第三コンタクト 割愛ジャスティス  夕日と夜中と灰月の場合

 「ようやく見つけた。」

闇の中で妖しくツインテールが跳ねる。広さがわからない暗闇の中で光るのは、ただ一つ。ツインテールの少女が見ている携帯電話の画面だけ。

 そこに映し出されているのは、長い間彼女が追っていた大悪党。彼女の両親を殺し、彼女の愛するふるさとを木っ端微塵に破壊しつくした冷酷で残酷な闇の覇王。美しくて優しい人々が住んでいた彼女の星は、この闇の覇王ただ一人によってわずか一日で宇宙の塵となったのだ。生き残ったのは、彼女ただ一人だけであった。

 生き残った彼女は、闇の覇王を倒すべくやってきた宇宙刑事たちによって保護された。傷つき、悲しみを背負った一人の少女は、この時、一つの決意をその小さな胸に宿らせた。

『家族を、仲間を殺した闇の覇王を、私がこの手で倒すの!!』

小さな少女は、その思いを支えに厳しい特訓にも、訓練にも耐えた。幼い少女には、辛い経験だった。それでも、彼女は諦めることをしなかった。ただ、ただ、正義のために必死に前を向いた。後ろ向きになるくらいなら、明るく前を向こうと決めた。

『若さってなに?振り向かないことよ!!私は、振り向かないわ!!』

そんなどこかで誰かが言っていたような言葉を、合言葉に少女は孤独とともに成長した。胸のほうは、あまり成長しなかったが、その小さな胸に宿る決意は大きくなった。

 同じ境遇の仲間は、たくさんいた。それだけ闇の覇王の残虐さと冷酷さは留まることをしらなかったのだ。少女が一人前になるまでにいったいいくつの星が闇の覇王によって滅ぼされただろう。いったいどれほどの人々の悲しみが流れたのだろう。時間の流れが酷く不平等なこの宇宙という場所で、一人の少女は歯噛みしながら闇の覇王を憎み続けた。

仲間たちと切磋琢磨して、少女はとうとう一人前の宇宙刑事として認められた。

そう、彼女は宇宙の悪と戦う女性戦士なのであった。アイデンティティは、この長く伸びたツインテール。彼女が戦いの場で華麗に舞うと揺れるこのツインテールを人々は、月に住んでいる幸福のうさぎと呼んだ。

「私が来たからには、もう人々に悲しい涙は流させないわ!!」

その言葉が決め台詞、彼女がそれを言うと今まで悲しみに暮れていた人々は喜びと希望に顔を綻ばせるのだ。

「幸福のうさぎが現れたぞ。」「良かった、これで俺たちは救われた!」

彼女は、その健康的な肌を存分に見せ付けるような露出が多めの白を基調としたワンピース。そして小柄な体を強調するぴっちりとしたグレーのタイツを身にまとい颯爽と現れる。

 コードネームは、ハイヅキ。見た目は、ただの中学生。

「ちょっと、ぴょん吉。あんたのナレーション的独り言、すっごく悪意を感じるんだけど?」

目の前でスマートフォン型通信機を弄っていた少女が、こちらを向いて宇宙刑事として鍛えた睨みを利かせている。

「パートナーの特権として選ばせてあげるわ。切られるのと、斬られるの。どっちがいい?」

ちなみに、彼女の武器はシャイニング・ブレード。いわば、光の剣である。それが、キラリと闇の中で眩いほどの光を放ってこちらを斬りつけようと、している。

「・・・わかった、真っ二つでいいわね。」

「ごめんなさい。ごめんなさいにゃ、お願いだから斬らないでくださいにゃ。」

ジャスティスーツを着装していなくても、こちらを斬るくらいはハイヅキにとっては軽いことだ。どのくらいかというと、つまり人間がきゅうりを切るのと同じくらいに簡単だ。こちらに非があるとは思えないが、そう簡単に斬られてしまっては悲しすぎるし死にきれない。こちらは、仕方なく心から謝罪することにした。

「全く。せっかく闇の覇王が見つかって、私は今機嫌がいいんだから。」

「それは見ればわかるけど、仲間が応援に来るまで待たなくていいのかにゃ?また無茶したら、上官に怒られるにゃう。」

さっきまでこちらを斬ろうといきり立っていたハイヅキは、グレーのタイツに皺を寄せることもなくストンと腰を下ろした。ふわりとまるで本当にウサギの耳のように長いツインテールがそれに合わせて揺れて落ちる。

「いいのよ。そんなの待ってたら、また逃げられるに決まってるわ。これ以上、私は誰かの涙を見たくないの。」

ハイヅキは、大きな瞳を輝かせて空を見上げた。煌々と輝く月が、彼女の決意に満ちた横顔を優しく照らす。まだ、幼さが残るその表情が、頼もしくも痛々しい。

「作戦は、あるのかにゃ?それとも、また当たって砕けろかにゃあ?」

「そんなの正義の味方なら、正々堂々正面突破に決まってるでしょ。」

得意気に笑うその姿は、こちらが育て上げた正義の味方。宇宙刑事の姿だった。

 そんなことを、語尾ににゃあ、なんて間抜けな言葉を付けながら言っているのが、私の相棒・パートナーであるぴょん吉。正式名称は、忘れた。犬型の旧型ロボットで新型と比べるとどう見ても、犬というより、カクカクしたクリーム色のブロックで作った犬に見える。それでも、新型にはない性能があったり維持費が安かったりと利点はいっぱいあるので私は、ぴょん吉に特に不満があるわけではない。

「正面突破にゃあ、本当に大丈夫かにゃあ。こちらは、心配でオイルが漏れちまいそうだにゃああ。」

「うるさいわね。大丈夫よ、こう見えて一人前なんだから。」

「ま、胸の大きさはともかくとして戦闘能力は一人前だにゃ。」

このヘボ犬は、いつもいつも私の胸のサイズについて偉そうに言う。

「胸は小さい方が、戦闘に向いてるのよ!」

「小さい?ないの間違いだにゃあ。」

刹那、私は得意の抜き身で光の速さでシャイニング・ソードをぴょん吉の目の前に突き刺す。暗い狭い部屋の中でそれは月の光に似た淡い輝きでキラリと光る。ちなみに、今は夜中だから暗い訳ではない。ただ単に電気を止められているだけで、特別何か理由があるわけではない。

