第八章


 何かが崩れる音がします。それと同時に耳を塞ぎたくなるほど痛々しい獣の鳴き声と人の争うような声がします。荒々しいその喧騒に少女は引き裂かれるように眠りから覚めました。

「・・・いったい、何の音?きゃあっ!!」

身を起したベッドは、つい先日眠りについたままのそれでした。そのことを懐かしく思う間もなくお城全体がドンっと揺れバラバラと天井から砂が降ってきます。争う声、騒ぎたてる声、そして何かが壊れる音が遠くでしています。

「お城に誰かが入っているんだわ。それに、まさか、」

少女の頭にとても不吉な考えが過ぎりました。それを打ち消すようにベッドから降りると着替えもせずに少女は部屋を飛び出しました。そうして音のする方に駆け出しました。

「時計さん!!ろうそくさん!!ポット夫人、ティー!!」

いつもなら、誰かがいるはずの廊下はシンと静まり返ってまるで廃墟のようです。あんなに温もりに溢れていたお城がなぜか冷たく知らない顔をしているのです。

「チェア!!ナイトさん!!・・・・野獣さん!!!」

恐怖で縺れる足をなんとか動かしてたどり着いた広間を開けるとそこには前のように灯りなどともっておらず、それどころか床には壊れたカップや皿が散乱していました。

「そんな、どうして、こんな、」

「その声、もしかして・・姫さま?」

散乱した皿の中から聞こえてきた小さな声はポットのものでした。少女は慌てて声のしたほうに行くと膝を折ってその姿を探しました。

「ポット夫人、ポット夫人。教えて、いったい何があったの?」

「・・・あぁ、なんて嬉しい。こうして、消えてしまう前に、あなたに会えるなんて。あぁ、顔をもっと良く、見せてください。あぁ、姫さま。」

見つけ出したポットは注ぎ口が割れ、真っ白だった陶器の肌はところどころが黒くくすんでいました。少女は震える声でポット夫人、と先を促すように言いました。

「何から、話していいのか。死神がやってきて、その間にどこからか男たちが攻めてきて。私にそんな、時間が、ありません。ご主人さまが、電波姫さま、どうかご主人さまを。」

それだけを搾り出すように言うと、ポットはすうっと目を閉じました。それは静かに眠るようでした。その余りの穏やかさに少女はポットが消えてしまったということに気がつきませんでした。

「・・・・あぁ、ここの広間にいる人たちはみんな心が無くなってしまったんだわ。」

 少女は、広間を飛び出して廊下を走りました。少女がいなかった数日でこんなことになっているなんて想像すらしていませんでしたが、一番に気がかりなのは野獣でした。あんなに夢の中で呼んでいたのは、きっとこれが原因だと少女は確信しました。

「野獣さん!!野獣さん!!どこなの!?」

途中、横切った玄関にはバリケードのように大きな家具や彫刻が積み重ねられていました。まわりには鉄砲で撃たれた穴や壁に刺さったやりが見えます。いったい、何があったのか少女は不安と恐怖で零れる涙を拭いながら必死に走りました。

 ベッドにいるときに聞こえていた獣の叫び声はよく聞けばガーゴイルのもののようでした。人の叫び声もすることからどうやら、庭で争っているようです。ドンドンと揺れるバリケードはもう何分も持たないでしょう。

「早く、早く見つけないと。」

何度も転びそうになるのをなんとか持ちこたえながら、少女は野獣の部屋に向かって走ります。ポットの言葉がどうしても気になります。夢の中で呼んでいた野獣の声が気にかかります。なんでもいいから、早く野獣に会ってなんでもないんだと頭を撫でてもらいたい。

「でんでん!!」

聞きなれたそんな声がしたかと思うと少女の体が引っ張られました。揺れた体がカシャンと硬い金属にぶつかると同時に少女が曲がろうとしていた廊下の向こうを真っ黒い影が横切りました。

「あれは、死神!?」「声、出すな。」

死神は何かを探すようにしばらくその場で動いた後、何もなかったように見えなくなりました。少女は、背中がひやりと冷たくなるのを感じながら騎士の言いつけどおりに必死に口を押えて声を出さないようにしました。

