を掴んだ。
「いいよ、あーちゃんまであんな風になっちゃったら、本当に私の周りに普通の人がいなくなっちゃうもん。そんなの、嫌だよ。」
すぐそばにいて何の戸惑いもなく触れられる。そんな存在がいるからこそ、私はこうして続々と出てくる宇宙人たちに対処できる。
「だけど、俺は、お前を守りたい。」
「今のあーちゃんでも、十分守ってもらってるよ。」
そう、ヨナカが来るまで私を世界から守ってくれていたのは他でもないアサヒだった。アサヒがいたから、私はこうして今も笑ってこの社会に生きているんだ。アサヒがいてくれたから、こうして壊れることなく世界を眺めていられるんだ。
全部、アサヒがその背中で私を守ってくれていたからなんだ。
「ユウ、」「ありがとね、あーちゃん。」
触れていた手の平が、そっと私よりもずっと大きくなっていたアサヒの手に包まれる。絡むように繋がれてそれが照れくさくて少し笑う。
「ちょっと、ちょっと、ちょっと、何してんの。俺が、必死に戦っている間に俺のユウヒと何しようとしてるの!?」
「気安く人のお姫様に触らないでもらえるかな。人間の分際で!!」
いや、忘れてたわけじゃないよ。今、この瞬間に世界に私とアサヒしかいないような錯覚を抱いていたわけじゃないよ。ただ、ちょっと頭から飛んでいたというか。こういう状況に慣れすぎて足が空中に浮いていてもあまり気にならなくなった。とか、そういうことじゃないよ。
必死に言い訳を頭の中で唱えるけれど、一度火が点いてしまった上空の二人の戦闘体制は崩れるはずもなくお互いに向けられていたはずの殺意はあっという間に私の隣りにいるアサヒに揃って向いてしまいました。すいません、たぶん私のせいです。
「ごめん、あーちゃん。なんかトドメ刺した。無力なあーちゃんにとどめ刺した。」
「そうだな。完全にそういうことだな。お前、俺のこと嫌いだろ。」
明らかに人間じゃない発言をしたシキくんと明らかに人間じゃない存在のヨナカの視線を堂々と受け止める明らかに人間であるアサヒ。少しでも上空の二人の怒りを静めようとアサヒの手を放そうとするけれど、さっきよりも強く握られた手は全く放れる気配なし。なに、この人、私を守るとか言っておきながら私を巻添いにして死ぬの。無理心中する気か。
「嫌いじゃないよ、嫌いじゃないから、手を放してくれよう。まだ、死にたくないよう。」
「お前、やっぱり俺のこと嫌いだろ。なんで勝手に殺すんだよ。」
足が浮いているせいでうまく力が入らない手をそれでもブンブンと振りながら、あーでもないこーでもないと言い争っているとまたしても、上から静かなる怒号が降ってくる。
「本当、墨にするよ。」「いちゃいちゃ、いちゃいちゃって。」
なんかさ、今さら気づいたけどヨナカとシキくんってちょっとキャラ似てるよね。被ってるよね、発言とか行動とかさ。って、ことはどう考えてもアサヒとは合わないよね。むしろなんかお互いシンパシーとか感じちゃってもいいくらいだよね。見た目こそ違うけど、中身と外側が一致していないところなんてもう本当そっくりくりそつだよ。
「お前らみたいな変態宇宙人どもに守られるくらいなら、俺と一緒にミンチにされる道を選ぶってよ、ユウは。」
なん、だと。言っていない。そんな変態に対応するような変態台詞言った記憶が一つも残っていないよ、この脳みそには。それとも夢遊病で気がつかないうちに言ってしまっていたの、そんな恥ずかしすぎる愛の告白に似た台詞を。私はいったいいつ言ったの。
「ふーん、なるほどね。」「これはお仕置きが必要かな。」
ありゃあ。ありゃりゃ。アサヒの余計な一言で二人の宇宙人の気持ちが完全に私をお仕置きをする方向性で固まりつつあるよ。まずいね。これは、まずいね。
