第三章


 少女は今、少しだけ困っていました。あの日から数日、野獣とはケンカもなく一日本を読んだり、城中の探検をしたりピアノを弾いたりする日々が続いていました。

そして今日、初めてジャック側の探検に乗り出したのですが、昼であればあちこちにある傷跡もあまり怖くはないのですが、

「・・・あ、の、」

今日は、カップは洗浄される日でいないのでいつものように椅子を連れているのですが、特に紐をつけているわけではない椅子はわふわふといつの間にかどこかに行ってしまい、それを探すように開けたロッカーの中には銀色に光る騎士の鎧が入っていました。それについ手を触れてしまったのがいけなかったのか、途端にびくんと騎士の鎧が動いたのでした。そうしてガチャガチャと音をたて一歩、一歩と少女との距離を詰めてきます。

「あぁ、アンタがこないだ来たって奴?へええ、俺に触るなんて一体誰かと思った。」

ガチャガチャと音を立てながら、騎士の鎧が顔と思われる場所を寄せて少女を見つめます。

「あ、あの・・」

「人間なんて久しぶりに見たな。ちょっと叩いてみてもいい?」

「いすいす!!」

「うわ!!何でこいつがここにいんだよ!あっち行け!!」

少女の頭に手を伸ばしていた騎士の足元に椅子がじゃれつくと、驚いたのか騎士が派手に尻餅をつきました。少女は驚いたのと怖かったので何も言えずにただぽかんと口を開けてその様子を見ていましたが、やがてハッとしたように目の前で立ち上がるのに難儀している騎士に手を伸ばしました。

「だ、大丈夫ですか?騎士さん、」

「いって。ありがと・・アンタ、なんだっけ・・で、でんわ?」

「はい?・・・で、でんわですか?」

違うか、なんだっけ。そう考えながら騎士は少女の小さな手を力の加減に気をつけながら握りました。

 触れた騎士の手は、ひんやりと冷たく、力を入れてもその体は重く引っ張ることは難しく思えました。

「でんち、でんげん・・・でんでんむし・・でんき・・あ、でんき?」

「??」

ようやく立ち上がっても、騎士は一人でぶつぶつと何かを言い続けていましたが、やがて諦めたのか、ガチャガチャとまた体を鳴らして少女を見ました。

「あの、私のことを知っているんですか?」

「あたりまえじゃん。ここらの美術品の間じゃ有名だぜ。アンタがきてからあの人に引っ掻かれることが増えたって。」

「・・ええ!?そ、そうなんですか。・・ええ?!騎士さん、絵の話がわかるんですか?」

「うん。だって、同じだもん。俺とこの絵とか。なんつーの、美術品仲間?」

「す、すごいですね。じゃあ、あの謝っておいてください。その・・引っかかれたり、」

「あぁ、嘘。そんなことは言ってないよ。」

「ええ!嘘なんですか?」

「うん。でも話しができるのは本当。」

得意気に言う騎士を見つめていた少女の足元では椅子が不満げに座っていました。時折、思い出したようにパタパタと尻尾を揺らすように端についた紐を揺らすだけで一声も鳴きません。

「んで?アンタ、あの人にでも会いに行くつもりだったの。こんなとこまで一人できて。もう帰りたくなった?」

「あ、いえ。今日はこっち側の探検をしようかと思いまして。向こう側はもう見尽くしてしまいましたので。」

「探検?この中を?ははっ、アンタ本当おもしろいね。」

チャチャチャ、笑っているのか騎士が軽やかに体を揺らしました。それから、何かを考えるように顎に手を当て、騎士は少女をじっと見つめました。

「あ、あの、」

いちいち、なんだか距離が近い騎士さんだなあ、と少女は思いましたが、キラキラと光る銀色に映る自分の姿を見つめていました。

「いいよ。じゃぁ、俺が案内してやるよ。つっても、こっち側は向こう側みたいに部屋がたくさんあるわけじゃないけど。美術品とか倉庫とか、そういうのしかないよ。」

おいでおいでと、手招きすると騎士はさっさと動き出しました。

「ありがとうございます、騎士さん。」

「・・その騎士さんって、何か岸さんみたいでかっこ悪くね。あー・・ナイト。ナイトって呼べよ。姫様を守るナイト。かっこいいだろ?」

「はあ、わかりました。ナイトさん。」

少女がそう言うと騎士は満足そうに数回頷いて歩きだしました。その後ろを椅子と一緒に歩きながら、少女はナイトだって内藤さんみたいだな、と思いましたが口には出しませんでした。

