第五コンタクト 偏愛クライシス 夕日と夜中と美空と白雪の場合
最近、ミソラちゃんが楽しそうな気がする。だけど、それは言葉通りの意味ではなくてただ単純に楽しそうな表情をしているだけであって心の中は正反対の感情を抱えているということなのを、私は知っている。
「ねんえ、ミソラちゃん。何がそんなに気に入らないの?」
「気に入らないことなんてないよ。ただ、」
俯くようにシャープペンのお尻の部分を唇に当てるミソラちゃんを見つめているとドキドキと動悸が激しくなるのがわかる。ああ、可愛い。まるで日本人形みたいに綺麗な純和な顔立ちに切り時を逃して少し長くなっているボブヘア。もちろん、髪色は純粋な黒色。瞳の色ももちろん黒。正面から見つめられると、吸い込まれちゃうんじゃないかと思うくらいに深い黒色は今の日本であっても絶滅危惧種なんじゃないかしらと思うくらい。
「ただ?」
「ユウヒちゃんが、最近遊びに来てくれないから・・・ちょっと、イライラしてるだけ。」
「ああ、ユウヒちゃんって従姉妹の?私も会ってないから、会いたいわ。」
ミソラちゃんの話に時々出てくる、ユウヒちゃんという女の子。ミソラちゃんよりも、6歳年上の従姉妹で中学高校は、地元では有名な進学校に行っていたらしいんだけど、今は無職で家にいるっていういわゆるニートちゃん。ミソラちゃんのお母さんは、そんな社会不適合者とはあまり関わって欲しくないみたいなんだけど、どうにもミソラちゃんはユウヒちゃんのことが大好きみたい。電車で僅か、二駅という近さも手伝って何かと理由をつけて遊びに行ったり、家に呼んだりしていたらしい。
「あぁ、そっか。シラユキ先生が私の家庭教師になってからは、家に泊まりに来てないもんね、ユウヒちゃん。」
「そうね、もし泊まりに来るんだったら、私もお泊りしたいもの。」
ミソラちゃんのパジャマ姿は今までも何回か見たことはあるけれど、それでも夜に布団の中で見るのはまた別物でしょ。っていうか、脱がしかけにしたいのよ。
あら、私は変態なんかじゃないわよ。断じて違うわ。男には興味がないの。私の恋愛対象は女の子なの。歳なんて関係ないわ、女なら幼児でも老女でも大歓迎よ。
「あはは、シラユキ先生は本当に無節操だね。そんなだから、恋人が出来ないんだよ。」
「あら、そういうミソラちゃんだって、そんな美人で性格だって可愛いのに。どうして彼氏が出来ないのかしら?」
撫でるように、絹のような黒髪を指に絡める。素直に私の指に絡んだ黒髪は、傷むことなど知らないように艶々と光る。ミソラちゃんは、なんでもないことのようにされるがままに髪を放し、楽しそうに目を細めた。高校生独特の危うい艶っぽさが、私の理性を一瞬だけ叩き砕くように乱暴に揺さぶる。
「いらないよ。運命の相手さえいれば、それでいいの。」
「なあに、それ。意外とロマンチックなのね、ミソラちゃんってば。」
後ろから抱きしめるように腕を首に絡ませて耳元で囁くと、ミソラちゃんは小さな肩を遠慮気味に揺らしてぺチンと私のおでこを叩いた。
「シラユキ先生、行動がやらしい。」
「あら、ごめんねえ。ついつい、欲求が前面にでちゃったわ。」
お勉強の続きをしましょう。そう仕切りなおして開いたままで手付かずになっていた問題集にミソラちゃんは目を向けた。
闇の覇王がきている。そんなメッセージを昔一緒に住んでいた仲間から受け取ったのは、つい先日のこと。あまり他人に興味や関心を持つ子ではなかったのに、そんなお節介をしてくれたのが嬉しくてやっぱり一回は押し倒しておくんだったかな。と悔やんだ深夜2時。
しかしながら、メッセージの中身は到底無視できるものではなく。さて、どうしたものかと対策を練ったまま、今日まで過ごしている。
「やんなっちゃうわね、私の幸せを壊そうとしているのかしら。」
カリカリとミソラちゃんがシャープペンを走らせる音を聞きながら、誰に言うでもなく呟く。空はどこまでも青く世界はどこまでも平和で、私はこうしてエロスを堪能している。
闇の覇王がどこにいるのか、までは知らせてくれなかったけれど、例え遠くにいたとしてもあの存在の前では何もかもが無意味だということを私は知っている。あの存在と同じ星にいる、ということだけでもう死刑宣告されたと同義だと思ったほうがいい。
私も、とうとう年貢の納め時かしら。触れる女みな押し倒してきた私が、やっと見つけた理想の星で迫りつつある最後のときを待っている。うん、言葉にするとなんとなく高尚なことに思える。
「・・・ねんえ、ミソラちゃん。受験勉強もかなりはかどっているし、志望校はどう見積もっても楽勝合格だし、息抜きにどこか行かない?」
「・・・・え、っと・・・それって、どういうこと?」
くるり、回転椅子を器用に私に向けて回しながらミソラちゃんは、純和な顔立ちを崩さずに首を傾げる。その様子をカシャリとスマートフォンのカメラで撮影しながら、笑顔で答える。
「ここら辺でミソラちゃんのモチベーションも上げちゃいたいの。だから、そのユウヒちゃんのお家に行ってみない?私と一緒に。」
もしも、本当に闇の覇王がこの星に来ているんだとしたら、何か未練を残しているのは得策とは思えない。それは、私だけじゃなくて目の前にいるこの子も、そう。
だとしたら、私が愛しい女の子のためにできることはだいたい決まっているわ。
「え、ほ、本当に?いいの?シラユキ先生、いいの?」
「ええ、もちろん。ミソラちゃんの愛しのユウヒちゃんにも会ってみたいしね。ふふ、楽しみだわあ。あ、せっかくだからお泊りしちゃう?ふふ、」
