執心2

「じゃあ、私は一つ、人形にまつわる話をしようかな」

「みんな知ってると思うけど、日本には人形がメインの怪談がたくさんあるよね。捨てられたぬいぐるみが動き回るとか、三本足のリカちゃん人形から呪いの電話がかかってくるとか、納戸の奥に押し込まれた毎晩毎晩雛人形が啜り泣いているとか……。一番有名なのは日本人形の髪が伸びるという話かな。人形は職人が一体一体丹精込めて作るからね、そのぶんいろいろなものが宿っていたり、あるいは宿りやすいんだろうと思う。いや、そう思わずにいられない体験をしたんだ……」


 #源柚姫__みなもとゆずき__#が今は亡き両親から受け継いだの家の庭には小さな蔵がついていた。中身は古い家財道具や、普段は使わないようなものを仕舞ってある。

 それで今年の春先、久しぶりにそこの整理をした。

 虫干ししようと並べていたら、思いの他たくさん物が出てきて骨が折れたものだ。そして、蔵から出した品の中に見慣れない木箱が一つあった。

 桐で造られたなかなか上等な物で、赤い組紐が掛けてあった。埃を払って箱を開けてみると、ガラスケースに入った、少年の人形がいた。金色の頭髪に緑の硝子の目玉、青色の軍服をきている。ほとんど傷んでいなくて、とても年代ものには見えなかった。


「でも、私、その人形に全然覚えがなかったの」


 自分で買った覚えはそれこそなかったから、誰かに頂いたのだろうが、それがいつのことなのか全く思い出せない。蔵に仕舞った記憶もない。

 それでも、本当に可愛らしい人形だったので、ケースから出して居間に飾った。ガラスケースは角に罅が入っていたので処分した。


 最初に異変が起きたのは、人形を飾って一月ほど経った頃だっただろうか。家の雰囲気が変わったと思うようになった。


『誰かに見られている』


 柚姫は独り暮らしなのに。

 ある時夕飯の準備をしていると、ふと視線を感じた。すぐ真後ろから吐息がかかるような、あの感じ。柚姫を見ていたのはあの人形だった。

 床の間の横の棚に飾っておいて、もちろんちゃんと壁に背を向けておいた。それが、躰の角度を変えてこっちを見ている。

 最初は愛猫のアリスの仕業かと思ったが、そんな悪戯をするような性格ではない。


「気のせいなんかじゃないよ、それは一度きりじゃなかったんだから……」


 ベランダで洗濯物を干している時とか、台所に立っている時、ある日は夜中に目を覚ました時などに、不意に視線を感じる。

 そうすると、必ず人形が柚姫を見ている。何度向きを直しても、いつの間にか躰を動かして柚姫の方を見つめている。


「初めは本当に恐ろしくて、気味悪く思ってた。でも不思議だね。ある程度時が経つとこんな奇妙なことにも慣れてしまった」


 視線はだんだん気にならなくなって、そのうち彼に微笑み返す余裕まで生まれてきた。

 その頃になると、人形も棚の上から柚姫を見るだけでは満足できなくなったのか、とうとう徘徊を始めた。


「一人で棚から降りて家中を歩き回りはじめたんだ、私に付いて」


 実際に彼が歩くところを見たわけではないが、後ろから足音が聞こえる。

 こと、こと……小さな音が。

 それで振り返ると、柱の影や廊下の隅に彼がいる。そこからこっそり柚姫を見ている。夜など、寝返りを打つと彼が潜り込んでいた、なんてこともあったくらいだ。


「あの時はちょっと叫んじゃったよね。これはいよいよまずいことになったな……私は困ったよ」


 彼はどうやら……柚姫に懸想してしまったようなのだ。そろそろ何とかしないと大変なことになるんじゃ……そう思ったが、簡単に捨てていいようなものではない、特に人形というのは。人の形をした物には魂が宿るという。彼は明らかに『それ』を持っているのだ。さて困った、どうしよう。

 そんな中、


『人形を引き取りたい』


 悩んでいた柚姫の前に、そんな意外な申し出が現れた。お向かいの一軒家に住む老女で、一度人形のことをお話したことがあったのだが、その方がぜひ引き取りたいと言ってきたのだ。


「曰くつきのものを差し上げるのは躊躇われたんだけどね。気にしないと仰るし、それならということでお譲りしたの」


 翌日から家を空ける予定だったのでちょうどよかったのだ。

 一週間の海外出張を終えて、柚姫は老女を訪ねた。人形だけでなく、アリスの面倒をみて頂いていたから。

 そうしたら、老女が申し訳なさそうな顔で頭を下げた。


「お帰り柚姫ちゃん。ごめんなさいねえ、この前あなたに頂いたお人形さん、どこかへ行ってしまったの。ちゃんとあそこのとこに飾っておいたんだけどね……。いつの間にか。一昨日孫が遊びに来ていたから、気に入って持って行ってしまったのかしら。本当にごめんなさい」


 嫌な予感がした。柚姫はとりあえずお礼を言ってアリスを連れて家に帰った。急いで鍵をつっこんで引き戸を開けると――。


「そう。いたよ。彼が。たたきのところにちょこんと座ってね、私の方をね、こう、心なしか不満そうな目つきでじぃっと見上げて……」

「肌が粟立つっていうのは、ああいうのを言うのかな。本当に、怖かった」


 どうやって隣家を抜け出してきたのかとか、どうやって鍵のかかった我が家に入ったのかとか、そういうことが全てどうでもよくなるくらいに。

 また追い出されては堪らないと思ったのか、彼はそれまで以上に柚姫に付きまとうようになった。もう、柚姫が見ていようが構わずに動き回る。

 こと、こと……家の中を歩いているのだって何度も見た。仕事先にだって付いてくる。柚姫が気付くと、尚更視線を強くしてくる気がする。国内だろうが、海外だろうが、どこからか私を見つめている。


「まあ、こんな感じのありきたりな話なんだけど。まだ今年のことだよ」

「え? 彼女に会ってみたいって? いやだなあ、さっき言ったじゃないか。いつでもどこにでも私の後を付いてくるって。今日ももちろん来てるよ」

「私のことが一番よく見える位置……あ、ほら、君のすぐ傍に」

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