「とにかく、ここの任務に抜擢されたのは私なの!!」

「それは、虚数空間の乱用だと思ったからだにゃ。闇の覇王がいるなんて、そんなエマージェシートップクラスの事件だったら、ハイヅキみたいな半人前には頼まんにゃ。」

そう、私がこんな宇宙の外れみたいな辺鄙な星に来たのは、闇の覇王討伐のためじゃない。私みたいなひよっこがいきなりそんな大役を任される訳がない。私は、ただこの星の文明ではまだ使えないはずの虚数空間の出現を感知したため、何者かが旅行や漂流でたどり着いて使ったのではないか、という報告を受けてきたのだった。宇宙旅行は自由だけど、まだその星に存在しない技術を持ち込んで使用するのはご法度である。私は、それを取り締るためにやってきたのだけれど。

 到着したときには、もう虚数空間はなくなっていて当たり前だけど、そんなことは良くあることで現行犯逮捕できることのほうがハッキリ言って少ない。そのため、私は虚数空間感知装置を搭載しているぴょん吉を使っていったいどこの誰が悪さをしたのか調査した。

その結果、辺鄙な星の辺鄙な場所(どうやら、神を祭っている場所のようだった。)で使われた虚数空間は宇宙警察に届けられていない物、つまり野良空間だった。野良空間は、よく犯罪シンジゲートが使うため私は追加でその野良空間の使用者の検挙を任命された。

 そうして私はこの地球という星で潜入調査をすることになった。私の見た目は、この星では中学生、と呼ばれる人種になるらしく一人では部屋を借りるのも、職を得るのも非常に難しかったが、そこはぴょん吉の幻覚を使ってなんとかすることに成功した。成功は、したけど、私一人での稼ぎなんて微々たるもので生活はとても苦しい。

「ハイヅキのナレーション的報告書も、悪意を感じるにゃ。そんな報告しても、上官はお小遣いなんてくれないにゃ。」

「うっさいわね。お小遣いが欲しくて言ってるんじゃないの!!」

とにかく、そんな中、私は二度目の虚数空間の出現を察知した。場所は、私が住んでいる都市部からは電車で15分ほどの住宅街。こんな場所で虚数空間を広げるなんていったいどんな奴が何を考えているのか、と怪しんだ私の目に飛び込んできたのは、見覚えのある庭園都市。そう、忘れようとも忘れられないあの、美しい箱庭。

 闇の覇王の、庭園都市船、箱庭城。途端に私の背筋は凍った。奴が、私の故郷を壊滅させたあの冷酷非道な闇の覇王が、あの空間を出現させた張本人。

 今度は、この星を奴はターゲットにしたんだ。だとしたら、今、その危機を知って止められるのは私しかいない。私は、そのために宇宙刑事になったんだ。

「けど、どうするにゃあ?この前の事件でだいたいあの辺りに住んでいるのはわかったけど、誰が闇の覇王かがわからんにゃ。」

そう、問題はそこ。闇の覇王は、行き着いた星の生態系を熟知し、その星に住んでいる知能がある生き物に擬態することができる。そのため、誰も闇の覇王の本当の姿を知らないし、本当の名前も知らない。ただ、その圧倒的な力とそれに不釣合いな美しい箱庭だけが彼の悪行を証明するものだ。

「大丈夫、警察学校で習ったの。闇の覇王は、確かにどんな姿をしているかわからないくらいに擬態がうまい。だけど、その変装には一つだけ弱点があるの。」

そう、いくつかの星で生き延びた人々から得られた有力な情報。それを使って私は奴を追いつめる。

「弱点?必ず、オスになるとかにゃ?」

「いいえ、でも、近いわね。いい?闇の覇王は完璧なコピーができるわけじゃないの。色々な姿になれる代わりに細かいところはお粗末なの。つまり、裸にしてしまえばいいの。生殖器まで綺麗に再現されていればそれは本物。だけど、もしここの地球人と違う裸をしていたら、それは間違いなく」「闇の覇王ってことにゃ!!」

私の言葉を引き継ぐように、ぴょん吉は嬉しそうに跳ねた。ぴょン吉はロボットであるため以外に重量がある。案の定、着地した瞬間にドスンと大きな音がしてパラパラと古い天井から土ぼこりが落ちてきた。まずい、下の階のおじさんに怒られる。

「明日にでも、私は奴を捕らえに行くよ。上官、もし私に何かあったら、そのときは援軍を頼みます!」

そう、早口で言って私は通信端末の録音を切った。目を瞑っても出来る上官への送信作業を終えると同時に階段を何かが登ってくる音がする。私は、光の速さで荷物をまとめると今にも外れそうな窓を壊さないように開けて、飛行モードになったぴょん吉に乗って朝日が昇り始めて明るくなってきた空に飛び出した。


 家の前で、ヨナカと知らないコスプレ少女が、馬鍬っていた。

隣りの豪華な家の門を出て、今日もよく働いたなあ。なんて思いながらいつものように半円を描きながら家に帰る。そんなに遠いわけがないから、すぐに自分の家の敷地内に入ったのだけど。ただ広いだけのアスファルトの駐車場に、今日は平日だから父も母も、仕事で車は止まっていないのだけど。そこの真ん中、家に至る道の途中、言ってしまえば、私の目の前で、ヨナカが見知らぬ少女に馬乗りにされて服を脱がされている。

なんだ、これ。いったい何が、どうなった。どうしてこうなった。まるで走馬灯のように私はここ数日の出来事を思い出す。

毎月、10日のお手伝いデーがあの破壊騒動の後もあるのか、私は非常に心配だった。何しろ、結構なご迷惑をかけてしまったわけだからひょっとすると、ひょっとしてしまうのではないかと、生きた心地がしなかった。