本当に嬉しそうに瞳をキラキラと輝かせて身を乗り出してくるミソラちゃんを覗き込むように腰を曲げてもう一つ提案すると、我慢できなかったのかミソラちゃんはやったーと叫びながら座っていた椅子から立ち上がった。なんだかんだ言ってもやっぱりまだ高校生だもんね。この一年間ずっと受験勉強をしていたんじゃ、可哀想だもの。
頭の中でミソラちゃんのご両親を説得するプランをCまで考える。それから、ユウヒちゃんを口説いてお風呂に連れ込む計画をプランFまで考える。
「あ、いいけど。シラユキ先生、絶対にユウヒちゃんにはセクハラしないでね。」
「え?どうして?ちょっとだけならいいでしょ?」
脳内R-18妄想が零れたかと思うほど的確なツッコミに食い気味に返すと、ミソラちゃんは困ったような悲しそうな表情をしたまま、絶対にだめ。と殆んど懇願するように言い切った。
「ユウヒちゃん、そういうのすごく嫌がるから。なんていうか、そういう・・なんていうか、そういうの。生理的に無理みたいで、だから、絶対にダメだからね。」
「わかったわ。なるべくしないように努力はしてみる。なんていっても、ミソラちゃんのお願いだもん。」
そう言いながら、私の中でユウヒちゃんへの興味がより一層高まるのを感じちゃった。
来週、そっちに泊まりにいくね。はあと。そんなグロテスクなメールが届いたのは、先週の金曜日。ひょっとしたら、夢か幻かもしれないと目を擦って目薬まで射してみたもののやっぱりそのメールは現実として携帯に存在していた。これは、間違いメールだ。そう思ったものの確認してもし間違いじゃなかったら、なんて恐怖に負けてこのメールに返事すら出来ていない。
「あ、ああ、怖い。ミソラが、ミソラがやってくる。」
コタツに入りながら、ぶるぶると震える身体に触れるか触れないかの距離にヨナカが、座った。基本的に我が家は土足禁止の普通の家であるが、ヨナカのブーツは着脱不可能という全く理解に苦しむ構造になっているため、隣りで長い足をコタツに突っ込むヨナカの足元はブーツだ。
そんだけふわふわがついてるブーツはいてたら、寒くないだろ。コタツにブーツごと足入れるなよ。
「ユウヒちゃん、みかん食べる?お母さんが、持って行きなさいってさ。」
「ヨナカ、なんで家のお母さんとそんな仲良しなの。なんか怖いんだけど。」
「なあに、ヤキモチ?ユウヒちゃんってば、本当にかわいいね。」
言葉が通じない。なんてポジティブシンキング野郎だ。頭の中だけでそう毒づきながら、ヨナカが持ってきてくれた大き目の籠に入ったみかんの山から一つ、程よい大きさのみかんを取る。それを涼しげな瞳を優しく細めて見つめてくるごく近距離にあるヨナカの視線を受け止めながら、思えばずいぶんと近くを許したものだな。なんて冷静に考えれば驚くようなことを今更に自覚する。生まれてから今までずっと一緒にいる家族にも、小さい頃から一緒にいるアサヒにだって、こんなに近づかれることをしなかったのに。
ある日突然振ってきた、この宇宙人はまるで当たり前のようにすぐ近くで笑っている。そのくせ、私の身体に触れることを怯えているのか肌どころか髪に触れることすら戸惑う。すぐ近くに寄り添っている。そう、ただ寄り添っているだけ。まるで幻覚のように、すぐ目の前にあるのに触れることはない。触れ合うことは、全くない。触れられない。
もどかしくて心地よい、そんな距離感。
「お母さん、他に何か言ってなかった?誰か来るとか。」
「うん?言ってなかったけど、誰か来るの?」
「いや、言ってなかったなら、いいんだ。それより、そういえば、そろそろマヒルさんが退院してくるらしいから、お見舞いとか行かないと。」
「えー。いいよ、そんなの。それより、俺とデートしない?」
受け取ったものの食べる気がしないみかんを手の上でころころと転がしながら、時計を見る。午前11時。誰かが訪問してくるにはぴったりの時間。これは、あれでない。逃げ口実を探していた私の脳内にちょうど良い情報が浮かんでくる。隣りでぶーぶーと文句を言っているヨナカの言葉は一切無視をしてコタツを出て準備をするべく動き出す。
膳は急げだもんね。
誰にいう訳でもなくそう心のなかで叫んで支度を数分で終わらせて玄関に。
「お母さん、ちょっとマヒルさんのお見舞いに行ってくるね。夕方には帰ってくるから、」
「いいけど、あれ。今日って、確かミソラちゃんが、「いってきまーす。」」
何か聞こえてはいけない言葉が聞こえてきた気がするけど、大丈夫。全部は聞こえてないからセーフだよ。バタンと声を掻き消すように勢い良く扉を閉めて歩き出す。
やっぱり、今日なんだ。ミソラちゃんは、今日来るんだ。
「・・・どうしよう、マヒルさんの病室に泊めてもらえないかな。確か、前にお見舞いに行ったときは個室だったし。」
「はあ?ちょっと、ユウヒちゃんってばそんなにあいつのことが好きなの?やっぱりちゃんと殺しておけばよかった。」
白い息とともに空に吐き出した言葉にすぐ横から真面目な声で不謹慎な言葉が返ってくる。もう今更何にも驚かないけど、さっき玄関にいたときに確かにコタツに入って私が食べなかったみかんを剥いていたヨナカがどうして今、こうして平然と隣りを歩いているんだ。
「やっぱり、マヒルさんのこと怪我させたのってヨナカなんだ。この前お見舞いに行ったときはマヒルさん片付けしててうっかりしたって言ってたのに。」
倉庫の中身をすっかり片付けてしまっても帰って来なかったマヒルさんが、怪我をして入院した、と聞いたのは買物に行った次のお手伝いデーの前日だった。いつものように確認の電話をしたところ、いつもよりも僅かにくたびれた声で電話口に出たマヒルさんが、潜めるような小声で、今、病院にいるんです。と言ったことで発覚した。