 騎士の言ったとおり、廊下を歩いても壁には引っかかれたり、破れたりした絵や彫刻が置いてあるものの、部屋の入り口のようなものはありませんでした。

「本当にこっち側には部屋がないんですね。」

「まぁな。こっちはそういう場所だし。あ、おい!!こっちくんなって!!あっち行けよ!!」

「いすいす!」

「おい!もー、こいつとはもう一生会わないと思ってたのに。」

くるくると騎士の足元をじゃれるように歩く椅子を避けながら、蹴飛ばしながら騎士は心底嫌そうな声で言いました。

「・・ナイトさんは、チェアのこと嫌いなんですか?」

「俺、犬が苦手なんだよ。」

「・・・犬?」

「そ、犬。」

じっと、少女は足元で尻尾のように紐を振る椅子を見つめました。

「チェアは、犬ではなく椅子ですよね。」

「あぁ、アンタには椅子に見えんのかもしれないけど、俺は昔の犬だった姿を知っているから、椅子じゃなくて犬に見えんの。」

「昔の、姿?」

「そ。ふっさふさでもっふもふの毛の犬だった頃の、わああああ!!来るな!寄るな!あっち行けよ!!!」

「いす、いすいす!」

ガチャガチャ、ガチャガチャ、ガチャーン。目の前で騎士が椅子にじゃれつかれ、またしても派手に転びました。少女はまた、思考を中断し騎士に駆け寄りました。そうして、椅子を少し遠くに行かせると騎士を、今度は力を入れて起こしました。

「だ、大丈夫ですか。ナイトさん。」

「いってえ!もう、あの犬!!ぜってえ、ぶった切る!!」

「ええ!?そ、それはダメです。落ち着いてください!!」

「いいんだよ。どうせあとちょっとしかないんだから!来い!犬!ぶった切ってやる!!放せ、放せよ、でんち!!」

「でんちじゃありません!落ち着いてください!ナイトさん!!」

今にも椅子に切りかかろうと、持っていた剣をぶんぶんと振り回す騎士の体にしがみつくようにして、少女は必死に止めました。危険を察知したのか、椅子は一度大きく吼えるとくるりと踵を返してパタパタと走って行ってしまいました。