 家に戻って私が菓子折りを持って隣りに窺おうかと困っていると、アサヒからメールがきていた。アサヒからメールが来るのは何しろ、久しぶりだったので私は一瞬、いったい何がけたたましく鳴っているのかわからずに、一時期とても流行っていた切ない恋の歌の着信音を一緒に口ずさんでいた。この曲は、有料だったのだけど、そのときたまたま一緒にいたアサヒが、好きな曲だから俺の着メロにしろよ、と言ってお金をくれたから取ったのだった。私は何も考えずにその命令に従ってアサヒ専用の着メロにしたのだった。

 とにかく、それを思い出して慌てて携帯を開いたときには曲は終了していて、私は懐かしくもどこか苦い思いをしながら、メール画面を開いた。

『大丈夫だったか?今日のことは、気にするな。俺も気にしない。』

そんなアサヒらしいぶっきら棒な文面でそこからは、優しさと同時にどこか冷たさも感じられて私は読みながらすうっと背中が冷たくなっていくのを感じた。これ以上、私もアサヒもお互いのことには踏み込んで行かない。そんな暗黙の了解を見せられた気がした。

『ありがと、ごめんね。私も、気にしないよ。』

そう震える指先で打って、けれど送信ボタンを押すことができなくてそのまま、未送信のまま携帯を閉じた。私は、未だにガラケーだ。

「・・・さて、寝ようかな。」

わざとらしくそう呟いて私はベッドに身体を投げ出した。この瞬間に、ヨナカが隣りの部屋から駆け込んできたら、私は間違いなく抱きついて泣いてしまうだろう。

 そのまま、結局アサヒともナナミさんとも一度も顔を合わせることがないまま、ナナミさんの学校が始まるため帰ってしまった。私がそれを知ったのは、マヒルさんに月に二回のお楽しみ、お手伝いデーの確認をするためにした電話口で、だった。

「え、アーちゃん、帰っちゃったんですか?」

「ええ。お伝えできずに申し訳ありませんでした。しかし、あんなことがあったので、その。ナナミお嬢さんが怖がってしまうかもしれないということで。」

「あぁ。なるほど。まあ、そうですよね。」

電話口で聞くマヒルさんの声は、とても甘くて低い。私はその声が好きでマヒルさんとはメールで確認できることも電話をしたりする。

「アサヒは、とても寂しがっていましたよ。それと、とても」

そこまで言って、マヒルさんは言いよどむ。その後に言われる言葉をなんとなくわかってしまったから、聞かないようにそういえば、と話題を変える。

「明日は、いつもの時間でいいんですよね。お手伝いデーはなくなりませんよね?」

「・・ええ、もちろんです。お待ちしていますよ、ユウヒさん。」

確認を終えた私は、電話を切るとその場にへたり込むように座った。悲しみとも、憎しみとも付かない感情が胸を支配して身体が震えた。

「ユウヒちゃん?どうかしたの?」

頭上から聞こえてきた声に、体を畳むように蹲ったまま私は極力なんでもないようなふりをして答える。

「なんでもない。コンパクトになる練習。」

ヨナカからの返事はなくて、代わりにすぐ横に何かが座る気配がして布越しに肌が触れる感触がした。ヨナカが楽しそうに息を吐き出す音、私の頭を大きな手が撫でる感触。その全てが優しくて私は、弱くて脆い自分の心が解けていくような気がした。

 「ユウヒちゃん、起きて。今日は、10日だよ。早起きしなきゃいけないんでしょ?」

もう、当たり前になったヨナカのそんな言葉に起されて私はぼんやりとしながら、起きていつものようにみんな仕事に行ってしまったリビングに降りていった。

「うう、おはよう、ヨナカ。」

「おはよう、ユウヒちゃん。今日も、寝癖が爆発してるよ。」

カラカラと実に楽しそうにヨナカが私を見て笑う。ヨナカは笑うときに、いつもよりも少し声が高くなるんだなあ、なんてまた新しく見つけた特徴に知らずに口角が上がる。だから、もう、ヨナカが裸エプロンでも、漫画でしか見たことのない燕尾服の執事状態でも何も突っ込まないことにして、執事ヨナカが引いてくれた椅子に腰掛けた。

「今日の朝ごはんも美味しそうだね、執事さん。」

「あれえ?なーんか、ユウヒちゃん、機嫌良いね。なんか、いいことでもあった?」

恭しく下げられた頭が、ほんの少し上向いて悪戯っ子のような表情をしたヨナカが顔を覗き込んでくる。色素が薄いのか、光の加減で色が変わる切れ長の瞳を正面から受け止めながら、惹かれるようにそのふわふわの綿飴のような髪を撫でた。

「別に。なんでもないよ、」

「そっか。・・・ユウヒちゃんは、執事服が好きなのかあ。知らなかったなあ、」

「え、ち、違うよ!・・あ、でも、確かに執事は好きだけど。でも、違うよ!!」

「照れない、照れない。たっぷりと、ご奉仕しますよ。お嬢さま。」

「~っ!!」

楽しそうに近づいてきたヨナカの顔が、不意に横に移動したとおもったら、耳元で思いっきり優しくて低くて甘い声、つまりエロい声で囁かれた。ゾワリと、今まで感じたことのない感覚が私の体を駆け巡った。気がした。

 そんな、やりとりをしながらも私は何事もなく隣りの家に行き着いてマヒルさんのお手伝いをしたのだった。

「秋の野菜のお世話・・・マヒルさんの畑仕事好きには全く頭が下がります。」

夏の野菜を育んでいた土を掘って雑草やら石ころやらを取っていく。この作業は地味な割にはとても疲れる。それでも、良い野菜を作るためだと私はせっせと土を掘って掘って。

「・・そういえば、この間のトマトとか夏野菜って食えなかったなあ。せっかくおいしそうなサラダとスパゲッティだったのに。」

ぼんやりと呟いた言葉に、そんなに遠くに行っていなかったマヒルさんがそうですね、と返事をくれた。

「あの騒ぎで作っていた料理は駄目になってしまいましたからね。」

「あぁ、それは・・ごめんなさい。」

ニョキッと土から顔を出したミミズを見つめながら、私はどうしたらいいかわからずにとりあえず謝った。マヒルさんは、小さく笑いながら、別にいいんですよ。と言った。

「収穫した野菜は、他の場所にも置いてあったのでいくつか無事だったのです。後から、届けに行こうかとも思ったんですが、ナナミお嬢さまが・・その、」

大きな桑で土を大雑把に耕していたマヒルさんが、一瞬だけ私を見て言いづらそうに言いよどむ。それだけでなんとなく察しがついたから、あぁ、わかりました。と返してマヒルさんの心労を取ってあげた。マヒルさんもそれ以上は言わずに、また、桑で土を耕す。