慌ててお見舞いに行った病室でマヒルさんは、スーツではなく薄い青色をした病院服を着てベッドで横になっていた。
「大丈夫ですか、マヒルさん。」
「大丈夫ですよ。・・・ちょっと、ドジを踏んでしまいました。」
最早、傷はほとんど塞がったと笑うマヒルさんは、それでも普段より幾分顔色が白いように見えた。隣りにアサヒがいたら、どちらのほうが色が白いだろうかと不意に考えて、それなのに口出すのはいけないことのような気がして言葉にはしなかった。
「心配しましたよ。いつ怪我したんですか?」
「ご心配をおかけしました。まさか、お見舞いにきてくださるとはありがたいですね。・・ヨナカさんも一緒に。」
「なによ、俺が一緒だと何かまずいことでも?」
ベッドの脇に置いてあった椅子に座ってお母さんに渡されたお見舞いのリンゴを剥きながら尋ねると、マヒルさんは困ったように何かを探すように視線をさ迷わせて病室の入り口で挑発的に笑うヨナカを一瞬、睨んだ。
それをヨナカが見逃すはずがなくて、楽しそうなのに退屈そうな声でマヒルさんに尋ねる。コツリ、コツリ、とブーツの音が高らかに病室に響く。赤と茶色で彩られたヨナカは真っ白な病室に不釣合いで、なのにどこか鮮血を連想させて死神のようだった。
「・・・怪我をしたのは、もしかしてヨナカが原因ですか?」
二人の様子を見ながら、思いついた可能性にマヒルさんは少しだけ驚いた表情をした後で朗らかに笑って首を振った。
「違いますよ。言ったでしょう、私がドジをしたんですよ。散々、ユウヒさんのことをドジっ子と言いながら、お恥ずかしい限りです。」
「私、マヒルさんにドジっ子なんて言われたことありませんけどね。不注意の塊となら言われたことありましたけど。」
「おや、そうでしたか?」
いつもの調子、いや、いつもの調子に見せようと少し無理をしているマヒルさん。それでも、特に何かを気に病んでいる様子もなかった。むしろ、ヨナカの方が終始マヒルさんを睨んだまま不機嫌に病室の壁に寄りかかっていた。一言も口を聞くことはなかった。
その後も、時々マヒルさんのお見舞いに行ったけれど、普段通りに戻っていくマヒルさんに比例するようにヨナカは、すぐ近くにいる天敵を警戒するように神経を尖らせてマヒルさんを観察していた。
「それより、ユウヒちゃん。今朝からなんか変だよ。どうかした?」
すぐ横を歩いていたヨナカが、その高い背丈を折り曲げて顔を覗き込んでくる。声には、言葉より多くの心配が滲んでいるから私はすぐに固まりかけた警戒心を解いてしまう。例えば、本当にヨナカがマヒルさんを怪我させたんだとしてもきっと何か理由があったのかもしれない。そんな風にヨナカの目隠しを良いことに自分の目で何も見ないようにする。
「あぁ、あのね。ミソラちゃんって従姉妹がいるんだけど、その子がなんか泊まりに来るらしいんだよ。」
「ふーん、で?ユウヒちゃんはその従姉妹のことが嫌いってわけ。なるほどねえ、だったら簡単じゃん。俺が、ユウヒちゃんのこと攫ってどっか遠くに連れてってあげるよ。」
「はいはい、ありがとね。」
「ねえ。結構、これ本気なんだけど。本当にユウヒちゃんってば、つれないよねえ。」
歩きながら、ヨナカのブーツは一定の距離を崩すことなくただコツコツと音を響かせながら私のすぐ横を歩く。視界の端にいつも入る赤い色は慣れてしまえば、なくなると不安になるほど自然になっていた。
ヨナカが、言うのなら私は一緒に行ってもいいかもしれない。そんなことを考えてから、そんなことを考える自分に驚いて少しだけ恐怖する。私はいったい、この宇宙人にどれほど気を許しているというのか。どれほど、近づいているというのか。
「とにかく、とりあえずマヒルさんの病院行って。時間潰して。なるべく遅く家に帰ろうと思う。」
「いいよ。俺は、ユウヒちゃんの言うことなら賛成。なーんでも大賛成。」
窺うように見上げた場所に、いつものように柔らかく笑うヨナカの顔があって私はほんの少し安心してしまう。これじゃあ、アサヒに依存して生きていたときと何も変わらない。ヨナカがアサヒに変わっただけだ。問い詰めるように心に浮かんできた罪悪感に似た焦燥感を打ち消すように、私は隣を歩くヨナカに向かって手を伸ばした。
そうして躊躇いがちに無防備に晒されているヨナカの大きな手を掴んだ。思っていたよりも温かいその手の平は、驚いたようにびくりと反応してわかり易くヨナカの顔も驚いていた。何かを言うように私を見たヨナカの瞳に滲んだ不安が、見覚えのある色だった気がして私もヨナカの瞳を見つめたまま、口を開こうとした。
「ユウヒちゃんっ!?」「あら、あの子が!?」
「!!????」「・・・・・」
まるで狙ったようにそこに聞こえてきた一番聞きたくなかった声。しかも、このタイミングとか。本当、どうしようか。思考が真っ白になったまま、私はヨナカの手を握りしめて私たちが今、まさに歩き出そうとしている道の先にいる、日本人少女の代表のような顔立ちをした黒髪少女とその隣りにいる見慣れない外人美人ブロンズ美人眼鏡着用ナイス場ディのお姉さんを見つめていた。
「ミソラ、あの・・・久しぶり?」
カラカラに乾いている口でそんなありふれた挨拶を吐き出すと、ミソラは黒目が大きな瞳で私を悲しげに見つめた。
ミソラと私は従姉妹だ。周りからは、よく全然似ていないね。なんて言われるけれど、私たちが似ていても良いことなんてないだろうから、その点については全く気にしたこともない。私にとってミソラはとても仲の良い従姉妹だった。学校が休みの日にミソラの家に遊びに行って帰りたくなくて泊まったこともあったし、その逆もまた然りだった。私は、ミソラが好きだったし、ミソラも私を好きだったのだと思う。だけど、その好きの価値観がミソラが中学校に入った頃から変わってしまった。