「・・・・もう、大丈夫みたいだな。あいつ、お前がいなくなったことを知って激怒してさ。あの人やら俺たちやらに八つ当たりしてきたんだよ。」

酷いもんだ。そう言って放れた騎士の体はところどころに傷がついて色が淀んでいます。

「それじゃあ、このお城の異変も死神のせいなの?野獣さんは、どこにいるの?ナイトさん、私、野獣さんの部屋に行きたいの。」

騎士は、切羽詰った少女の様子をしばらく無言で見つめていましたが、カシャカシャと首を振ると少女の手を掴みました。

「じゃあ、急ぐか。説明は歩きながらするから。ついて来い。」

 小走りで廊下を移動しながら、騎士は少女が家に帰った夜から話を始めました。その夜から死神があちこちに現れては城の住人を壊して歩いていること。それに対して野獣はできるだけ自分が死神の攻撃を引き受けて城の者を守ろうとしていたこと。その行為は今までの野獣からは想像できないことだということ。そんな中、城に人間たちが攻めてきたこと。人間たちは城のことを知り尽くしていてあっという間に城の奥まで入ってきたこと。それを傷つきながら野獣が退けたこと。そして、それでも人間たちの手によってなんとか死神の猛攻から逃げていた住人のほとんどが、消えてしまったこと。

 あまりのことに少女は走りながらポロポロと涙を流していました。そうして、どうしてもっと早く城に帰って来なかったのだろうと自分を責めました。

「あんたのせいじゃないけど。でも、今まで人間があんな風に城に入ってくることはなかったんだ。だから、ひょっとしてあんたが原因じゃないかって。あの人はそれでもいいとか言ってたけど、俺はどうしても信じられなくて・・・あんた、俺たちのこと、」

騎士の言わんとしていることを察した少女は、否定しようと口を開いてすぐにある可能性を思いつきました。

「まさか、そんな、でも、・・・お姉さまたちがっ、」

少女がこのお城のことを話したのは限られた人だけです。そして、そのうちそんな大人数の部隊を動かすことが出来るのは、彼女たちしかいません。

瞳を大きく開いて驚愕の表情を浮かべる少女を見つめ、騎士はなんとも言えず溜め息を吐きました。止まっていた涙がボロボロと少女の頬を伝い落ちて行きます。

「言ったんだな。ま、言っちまったもんは仕方ない。別に口止めしてたわけでもないし。あんたが俺たちを裏切ったわけじゃないなら、本当にそれでいい。泣くな、でんでん。」

カタカタと唇を震わせて謝罪する痛々しいほどの様子から視線を外すと騎士は少し歩調を緩めました。廊下のすぐ先、突き当たり、美しい彫刻と大きな扉。野獣の部屋です。

「ごめんなさい、私、」

「いいから、行け。俺はここで見張っているから。」

騎士に背中をトンと押され少女はつんのめりながら、扉に近づきました。騎士は、こっちをみないまま、シッシと手を振っています。少女は、戸惑いながらも素直に野獣の部屋に入りました。

「野獣さん、野獣さん!いるの!?」

入った部屋は前に来たときと同じなのに、誰の気配もしない部屋はただ広いだけで恐怖を感じさせます。少女は、それでも何か手がかりはないかとパタパタパタパタと部屋の中を走り回り、震える声で野獣のことを呼びます。

「いない。そんな、どうしたら、私、野獣さん!!」

途方に暮れ、涙を流し叫んだ声に反応するように壁の鏡が光りました。つられるようにそちらを見ると、大きな鏡が歪んで何かを映そうとしています。

「鏡、そうだ、この鏡なら、お願い、野獣さんの居場所を教えて、私、野獣さんに会いたいの!!」

縋るように鏡に触れると、その声に答えるように鏡は歪み、一つの映像を映しました。それは、どこか川の流れる草原の上に横たわる野獣の姿でした。その身体は傷つき、呼吸は浅く今にも途切れてしまいそうです。