 私は、マヒルさんとのこの距離感がとても好きだ。近いけれど、近すぎるわけではない。かといって遠いわけでもない。言いたいことだけ言って、言いたくないことは言わない。言ったほうがいいことだけ言って、言ったらだめなことは言わない。マヒルさんは大人だから、こんな距離のとり方が出来るのだろうと思う。

「そういえば、ずっと聞こうと思ってたんですけど。マヒルさん、なんてスーツで畑仕事してるんですか?動き難いし、汚れますよ?」

いつものように黒いスーツを着て桑を持っているマヒルさんに思いついたように尋ねると、マヒルさんは少しも思案することなく答えた。

「いえ、スーツが普段着のようになっているので却ってスーツの方が動きやすいんですよ。それにこれは汚れも洗えるスーツなので大丈夫なんですよ。」

いや、動きやすくないよ。絶対に、動きやすくねえから。それに洗っても大丈夫なスーツってなんでそこまでしてスーツで畑仕事したいのよ。どんだけスーツが好きなのよ。

「マヒルさんって変ですよね。変わってます。」

「それを言うなら、ユウヒさんだって相当変わってますよ。まるで宇宙人みたいです。」

言ってから、マヒルさんは気がついたようにあ、っと口を押さえる仕草をした。私も言われてその仕草を見てから、そういえば日常生活に宇宙人一人入ってきてたな、と空を見上げた。私の家のすぐ上にある変な島は、当たり前だけどお隣さんであるアサヒの家からでも見える。物凄い不思議な光景だけど、ヨナカの催眠術の効果でこの空に浮いている島を誰もなんとも思わなくなっている。これって、かなりすごいことだ。だけど、そんなことが出来るなら、どうしてあの破壊事件のことも記憶から消さなかったのか謎だ。

「ヨナカのせいでナナミさんに嫌われちゃったのにな。」

ひょっとしたら、あのまま夏休み中仲良くしてたら、一緒に海とかプールとか行けたかもしれないのに。そうしたら、お嬢さまの清楚な水着姿だって見れたのに。そんな思いを込めて小さく呟いた言葉はマヒルさんの耳には届かなかったらしく、マヒルさんは上を見上げたまま、そういえば、と言葉を発した。それに合わせてマヒルさんの出っ張った喉仏が震えるように動く。

「その後、ヨナカさんはどうしていますか?」

さて。こんなときに困ってしまう。この場合のどうですか、とはいったい何を指しているのか。ヨナカは元気にやっていますか、と言う意味なのか。それとも、何か善からぬことをしていないか、という意味なのか。マヒルさんはどっちの意味で聞いているのか。

「・・そうですね。とりあえず、相変わらずです。家で私のことをじっと見ているかと思いきや、突然公務員的な制服にコスプレして出かけていったり、私が本を読んでいるのをずっと正面に座って見ていたり、何をしてきたんだと思うようなコスプレをして帰ってきたりします。」

どちらの意味でも大丈夫なように、近状をそう報告するとマヒルさんはそうですか。とやっぱり上を見上げたまま、答えた。私は、不意にこの人に心配をかけてしまっているのだろうか。と妙に不安な気持ちになった。だとしたら、いったいどうしたらいいんだろうか、と考えて考えて、結局ただの取り越し苦労ではなかろうか、という結論に達したときにはマヒルさんは腰を屈めて地面を耕す作業に戻っていた。

「ねえ、マヒルさん。これも収穫したら、美味しいご飯にしてご馳走してくださいね。」

出て来たミミズに触らないように、雑草と前回のトマトやらの根っこを引っこ抜きながら、上を見上げた。太陽からの光に影を作るように立っているマヒルさんが、すっと背筋を伸ばして存外優しい瞳をしてこっちを見た。

「もちろん。そのつもりですよ。」

それから、目を弓のように細めて笑った。


 そんな訳で、こうして帰りついた家の前でいつもの長袖長ズボンにポンチョまで羽織った、ちょうど季節が追いついてきたらしい格好をしていたヨナカが、灰色の全身タイツに白のワンピースというどう見ても何かのコスプレにしか見えないような格好をした中学生くらいの女の子に押し倒されて馬乗りされて服を脱がされんとしている。

「この、脱いで!見せなさい!!裸になるのよ!!」

「ちょっ、ずいぶん積極的じゃん。」

「生殖器よ、下を見せなさい!!」

「はあ?何言ってんの?・・・あ、ユウヒちゃん、おかえり~」

ぐいぐいと服を脱がさんとするコスプレ少女と、必死に(顔は余裕ぶって笑っているけれど)抵抗しているヨナカの攻防戦を見つめながら、私はなるべく早く家に入りたかったので特に気にせずにそのまま横を通過しようとした。が、その目論見は失敗に終わったらしい。見事に下に敷かれているヨナカに見つかって高らかに呼び止められた。

「た、ただいま。ちょっと、家に帰れないから、退いてくれる?」

「ええー!?俺が、他の女に迫られてんのに、酷くない!?」

邪魔をする気はありませんよ、と意思表示をしながら横を通り過ぎようとした私を、コスプレ中学生の大きな瞳が捉えた。一瞬、確かに交わった目は透き通るようなブルーをしていた。外人かな、なんて思った私に向かってコスプレ中学生はとんでもない言葉を発する。

