ベルに燃やされた夢

 昔々、ヨーロッパの辺境の地に、大変仲の良い、3人の青年がおりました。甲さん、乙さん、丙さんといいます。この3人は同じ職場で働く仲間で、彼らはちょっと休憩をするときでも、3人でまとまって話をし続ける、大変仲の良い仕事仲間でした。


 そんなある日の事でした。公園のベンチで脚を組みながら、甲さんは新聞を読んでいます。隣で煙を吐く乙さんと、向かいで帽子を煽ぐ丙さんに、読んでいる記事の内容を、ふいに読み上げました。


「いやあ、最近も治安が悪いね。君たちも知っているかもしらんが、隣の大管内の交番が、焼打ちに合って全焼したって。死者負傷者は13人だ。僕たちの周りでも、いつかこんなに大きな事件が起こるような気がするよ。僕らは関係なしに働いていたけれど、今回はほんのすぐ隣での出来事だ。あんまり騒がしいもんだから、安心してねじの一本も、これじゃ締めるに締めれんよ。こういう人が死ぬ事件ってのは、いったいどうして、起こるのかねぇ。」

 甲さんは無学でしたが、熱い青年だったので、ここはひとつ意見を聞きたいと、二人に話を振りました。気の小さい丙さんは、できるだけ言葉を選ぼうと、まごついておりましたが、頭のまわる乙さんは、横から記事を覗き込んで、次のように言いました。


「これぁ、アレだろ。宗教のなんとかって奴が機嫌悪くして、人間操ってやって、火をつけたんだろ。なあに、あれだよ。気の短い奴が、むくれっちまったってだけだろうに。」

 乙さんは、チョッキからほつれた糸をいじりながら、半分つまらなそうに、半分は茶化すように、皮肉を言いました。そして、甲さんの開いていた新聞から顔を上げ、二人の顔を見ました。

「なあに、怖がることはねえさ。直に警察サンがここに踏み込むだろうよ。そして皆まとめて豚小屋にぶちこんでおいてくれりゃ、俺たちは安心して仕事ができるんだよ。」


 同じ調子で乙さんは、気の小さい丙さんに、ニカッと笑いかけながら言いました。

「不安がらなくてもいいんだよ。そんな悪い宗教のやつらなんかが、もし職場に来たら、俺が追い払ってやらぁ。おまえらは安心して働け。でも、もし俺がやっつけたら、手間賃くらいはよこしてくれや。」

乙さんの手慣れた冗談に、甲さんはただ

「へいへい。」

とだけ言って流してみせて、次の記事に目を移しました。丙さんは、乙さんの冗談に笑顔でうなずくと、すすけたハンチングのつばを、目深に引きました。なんの変哲もない、いつもの昼下がりのことです。乙さんは満足そうにキセルの熱を吸い上げ、のどかな昼休みに羽を伸ばしたのでした。




 ところで冗談好きの乙さんは、ただ頭が回るだけでなく、仕事でも腕の立つ人でした。振り下ろされる金槌は、高く鋭い音を立てて、ふいごから取り出された鉄を豪快に打ちます。そして、時間を忘れて部品を叩き、夕方になる頃には、出来上がった鉄細工が、山いくつとできている、といった具合でした。

 それを甲さんに引き渡すときの、「すげぇな、相変わらず。」としかめられた、年不相応な老け顔を見るのが大好きでしたし、「お疲れ様。」と丙さんが、仕事終わりに注いでくれた、冷たい水を飲み干すのが大好きでした。

 だから、おどけたことを言っていても、目の奥に宿った彼の仕事人としてのプライドは、外からの暴力くらいでは、折れることは御座いません。どんな集団が来ようとも、もし彼を邪魔する輩がいるならば、大声で怒鳴りつけ、叩き込んだ才知で屈服させ、全力で追い返す覚悟くらい、持っているに栓なきことでした。

 ひょうきんな物言いの乙さんでしたが、絶対に俺の大切な職場に、この群衆はよせつけまいと、この時、教団の名前を頭に覚え込みました。



 甲さんは、熱い正義感を持ち、良くも悪くも単純で、朴訥としたところがございました。そして、彼自身があまり勉強をさせてもらえなかったことを、率直に、謙虚に、受け止めておりました。「無知の知」とはよくいったものです。学がないから人に尋ね、そして意見をひっぱり出し、それが役に立ったのなら、相手の功を立ててあげる、非常に上手な舵の取り方でした。それが仕事の場では大うけ。一生懸命に相談に乗り、他の二人はもちろんのこと、職場全体から信頼を集めておりました。

