改蒸人間 ~雑音~


 ーーーー少女は夢を見ていた……そこがどこだかもわからない夢を……。

 そこは緑の木々に覆われた真っ白な世界。目の前を歩く男性は木でできた荷車を引っ張り、少女はその上に座っている。少女は紙のような絹のような見たこともない服を着ていて、その上から柔らかな上着を羽織っている。上着は暖かいけど冷たい外気に晒された頬はひりつく程に痛かった。


 ーーーー薄暗く簡素な木組みの家屋の中で少女と似たような服を着た人達が室内だというのに焚き火を真ん中にして暖まっている。それは不思議な光景で、ボウッと、少女はパチパチと弾ける真っ黒な木が赤く燃える火を好奇心に眺めた。その上には鉄製の鍋が掛けられていて、目の前の女性が器の中に煮込み料理だかスープだかわからない質素な料理をよそってくれる。茶色くて汁の多いその食べ物がなんなのかはわからないが、目の前の賑やかな食事風景はとても幸せそうでーーしあわせデーーワセーーーーセ……ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。



 少女はーーーー「346号」はゆっくりと眼を開け、瞬き、薄い唇を重たげに震わせた。


 「また……「雑音ノイズ」ですの……」


 暗く四角い鉄の部屋で彼女は身体を起こし、暗闇に溶け込む肩まで伸びた黒髪を手梳で何度も鋤いた。



 346号が部屋扉の前に立つと、部屋扉は蒸気の噴き上がる音と共に開いた。部屋の外に出ると、長い長い鉄色の通路がどこまでも続いている。346号が編み込みブーツに包まれた脚で歩き始めるとどこからか歯車の音が聞こえ、通路は自動的に彼女を運び始めた。


 「……」


 しばらくして、346号が壁を叩くと、自動通路は止まり、叩いた壁が横へとスライドした。目の前には、蒸気噴き上がる機械類が忙しく稼働する部屋が現れ346号は、部屋の中へと入ってゆく。


 「……なにか?」


 部屋に入ってすぐに作業をしていた何人かの白いカラス面の男達が彼女を取り囲む。仮面の奥の表情は見えないが、歓迎するという雰囲気ではない。


 「やめたまえ、僕が呼んだんだ」


 ジッとカラス面を見上げていると、彼等の後ろからしゃがれた男性の声が聞こえる。白いカラス面は、その声を聞くと頭を下げて自分の持ち場へと戻る。


 「やぁ、会えて嬉しいよ」


 軟らかく優しい声の響きで、346号に声を掛ける人物は真っ白な白衣を着た中背な初老男性だった。髪色も白衣のように真っ白で髪型は適当に切り揃えられている。シワ深い笑顔は親しみが込められている。


 「……「キラ博士」に呼ばれた覚えは無いのですが?」


 346号は「キラ博士」と呼ぶ男性の先程の言葉に、首を傾げて問い返した。


 「フフ、僕に用があったからここに来たんだろう? なら、いいじゃないか」


 博士は軟らかく笑い、346号は何度か瞬きをしてキラ博士を見つめ、口を開いた。


 「また「雑音ノイズ」ですの、この前みたいな調整をしてくださいませんか?」


 346号の言葉に、キラ博士は柔らかく静かに頷いた。


 「よろしい、僕の私室に行こうじゃないか。あぁ君たち、これからデリケートな作業をする。誰も僕の私室には立ち入らないようにっ」


 博士は白いカラス面達に声を掛けてから、嗄れた手で346号の華奢に見える白い手を優しく掴むと奥の私室へと連れてゆく。その顔には、薄く笑みが溢れていた。



 キラ博士の私室は、機械類が所狭しと列べられ、真ん中には大きな白いベッドが置いてある部屋というよりもまるで手術室のような場所だ。


 「では、ベッドの上に」


 博士に言われ、346号はゴティックドレスのスカートをフワリと揺らしベッドの上に座ると博士に背中を向ける。


 「コルセットの腰紐を緩めてもらってもよろしいでしょうか?」

「あぁ、わかっているよ」


 下腹部のホックに引っかけた蝶結びをほどきながら346号がお願いをするとキラ博士は少し震える手でコルセットの腰紐を丁寧に引っ張り、緩めてゆく。

 346号が前側のホックを外すと両手でコルセットを剥がした。

 解放された346号の腰の括れは崩れる事は無く、括れを維持したままだ。


 「では、調整作業を始めようか?」


 博士に言われ、正面に向き直る。


 露になる見目麗しき少女の腹部は


 「それで、今回の雑音ノイズはどんなものだったか良かったら教えて貰えないかい?」


 キラ博士は私室の機械類のコードを腹部機械に繋げながらまるで子どもにでも話し掛けるように語りかけた。


 「……よくわからない雑音ですの。知らない場所のーー」


 346号はつまらなげに雑音ノイズの内容を博士に話した。


 「そうか、それは「雪」というものだね」

「ユキ……?」

「見たことはないのかい?」

「知りませんわ……必要もない事ですもの。そんなことより早くこの雑音も前みたいに消去してくださいまし……元になった幾つかの人間の無駄な記憶データなんて……ワタクシの役割には邪魔ですもの」

「そうかい? その記憶データは君が人間である証とは思えないかな? 残して置こうとはーー」

「ーー必要ない……人間ではないですもの。ワタクシは……素材人間スペアを繋ぎ合わせた改蒸人間サイボーグスチーム……そう……改造を重ねて血肉も無くなった冷たい機械……ですわ」

