幹部 ~ビッグ・ウル~
男は眩しい光におちくぼんだ眼を細めた。椅子に座らされ手は後ろ手にきつく縛られている。目の前には鉄格子。その先には派手な装飾の座席が幾つも見える。まるでそこは演劇場のようだ……いや、間違いではない。ここは演劇場だ。男は
男は何故こんな事態になっているのかわからずに動揺した、記憶が、記憶が定かではない。自分がなにをしていたのかまるでわからないのだ。
「ご機嫌はいかがかねリバー博士」
突如、よく通る重低音な男の声が舞台に響く。その声色は随分と親しげで気安い友人に話しかけているようだ。男は鼓膜を震わすこの声に酷く脅え後ずさろうとするが、縛られた身体に自由なぞない。
「フッフッフッ、脅えることは無い。ここには私以外にはいない安心したまえ」
声の主は最前列の座席にひとり身体を沈め
くすんだ金髪を後ろに縛り口髭を蓄えた精悍な顔立ちの中年紳士といった風貌。黒いモーニングを着こなし、右の碧眼には歯車を模した金色の片眼鏡を掛け、持ち手に三日月の彫り物がされたステッキを横に置いて長い足を組んでいる。その様子はさながら、舞台を独り占めにした観客だ。
「安心なぞあんたの前でできるわけがない「ビッグ・ウル」」
脅えと憎しみの混じったリバー博士の掠れた声に「ビッグ・ウル」と呼ばれた男は喜劇を楽しむように大げさに笑う。
「クックッ、ハハハ。違いない違いないなぁ我が友リバー博士」
「どの口が「
突然と激昂したリバー博士の唾を飛ばす枯れた叫びにビッグ・ウルは肩をすくめる。博士は項垂れ、今度はか細く泣いた。男としての
「ぁぁ、あ、ァーー言ったじゃないか……あなたは……言ったじゃ、ない、か。素晴らしい世界が来ると……幸せな世界が、来る……てっーーーー言ったじゃないかっ。それを、それを信じてーー私は……わたし、は……ぁぁ」
リバー博士は後悔の涙を止める事ができない。何度懺悔してもしたりない程の罪を、枷を、幾重に背負い繋がれていた。この目の前の男を、「組織」を信じたばかりに。
後悔に泣くリバー博士を見つめながらビッグ・ウルは自身の顎を撫でた。
「あぁ、言ったとも。いまある「蒸気社会」という現実は人々の幸せをもたらしているではないかね。君たちの優秀なる頭脳と日々のたゆまぬ努力が「組織」の「蒸気技術」を発展させてくれた。感謝している。感謝しているよ。我が敬愛なる「総統」の望む素晴らしき蒸気世界。この国の未来は幸せなものとなるな」
「そんなものはっ、我が娘に残したい未来じゃないっ!!」
恍惚と理想を語るビッグ・ウルに泣きはらし血走った
「あんな、死体を改造した蒸気の機械人形が平然と歩く世界が素晴らしいものであってたまるものかっ! 蒸気に覆われ続け星空も見えなくなるこの国が幸せなどと言えるものかっ!?ーーーーあぁ、あ、アァ。何故だ……なんで、こんな」
怒れる感情はまた悲しく脅える心に戻る。眼は再び水膜を張り、止めどなく涙が溢れる。
「おかしい……おかしい……こんなのは、おかしい」
リバー博士はいま、自分が何を口走っているのかもわからない。ただ、この
ーーーーカツと床を叩く音がするーーーー
リバー博士はこの音に酷く脅え、頭を何度も横に振る。その音はビッグ・ウルの三日月の彫られたステッキだ。彼は真っ直ぐと碧眼の片目をリバー博士に向け、何度もステッキで床を叩く。そのリバー博士の脅えた表情を観察するように見つめ、溜め息を吐いた。
「フゥ、我が子の未来を憂いているのかね? フッ、気持ちはわからんでもない。私も娘を持つ父親ではあるからね」
ビッグ・ウルは少しだけ眉尻を下げ、視線を空中にさ迷わせた。どこかもの悲しげな表情を見せるが、それは数秒にも充たない一瞬だ。直ぐに柔和な笑みをリバー博士へと向けてとある言葉を吐いた。その「言葉」にリバー博士は凍りついた。
「ところで君の娘はどうしている?」
「ッッ!?」
娘に何をした!?ーーそんな言葉もリバー博士は吐き出せない。目の前のビッグ・ウルに柔和な笑みを向けられる恐怖が勝り、口を動かす事ができない。ビッグ・ウルは優雅に立ち上がりながら金色の片眼鏡を人差し指で叩いた。
「落ち着きたまへ。落ち着いてこの片眼鏡に意識を集中して見たまえ、君の可愛い娘が見える筈だ」
言われ、リバー博士は意識無く金色の片眼鏡を見つめた。博士の
そこは懐かしい我が家だ。目の前には愛らしい我が娘が、太陽のような笑みを向けている。その笑顔を誰に向けているのかも解った。