「ぴょん吉、もう一人いたわ!あいつの裸も確認して!!」

「了解だにゃん!!」

何事だい、と辺りの警戒をする間もなく前方から何か大きな物体が飛び出してくる。その形は全体的に四角くてロボットを想像させる。一昔前に流行った犬型のロボットを大きくしたようなそれが、迷うことなく私に飛び掛ってきた。ぴょん吉って名前なのに、語尾にゃんなの、見た目犬なのに。どこから突っ込むべきか考えている脳は、その犬型ロボットから逃げるなんて選択肢を見つけることはできず、私は正面からその大きな鉄の塊のような物体を受け止め、その重さに耐え切れず受け止めた姿勢のまま倒れた。アスファルトに強かに頭をぶつけて目の前を痛みとともに星が流れたように思えた。

「ユウヒちゃん!!」「・・あんたの相手は私よ!」

「い、痛い。」「覚悟するにゃん、確認だにゃん!」

痛みで遠のいた意識をヨナカの切迫した叫び声が繋ぎとめる。だが、道路に全身を投げ出すように伸びている私のすぐに上に乗っている犬型ロボットの重みで息が止まりそうだ。こうなると、また意識を失うのは時間の問題に思えてくる、ああ、息が苦しい。

 遠くに逝ってしまいそうな意識の中でふんふんと鼻を鳴らしながら、犬型ロボットが身体を弄っているのを感じた。冷たい無機質の鼻らしき場所が、倒れたときに捲れたのだろう服の下を這い回る。

「ちょ、く、くすぐったい、ひゃはっ、」

幸いにも、今日はそんなに緩くない服を着ていたのでお腹の真ん中辺りまでしか鼻が入ってくることはなかったが、それでもなんとなくくすぐったい。身を捩って逃げようにも、上に乗っているこの犬型ロボットは重すぎてびくともしない。そのうち、犬型ロボットの方が痺れを切らしたのか、服の下で何事かを言った。

「いいわ、ぴょん吉。私が許可する。」

そんな声がヨナカに馬乗りのコスプレ中学生の方から聞こえて、次の瞬間、犬型ロボットの鼻で膨らんでいた服から鋭い刃が現れた。

 ええ、刃!?そう思って見開いた目にさらにその刃が鈍く光ながら服を裂いて進んでくるのが映る。

「ぎゃあああ、なんじゃこりゃあああ!!」

恐怖とも驚きとも言えない感情から叫ぶと、同じように馬乗りにされているヨナカも叫んだ。しかし、それはいつものようにふざけているような声ではなくアサヒの家を壊したときと同じように低く冷たい声で、だった。

「な、なに!?」「お前、俺のユウヒちゃんに何してくれてんの。」

どんどんと迫ってきて最早、シャツを前開きにしてしまっている犬型ロボット越しにそちらを見る。ヨナカに馬乗りになっていたはずのコスプレ中学生が、空高くに吹っ飛んでいた。その下には、もうヨナカはいない。捜すまでもなくヨナカは、私のすぐ横に立って私のシャツを前開きにし終わった犬型ロボットをその長くしなやかな足で蹴り飛ばしていた。

「にゃんっ!!」

悲鳴に似た声をあげながら、犬型ロボットは道の向こうにあるブロック塀まで飛んでいった。それを見つめるヨナカの瞳が何の温度も宿していないほどに冷えている。それは、あの時、アサヒの家を壊したときにそっくりだった。ゆらりと、ヨナカの周りを不穏な色をしたオーラが立ち上る。霊感や第六感なんてあるわけがないけど、はっきりと見えるくらいにゆらり、とヨナカの身体が揺れる。もし、あのときのようなことになったら、ここでヨナカが爆発したら、お金持ちのアサヒの家ならともかく、ただの一般市民である私の家は、いったいどんな無残な壊れ方をするのだろうか。そして、それを再建することは出来るのだろうか。本能的に感じた恐怖に私はアスファルトに身体を投げ出したままで動けないでいると、不意に下を、つまり私を見たヨナカの目と視線が合う。ヒュウッと息を飲んだ音がヨナカに聞こえてしまったかと私はまた動けなくなる。

「ユウヒちゃん、大丈夫?どっか怪我してない?」

「え、あ・・・うん、大丈夫。」

しかし、そう言いながらしゃがんだヨナカは、いつもと変わらない様子で私の身体を確認するようにあちこちに視線を走らせる。さっきの冷たい目は、見間違いだろうか。私は、そんなことを考えながら前開きになった服を更に開こうとするヨナカの手を叩いた。

「痛、なんで叩くの?俺は、ユウヒちゃんの透き通るような柔肌に傷でもついてないかと本気で心配してるんだから!」

「うん。ありがと、でも、大丈夫だから。こんな往来で下着を晒すのは本当に嫌だから。」

涙を流さんばかりの気迫に押されるように、近づいてくるヨナカの顔から逃げるようにしながら私は立ち上がる。幸いにも、どこも怪我をしていないようだ。運動不足の割に上手く受身を取ったのかもしれない。よしよし、私の反射神経優秀だ。

「これ羽織ってて、って言いたいけど。ちょっと、これじゃあ頼りないよね。」

そう言いながら、ヨナカは赤のポンチョを摘んだ。確かにね、毛糸で編んであるポンチョは、ほとんど糸で編んである状態でつまりは、これを羽織っても着てないように見える水玉状態になるだけでむしろ羞恥プレイ以外の何者でもない。

「うん、ありがと。気持ちだけ受け取るね。」

反射的に返すようにそれだけを言うと、私はすぐに家に入ろうと後ろを向いた。こんな姿で外にいるなんて恥ずかしいし、それ以上に秋の寒空では流石に寒いのだ。文字通り肌寒い。どんな理由でコスプレ中学生と出会ってああなったのか、気にはなるけど、今は家に入りたい気持ちの方が勝っている。幸いだったのは、今日は畑仕事をするとわかっていたから、汚れて捨ててもいい服を着ていたことだ。想定外の理由で破れてしまったが、元々捨てるつもりだったため、特に困りはしない。