 そうして集めた信頼関係が、築くのには鉄を加工するより難しく、壊れるときは簡単に壊れる事を、よく分かっておりましたので、あまり冗談などを言う性格ではありませんでした。そのため、乙さんの普段の冗談には、あまり乗っからずに流すのが、お決まりになっておりました。

 今回の事件を読みあげた際も、彼から具体的な意見が出てくることはありません。ただ、乙さんの、「もし宗教がやってきたら」といったたとえ話が、おかしな刺激にならないよう、いきすぎたら諌めようとだけ、少々考えてはおりました。しかし、いかんせん乙さんも賢い人でありましたので、基本的には甲さんも、彼の節度を信頼していたのです。

 加えて丙さんにいたっては、もっと意見を言った方がよいとさえ、甲さんには頻繁に思われたのですが、仕事とは関係の無い雑談でありましたので、丙さんの優しさに胸を借り、その場ではあまり深く考えず、次の記事を読み始めました。



 丙さんは、乙さんの冗談に笑顔でうなずいておきました。でも内心では、丙さんは清々しくありませんでした。

 丙さんは、今回の焼打ち事件の首謀者とされる、教祖を崇める教会で、つつましく育てられてきたのでした。丙さんは親と死に別れ、教会に預けられました。その教会も余裕がなくて、決して贅沢なんてしようもありませんが、それでもその教会の大人たちは、丙さんをまっとうに育てようとしました。

 丙さんが今の職場に出会ったとき、彼は、教会に恩返しをしたいとの“夢”を抱きました。また、その宗教に在籍する職員の人々は、彼にとっての親そのもので、支えてくれる信者の人々をも、尊敬しておりました。

 教祖を筆頭としたあらゆる人が、有志で助けてくれたことを思うと、決して彼らは報道にあるような、危険なことはしないと、彼は確信を持って否定しました。そしてこれからも、自分が教会の足を引っ張らないよう、二人に負けず劣らず、まじめに働こうと心に誓いました。

 しかし、そんな裏の顔はおくびにも出さず、ただ静かに、乙さんの冗談に笑っていたのでありました。乙さんの「助けてやる」との言葉が、彼の善意から出てきたものであるのが、丙さんにもよく分かるのです。

 そんな調子でしたから、甲さんも、乙さんも、丙さんがその関係者であるとは、まったく気付いておりませんでした。丙さんは、そのまま教団の徒であることを隠しておけば、素敵な二人と仲良くし続け、働いたお金を教会に戻し、恩を返せると信じておりました。それがたったひとつの“夢”でした。



 数日後、まじめに働いていた3人に、急転直下、不幸のベルが鳴り響きました。警察が丙さんに容疑をかけ、書類送検を始めたと、職場に伝達が入りました。罪状は、あの新聞で読んだのと同じく、放火でありました。

 「そんな馬鹿な、」と甲さん乙さんは、二人して顔を見合わせました。あのおとなしい丙さんが、そんなことをするはずがありません。なにかの間違いと必死で思います。二人は教団の事について、それほどに詳しくありませんし、乙さんに至っては、その教団にかかった疑いは、すべてクロだと、決めつけてさえおりました。

 しかし、あの丙さんが、昨日まで一緒に働き続け、その容疑のかかった日も真面目に働き、いつものように帰って行った丙さんが、その事件の犯人とは、考えようもございません。


 伝令役の人は、二つのことを告げました。第一に、今回の事件があったのは夜の事で、職場にいた時間とは重ならないこと。第二に、丙さんは、先日起きた焼打ち事件の被疑者である、教祖を担う男に心酔していたという事です。その実行役が、丙さんとして、考えられるという事でした。

 初めて表沙汰にされた丙さんの出自を、二人ははらはらしながら聞いていました。そして二人は、あの昼休みの会話を思い返しました。そこから二人は話し合いましたが、意見はまとまることがなく、それぞれ全く別の意見を持つようになりました。