恐怖と混乱と疑惑に満ちた瞳で上にいる宇宙人を見つめると、ふわふわと浮いていたシキくんが、唐突に私とアサヒの目の前に降りてきた。しかもなぜか非常に不機嫌そうな表情をしている。あれあれ、これってマジでお仕置きされるパターンですか。何をするのか、わからんけど、こんな人通りもある道路で、ですか。いや、でも、ついさっきから人どころか鳥すら通らないからたぶんまた、ヨナカお得意の虚数空間とかいうのを展開させているんだろうとは思いますけどね。だから、誰も見てないと思いますけどね。思いますけど、そういう話ではないんですがね。お願いだから、お仕置きだけは勘弁です。
「シキくん、顔が近い。顔が近い。顔が、怖い。」
お仕置きの内容について頭をフル回転させている間にシキくんは、またしてもその可愛いお顔をグイグイと近づけてくるから、私も必死に逃げるように顔を引く。
けど、足が浮いていて歩けないからだんだんと距離を詰められてしまう。これ以上は、まずい。なんて危機感を抱いていると、繋いでいた手をぐいと引かれる。思い出したように上を見れば、そこにはシキくんを睨むように正面を見ているアサヒの顔が顎があった。
「俺の目の前でお仕置きなんてさせるか。変態宇宙人。」
アサヒの威風堂々とした言葉を受けてシキくんはまた、わかりやすく眉を寄せた。不機嫌が丸出しの表情と声でズイとまた一歩、前に、私に近づいてくる。
「言っておくけど、僕は宇宙人じゃないよ。変態なのは、認めるけど。それは、まあ、ユウヒちゃんが可愛すぎるから不可抗力。僕はね、ずっとユウヒちゃんのことを見てたんだ。ずーっと、ずっと、見てた。僕が、守ってあげるんだ。ね、そうだろ?ご主人さま?」
くすり、楽しそうに口元が歪んで私を通り越して後ろを見る。私を通り越した先にいるのは、私の背中に感じる人間の体温の持ち主。つまりは、そう。アサヒしかいない。
「ご主人、さま?」「はあ?どういうこと?」
驚愕。まさにそんな言葉が似合うほどの衝撃を受けながら、上空にいるヨナカと同時にアサヒを見る。二人の視線の先にいたアサヒは、驚いたように眉を寄せて大きな瞳を更に大きく開いていた。その目線は、オレンジの髪を揺らして楽しそうに笑うシキくんに向けられたまま、全く動かない。私とヨナカは、話の内容が全く見えずに目をパチクリとさせているだけだ。だって、え、ついさっきまで私を巡って争ってる系だったよね。私を主軸として話が進んでいたよね。それなのに、え、これじゃあ、アサヒが主人公みたいじゃん。
「あれれ、もしかして忘れちゃった?どうりで僕が出てきても何も反応してくれないと思った。僕は04-ki。君が、対宇宙人用に作ったロボットだよ。マスター・アサヒ。」
中々、次の言葉も反応も示さないアサヒに痺れを切らしたのか、シキくんは深々と頭を下げて自己紹介をする。ふぁさりとオレンジの前髪がその動きに合わせて顔を隠すように落ちる。垂れた前髪のせいでシキくんの表情が見えなくなった。
「・・・まさか、お前、あの時の・・・!?」
どのとき。どのときのなの。何かを思い出したらしいアサヒは、大きくしていた目を更に大きく開いてシキくんを見ている。下から見上げていると大きなアサヒの瞳が落ちてしまうんじゃないかと本当に心配になる。
「そうだよ。僕は、あのときの僕さ。ようやく宇宙人の対策が完璧にできてこうしてやってきたのに。君は、倒すべき宇宙人と仲良くやってるし。僕が守るべきお姫さまも間に挟まれて楽しそうにしているし。全くどうしようかと思ったよ。」
「え?なに?ちょっと、待って。知り合いなの?あーちゃんとシキくんは知り合いなの?」
「いや、知り合いというか。」「ちょっと、ちょっと、ちょっと、なんで俺、一人蚊帳の外みたいになってるのよ。俺も仲間に入れてよ。っていうか、俺を中心にしろって。」
