偉い学者さん

 私達の住む地球は、丸い形をしております。丸い形をしながらも、地球そのものが持っている、中央に向けて引っ張る力が、私達を離しません。ですから、私達の地球は丸くとも、私たちはその表面に立って、必死に働いて暮らしております。

 そして地球の方は、神様にそう頼まれたのか、それとも誰に頼まれたわけでもないのか、どうなのか分かりませんが、幾星霜の時間の中を、ずっと太陽の周りにいて、ぐるぐる旅を続けています。


 ですが昔の人々は、地球が球状で動いているのを、知る由もありませんでした。そのため人々は、あの夜空の星々が、平らな皿のような大地の周りを、廻って下さっているのだと、空の秘密を説明したものでした。

 ただ今回のお話は、人々が地球を平らと考えるまでには、古いお話ではありません。どうやらこの大地が、実際には丸いようだぞと、ちょうど分かってきたころのお話です。


 ややほんのわずかな歴史を辿る先、地球がお日様の周りを回って、600周は巻き戻した時、あるところに、双子の兄弟がおりました。

 兄弟は学者をしておりました。兄は天文学を研究しておりました。弟は占星術を研究しておりました。どちらも空のお星さまたちを、よく観察し、記録して、人々の役に立とうとしておりました。


 兄は星と星を観察するために、巨大な鏡を自分でつくり、弟にも使わせてあげていました。弟は星の位置を読んで海図や意見書を作り、売ってできた少しのお金を、兄と分け合いました。

 そうやって、二人は支え合って、難しいやりくりの中、生活しておりました。明日食べるパンが、やっと手に入ったときには、二人はお互いに、「明日までとっておこう」と、相談し、仲良く平等に分け合って、貧しい中で暮らしておりました。

 粗末な学者ではありましたが、何より兄も弟も、暗い空の中に浮かぶ星々を見ることが、大好きだったのでございました。


 ある月の事です。この平等が、崩れかねない事件が起きてしまいました。

「どうやら、空の秘密が暴かれたらしい。」と、学校が手紙をよこしてきました。手紙の内容はこうでした。

「私達の地球は丸いのです。地球の東端と西端が、繋がっているのは、お二人もなんとなく分かっていらっしゃるでしょう。でも、その丸い地球もまた、どうやら太陽の周りを廻っているようです。教会の難しい弾道計算の方程式を、この度、お年を召した偉大なC教授が、……」


「そんなばかな。」

 弟は愕然としました。兄も同じく驚きました。でも兄は弟よりかは、内心困っておりませんでした。なぜなら、兄が学んでいた天文学の教科書では、今回空の秘密がひもとかれたところで、ほんの半分ほどしか、知識の引き出しを整理する必要がないからです。

 いや半分といっても、きっと大変なことではありましょう。それにひきかえ、弟の方は、極めて気の毒でありました。今まで頑張って勉強していた、教科書のほとんど全てのことが、シャボン玉のように消えてしまいました。


 兄は弟をなぐさめて言います。

「残念だったなあ。でも、今まで作った君の意見書も、決して悪い出来ではなかった。あの時は凶作を予測できていたし、去年も海難が起きることをピタリと当てて、人々が不幸になる前に、準備をする時間を作った。僕のやっている研究だって、今はまだ芽が出ているとは言えない。それよりかは、いいじゃない。」

「そうか、そうだな。僕は僕にできることをしなきゃな。」

弟は自分を奮い立たせるように、力こぶを作ってみせました。

「ようし、まだ大丈夫。僕は僕の学んだ占星術で、皆の役に立ってみせるぞ。」

「そうだそうだ。その意気だ。君も僕も、つくづく空の学問が好きなんだなぁ。」

お兄さんは負けずに戦う弟と自分を、しみじみと評しました。


 しかし、人の気負いとは不思議なものです。あれほどまでに予言を当てて、人々から感謝されていた、あの弟の意見書が、目の見えなくなった年寄り狩人のように、当てられなくなってしまいました。