「野獣さん!!どうしたら、ああ、いったいどこにいるの?野獣さん、野獣さん!!」

取り乱し、泣きじゃくる少女の頭に不意にいつかの野獣の言葉が響きます。

 落ち着くんだ、電波ちゃん。ここで取り乱しても事態はなんら解決しないよ。深呼吸をして脳に空気を送り込んで。さあ、考えて。どうしたらいいか、考えて。

「どう、したら、いいか。考える、」

ひくひくとしゃっくりをしながら、少女は必死に深呼吸をしました。そうして必死に働かない頭を動かしてどうしたらいいのかを考えました。

「野獣さん、怪我をしている。早く手当てをしないと。だけど、だけど、場所が・・・場所、が、・・・」

言いながら、野獣の眠る景色をじっと見つめました。何かが、脳のシナプスがパチパチと音をたてて繋がっていくようです。

「わかった!!わかったわ!!大丈夫よ、野獣さん!!私、すぐに助けに行くわ!!」

少女はそう叫ぶと一つ跳ねるようにして野獣の部屋を飛び出しました。廊下には、くたびれたように壁に背を預ける騎士の姿がありました。

「んお、でんでん。行き先は決まったみたいだな。」

「ナイトさん、お疲れのところ悪いけど、もうひと護衛してもらえるかしら。」

「はは、お安い御用だって。俺がしっかり守ってやるよ。」

騎士は高らかにそう宣言するとカシャンと膝を折って少女の前に跪きました。そうして恭しく少女の小さな手を掴みました。

「裏の庭に行きたいの。場所は私が知っているわ。」

「どこへなりと、お姫さま。」

少女の命に従うように、騎士はその手を掴んで走り出しました。

 カシャンカシャンと鳴る音が、静かな廊下に響きます。どこまでも、どこまでも静かな廊下はどこまでも長く長く続いています。

「ここ、ここの階段の下よ!」

「マジか。この辺りは俺の庭だと思ってたけど、まだ知らない場所があったとか驚きだ。」

「とっても小さい扉なの。だから、」「しっ、」

するり、銀色の光りが瞬いて口元にひんやりとした金属が宛がわれます。少女は咄嗟に口を閉じましたが、わずかに舌先に鉄の味が残りました。

 騎士に抱きすくめられるように隠れた曲がり角の向こうには、バリケードを突破したらしい武器を持った人が大勢進んできます。どうしようか、と逡巡していると少女の背筋がゾワリと栗立ちました。

「ナイトさん!!」「げ、タイミングが最悪すぎるだろ。」

目だけを動かしてそちらを見れば、今走ってきた道が真っ暗な闇に飲まれています。ふわりふわりと輪郭を持たない死が迫ってきているのです。

「しょうがない。ここは俺様に任せろ。お前はあの人のところに行くことを優先させろ。いいな?でんでん。」

「え、だけど、それじゃあナイトさんが、」

言いかけた少女の言葉を遮るように騎士は、曲がり角に少女を抱きしめたまま飛び出しました。さっきまでいなかった物が視界に現れ、そこにいた全員が一瞬だけ全機能を戸惑いで停止させました。その瞬間、騎士は腕に抱いていた少女を突き放すように階段へ押しました。少女の身体はいとも容易く騎士の手を放れ、何かを言う間もなく転げるように庭に続く階段を降りていきます。

「行け、でんでん!後は全部、お前に任せた。」「ナイトさん!!!」

一瞬の静寂を破るように聞こえた騎士の叫びは、続くように爆発した怒号と悲鳴に掻き消されて聞こえなくなってしまいました。

 後は全部、お前に任せた。騎士の言葉が少女を励ますように頭に響きました。

「任されたんだわ。私が、行かなきゃ。」

少女は気合を入れるように一言呟くと、庭に続く扉を開けました。ギギッと音がして前に一度来たときと同じように咽返るほどの薔薇の香りがまるで少女を拒絶するように開けた扉から溢れてきます。

 目が眩むほどに真っ赤に咲き誇ったたくさんの薔薇が、痛々しいほどの美しさで少女を責め立てます。それから逃れるように俯いた少女の目に、地面に点々と落ちる赤い血液が映りました。

「これ、きっと野獣さんのだわ!!やっぱり、やっぱりここに野獣さんがいるんだわ。」

閃くように少女は叫ぶと、まるで道しるべをするように伸びる一筋の赤を追いかけました。 

 やっぱり、野獣さんの血も赤いのね。少女は走りながら、不意にそんなことを思いました。だって、野獣さんはとても優しかった。姿は野獣だったけど、でも、心はとても優しくて穏やかで、なのに少しだけ意地悪で、私は野獣さんと一緒にいると楽しかった。吐き出したため息とともにポロポロと涙が頬を流れて視界が滲みました。

「野獣さん!!!野獣さん!!」

たまらず、熱い思いを吐き出すように少女は叫びました。自分の中にある感情が、想いが、不安定すぎてどうしていいかわからないのです。

「やじゅうさんっ!!!」

さわさわと流れる小川のそば。一度だけ、野獣がその瞳に欲を滲ませ、想いを零した場所に野獣は横たわっていました。鏡に映ったのと同じ、ぐったりと力なくその身を投げ出していました。浅い呼吸で上下する腹部は怪我をしたのか、真っ赤に染まっています。

「野獣さん!!あ、血、が、野獣さん!!!」

「・・・で、電波、ちゃん?」

 縋るよう野獣の体に駆け寄って声をかけると、閉じられていた瞼が僅かに震え、やがてゆっくりと開きました。しかし、その瞳にすでに光はなくさ迷うように左右に揺れた後、またゆっくりと閉じてしまいました。