上空にいるヨナカがぎゃいぎゃいと騒ぎながら下に降りてきた。これで宙に浮いているのは私一人になってしまった。あぁ、今、一番蚊帳の外なのは私じゃないですか。
「あぁ、なんか腹立ってきた。ちょっとさ、死んでもらってもいいかな。もしくは、僕にボコボコに殴られてくれるとか。」
「え、ねえ、あーちゃん、シキくんはロボットなの?」「ユウヒは関係ないんだったら、もう、帰っていいでしょ。俺とユウヒはこれからラブラブランデブーの途中なの。」「悪い、ユウ。どうやらお前を巻き込んだらしい。」
話が纏まらない。まったく話が、繋がらない。ここにいる人、誰も人の話を聞かないらしい。話を聞かないから、会話が成立しない。なにこれ、無限ループじゃね。
「・・・とりあえず、話を一旦落ち着かせませんか。ヨナカ、ちょっと黙ろう。そして、シキくんも、あーちゃんを殴っていいから、少し黙ってて。んで、あーちゃん。シキくんに一発殴られた後、詳しく話して。」
ヨナカに向けて指を指す。それから、シキくんに許可を出すと嬉しそうにシキくんはにこりと笑って拳をグーの形にする。アサヒを見上げながら、少し強めに言うとアサヒはまた目を大きく開いて覚悟を決めたようにその鋭い目を閉じた。
「ふーん、いい覚悟じゃん。じゃあ、行くよ!!」
元気いっぱい楽しさいっぱいでそう言ったシキくんはそのまま、グーの形をした手を自分の方に引き寄せた。その様子はまるで手に握っている紐を引っ張るように見えた。
「おう!?」「!!」
途端にふわふわと浮いていたはずの体がぐっと何かに引っ張られるようにシキくんに向かう。体勢を整える間でもなく私の体はシキくんの腕に抱きかかえられた。その細い体が、包むように優しくてとても機械だとは思えなかった。
「やっぱり、やーめた。マスターって言ってももうずいぶん前に逃げ出した研究所の持ち主ってだけだし。会ったのも一回だけだし。それよりも、僕はお姫さまの方が大事だもん。」
「シキくん、ちょっと、顔が近い・・!?!?」
抱きしめられているせいで近くなった顔に驚きながらも、慣れてしまってあまり本気で避けなかったのが災いしたのか。もう、決まり文句のように口から出た拒否の言葉を、あろう事かまるで少女マンガよろしくにシキくんの柔らかい唇が堰き止めた。
「はああ!?」「おい、何してる!!!」
ヨナカの尋常じゃない叫びに閉じていた目を開いたアサヒが、それはもう、尋常じゃない声で叫ぶ。いや、しかし、今、一番叫びたいのは私だ。触れただけの唇は、一瞬だけ相手の温もりを知らせて放れていった。近すぎて焦点の合わないシキくんの顔はそれでも楽しそうに嬉しそうに笑っているのがわかる。
「ふふふ、ねえ、お姫さま。僕の物になってよ。」
ようやくピントが合ってきたシキくんは、さっきと同じように可愛い顔で笑いながら、それなのにどこか妖艶で細められた瞳は少し意地悪な危険な色をしていた。
何が、なんだかわからないけど、とりあえず、どうやら私は変態宇宙人だけでなく変態ロボットにも好かれてフラグを立てられてしまったようです。どうしましょうか。
思えば、このとき。私はハッキリと断るべきだったのでしょう。でも、突然キスをされて平常心でいられるほど私は場慣れしていなかったのです。乱された心は、咄嗟に相手の求める返答をすることは敵わず、ただパクパクと陸に上がった魚のように空気を欲して開くばかりで。
それどころか、カッカと熱くなる頬が真っ赤に染まっていくのを感じながらあろうことか、ちょっとドキドキしている自分がいたのです。
「し、しき、く、」
ようやくようやくそれだけを吐き出した私の唇をシキくんは、その長い指でそうっとなぞると、後ろからやってきたらしいヨナカとアサヒの攻撃から逃れるべく私を優しく突き飛ばした。