ミソラは、中学校であまりよくない友だちと遊ぶようになった。別に中学生だし、本人の自由だし。そんな悠長なことを思っていたあの頃の私に会えるなら、殴ってやりたい。そのあまりよくない友だちに感化され、ミソラは少しずつ変わっていってしまった。その変わりようについていけず、私は次第にミソラと遊ばなくなった。私が遊ばなければ、ミソラはあまりよくない友だちと遊ぶしかなくなる。そうするとますます、ミソラはその友だちに毒されていき。こうなるといたちごっこと言う名の悪循環だ。
同じ頃、私はアサヒとも疎遠になり、世の中からも疎遠になった。もう、なんでも良くなった私に親戚は愛想を尽かし、ミソラの家族も私を嫌煙するようになった。そうなると、私がミソラの家に行く理由も必要もなくなる。私は、ミソラと疎遠になった。
私は、世の中からもアサヒからもミソラからも、逃げた。逃げて隠れた。怯えた。
「・・・ひさしぶり、ユウヒちゃん。会いたかったよ。」
高校生になったらしい、ミソラはあの頃とは少し違う笑顔で私の名前を呼んだ。同級生が昔、こんな顔をして校門で彼氏を待っていたな、なんて私は一生できないのだろうその笑顔がなぜか私を酷く悲しい気持ちにさせた。
「あなたがユウヒちゃんね。いつもミソラちゃんからお話は聞いているわ。」
ミソラの隣りにいたボインのブロンズ美女が、妖艶な笑顔を浮かべてウインクした。
「・・・・え、ミソラ、の知り合い?」
迫力に押されるように一歩、後ろに引きながら尋ねた。開いた手をヨナカが放さないから、まるで突っ張り棒のように私の腕が伸びる。
「うふ、始めまして。ミソラちゃんの家庭教師をやっている、シラユキです。シラユキ先生って呼んでね。」
「はあ、どうも。初めまして・・シラユキ、さん?」
この人と仲良くなれる気がしない。挨拶に手を差し伸べられる。握手を求められているんだと認識してヨナカの手を振り払う。力なんて少しも入れずに放れた手は、ほんの少し何かを探すようにさ迷った。それから、何歩か前に出てシラユキさんの細くて綺麗な手を握る。
「あら、やだあ。ユウヒちゃんってば、手が小さくて柔らかくてまるで赤ちゃんの手みたい。ふふ、食べちゃいたいくらい可愛いのねえ。やあん。」
「・・・・・・はあ、」
この人を理解できる気がしない。いちいち、なんとなくエロい声出すのは癖なんだろうか。それとも、わざとなんだろうか。こういう人にあまり免疫がないから、すぐに顔が赤くなってしまう。あ、あの宇宙人は除外ね。あれは、ただの変態だから。
「ねんえ、ユウヒちゃん。なんだったら、私、あなたの家庭教師になってもいいわよ。いいえ、寧ろ家庭教師にしてちょうだい。全力で最高の教育をしてあげるから。」
「いえ、あの、私はもう学生は終わったのでそういうのは、いらないので・・」
手の平やら手の甲やらを、まるで撫で繰回すように細い白い指が這う。放してほしいけれど、そんなことを初対面のしかも従姉妹の家庭教師に強く言える訳がない。だんだんと心なしか近づいてくるシラユキさんの顔から必死に距離を取ろうと首を動かして引いた。
「ふふ、学生が終わっても必要でしょ?性・教・育は。」
「!!!!!!!!!」
囁くように息を吹きかけるように耳元で言われた、なんとも破廉恥な言葉に一気に顔に身体に頭に熱が上がるのがわかる。無意識にシラユキさんを見ようとした顔が、近づいていた距離に気づかずに飛び込んできたのは、焦点が合わないほど近づいたシラユキさんの顔。
驚きとパニックで固まった体が、不意にシラユキさんと反対側に向かって引かれて熱を帯びた身体が、何か柔らかいそれでいて知り慣れたものに包まれた。首から肩に回された腕が、小さく震えているように感じられた。
「悪いけど、俺たちこれからデート、なんだよねえ。邪魔しないでくれる?」
頭に触れている顎から、振動になってヨナカの声と共鳴するように伝わってくる。吐き出される息が、髪を吹いて少しだけくすぐったい。
「デート、って、まさか・・ユウヒちゃんとあなたが?」
正常な機能を取り戻した頭がようやく状況を理解して指令を出す。そうして私は、頭の上にあるヨナカの顔を押しやるように退ける。それを期待していたようにヨナカの腕は、あっという間に肩から放れていった。その腕がやっぱり小刻みに震えていたのを私はしっかりと見てしまったけれど、なぜか知らないふりをして目を逸らした。
「そう。俺とユウヒちゃんが。ね?ユウヒちゃん?」
「・・・・まあ、別にデートって訳じゃないけど。でも、まあ、うん。」
この状況でデートじゃないって言ったら、どうなるか。とりあえず、面倒なことになるだろうということはわかっている。あまり乗り気はしないけれど、言葉を濁して頷く。窺うように見上げたヨナカは、とっても楽しそうな顔をしていた。けど、やっぱりそれも見なかったふりをした。だって、別にそんな顔をされても困るし。だいたいデートじゃないし。
「へえ、そ、そうなんだ。ユウヒちゃんが、そうなんだ。私てっきり、ユウヒちゃんはそういうの・・嫌いなんだと思ってた。けど、違ったんだ。へえ、デート。」
「大丈夫?ミソラちゃん。目の焦点が合ってないわよ。しっかりして。」
あからさまに動揺しているミソラにシラユキさんが、慌てたようになぜか少しニヤニヤしながら駆け寄る。このまま、引き下がってくれれば良いけど、きっとそうならないだろうことは私が一番知っている。しかも、そうなった場合嘘をついている私の方が非常に不利だということもなんとなくわかっている。