 二人とも、気の弱い丙さんが、そんな事件を起こすはずがないという意見は、共通して持っている点でした。しかしその後の話が、甲さんと乙さんとの間で、決定的に食い違っていたのです。


 拘置所でふさぎ込む丙さんの顔は、とても疲れておりました。まじめに働いていたはずの自分がなぜ、疑いを掛けられてしまったのか、分かりませんでした。どうせ外では容疑者として、自分の名前と信条が、新聞に載せられていることでしょう。

 近い未来、職場から引き離され、孤独を味わいながら、罪人として裁かれてゆくことが、既に決まったことのように、その時の丙さんには感じられました。

 丙さんの思い出した顔は、教祖よりもまず先に、二人の友人だったのでした。


 その頼もしい友人は、もちろん面会に来てくれました。悲嘆に暮れていた丙さんでした。職場に迷惑をかけたと思っている丙さんでした。なにより、教祖を胸に抱きながら、謝り、泣きじゃくり、善良なまま死にゆこうとした丙さんでした。そんな丙さんにとって、この友人たちの来訪は、どれほどありがたく、幸せなことでしょう。


 ですが、刑務職員に連れられて、面会室に来た丙さんを待っていたのは、片割れの友人を捨てて、ひとりの身だけで面会にやってきた、友人の姿でした。




甲さん「丙くん、事件の事は聞いた。正直、驚いたよ。でも、もちろん僕は、君が火を放ったとは思っていない。信じてくれ。僕も君を信じている。…ああ、しまった!驚かせてしまったかな、僕が驚いたと言ったのは、君の出自についてだ。今まで、君は自分の事を話してこなかったからね。驚きもするよ。…といっても、別に、軽蔑している訳じゃない。…本当だぞ?だってこんな生い立ちなんて、話したくても話せないよ。内緒にもするさ、それはね。僕たちの友情は、君が隠しごとをしていたからと言って、宗教をやっているからといって、一里たりとも、くすむものではないんだ。

 …ところで、丙くん。僕から提案があるんだ。


――その夢、やめないか?

 こんな僕であっても、君がその宗教にいて、様々なことを学んできたことはよく分かっている、…つもりだ。なにより、その宗教しか、君を育てようとしなかった。それも分かっているが、僕は、あくまでこう君に言う。

 …君も知っての通り、僕は普段から、僕自身で提案をするようなガラじゃあない。でも、今回だけは僕が、慣れない頭を棒にして、よく考えた事なんだ。だからこそ、強く勧めたい。宗教が無くても、生きていくことはできるじゃないか。なんなら、ほとぼりが冷めるまで、様子を見ればいいさ。なあ、丙くん、君を思って言う。宗教をやめるべきだ。君はもっと、報われるべきだと思うんだ…。」



乙さん「丙くん、事件の事は聞いた。伝令の人から聞いて初めて、君がその宗教にいることを知った。『しまった…』、そう思ったよ。俺はそのことに気づかず、なんて横柄な冗談を言っていたんだと、後悔した。本当に、非礼なことをしたと詫びるよ…

しかし、正直なことを言えば…内緒にしていたことについては、俺は少し感心しない。こんなことを言ってしまったのは、俺が、君がそうだと知らなかったからなんだぜ?すぐに言い返せよ。…まあいい。俺が日頃からそんな冗談を言っていたから、いいづらかったこともあるんだろ?このことについてこれ以上は言わないや。


――おい、絶対にやめたりするなよ、夢。

 俺も、まじめな君を見ていて、やっと宗教が一概に悪いもんじゃないってことが分かった。だから、どうすれば“俺たち”と君ら“宗教”がよく共存できるのか、一緒に考えてやる。いや、考えたいんだよ。

 何より、君にとっては自分の家族なんだろ?俺が無実だと思った以上、君のために無実を主張するのと同じように、これからは君自身が、お前の家族を馬鹿にされたら、言い返さなきゃダメだ。俺もお前に、宗教の為に何が良い事か、考えてほしいし、行動してほしい。絶対にお前のやりたいことを応援するから。だから、折れるんじゃないぞ。いいな?」


 一方の友情は、「向かい風となって引き留めること」、他方の友情は、「追い風となって一緒に策を考えること」。この問題はあくまで例です。これにとらわれず、もっと広く見たときに、皆さんは、どちらが友情だと思いますか。


(旧題:友達という夢の話)

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