「ユウヒちゃん、」「私としたことが、油断したわ。」

家に向かって方向転換した私の横でゆらりと、何かが動いた。そう思ったときには、すでに遅かったらしく私に向かって何かが飛んできた。

 ひょっとしたら、次元が違う世界なんじゃないだろうか。耳元を風が掠めていく音を聞きながら、顔を横に向けた。残像のようにコスプレ中学生がパンチを繰り出してきていたらしい姿が見えたが、瞬きをした一瞬の間にその姿は消えていた。どこに行ったのか、と考える暇もなく背後で凄まじい音がして少女のものと思わしき悲鳴とヨナカの低い息を吐き出す音が聞こえた。

 私は、立ち止まったまま、このまま何も見てないふりをして家に入ってお風呂に入って服を着替えるか。振り向いて現実を受け止めるか、非常に本気で迷った末に出来る限りゆっくりと振り向いた。

「お前らも、本当しつこいねえ。あのまま帰ってたら俺だって許してあげたのに。」

「にゃううううっ、」「ぴょん、吉・・・っ」

何これ。やっぱり振り向かないで帰ればよかった。本気でそう思いながら、私はまるでヒーロー物の悪役よろしくな表情で地面に倒れている犬型ロボットを踏みつけるヨナカと、その片手に首を掴まれて犬型ロボットが壊したブロック塀に押し付けられているコスプレ中学生を見ていた。これ、ヨナカは完全に悪役だよ。しかも、絶対に改心しないタイプの悪の幹部だよ。自分以外は、カスとかゴミとか思っているタイプだよ。

「あの、さ、よ・・ヨナカ?」

戸惑いながらも、最早慣れてしまった黒ヨナカにそれでも恐る恐る声をかけると、残忍な色で見下ろしていた視線が、ゆっくりと私を見てまるで絵の具でも染みこんでいくように優しく弓なりに細くなる。

「なあに?ユウヒちゃん、もう家に入ったと思ったけど?あ、俺と一緒じゃないと寂しいとか?」

「違うよ。」

突然振ってきた変態丸出しの発言を即座に否定して、私はどう言ったもんかと少し躊躇う。離してやってほしい、そのくらいで勘弁してやってほしい、とりあえず遠くに飛ばしてほしい。実行した場合に、一番我が身が安全なことを導き出すことしっかり十秒。きちんと倫理的に思案して三番に決めた。

 しかし、その要求を伝えるべく開いた口は油断していたらしいヨナカに向かってコスプレ中学生がしなやかに全身タイツの健康的な太ももを振り上げキックを繰り出そうとしているの捉えてしまい、あ、なんて短い一言だけを発して終わった。

「とりゃあ!!」「おっ、と。」

私の声を聞いてという訳ではないだろうが、コスプレ中学生の長い足を避けるためにヨナカは手を放して電線の高さまで飛び上がった。その衝撃を受けてか、犬型ロボットからバキッと嫌な音がしたが、きっと気のせいだろう。

「あんた、だけは、」

絞められていた首が開放され、空気を求めるように咳をしたコスプレ中学生が浮遊するように上空にいるヨナカを睨むように見上げながら、ほとんど絞りだすような声を出す。

「あんただけは、絶対に・・許さない。闇の覇王っ!!」

「あ~、なるほどね。ばれちゃってたんだ。まあ、地球人じゃないとは思ってたけど。まさか、それで俺を狙ってきてるとは思ってもなかったなあ。」

闇の覇王と言ったのだろうか。今の会話を聞く限りでは、どうやらコスプレ中学生も宇宙人らしい。なるほど、確かに地球人っぽくない格好だったな。そんなことを思いながら、じゃあ、私関係ないから家に帰ってしまいたいな。なんて無責任なことを考えていた。

ストン、と軽やかな音を立ててヨナカは高い位置にある電信柱にブーツの先だけで着地した。こういう場合、絶対的に高い位置にいるのは敵で地面に這い蹲るように怪我した腕を庇いながら立っているのは、正義の味方だ。今の戦闘のどこであのコスプレ中学生は腕を怪我したんだろう、なんて思ったけど言わなかった。カメラ持ってこようかな、それともポップコーンかな。いや、それよりも早く家に帰りたい。

「私の星を、家族を、よくもっ!!」

コスプレ中学生は、そう叫ぶとヒールが少し上がっている短めの靴でありながらぴょーんとヨナカに向かってジャンプ。ヨナカは、それを正面から受け止めるようにしながら、

「あれ、消えた?」

私の言葉を引き継いだわけじゃないだろうけど、コスプレ中学生が口を何か動かした。驚いたような顔をしていたから、きっとおんなじことを思ったんだろう。私が、それを確認したのを待っていたかのように、コスプレ中学生の背中に突然現れた踵が落ちた。コスプレ中学生もすごい音を立てて地面に落ちた。

「うわ、ヨナカ・・・えげつねえ。」

いくら地球の人じゃないといっても、見た目はそんな変わんないから強度はそんなにないんじゃないだろうか。だとしたら、あの人死んでしまうんじゃないだろうか。私がちょっとした不安に駆られているとも知らずに、ヨナカはやっぱりまるで軽くジャンプしただけのような軽やかさで着地。地面に伸びたまま、ぴくりとも動かないコスプレ中学生のことなんて見えないように真っ直ぐに歩いてくる、私に向かって。

「ほらほら、ユウヒちゃん早く家に入らないと。寒いんでしょ?風邪なんて引いたら大変だよ。」

あれだけのことをして息ひとつ乱れていない。ヨナカにとってはあんなの準備運動程度にもなっていないということか。

「あ、ひょっとして俺のこと待っててくれた?いやあ、ユウヒちゃんってば、俺のこと好きすぎるぞ。」

「なにそれ、何キャラなの。違うし、全然違うし。」

笑いながら、ヨナカが私の何歩前にきたとき。その後ろに確かに倒れていたコスプレ中学生が、ゆっくりと起き上がった。

 もうやめておけばいいのに。いや、このままヨナカが気がつかなければひょっとしてもう終わるかもしれない。そう思って私は気がついていないふりをしようとして。

「こうなったら、本気で行くわ。・・・・着、装っ!!」

変身ポーズっ!?あのコスプレ中学生、変身ポーズまで取ったよ。驚きとちょっとの高揚を感じながら私はしっかりとコスプレ中学生に目を釘付けてしまった。もちろん、その視線にヨナカが気づかないはずもなくそれを追っかけるように切れ長の瞳が振り向いた。