「おい!待て!いぬううう!!!」

「ナイトさん、続き!探検の続きをしましょう!!」

ガチャガチャと騎士の叫びと同じ位大きな音が廊下に響きました。

 ガタン、ぎぎぎっと扉は苦しそうな音を出して開きました。まだ昼だというのに、覗き込んだ部屋の中は薄暗くて何があるのかほとんど見えません。

「でん・・・でん。ランプとか持ってる?」

「(で、でんでん!?)、持ってます。時計さんたちがお昼ご飯と一緒に持たせてくれますから。・・あ、そうだわ。お昼。私、まだお昼を食べていないわ。」

「なるほど。んじゃ、飯はあとで外とかで食うとして。ちょっとランプちょーだい。」

「はい。あ、これ、マッチです。」

ランプを受け取ると、騎士は懐かしいなあ。とほんの少し笑ったようでした。硬い指が使いづらそうでしたが、慣れた手つきでランプに火を点しました。

「・・・時計とか、みんな元気でまだいるんだ。」

「はあ。そうですね。時計さんもろうそくさんも、ポット夫人も、今日はいませんがカップのティーもいます。」

「へええ。ちょっと会いたいな、久しぶりにさ」

騎士は呟くようにそういうと、ランプを少女に渡しました。

「ナイトさん?」

「中の物は触ってもいいけど、壊すなよ。じゃぁ、ついてこい。」

「・・・はーい。」

 このお城に住んでいる人はなんだかみんな寂しそうでどこか悲しそう。なぜかしら。

そう思っても、なぜかそれを聞くことができない少女はただ騎士の後について絵や彫刻を見ていました。

「ここにある絵は綺麗なままね。」

「あぁ、ここにはあの人は入ってこないから。俺しか鍵、持ってないし。あの人は誰にも会いたがらないし。」

「・・ふうん。」

少女は何かを聞こうと口を開いて、足元にあったものにぶつかってしまいました。よろけた身体を騎士が捕まえます。

「気をつけろよ。ここにあるの、一応高いんだから。」

「ごめんなさい。何かに躓いちゃって・・」

慌てて足元をランプで照らすと、そこにあったのはどうやら描きかけの絵のようでした。

「この描きかけの絵は?これも、高いの?」

「うん?・・あぁ、これは違うよ。あの人が描いた絵。」

「あの人って野獣さん?」

「違う。あーっと、あの犬の飼い主。・・っと、何になってんだっけ、あの人は。」

「・・・もしかして、ピアノさん?」

「あぁ、そうだったかも。俺らは男爵って呼んでたんだけど。何でもできるんだよ、あの人。音楽に、作詞に、絵に、まあ・・今じゃあ、そのどれもがムリだけどさ。」

描きかけのキャンバスを見つめ、騎士は寂しそうに呟きました。触れるとキャンバスはパタンパタンと軽い音を立てて、埃を吐き出します。

「アンタが知ってるってことは、まだ喋れるってことか。けど、自分が男爵って呼ばれてたことはきっと忘れてんだろうな。俺だってさっきまであの犬のことも男爵のことも、忘れてたし。犬の名前も男爵の名前も、もう全然思い出せない。だいぶこの姿になってたつから・・だろうな。」

「ど、どういうことですか?」

懐かしむように、その存在を確かめるように騎士は彫刻に触れ、悲しそうにその手を放しました。

「この城にいる奴は、本当はもっとたくさんいたんだよ。本当に、たくさんいた。けど、もう・・きっと、半分もいなくなった。考えることをやめたら、ここでは終わりなんだ。一つ一つ、大切なものを失くしていって・・何も残らなかったやつは、ただの物になるんだ。」

「・・・もの、って・・じゃあ、」

「考えることは、生きることなんだよ。俺たちにとっては。」

こつん、小さな力で騎士の指が少女のおでこに触れました。ひんやりとした冷たさの中にだんだんと温かさが広がっていきます。

それは、少女の熱でした。

 お昼を食べるなら、とっておきの場所があるから、と騎士に連れてこられたのは、大きなホールでした。

「・・・ここは?真っ暗ね。でも、とても広いわ。声が響く!!」

「そ。ここはダンスフロア。前はここでダンスパーティーなんかもやってたんだけどな。今じゃ、空っぽさ。」

寂しそうに騎士は呟くと、カーテンを開け、大きな窓をやはり少しぎこちなく指を動かして開けました。

「わあ、バルコニーだわ。すごい広い!!」

「俺が行ける唯一の外。」

寂しそうに切なそうに、バルコニーから騎士は空を見上げました。

 庭いっぱいに広がる美しいバラの花が、風に揺れて、けれどどこか不気味なほど鮮やかに赤く咲いていました。

「綺麗なバラ。」

「・・あのバラの意味、知ってる?」

「意味?」

カシャン、カシャン、静かで広いダンスフロアに騎士の動く音がただ無感情に響きます。

「あのバラの花は、この城にいる俺たちなんだ。全てを失くして忘れて、ただの物になると・・あのバラの蕾が一つ花を咲かす。」

つまり、騎士の頭部がじっと一心に少女を見つめます。鎧の中にある瞳は見えませんが、なぜか悲しそうな表情をしていることはわかりました。

「あのバラの花が、満開になったら・・・この城に誰もいなくなったってこと。あの人以外はね。」

あの人、それが誰を指しているのか。少女はわかっていたけれど口にすることはできませんでした。


 夕方、案内をしてくれた騎士にジャック側のギリギリまで送ってもらいました。そうしないと、迷子になってしまいそうだったからです。それに、夕方になりますます暗さを増した廊下は、一人で歩くには少し怖かったのです。