 そうこうしているうちに、学校の伝えたお触れが世間に広まり、「なんだ、間違った学問だったのか。くだらない。」と人々は占星術の産物から、離れていってしまいました。


 海図も売り尽くし、ぱったりと収入の無くなった弟は、どんどんお金をなくしていきました。兄の方は徐々にお金を増やしてきました。そして、天文学の転換点を乗り越えた兄が、研究もお金の工面も、弟に勝り始めました。


 やがて遠くの地方から、ちらほらとお客さんが家に訪ねてくるようになりました。最初は学者仲間や研究者のお弟子さんが、次には雑誌の編集さんが。でも、それは決まってお兄さんの方にでした。弟の元には、誰も来なくなってしまいました。そしてあるとき、珍しい紳士のお客さんが、ひとりやって参りました。


「やあやあ、先生。ああ、先生と言ってもお兄さんの方です。」

 今日のお客さんは、隣の地方のお金持ちで、杖を突いておりました。偉そうにくるりと巻いた髭や、宝石のついた指輪、白く目立つ脛当てなど、いかにも二人の学者の家には、縁の遠そうな人でした。

「実は先生、あなたの惑星の論文が、様々な大学から賞賛を受けていると、いち早く情報を手に入れました。これから先生の名前が売れていくであろうと、わたくしは目をつけて参りました。なあに、わたくしは商人として、確かな目を持っていると自負しております。どうか先生、私の娘をひとり、貰って下さりはしませんかな?」



 お兄さんはお嫁さんを引き受けました。商人が家から連れてきたお嫁さんは、あの金星の神ヴィーナスかと、例えられるほど美人でありましたので、初めて会った時にこの新郎は、首まで顔を真っ赤にしながら、ほとんどしゃべれなかったくらいです。弟の方が間を取り持ち、なんとか生活するようになりました。

 幾度かの夜を越し、じきに生活に慣れてくると、お兄さんとお嫁さんは、弟の事なんかそっちのけで、二人の世界に入り始めました。そうしていると、弟はいたたまれなくなり、もう研究し続けた空を再び仰ぐことしか、やることが無くなってしまったのでありました。


 お兄さんの方は、とても忙しくなりました。空への愛は決して減っておりません。しかし、論文などの書き物に向き合ったり、お嫁さんと楽しく会話しているうちに、じきに夜空を見る時間は失われてしまい、強い歯がゆさを感じておりました。


 お嫁さんと弟は、だんだんと馬が合わなくなってきました。お嫁さんはこの義弟が、ただ空ばかり見上げながら、何のもうけも作らないことを、白い目で見ておりました。

 このお嫁さんは上品ではありましたが、商人であるお父さんの下で、必死で働いて稼いだ過去があります。時には鞭で打たれたこともございました。それと同時に家事もまた、一人前にこなせるように、修行をしておいででした。

 厳しいお父さんではありましたが、一人前と認めた娘の17歳の誕生日に、涙で目を腫らしながら、「今までよく頑張った。お父さんはな、お前が嫁として、素晴らしい学者の旦那さんと、家庭を築く力があることを、いまやっと認めるよ。幸せにおなりなさい。」と送りだしたのでした。そんなお嫁さんは、義弟に冷酷に言いました。


「働いたらどうなんです。」

 なんて酷い言葉でしょう。酷すぎます。かつてこの小さな街が、いくらか恩を受けたといったって、もう弟を学者として見る人間は、ただのひとりもいないのです。その中でも特別に、働き者なお嫁さんが見たら、こう言いたいわけです。

「もはやあなたに、自分のことを自分で賄えとまでは言いません。家族なのですから、助け合いましょう。ただ、1ペンスの稼ぎでも、入れて頂けないものですか。」「家族なのですから。」