「野獣さん!しっかりして、ダメ、ダメよ。死なないで、嫌よ。いやよ、野獣さん!!」

「電波ちゃん、戻ってきた、のか?・・全く、とんだ、じゃじゃ馬娘だね。」

じわり、じわり、まるで野獣の体から命を流すように赤が広がっていきます。少女は、その小さな手で傷口を押えますが、あまりに深いそれは少女の必死さをあざ笑うかのように悪戯に少女の手を濡らすだけでした。

「野獣さん、死なないで、死なないで、お願い。お願い、いなくならないで。私のそばからいなくならないで。お願い。野獣さん、野獣さん、」

ポロポロ、とめどなく流れる涙が少女の頬を濡らしていきます。その涙を、そっと野獣のふわふわの指が探すように拭いました。確かめるように頬を撫でるその手は、力が入らないように触れて撫でるだけでした。薄っすらと開いた口から、鋭い牙が覗きます。

「君を、この牙で・・・かみ殺してしまえば・・・良かった。」

「何を、言っているの。こんな時に。野獣さんはそんなことしない。どんなときも優しくて温かくて、私を大事にしてくれたわ。」

「そう、だね。私は、」

 何度も、君に爪を立てたいと思った。何度も、君に牙を立てたいと思った。その柔らかい肌に心に傷を残したいと欲した。まるで野獣のような欲求を、君は知らない。そうしてこのまま、何も知らないままでいい。野獣は、ため息のように深く息を吐き出すとそのまま眠るように息を止めました。

「野獣さん、しっかりして。嫌よ、いなくならないで。そばにいて。私、私、あなたを失いたくない。失いたくない。」

少女は野獣の体に縋るように覆いかぶさるように泣きました。

「私、愛してるの。やっと、やっと、わかったの。私、野獣さんのことを愛しているの。」

叫ぶように吐き出した感情のままに、少女は野獣の唇にキスをしました。閉じられた唇から覗く牙が僅かに冷たく少女の唇に触れました。

 どれくらいの時間が経ったのでしょうか。少女は唇を放して呆けたように横たわったままの野獣を見つめていました。

「悲しいのですね。あなたは本当にこの怪物を愛しているのですね。」

少女の後ろにいつの間にか立っていた老婆が、驚いたように静かに呟きました。少女は、僅かに顔だけを動かしてその姿を見ました。どこかで聞いたことのある声です。ですが、それがどこだったか、どうしても思い出せませんでした。

「この醜くい怪物を、心から愛しているのですね。ベル、」

「・・・はい。私、ようやく気がついたのです。でも、でも、遅かった。私がもっと、早く気づけば、野獣さんは・・・野獣さんは、」

止まらない涙を拭いながら、少女は横たわったままの野獣を見つめました。後ろに立っている老婆は、その様子を黙って見つめていましたが、やがて慈愛に満ちた声で囁きました。