それは愛する妻であった。後ろに見える鏡に映る自身の見姿は妻そのものだ。どういう原理かはわからないが、いま、自分は妻と同じ視界を見ていると理解した。
(あぁ、ああぁ)
どんな理屈だろうと構わない。愛しい家族の元気な姿を見ることができたのだから……こんなにも、嬉しい事はない。リバー博士は知らず知らず、涙を流す。それが妻のものか自分のものかもわからない。ただ、いつまでも娘の姿を見続けていたい。
そんな願いも娘にはわからず、飾られた花に夢中になって後ろを向いてしまった。そんな我が娘にリバー博士の妻はそっと、優しく、我が娘に手をーーーー。
「ッッッッッッッッ!!?」
リバー博士の意識は自身の発する張り裂けんばかりの絶叫と共に戻り、自由の無い身体を暴れさせた。
「ヤメロヤメロヤメロッッ、やめてくれっッッ!!?」
妻が娘を手に掛けるわけがない。自分の娘を、あんなにも愛していた娘を殺すはずがない。殺すはずがない。
「何が見えたのかね?」
平然と語りかけてくる憎いビッグ・ウルにリバー博士は叫ぶ。
「妻になにをしたッッ!?」
ビッグ・ウルは表情を変えずに事も無げにあり得ない言葉を発した。
「何もしてはいないよ。あれは彼女の意思だ」
「フザケルナッ! 妻があんな事をする筈がないっ、そうだ、幻だ。現実じゃない。幻術だっ」
「事実から眼を背けてはいけないな。事実なのだよ」
「信じるものかっ。腹を痛めた我が娘を殺す母がいるものかっ」
「クッ、フフッッ。ハッハッハッハッ!」
ビッグ・ウルは笑った。リバー博士の言葉があまりにもおかしかったのか大声で少年のように高らかに笑った。
「リバー博士。勘違いをしてはいけない。我が娘を手に掛ける母は存在する。そして、あれはそういう女なのだよ。フフッ、あれを君にあてがったのはこの私ではないか」
「ァ……」
リバー博士は絶望に顔を張りつかせた。そうだ、妻を紹介してくれたのは、目の前の男であった。
「だが……だが、愛してくれた。あの
「当たり前だ。あれは我が娘を愛さぬ薄情ではない。心から愛していたであろうとも」
「では、妻は……人形だったのか」
「バカな事を、
リバー博士は項垂れた。もう、何も聞きたくはないと。ビッグ・ウルは糸の切れた人形を見るようにつまらなげに見下ろした。
「頭を弄られ過ぎてもう覚えていないだろうが、君は「組織」へ重大な裏切りを起こしたのだよ。これは、その制裁だ。あぁ、大丈夫任せたまえ、嫌な記憶は全て忘れさせてあげよう。君の頭脳はまだまだ「組織」の役に立ってもらわなければならないからね。すぐに新しい記憶と家族を用意してあげよう」
リバー博士は応えない。ビッグ・ウルは背を向けてクツリと笑った。
「フフッ、それでは今日はこれで失礼するよ。今夜は久しぶりに娘と食事をするのでね」
《娘》という言葉にリバー博士は顔を上げて、力無くビッグ・ウルの背に弱く言葉を投げた。
「あんたは娘を持つ父親のあんたがなんでこんな惨い事ができるんだ……」
ビッグ・ウルは振り向かずに肩を竦めて答えた。
「簡単だよ。他人の家族に興味なぞ持てるかね?」
ビッグ・ウルは感情無い言葉を残し、残酷なる舞台を跡にした。
「幹部ビッグ・ウル」
車へと向かうビッグ・ウルにひとりのカラス面が恭しく頭を下げ、その進行を妨げた。
「なにかね、これから大事な用事があるのだがね」
ビッグ・ウルは苛立ちを隠さずにそのカラス面を冷たく見下ろす。カラス面は下げた頭を戻さずに、ビッグ・ウルに告げる。
「キラ博士が脱走しーーっ」
ビッグ・ウルは手にしたステッキでカラス面の横っ面を無表情に叩いた。
「全く、博士という人種は何故こうも私の邪魔をする。久しぶりに娘と食事をする些細な私の幸せを踏みにじる権利がどこにあろうというのかね?」
「……仰る通りでございます」
ひしゃげたカラス面は頭を下げたままに彼の言葉をただ肯定した。
「フンッ、あの色ボケたお嬢さんに連絡は?」
「すでに向かっております」
「……了解したよ。やれやれ、また娘の悲しい顔を見なければならんのか」
ビッグ・ウルは眉間を指で押さえ深く溜め息を吐き、カラス面を促した。
「なにをしている。急ぎたまえ、危険な芽を摘み取りにゆくぞ。キラ博士が絡む案件をあのお嬢さんに任せては総統の望まぬ結果を生み出すだろうからね」
ビッグ・ウルは冷酷な仮面を顔に張りつけ、歩みを進めた。
蒸機兄妹 ~~序~~ もりくぼの小隊 @rasu-toru
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