 それを狙ったように、コスプレ中学生の身体が黄金色に輝く。そう思ったときには、すでに眩いなかりの光は消え、コスプレ中学生がいた場所に光輝く戦士の姿があった。

「な、んだ、あれ。」「まさか、宇宙刑事・・?」

ヨナカの言葉を受けたコスプレ中学生だった光輝く戦士は、ビシッと効果音がつきそうなほどのキレ具合でポーズを決めると、今までで一番に声を張り上げて叫んだ。

「宇宙刑事・参上!!」

「うわあ、」「っち、厄介なのに見つかっちゃったよ。ユウヒちゃん、危ないから、下がってて。」

かっこいいな、この人。なんか、昔見たヒーロー番組の主人公みたいだよ。つい今の今までどう考えても、戦う女の子美少女戦士的な感じだったのに、一気に違うタイプのヒーローになったよ。同じ日曜の朝だけど時間帯がちょっと早くなったよ。

 そんな私のテンションの高鳴りを知るはずもなく。ヨナカは、悪役らしくちょっと顔をコスプレ中学生だった光り輝く戦士から背けて地面に向かって舌打ち。それから、腕を組んで足を肩幅に開いて私に背中を向けて高らかに叫ぶ。

「それで?まさか俺を倒す、なんてバカなこと言わないよね。お前一人でいったい何が出来るって言うのよ?」

どこまでも悪役。ヨナカの言葉にいったいどう返してくるのかと思ったけど、私よりもよっぽど高い背丈に隠されて向こうのコスプレ中学生だった光輝く戦士は見えない。ジャンプすれば見えるかと思うけど、下着が危うく見えそうなこの前開きの服でジャンプは危険極まりない。そもそも、この騒ぎを聞きつけて周りの家の人とか出てきたら、私お嫁に行けない。いや、見られた人のところに寧ろお嫁に行くよね。行けないというよりも、行き先が決定してしまう。

「宇宙刑事をなめないで。たとえこの身が滅びようとも、あんたの悪行は私が止める!!」

うおお、なんかかっこいいよ。姿は見えないけど、聞こえてくる声だけでなんとなく絵が想像できる。今、きっとすごいかっこいいBGMが入ってるよ、ドラマとかだったらね。

「上等、雑魚風情が付け上がるなよっ」

最早、悪役。ヨナカが思いっきり低い声で絞るように叫ぶと同時にゆらりと黒いオーラとともに空気に溶けるように消えた。私は、もう目で追うのは無駄だと理解していたため、これ以上は諦めようと誰に言うでもなく呟いて家に帰ることにした。

 家に向かう数歩の間にも、視界のあちこちで金色と黒の光がぶつかるように散っていた。どっかん、ばっこんと聞こえてくる派手な音に何事かを叫んでいる怒号のような声。なんで誰も気づかないのだろうと思うくらいの非日常に背を向けながら私は歩く。

どっちが勝ってもいいけれど、もう私に構わないで欲しいな。破けてしまった服を摘みながら、そんなことを思っていた。


 「やっと、みつけた。」

電柱の影に隠れるようにしながら、私は頭上で繰り広げられている激しい攻防戦を見つめていた。住宅街の家々を足場にしながら、軽やかに飛ぶように場所を入れ替え位置を入れ替え戦っている二人。一人は全く見たこともない金色の気持ち悪いピカピカ野郎だけど、私のこの輝く瞳に映っているのはただ一人の方だけ。

 そう、まるで乗馬に勤しむ貴公子のような麗しい殿方。長くしなやかな足が、ステップを踏むようにあぁ、そのロングブーツに私も踏まれたい。下敷きにしてほしい。抑えきれない興奮で鼻息が荒くなる私を見止める人はなぜか今はいないのが幸いでもある。

「それにしても、いったいこの町の人たちはどこにいったのかしら。さっきから、一人も見かけないのよねえ。」

電信柱に手を添えながら、後ろを横を前を見る。人の姿どころか人の気配すらさきほどからしない。ひょっとしたら、異空間にでも迷い込んでしまったのかしら。そう、少しだけ不安になるけれど、私の目はまた吸い寄せられるように頭上で繰り広げられる戦いに向く。

 「ちょっと、ちょっと、あんなに自信気だったわりには大したことないじゃん。勘弁してよね、その口先だけっての。」

聞こえてきた殿方の声に、私の体は頭の先からつま先まで電気が走ったように痺れてしまう。ゾクゾクと快感に似た気配に私は危うくエクスタシーを叫んでしまいそうになる口を自分の手で慌てて押さえる。そんなことをしたら、あの麗しの貴公子さまに見つかってしまう。もし、それであのピッカピカ野郎に万が一でも攻め入られて麗しの貴公子さまがピンチになってしまったら、私はどう謝罪したらいいのか。身体でお支払いしたらいいのかしら、だとしたら私喜んで今すぐ身体でお支払いに行くのに。分割でも一括でも。

 私の心も身体も、あの麗しい貴公子さまに夢中なの。年甲斐もなくまるで恋する乙女のように朝から晩まで考えることといえば、あの麗しい貴公子さまに上から下まで舐め回されしゃぶりつくされる・こ・と。イケナイ妄想と知りながらも、だって止まらないんですもの。仕方ないじゃない。恋をするのは、イケナイことじゃないでしょ。

 出会いは、突然にまるで月曜九時のドラマのように訪れたの。

あれは、ある晴れた日。まるで二人の出会いを祝福するように、本当に気持ちがいい日だった。家にいる可愛い子供のために美味しいお菓子を作ろうと買物に出かけた帰り道。

「あら、」「おい、あぶねーな、おっさん。前見て歩け!!」

けしからんチャラチャラした金髪の若者が、前も見ずに曲がり角を曲がって私にぶつかった。私は、鍛え抜かれた自慢の筋肉と用兵時代の反射神経で荷物を落としただけで済んだけど、スマートフォンに集中していた若者は情けなく派手に尻餅をついていた。