「・・・・じゃあ、いこっか?ユウヒちゃん。」
「あ、うん。そうだね。」
はい、なんて実に楽しそうな声で言いながら、ヨナカは手を差し出してきた。もう、震えてはいなかったけれどなんとなく遠目に見ても手がしっとりしているように見える。ヨナカさん、ひょっとして手汗すごいんでないんですか。
握る前からわかってしまったその現実に、あぁ、握りたくない。なんて思ったのはコンマ一秒でした。覚悟を決めていたわけでもないのに、私の手はヨナカが差し出してきた手を何も考えずに握った。まるでそうするのが、常であるかのように。
驚いているだろうヨナカ以上に驚いているのは、私だ。
「待って!!そのデート、私たちも、連れて行って!!」
ぜえぜえと、苦しそうに息をしているミソラが、途切れ途切れに叫ぶ。いや、そんなに具合悪そうな人は家に帰れよ。
「ミソラちゃん、本気なの?これ以上、具合が悪くなったら、貴方どうするのよ。」
「大丈夫、大丈夫、私は、まだ、帰れない。帰る訳にはいかないの!!」
なんなの、この人たち、なんなの。なんで帰らないの。というより、なんでミソラはそんなダメージ受けてるの。何の攻撃によるダメージなの。
「えーっ、どうしよっかなあ。ねえ、ユウヒちゃん。どうするう?」
「え、えっと、そうだね、まあ、いいんじゃない。ミソラも、せっかく受験勉強の間にこうして来てくれたんだし。気分転換に、どっかに行こうか。」
言ってから、しまったとも思う。昔から、ミソラのお願いを断れた験しがないのは自分が一番わかっていたにも関わらず、いったいどうしてこんなことを言ってしまうのか。しかも、気分転換に病院に行けるわけがない。じゃあ、どこに行くんだよ。だって、病院に行こうと思ってたんでしょ。マヒルさんの退院を祝いに行くはずだったのに。
「本当に?ありがとう、やっぱりユウヒちゃんは変わらないね。私の知っているユウヒちゃんのままだ。」
嬉しそうに笑った頬に出来た笑窪を見て、懐かしくも苦々しい思いを噛み締めて。マヒルさんのお見舞いは、明日にでもアサヒの家を訪問する形でお祝いしようと考えた。
それにしても、デートなんてどうしたらいいかな。なんて思って困って隣りにいるヨナカに視線を送ると、任せてよ。と言うような表情にウインクまでもついてきた。
「・・・・・・・・・・で、なんで美術館。」
「え?だって、ユウヒちゃん来たがってたじゃん?」
来たがってたけど、それはこのタイミングではなかったよね。目の前に粛々と立ち塞がっている立派な建物を見上げながら、憚ることなくはっきりとヨナカに尋ねた。いや、尋ねずにはいられなかった。しかも、なんでそんなに自信満々なの。やっぱり宇宙人になんて任せるべきではなかった。だけど、だって、ここまで来る地下鉄とかバスとかすっごい乗りなれてるし、寧ろ私よりも慣れてるんじゃないかって思うくらいだったし、いやいや、久しぶりにバス乗って、てんぱってて気づかなかったけど、乗りなれてたらおかしくね。だって、なんでヨナカがバスに乗りなれてるの。私だって、電車は月一くらいでしか使わないのに。バスとか地下鉄ってもうほとんど使わないのに。なんでどうしてヨナカは使いなれてるの。怖い、もう、ヨナカがいったいどんな生活をしているのかわからなすぎて怖い。
「ユウヒちゃんも、見たかったの?私も、この美術館で今月までやってる特別展示が見たくてずっと来たいと思ってたんだ。」
「あぁ、そういえば言っていたわね。確か絵画展、だったかしら?」
「そう、北原甲賀ね。ミソラが絵を描くきっかけになった人で目標としてた人。前に一緒に見に来たことあったから、」
小さな頃に一緒に連れて来られた美術館でミソラは、この人の絵に一目ぼれした。そうしてそれ以来彼女は、趣味のほとんど全てを絵を描くことに費やすようになった。だけど、確か中学に入った頃から、もう絵は描いていないと聞いたけど。
尋ねようと思って見たミソラは、なぜか頬を赤らめて嬉しそうに目を細めている。それから、とても熱の篭った瞳でこっちを見ている。
「嬉しい。ユウヒちゃん、覚えていてくれたんだ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・違うよ。」
何か、非常な勘違いをしているミソラから目を離すと今度は、隣りにいるヨナカがなんとも言えない目で見つめてくる。何なの、この修羅場によく似た修羅場は。溜め息を吐きながら、美術館の中に入る。中は当たり前だけど、シンとしていて少し埃っぽい匂いがする。
「あ、チケット代は俺が出してあげる。買ってくるから、ここで待っててね。」
「え、いいよ。そんな、」
「いいの、いいの。だって、俺が連れてきたんだし。」
ブイ、なんて無邪気に笑ってピースサインを作る。誰よりもヨナカが楽しそうだ。軽やかに走っていく後ろ姿は、本当に楽しそうでとても悪い人には見えない。
そんなヨナカを見ていつの間にか自分が笑っていることに気づいて驚いて焦って笑った。ヨナカといると楽しい。嬉しい。それなのに、そんなことを思っている自分を見つけるとどうしていいかわからないくらいに不安になる。どうしようもないくらいに怖くなる。
それにしても、美術館ってデート向きではない場所なんではないかと思う。いや、彼氏とかいなかったから、デートで来たことないんだけど。静かで厳かで個々の世界に没頭するような場所に恋人と来るとか、ほとんど意味ないことしているよね。展示に集中して黙ってしまった連れ合い三人を見ながら、誰も求めていない結論を出す。この絵が好きとか、この絵がすごい、とか最初は話していたのに今では全く誰も口をきかない。どころか、ほとんど全員別行動状態だ。赤の他人が見たら、私たちが一緒に入ったなんて絶対にわかりっこない。