「……もう一度言うよ? 君は、君たちは人間だ。頭で考え自分で行動できる心を持った人間なんだよ」

「ワタクシも……もう一度言います……心なんてありえません……改蒸人間サイボーグスチームの思考は……心臓部のワイヤーが……蒸気動力……微細な振動で……心とやらを再現した……偽物……で」

「……もうそろそろ動力が落ちる。億劫になっているんじゃないかな。無理をせずにゆっくりとおやすみ。すぐに不調を取り除いて起こしてあげるから」

「……そうーー」


 346号は長い睫毛に縁取られた青い双眸そうぼうを閉じ、糸が切れたように首を傾けた。その顔は穏やかに眠る無垢な少女そのものだ。


 「……すまない」


 博士はその安らかな寝顔を優しく撫で、懺悔を呟き、片手に小さな銀色の球体を手にすると346号の腹部の機械へと近づけた。


「なにをしてますの?」

「っっ!?」


 自身に掛けられた言葉に博士は眼を剥き、を振り返った。


「フフフ、いやですよぅ。そんなオバケを見るみたいなお顔してぇ。「アテシ」ですよぅセンセイ」


 彼の背後にはコロコロと子どものように笑うひとりの女性が立っていた。腰まで伸びた真っ直ぐな黒髪に切れ長な黒い眼。「キモノ」と呼ばれる遠い異国の衣服に似た紫色のドレスで着飾り、袖口には透明なレースがあしらわれている。見た目は落ちついた紫色がよく似合うゾクリとする程に妖艶な美女。だが、口を開けば上品な言葉と幼子のような舌ったらずが混ざる不思議なしゃべり方だ。両手で口を押さえてクツリと笑うその美女は親しげに黒目をクリクリと動かし、おどけて首を傾けた。


「……幹部〈スパイダー・キル〉」


 だが、キラ博士の顔には親しげな彼女とは違い明らかな怯えの色が見え、震える声で目の前の美女の名を口にした。幹部〈スパイダー・キル〉と呼ばれた美女は、シュンと哀しげな表情をして、音もなく博士の前に近づき、ザラザラとした無精な顎を撫でた。


 「センセイ……昔のように「ミクモ」と呼んでくださいよぅ」

「なぜ、貴女が……ここに」


 白い頬を上気させた美女の愛しげな声には応えず、博士は怯えた表情のままその綺麗な顔を見つめた。美女〈スパイダー・キル〉は淋しげに眉尻を下げ、口をへの字に曲げた。まるで子どもがいじけるように。


 「むぅ、センセイに会いにくる理由なんて必要ないじゃないですか。アテシは自由を手にいれているんですもの……それよりも」


 博士の傍らで眼を閉じる機能を停止した346号を酷く冷たい表情で見やる。子どもじみた表情から冷酷な大人の表情を張りつける。


 「それが、センセイの新しい子?」


 自身と同じ艶やかな黒髪を白い指で鋤き〈スパイダー・キル〉は下唇を強く噛んだ。キラ博士は怯えた表情のまま〈スパイダー・キル〉の肩を震える手で掴み、346号から引き剥がす。


「やめてくれ……大切な子なんだ」

「……大切?」


 懇願する博士の近づく顔に〈スパイダー・キル〉は「大切」という言葉に奥歯を噛み、目の前にする博士の顔に艶やかな女の表情を見せ、少女のような恥じらいを顔に描き、薄く笑みを作る。


「センセイの大切なら、アテシも大切。手出しはしませんわ……だけど」


〈スパイダー・キル〉は片手の球体を博士の目の前で悪戯に揺らして見せた。博士は青ざめ自身の手に球体が無いことに気づいた。


 「これ以上の火遊びはアテシも、愉快に笑えないの」

「……ぁ」

「大丈夫、センセイだって男ですもの。はめを外したい時もおありでしょう……大丈夫、アテシも「組織」も楽しい「遊び」には寛容ですもの。それに、フフ、この程度の「火遊び」はすぐに消せちゃって、ほら」


 言って〈スパイダー・キル〉は無表情に球体をその手の中で握り潰し砕いて見せた。恐怖に顔を張りつかせた博士を艶っぽく見つめ


「あぁ、ぁあぁ、センセイ……アテシの「心」はいつも大好きなセンセイを求めちゃって……」


 キラ博士の唇と自身の冷たい唇を重ねた。うっとりと眼を細め、可憐な少女の隣に彼を押し倒した。博士は対称的な凍りついた表情で力強く到底常人の力では振りほどけない色深い女の求めに、身を委ねることしかできなかった。

 貪るように舌を絡め、粘りつく粘液が口内に交わりキラ博士の身体は硬直した。淫らな生々しい音を発し蜘蛛の糸のような粘液の線を引き唇が放された。


「あぁ……センセイ」


 赤い舌で口の周りを舐めとりながら名残惜しげな〈スパイダー・キル〉は悪戯な笑みで呆然とするキラ博士の胸板に何度も手を這わせ、熱を持った蒸気を耳元に吹きかけ囁いた。


 「愛してますよセンセイ……この手で殺してしまいたい程に」


 キラ博士は、荒い息を発てながら妖艶に微笑む彼女を見上げることしかできず。濡れた唇を震わせた。


 「センセイ、次こ、そ、は、フフ、フフフフーーーー」


 楽しげな笑いを残し〈スパイダー・キル〉は博士の私室から忽然と姿を消した。


 「もう……時間が無いのか……僕には」


 キラ博士は青ざめ窶れた顔で物言わぬ346号の寝顔を見つめ、口を何度も拭った。


 「……急がなければ」


 博士は身体をよろけさせながら346号の調整作業を再開した。



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