「お前、本当、殺すっ、」「持ち主特権で破棄決定だな。」
目の前に赤いポンチョ。後ろからはもう慣れた声。前にヨナカ、後ろにアサヒ。そんな最強コンボを発動されたにもかかわらず、シキくんは楽しそうに笑いながらふわりと宙に浮き上がった。
「ま、今日はこの辺で帰るとするよ。とりあえず、お姫さまの唇を奪えたし。あ、でも、覚悟してよね。次は、ちゃんと僕の物になってもらうから。ぷぷぷ。」
サアー。血の気が引いていく音がした。なに、あの変態ロボットまた来るつもりなの。初登場でこんだけのインパクトと疑惑とキスを出しておいてまた来るつもりなの。
未だに衝撃でほとんどポンコツ状態の私を残してシキくんの体が電信柱並みに高くなる。ぐっと膝を曲げたヨナカは、反動をつけるようにして飛び上がった。そのまま、全体の力を乗せてシキくんに向けて拳を飛ばす。しかしながら、べーッと舌を出したシキくんは楽しそうな笑い声を残して一瞬で飛び去ってしまった。
「ちょ、待て!!あいつめ、」
ふいっと空振りをしたヨナカは、呆気なく方向を見失い上下逆さまになった状態で悔しそうに舌打ちをした。ヨナカだったら、きっと追えただろうけど、私たちの目にはシキくんがどこに行ったのかわからなかった。
「・・・・すまない、ユウ。どうやら、俺のせいでまた、その、」
「あ、え・・・あぁ、いいよ。いや、正直良くないんだけど。でも、まあ、そんな大変なことはしなさそうだし。」
受け止められた状態で腰に腕をまわされたまま、アサヒが私を見つめたまま、申し訳なさそうに目を伏せた。その視線が、一瞬だけ唇を見たような気がしたけど、気のせいだな。
「大変なことがない!?ユウヒちゃん、何を言ってるの。あったでしょ、すっごい大変なこと!ちょっと、じっとしてて今から消毒するから!!」
いつの間にやら、空中に浮いていたはずのヨナカがマッハよろしくな速度で降りてくる。なに、あの人、こっち来るんだけど。まて、なに、頭突きする気。このまま、こっち来られると間違いなく正面衝突するよ。なに、頭突きしてくるの。
「ちょ、ぎゃああああ。」
逃げるように回れ右。庇うように伸ばされていたアサヒの腕をすり抜けて回れ右。
「待って。ユウヒ!!唇!唇をちょっと重ねさせて。地球では舐めると消毒になるんでしょ!!舐めさせて!!」
「おい、こら、変態!宇宙に帰れ!!」
「ぎゃああああああああ」
バタバタと走る後ろから、ヨナカが追っかけてきているのがわかったけど。何かが、怖くて振り向けない。背後から、聞こえる足音が二つ。一つはヨナカでもう一つはたぶんアサヒだろうけど。お願い、アサヒ、ヨナカを止めてくれ。たぶん、無理だと思うけど。
私は、普通の人間だったはずだった。確かに就職に失敗して家にいるちょっと空気の読めないニートではあったけど、少なくとも普通の人間だったのだ。
それなのに、いったい何がどうなってこうなったのか。誰か私に説明してくれ。
隣りの幼馴染には想いを寄せられ。突如やってきた宇宙人に求婚され。挙句の果てには、ロボットにキスをされて。他にも諸々アブノーマルな展開もありつつ、日々をニートとして生きている。いや、結構楽しくやってるよ。やってるけどさ。
こんなことなら、就職活動真面目にやっときゃ良かったかな。なんてあんまり意味のないことを考えながら、背後に迫り来る宇宙人から逃れる術をないとわかりながらも、模索してみた。
「私は、普通の恋愛が、したいです!!」
走りながら叫んだ言葉に、後ろから聞こえてくる愛の告白はどれもこれも間違いだらけ。
あいらぶゆー 霜月 風雅 @chalice
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