 刻一刻と変化する、社会の流れは残酷でありました。まだ年若い弟へ、若いからこそ働けと命じるのです。

 ですが当の弟は、学問への望みをあきらめきることができません。なにより、自分が星空から目を離し、うごめきゆく地上に囚われた隙に、空と自分の関係が、形を変えて流れ去ってゆき、二度と戻ることのないように思われたのでございました。


 今まで自分の積み上げたこの“学問”が、黄金から鉄に変わるとき、私達にとってもっとも大きな、恐怖の星が降り立つことでしょう。それを鉄であると認める瞬間、人間にとっての希望は、たちどころに腐りはじめるのであります。

 受け入れられなかった弟は、がっかりして言いました。

「それでも…。それでも、空も、廻っている…。」


 お嫁さんと弟のやり取りを、兄は悲痛に見ていました。

 兄の目には、夜空に裏切られ、苦労し続けているにもかかわらず、まだ夜空を愛し続ける弟が、情けなく映って仕方がありません。そして、弟ほどの苦労も無しに、順調に学問で身を立てた自分を、引け目に感じておりました。


 そこで、辛くはあるけれど、強情にも反発する弟に、つい言い聞かせようとしたのでした。

「君は、あれほど空を愛しておきながら、これほどの仕打ちを夜空に受け、まだ空を愛するというのか!変わっている!僕が君の立場なら、とっくの昔に愛想を尽かして、学者なんて辞めている。そんなに強情を張ってまで、時代に取り残されたままで、人々からはさげすまれ、なお君は学問をやめようとせぬ。このまま研究を続けても、世界を覆せるほどの、大発見は難しいのではないか。しかし君ほど要領が良ければ、稼ぐことも難しくあるまい。ここまで悔しいことづくめで、君には危機感というものがないのか!?」


 とうとう弟も、涙をこらえきれなくなってしまいました。兄の方が人々から、尊敬とお金を与えられたから? それもあります。兄の方が、こんなにきれいなお嫁さんをもらったから? それももちろんそうです。

 ですが弟が最も頭に来たのは、こんなにも夜空を好きでいることを、かつて証言したにもかかわらず、それを裏切り、夜空を取り上げることに加担した、兄の言葉そのものでした。


 ついにこの兄弟は、取っ組み合いの大喧嘩をし始めました。定規であの高価な望遠鏡を突いたと思えば、万年筆で天球を刺し、インクをひっくり返して論文を汚し、絨毯も、新しい盆栽も、壁にかかる白衣も滅茶苦茶です。

 それも、お嫁さんの前であることも関係ありません。びっくりしたお嫁さんは、ご近所さんの家へ逃げて行ってしまいました。


「僕は、学問を誠実に受け止めているんだ!ちょっとやそっと空に裏切られたからといってなんだというんだ!」

「僕でさえ空をまともに見れなくなったんだぞ!それなのに君がそこまで空を見続ける理由なんかない!ただの机上の学問への逃避だ!実学を鍛えろ!」

「僕は学問のもたらす利益を人々のために使うんだ!学問は平等で高潔なものだぞ!それをとりあげようとするな!」

「でも社会は!それが分からない!所詮認めてもらえる学者なんて、運で選ばれてるにすぎないんだ!僕だってそうなんだ!!人々の為に働けば、それに応じてお金がもらえる、商人の世界に生きる人の方がよっぽどマシだよ!」



 彼らが押しつ押されつ、非難しあっているうちに、とうとう夜になってしまいました。へとへとに疲れた学者さんたちが、ふたり仲良く暮らした部屋から、背を丸めて出てきました。

 彼らはすっかり冷え切った空を見上げました。すると、空の秘密が暴かれた後も、ただひとりだけ裏切らず、地球の周りをまわり続けるお月様が、いつもの顔のいつもの調子で、こちらを見ていたのでありました。



 私はそんなお月様が大好きです。学問について、あなたはどう想いますか?

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