「この醜い怪物は、私の術で化け物にされていました。そして、この者を心から愛してくれる者が現れたときにその術が解けるようになっていたのです。」

その声はあまりに穏やかで少女は、野獣から目を放して後ろにいる老婆を見つめました。その瞬間、野獣の体が眩しい光を放ちました。

「え、」「さあ、ベル。お前の愛が、彼をそして城を救うよ。」

庭の薔薇が一斉に咲いたかと思うと、真っ赤な風が野獣と少女を包みました。

「・・・っ!?」

凄まじい衝撃に少女は目を閉じました。体がふわりと浮いたような感覚に近くにいるはずの野獣を探しましたが、不安定な竜巻の中ではうまく体を動かすことはできません。

「野獣さん!!どこ、野獣さん!!」

叫ぶ声がわずかに響いているのを聞きながら、少女はいったい何が起こっているのかと必死に考えました。

「・・・ここは、ひょっとしてダンスフロア?」

薔薇の花びらが消え、舞い降りるように着地した場所は少女の知っている場所でした。キョロキョロと戸惑うように辺りを見回すと少女は思い出したように野獣の姿を探します。

 そこに野獣の姿はなく、ただ美しい栗色の髪を流す、整った顔をした青年が眠っていました。閉じられた瞼が、僅かに震えると眉を寄せて目を開けました。

「・・・ここ、は?」

「誰?なに?どうゆうこと?なに?え、誰?野獣さんは?野獣さんは?」

「何を、言っているんだい電波ちゃん。私なら、」

涼やかな目元が、楽しそうに細められ青年は少女に手を伸ばし、不意に己の手を見つめました。それから、驚いたように手を、腕を、体を、確かめるように弄りました。

「野獣さん、それにあのお婆さんも、何がどうなっているの?」

ぱちぱち、ぱちぱち、戸惑いをそのまま体言したような少女の様子に同じくらいに慌てた青年が半身を起して少女の小さな身体を抱きしめました。

「電波ちゃん、君は本当にっ、本当に最高のじゃじゃ馬娘だよ。」

「え、ええ!?あ、れ、あなた、」

抱きすくめられたその腕の中はほんの少し獣の匂いがしました。それは、懐かしいあの人のものです。少女は、驚いたのと混乱しているので抵抗するのも忘れ、青年の腕の中であわあわと顔を真っ赤にするだけでした。

「元に戻ったからって調子に乗るんでは困るよ。」

 すぐそばからそんな声がして少女と野獣は驚いたように身を竦ませました。いつの間にいたのか二人の後ろには老婆が立っていました。老婆は、手に一輪の薔薇を持っています。

「あ、あなたはさっきのお婆さん。」「・・・、」

「どうだい。人間も捨てたものではないと思えたのだろう。ならば、王子よ、あなたの罪を許します。その変わり、その少女をきちんと幸せにするのだよ。」

一輪の薔薇は、蕾をゆっくりと開いていきます。それに合わせるようにしてだんだんと城に光りが温かさが満ちて行きます。それを呆然と見つめながら、少女はふとダンスフロアに人が現れているのに気づきました。

「・・・お父さま?それに、ボロにお兄さまも。」

 現れたのは、ついさっき別れたばかりの少女の家族でした。それに、見たことのない青年や夫人、それに子どもまでいます。どの人も自分の姿を見ては驚いたように嬉しそうに息を飲んでいます。少女はどの人物も知らないのに、なぜか無償に懐かしい気がしました。

「あれは、・・・・・!!」

すぐ横にいる野獣もその居並ぶ人々を見て驚きの声をあげていました。

「ベル。お前の姉妹はこの醜い化け物と同じくらいに醜い心を持っているんだよ。お前をこの化け物に食わせるだけでなく、この化け物を殺してこの城の金目の物を自分たちで独占しようとしていたんだ。そんな醜い心の持ち主をこの城に住まわすのは嫌であろう?ならば、彼女らが己のしたことを反省するまで石造にでもしてお前らの幸せを見守らせるかな。」

老婆の言葉に少女は慌てたように姉と妹を見ました。ダンスフロアの隅に姉妹は戸惑うような表情で立っていました。突然、呼ばれたのですから無理もありません。

「お、おばあさん、待ってください。お姉さんたちは悪くありません。私が、私の意志で中々帰らなかったのです。だから、だから、お姉さんたちを許してあげてください!」

 少女は慌てたように老婆にお願いしました。老婆はそれをじっと見つめながら、困ったように目を細めました。

「ベル。お前は本当に優しい子だね。お前のその優しさに免じて許してあげよう。だけど、いいかい、今度はないと思うんだよ。お前たち。」

老婆の言葉に姉妹はしばらくぶつぶつと何かを言っていましたが、やがて悔しそうな顔をしてダンスフロアを飛び出していきました。少女は、その後ろ姿を悲しそうに見つめて小さくため息を吐きました。そんな少女の横顔を覗き込んだ野獣は、コホンと一つ空咳をすると、少女の手をそっと自分のそれで包みました。その手は、もう鋭い爪はなく少女の真っ白な肌を傷つける心配はありません。

「改めて。はじめまして、電波姫。私と・・・俺の、妻になってくれるかな?」

「や、野獣、さん、なのね?え、でも、だって、耳も牙も、尻尾も、ないのに。」

見つめた顔は、見慣れた耳も牙も鬚もありません。ですが、確かにその茶色の双眸はどこまでも優しく少女を見つめています。何度も、射すくめられたその瞳が確かに少女を見つめています。

「耳も、牙も、尻尾もない私は嫌いかい?」

 おどけたように知っているように、野獣だった青年は涼やかな目元を三日月にして薄い唇を上げて尋ねました。少女は、今まで見たこともないその表情に戸惑いながらそれでも、野獣だったときと同じように意地悪を楽しんでいる野獣を見つけてなんだか安心したような嬉しいような気持ちになりました。

「・・・本当に、野獣さんってば意地悪だわ。」

少女が顔を真っ赤に染めて俯いたのを見つめながら、青年は実に嬉しそうに喉の奥で笑いました。

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