ミソラはこうなるだろうと思っていたけれど、まさかヨナカが、こんなに美術に興味を抱くとは思わなかった。ヨナカはどちらかというと他人の思想や想像したものに興味なんてないタイプだと思っていたのに、一枚一枚をじっくりと見つめて何かを感じ取ろうとしているように眉を寄せる。それから、何かを見つけたように一瞬だけ安心したような表情をして次の絵に移動する。普通の人がしたらおかしいその行動をヨナカがやっているとなんだか神聖な儀式のように見える。
ヨナカを見ていると楽しい。おもしろい。もっと見ていたくなる。それなのに、自分の中にそんな感情があることを知るたびに、どうしたらいいかわからない恐怖に襲われて、どうしようもないくらいに後悔する。
ヨナカを見つめている自分に、恐怖する。
「・・・ユウヒちゃん、ほら、」
少し潜めたような声に呼ばれて一枚の絵の前に歩く。真っ赤な色をした夜明けが、真っ暗な真夜中から生まれるような絵。ダイナミックで大胆でそれなのにどこかセンチメンタルで寂しい。まるで隣りで楽しそうに笑うヨナカのようだ。
「綺麗な絵だね。」
「でしょ。ほら、俺と同じ名前だよ。この絵。」
言われた言葉を飲み込めずに首を傾げると、ヨナカは長い指で絵の下に付けられた白いネームプレートを指した。まるで幼稚園のそれのようなネームプレートには大きな黒字で「夜中」と書かれていた。
「・・・あぁ、本当だ。ヨナカと同じだね。なんか、雰囲気も似てるね。」
何も思わずに口にした言葉に、ヨナカは少し眉を寄せた。それから、おもしろくなさそうにふーんと呟くと、その高い背を屈めてすぐ耳に口を寄せて囁く。
「この絵を知ってて、俺にヨナカって名前をつけたんだと思ってたけど、違うんだ。」
ごく近距離にあるヨナカの瞳は、僅かの期待と多大な悪戯でキラキラと光っている。私は、それから目を逸らすようにして正面にあるヨナカと同じ名前の絵を見つめた。明るいのに、どこか寂しげなその絵は、本当にどこか隣りで笑う宇宙人と似ている。
「・・・違うけど、なんでそう思ったの?」
「別に。覚えてないなら、いいよ。」
「何?なんのこと?」
「なーんでもない。」
また、だ。ヨナカと一緒にいると時々現れるこの感情。違和感によく似た不快感。何か、大切な約束を忘れてしまっているような、誰か大事な人を亡くしてしまったような。ヨナカは、それを知っているのにこうしてはぐらかして教えてくれない。
「ねえ、ヨナカ。私は、何を忘れているの?」
ヨナカの赤いポンチョの端を摘んで、尋ねる。ただでさえ近かった距離がもっと近づいて息が触れ合うほどの場所で名前を呼ぶ。縋るように、願うように、請うように。
誰の声もしない静かな美術館。相手の産毛が見えるほどの近さ。それなのに、この寂しさはなんだろう。この遠さはなんだろう。こんなに近くにいるのに、こんなに近くにいるはずなのに、ヨナカはまるでとても遠くにいるかのように、ここではない場所にいるかのように。私の心を不安で掻き乱す。私の心の恐怖を炙り出す。
近くにいればいるほど、遠い。
「・・・・なにも、忘れてないよ。」
搾り出すように、躊躇うよに、言われた。言葉も、瞳も、優しいのになぜか冷たく突き放された気がした。底のない暗闇に、押された。
「・・・・ヨナカ、」
「ユウヒちゃん、これ、覚えてる?」
何かを捕らえようとした脳は、手は、ミソラの声と引かれた腕によって唐突に現実に引き戻された。まるで重力などないように、ヨナカに向いていた体は、あっという間にミソラに引かれて傾く。近かったはずのヨナカの顔が、手の届かないほどに放れていく。
あぁ、やっぱりだ。ヨナカは、やっぱり、放れてしまう。私から、離れてしまう。
「あら、なあに。ひょっとして二人の思い出の絵なの?」
「うん。そう、昔一緒に見た展覧会でユウヒちゃんが一番気に入っていた絵なんだ。ね、ユウヒちゃん。覚えてる?」
「え、あ、そ、そうだっけ。あぁ、そうだったかな。」
いつの間にこんなに距離を詰められたのか、ミソラのすぐ後ろにはシラユキさんが。私は、ミソラに腕を絡められ、シラユキさんに後ろを塞がれて私は全く逃げ場がなくなった。
「あんら、じゃあ、ひょっとしてミソラちゃんが将来を決めた運命のイラストってこれのことなの?」
「イラストじゃなくて絵画。ひょっとして、ユウヒちゃん覚えてないの?」
ぎゅうっと、握られた腕に僅かに不安が込められているのがわかる。きっと、ミソラにとっては大事な思い出なのだろう。だけど、私はミソラがキラキラした目で絵画を見ていたことは覚えているのに、いったい何の絵を見ていたのかは全く思い出せない。私にとってはそれほど些細でミソラの表情と比べればなんてことはないことだったのだろう。
私は、こうしていくつの思いを見逃して見過ごして生きてきたのか。ミソラが、それほどまでに大切に思っていた絵も、私は全く覚えていない。ミソラが、絵を描くきっかけになった画家のことも、この絵画展のCMをテレビで見るまでは思い出しもしなかった。私の世界を構成する存在の中には、ミソラも、この画家も、そしてヨナカと同じ名前のこの絵も、いないのだと思い知る。
私は、こうしていくつもの思いを通り過ぎて生きていくのだ。私の世界には、所詮、私しか存在しない。
休日の夕方にもかかわらず、私たちが乗ったバスは空いていてあっさりと一番後ろの席に四人で座ることができた。久しぶりの外出と見たかった画家の絵画展だったこともあってか、ミソラは窓に頭を預けてぐっすりと眠っている。その隣りに座っているシラユキさんが何度か必死にその頭を自分の肩に乗せようと試みたが、それは成功することなく煩そうに振り払われて終わった。