「俺はもう慣れてっから平気だけど、確かに怖いかもな。・・と、俺が行けるのはここまでだな、久しぶりにこんな端まできたわ。」

騎士は、カチャカチャと体を鳴らしながら懐かしむように辺りを見回しました。それから、なぜかいとおしむように何もない空間に手を伸ばしました。

「この城って、こんなに広かったんだな。俺、忘れてた。」

「そうね。私もビックリしてるわ。だって、このお城はこんなに広くて素敵なのに・・・ここに住んでいるみんなは、そのことに全然気づいていないんだもの。」

いつの間にか、足元に擦り寄っていた椅子を撫でながら少女が呟きました。本当に何も考えずに言った一言でしたが、騎士はそれを聞いてマジマジと少女の顔を覗き込みました。「アンタ、本当に面白いね。・・・もっと早く、アンタが来てくれてたら、この城も、あの人も、違う時間の流れ方をしてたかもしれないのに。」

「・・・どういう、」

覗き込まれた騎士の銀色に、不思議そうな顔をした少女が映ります。しかし、騎士はその問いかけに答えることはせずに、バイバイと手を振り元来た方に歩いていってしまいました。

「・・・明日も、ナイトさんに会えるかしら。」

「いす!いすいす!」

だいぶ完成に近づいている地図が入っている籠をしっかりと持ち直しながら、少女も夕食のために広間に向かい歩き出しました。

 今日も埃だらけになっている少女を見つめ、時計とろうそくは感嘆の声をあげました。

「電波姫は、毎日いったいどんな生活を送っておられるのか。私めには全くわかりません。」

「あら、だってそれはこのお城が汚いんですもの。仕方ないわ。」

さも当然のことのように少女は、埃のついたスカートの裾を摘みながらキッチンに昼食の入った籠を下げに入った。それから、オーブンに言われるまま、手をとてもいい香りのする石鹸で洗いました。

「電波姫さま!それで手をスカートでお拭きになったら何の意味もありません!!こちらに新しいタオルがございますから、こちらでお拭きください!」

オーブンとは、つい先日会ったばかりですが、今まで会ったどの食器たちよりも口うるさく小言をだみ声でガミガミと言うのです。

「・・・私、オーブンさんとはあまり分かり合えない気がするわ。」

だみ声に追い出されるようにキッチンを出ていつもの場所に座りながら、少女は小さな声で呟きました。それを笑って聞きながらポット夫人はいつものように温かい紅茶をカップに注いでいます。

「オーブンさんは、この城でも古株なのよ。私も、このお城に来たばかりの頃はよくお皿の運び方や歩き方で怒られたものだわ。」

「歩き方で!?」

少女の驚きの声にポット夫人は、楽しそうに体を揺らして頷きました。そうしてもう一杯、紅茶を注いだところで九時を知らせる鐘が広間に鳴りました。そうして屋敷中に響き渡るような吼え声が聞こえてきました。

「あぁ、もう野獣さんが来る時間なのね。私ってば、とても長くジャック側にいたんだわ。もう少し長くいたら野獣さんと一緒になっていたかもしれないわ。」

少女は、そんなことを呟きながら野獣が広間に入ってくるのを待っていました。まだ、食事が何も運ばれていないので他にすることがなかったのです。

「・・こんばんは、電波ちゃん。」

「こんばんは、野獣さん。」

いつものように広間に入ってきた野獣は、少女の前に何も並んでいないのを見て首を傾げました。

「おや、電波ちゃん。今日はずいぶんと早く食べ終わったようだね。」

「あ、いえ、これは・・実はまだ何も食べていないんです。私、ついさっきまで探検をしていて・・」

怒られるだろうか。不安げに眉を下げた少女を野獣は観察するようにじっと見つめました。それから、何かを思い出したようにそっと少女の正面の席に座りました。少女は、その様子を見てそういえば、野獣さんは普段、とても静かに動くわ。と感心しました。