「大丈夫?ごめんなさいねえ、私は転ばなかったけど。」

「うるせえな、何調子乗ってんだよ!!」

丁寧と優しさをモットーとしている私は、その若者にそっと手を差し出した。それにも関わらず、若者はだらしなく地面に座ったまま私を攻め立てるように怒鳴る。

 いやだわ、本当。私だって、怒るわよ、ぷんぷん。そんなことを思いながら、さてどうしたもんだろうか。と少し困っているときだった。

「君、滅茶苦茶言うねえ。」

まるで春の優しげで華やかな香り漂う風のような声でした。私の耳を吹き抜けるようにその声が、いつの間にかすぐ目の前にいた交番の人から発せられていた。

「なんだ、お前!いつからいたんだ!!」「す、すいません。なんでもないんですよ。」

警察の人は何も悪いことをしていなくても、見るだけで少し後ろめたい気持ちになってしまう。私は、慌ててしゃがみ込んで座り込んでいる若者を立ち上がらせようと腕を掴む。若者は予想以上に軽くて力を入れる必要もなくあっさりと立たせることができた。

「な、なにすんだよ。いてえな!」「あら、ごめんなさい。そんなに力を入れたつもりはなかったんだけど。」「大丈夫?お怪我は、ありませんか?」

掴んでいた腕を振り払うようにして離れていく若者に少し怒りが沸いてきた私の心を読んだように、警察の方が素敵な優しい笑顔で私に尋ねる。まるで若者が見えないかのように、一心に私を見つめるその涼やかな瞳に見つめられただけなのにくらりと甘い眩暈。

「なんだ、やんのかっ!?」

粋がった若者の拳をひらりとステップを踏むように軽やかな足捌きでかわすと、警察の方は長い指で若者の額を弾いた。でこピン、そう思った途端に若者はまるで関取に張り手でもされたように道の端まで飛んで行ってしまった。

「あら。なんて強いの!!」

「あんま俺を怒らせないでくれるかな。俺、今とってもご機嫌なんだよね。」

慌てて立ち上がった若者は、何事かを遠くから小さな声で喚きたてると一目散に駆けて行った。だけど、私の目には目の前で若者に向かって楽しそうに手を振る警察の方に釘付け。あの身のこなしは、普通じゃない。私の胸が、まるで初めて恋をしたうら若き少女のようにトクントクンと甘い音を刻む。

「あ、ありがとうございます。あの、おま、お名前は?」

もじもじしすぎて噛んじゃったわ。もう、おまって何よ。ほんとうに、恥ずかしいわ。なんて赤くなる頬を隠すように両手を当てて俯く。結構背が高い私よりも少し背の高いその警察の方は、若者がいなくなったのを確認して私の方を振り向いた。

「名乗るほどの者じゃないよ。この町から、ああいう連中を消したいだけ。小さな悪意にも触れさせたくないんだよね。あの子には、」

俯きながら言われた言葉は小さな声すぎて私は聞き取れなかった。それでも、私は囁くようなその吐息だけでゾクゾクと体の奥が疼くのを感じた。機動隊を出して私の一番奥まで突入してほしい。すぐに陥落しちゃうんだから、おねだりしちゃうんだから。

「本当に助かりました。ありがとうございます。」

「どういたしまして。それじゃ、本官はこれで。」

きゅっ、と帽子のつばを長い指先が撫でるように掴んで被りなおす。それから、口元が緩やかに上がって、ああ、その唇に私の唇を押し付けて舌を絡めたい。警察の方は、コツコツとブーツの底を鳴らしてまるで中世の貴族のように優美に歩いていった。

 それから、同じ道を通っても近くの交番に行っても、あの麗しい中世の貴公子さまに出会うことはできなかった。ひょっとしたら、あの方は警察ではなかったのかもしれない。あの身のこなしは只者じゃなかった。もしかしたら、何か別の仕事をしているときにたまたま私が困っていてつい助けてしまったのかもしれないわ。だとしたら、なんて私は罪作りなんでしょう。だって、そのせいであの麗しの貴公子さまが殺されでもしていたら。

 そんな不安を毎日毎日抱いていた。それなのに、今日という日は突然やってきて。運命の再会を運んだ。今日もまた、家に住み着いてしまった可愛い子供のためにお菓子を作ろうと買物に出た帰り。何かに導かれるように入った住宅街。私は、見つけてしまった。

 光の速さに等しかったけれど、私の鍛え抜かれた動体視力には確かに見えていた。屋根の上に立つ、愛しい愛しいあのお人の姿が。あの日と違う服装だったけど、それも似合っていてとっっても素敵。はああ、食べて欲しい。

「鬱陶しいから、この辺で退散してもらおうかな。弱いくせに粋がるなんて本当、うっざいよね。それじゃ、バイバイ宇宙刑事さん。」

麗しの貴公子さまが声高らかにそう言うと、気持ち悪いピカピカ野郎に向かって足を振り上げた。最早、勝負がついていたその瞬間に、その蹴りでピカピカ野郎とその後ろに落ちていた何かの形をした重量がある物体は、空高くに舞い上がって見えなくなった。

 あぁ、これでふたりきりだわ。そう思ったのもつかの間。地上に目を落とすとそこには、麗しの貴公子さまどころか、戦いの後すらなくなって変わりに、さっきまでの静けさが嘘のように住宅街に人の気配が戻ってきていた。

「あら、やだ。麗しの貴公子さま?どこに行ってしまったの?私は、まだここにいるわよ。貴公子さまああああ!?」

絶叫するように名前を呼ぶけど、私の愛に応えてくれる人はいなかった。

「諦めないわ。絶対に、麗しの貴公子さまと肌を重ねるまで諦めないんだからああ!!」

住宅街に木霊する私の声に、一瞬だけ人の気配が冷えた気がしたけど、気のせいね。早く帰って可愛い可愛い小さい同居人にこのことを報告して一緒にお菓子でお祝いだわよ。


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