「うふ、私ね、最初ここに来るまでは、ユウヒちゃんって宇宙人なんだとおもってたの。」
手持ち無沙汰になったのか、シラユキさんは左隣りに座っている私に今度はちょっかいを出してきた。窓際、私のさらに左隣に座って流れる景色を見ていたヨナカが、ピクリと小さく反応した。
「・・・・宇宙人、とは、また。なんとも、なんともですね。」
「そうかしら?ユウヒちゃんは、宇宙人とか地底人とか、そんな存在は信じてないの?」
信じていないとかではない、現に私の隣りで退屈そうなふりをして聞き耳を立てているのは自称・宇宙人だ。
「宇宙人はとにかくとして、地底人は見たことないのでなんとも。」
細くて妖しい動きをしたシラユキさんの手が、するりとまるで這うようにして腕を取られる。ゾワゾワと立つ鳥肌に反射的に身体を逸らす。自動的にすぐ隣りに座るヨナカに寄りかかるようになる。
「へんえ、ユウヒちゃんは宇宙人を見たことがあるのね。実は、私もなの。っていうか、私が、宇宙人なのよ。」
ふうーっと耳に息を吹き込むように囁かれた言葉に、背筋がゾクリとする。今、何と言ったの、この人。ひょっとしてなんかすごいことをカミングアウトなさいませんでした。
「え、・・・・え?」
「ふふ、やっぱり。そのお隣の彼氏さんって宇宙人なのね。どうりでユウヒちゃんの家に行く途中に対異星人用のトラップやら宇宙刑事やら虚数空間やらがあると思った。」
自信満々な表情で妖艶な色をした舌を見せて笑うシラユキさんは、なにやら、聞き覚えのあるけれど馴染みのない単語をペラペラとまるで円周率を諳んじるように淀みなく紡ぐ。触れ合っている場所から、ヨナカの感情が伝わってくればいいのに。すぐ隣りで未だ退屈そうに目を閉じて寝たふりをしている宇宙人は一向に反応を示さない。
「あの、シラユキさん、あの、」
「大丈夫よ、私は何もしないわ。頭にチップを入れたりとか、内臓を取り出すなんてレベルの低いマニアのやることよ。私だったら、手を加えることなくそのままの状態で大切に手元においておくもの。」
「いたよ、そんな宇宙人が三分で戦う宇宙人の話に出て来たよ!!」
どうしよう、まさかシラユキさんがあの危険異常宇宙人と同じ趣味の持ち主だったなんて。確かに言動とか行動とかちょっと一般人にしてはおかしいなあ、なんて思ってたけど、なんとなくヨナカと一緒にいる間に慣れちゃっててわかんなくなってたけど。やっぱり、おかしかったんだ。どうしよう、ミソラが変な宇宙人に目を付けられてるよ。
「でもねえ、ミソラちゃんは私の物になってくれないみたいだから。ねんえ、ユウヒちゃん。お姉さんとイイコトしない?」
シラユキさんの砂糖細工みたいに白くて細い指が、頬を撫でて滑る。ミソラの危機は去ったかわりに私の危機がやってきました。まずい。これは、非常にまずい。どうしようか、イイコトってなんだろう。人間採集の標本にでもされるんでしょうか。それは、とてもイイコトとは言えない。全く言えない。
「あ、あの、それは、」「それは、できないよねえ。っていうか、俺が許さないけど?」
いつの間にか、退屈なふりは終わっていたようでヨナカは私を抱え込むようにして頭の上からシラユキさんに向けて声を降らせている。すぐ横にヨナカの身体がある。視線をずらすとしっかりとした首筋があって喉仏が喋るのに合わせて動く。
「あら、起きてたの?てっきり、私が怖くて寝たふりでもしてたのかと思った。」「よ、ヨナカ、」「はあ?俺が、なんでそんなことすんのよ。なんだったら、ここで消しちゃってもいいんだけど。」
低い声と低い声の戦い。普段、高い声でご機嫌に話している二人がこうもわかり易く威嚇し合うと挟まれた者は怖い。ミソラ、起きろ。お願いだから、ミソラよ、今すぐ起きておくれ。貴女の家庭教師とっても怖いんだ。宇宙人なんだ、ミソラ。
「うぅ、ちょっと、あの、二人とも、うぅうう、」
ブロンズ美女のボインと優男風ハンサムに挟まれてぐらぐらと揺れるバスの中。ミソラが起きるのが先か、家に着くのが先か、それともこの戦いが本格化するのが先か。ふらふら揺れるシーソーゲームに眩暈を感じて溜め息を吐いた。
小さい頃から、私の従姉妹はちょっと変わっていた。世間とずれた場所にいる。常識の外側にいる。そんな風に言われていたけれど、私は彼女のそんなところが大好きだった。
「ユウヒちゃん、遊ぼう!!」
「・・・あ、ミソラだ。ミソラが遊びにきた。」
家の外で名前を呼ぶと、ユウヒちゃんは決まって家の窓から顔を覗かせて驚いたようにそう口に出す。そのときの表情が好きで私はユウヒちゃんの家に行く時はアポなしで行くことが多かった。そのため、タイミングが悪くユウヒちゃんが出かけてしまっていることもあったけれど、それでも家にいるよりはマシなので近くの公園でユウヒちゃんが帰ってくるのを待っていた。
私は、物心ついたときから親と相性が悪かった。親だって人間ならば、子供だってまた人間だ。どんな人だとしても、生理的に苦手な人間はいる。それが、私の場合はたまたま偶然に親だったというだけの話だ。そのことを悲しいと思ったことはない。ユウヒちゃんが、いればだいたいのことは楽しかったし、困らなかったからだ。子供の世界の全ては親だというけれど、私の場合は家の外に世界のだいたいのことがあった。
「ユウヒちゃん、ミソラはユウヒちゃんとずっと一緒にいたいな。」
「あぁ、そう。でも、ミソラと私は別のお家に住んでるから夕方になったらミソラは別のところに帰るんだよ。」