 野獣というからには、横暴で粗雑な行動をする物だと思っていましたが、これまで野獣は少女のことを乱暴に扱ったことはありません。一度、怒られたことを覗けば吼えられたことも爪を立てられたこともありませんでした。それどころか、仕草や口調は穏やかで優しく、今まで会ったどんな男性よりも紳士的でした。

「そういえば、今日は下の階がずいぶんと騒がしかったけれど、もしかしてそれは電波ちゃんが原因だったのかい?」

「え、ええ。そう、そうなの!今日は、野獣さんのいるジャックの側に行ったの。だから、私、こんなに遅くなっているとわかっていたら野獣さんのことを待って一緒に広間まで歩いてきたのにって思ったんです。」

少女の言葉に野獣は、ふわふわの耳をくるりくるりと動かしてパシンと尻尾を鳴らしました。

「電波ちゃん、前に来たときにあの廊下を怖がっていたのに。君は、もう忘れたのかい?」

「いいえ、でも、昼間の灯りだったらそんなに怖くはありませんし・・それに、ずっとここで暮らしていくのなら自分の家を怖がるなんておかしいもの。」

少女のあまりにもどうどうとした物言いに野獣は、思わずその大きな口をいっぱいに開いてまるで吼えるように笑いだしてしまいました。

「電波ちゃん、君は本当に面白い子だ。そんなにここを気にいってくれるなんて、わたしは思ってもいなかった。」

「・・・ビックリした。野獣さん、そんな風に吼えるんですもの。あ、ほら、驚いてスープを運んでいたスープ皿がひっくり返ってるわ。」

少女は、大きな目をまん丸にしながら野獣を見つめ、それからクスクスと楽しそうに笑うと机の上にしっとりと染みを作っているスープ皿を治そうと手を伸ばしました。

「毎日、毎日、君は本当に楽しそうだ。」

「ええ、野獣さん。私、毎日とっても楽しいの。ふふ、あ、そうだわ。私、このお城はもっと綺麗に掃除するべきだと思ったの。だってそうしないと私、毎日せっかく洋服箪笥さんが作ってくれる綺麗なスカートを埃まみれにしてしまうんですもの。」

少女は、そう言ってパタパタと綿埃を払いました。野獣は、長い毛で覆われた大きな手で机に頬杖をつきました。それから、その大きな瞳を柔らかく細めると

「いいよ、ここは電波ちゃんのお城だ。君の好きなようにしていい。」

そう優しく言いました。

 それから、二人は掃除道具の場所や掃除をするために入ってもいい場所などを食事をしながら話しました。他にも、今日見つけた美術品のことを話し終えたころにはすっかり食事はなくなっていました。

 少女は、きっとそろそろ野獣さんが帰る頃だとわかっていましたのでいつもの質問をされるのを知っていました。

「ねえ、電波ちゃん。わたしの妻になってくれないか?」

膝を折って、大きな背丈を屈め野獣は少女と目の高さをあわせながら尋ねました。少女は、こんなに優しい野獣が言っているのだからいい加減、はいと答えてもいいのではないかと思いましたが、やはり少女の桃色の唇は、きっぱりと

「いいえ、野獣さん。いやです、」

そう答えました。それを聞いて野獣はやはり悲しそうに瞳を翳らせました。その姿が、とても心苦しくなぜか悲しいと感じた少女は、部屋を出て行こうとする野獣に手を伸ばしました、が、触らないと約束をしたことを思い出し慌てて手を引っ込めました。

「じゃあね、電波ちゃん。おやすみ。」

「・・・・・はい、おやすみなさい野獣さん。」

何か言葉をかけようと開いた口は、いつものように別れの挨拶を交わすだけで終わりました。


 心に何かが芽生えている。

彼女がきてから、ざわついているのがわかる。城も、そして俺の心も。

「・・・どうしたらいい、もう時間がないというのに。どうしたらいい、」

野獣は、割れた中に辛うじて残った鏡に映った自分の姿を見た。醜い、そして恐ろしい怪物が鋭く大きな瞳でこちらを見ていた。

「こんな姿で、どうしたら愛されるというんだっ。」

まるで悲しみを全て吐き出すかのように大きく吼えると、野獣は鏡の欠片をその鋭い爪で壁から引き剥がした。

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