「えー、そういう意味じゃないよ。」
「ミソラの言うことは、よくわかんない。」
ユウヒちゃんは、他人の気持ちにとても鈍感だ。それは、好意にもだけど、悪意にも当てはまる。どんなに一緒にいても、ユウヒちゃんに私の思いは全く伝わることはなかった。ユウヒちゃんにとっては、好意も悪意も大した違いがない。自分に対して他人が抱く感情は自分が他人に抱く感情と同じくらい変化しないものだと思っている。
そんなユウヒちゃんが、私は好きだった。ユウヒちゃんにわかってもらえなくても、私はわかっているから良い。
「ユウヒちゃん、私は、ユウヒちゃんの味方だからね。」
「・・・ミソラの言ってることは、よくわかんない。」
心底不思議そうにそう言って首を傾げるユウヒちゃんのそばにいられるなら、私はどんな努力でも出来ると思った。
だけど、私が大きくなるにつれて私とユウヒちゃんの間にある壁の高さに気づかされた。ユウヒちゃんは、時の流れが止まっている。中学に入るとそれまでわからなかった世間の一角が見えるようになってきた。子供の頃は知らなかった常識が身について気づく。ユウヒちゃんは、世間から見ると確かに欠陥だらけだった。中学生の私ですら、感じ取れる空気が彼女には全く見えていない。それどころか、そんなものの存在すらないかのように彼女は生きていた。周りの言葉も、自分の年齢も、彼女にとっては取るに足らない関係のないことのようだった。
彼女の世界には、彼女しかいなかった。
私とユウヒちゃんの間にあった溝に私は足を取られてだんだんとユウヒちゃんから遠くなってしまった。ユウヒちゃんと一緒にいたいと願う気持ちばかりが先行して先走って、いつの間にかユウヒちゃんの理解から外れてしまっていた。
ユウヒちゃんが、私を怖がっているのがわかった。だんだんとユウヒちゃんが、私を避けるようになった。それでも、私を見て欲しくて私のそばにいてほしくて私は、のめり込むように感情を爆発させた。これは、恋なんだと周りの友人と意見を交わし、禁忌な響きに酔うようにユウヒちゃんに迫った。恋に恋をしていた。
そんな私をユウヒちゃんは、嫌悪するようになった。彼女は、自分に向けられる他人の感情がわからない。彼女には、一生この想いが届かない。届くことはない。
それでも、私の思いが報われなくても誰の想いも報われないのなら、平気だった。彼女が誰のものにもならないなら、彼女に想いが届かなくても何も悲しくなかった。
そう、彼女は誰のものにもならないはずだったのに。
「ユウヒちゃん、ユウヒちゃん、俺と一緒にお風呂はいろっか?」
「入らない。ヨナカは、一人で最後に入りなさい。」
久しぶりに会った彼女は、私の知っている頃と何かが違っていた。恋人と名乗る男が隣りにいることも、その男の隣りで楽しそうに笑っていることも。
「ミソラは、シラユキさんと一緒に奥の客間を使って。前にも使ったことがあるからわかるでしょ。布団は、押入れにあるから。」
「すごいわね。ユウヒちゃんのお家って意外に広いのねえ。あ、私は客間じゃなくてユウヒちゃんのお部屋で一緒のベッドで寝るから平気よ。」
「何がどう平気なのよ。そんなこと、俺がさせるわけないっしょ。」
「はあ?あなた、何様なのよ。どきなさいよ、私がユウヒちゃんと話してるの。」
「ユウヒちゃん、やっぱこいつ殺してきて良い?大丈夫、こいつも宇宙人だから然るべき方法で殺せば地球の法律にはひっかからないから。」
「やれるもんなら、やってみなさいよ。返り討ちにしてやるわ。」
シラユキ先生は、あっという間に彼女のことを気に入った。せっせとユウヒちゃんに近づいてせっせと口説きにかかっている。私はといえば、あんなに会いたかったはずの彼女が目の前にいるのに、何かに気後れして何かに疑問を感じて昔のように会話すら出来ない。
「・・・ミソラ、大丈夫?元気ないけど、もしかして家に帰りたい?」
覗き込まれた瞳は、記憶の中と同じで不思議な形をしている。幼稚園の頃に映画で見たお姫さまの目に似ていると言ったら、とても喜んでくれたことがあった。
「ううん、大丈夫。ちょっと、びっくりしただけ。ユウヒちゃんが、家に恋人を住まわせてるなんて・・・全然、想像もできなかったから。」
「あぁ、それは・・・その。まあ、成り行きで。」
はは、と苦笑いをした彼女は見たこともないような柔らかい表情で恋人を見つめた。
知らない、こんな顔をする彼女を私は知らない。私が知っている彼女はこんな顔をしない。私の知っている彼女は、私の知っている彼女は、どんな顔を、していた。
「・・・ユウヒちゃん、私、」
「まあ、久しぶりだからゆっくりしていきなよ。ミソラ、」
会わなかった間に伸びた身長は、年齢にしては小さいユウヒちゃんと同じくらいになっていた。昔は見上げていたその瞳が今は目の前にある。
伸ばした手は、しっかりと彼女の手を掴んでその温もりを伝えてくる。
「私、ずっと、ユウヒちゃんが好きだった。本当に、本気で、好きだった。好き、だよ、」
「っ、」
確かに見つめている彼女が、驚いたように息を呑んだのがわかる。震える指は彼女の小さな肌を半ば引き裂くように握っている。このまま、彼女の皮膚を、心を、傷つけて傷を残してしまえば、彼女の中に忘れられることなく私という存在が残るだろうか。
何かを言おうと薄く開いた唇に手を伸ばして、どうすればいいか頭ではわかっている。なのに、どうしてか、身体は動かずに蛇に睨まれたカエルのように震えたまま、不思議な形をしたユウヒちゃんの瞳を見つめていた。
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