赤い花

「あ、ボクの番ですか。あれはまだ、#再兄妹__はとこ__#の#幟__のぼり__#さんと同居していた時に体験したんですけど……」


 #石菖青葉__せきしょうあおば__#は小さい頃から留守番には慣れていたが、その日はいつもより幟の帰りが遅かった。


「遅い……」


 朝に聞いていた予定よりも帰りが遅く、青葉は一人で空腹に耐えていた。使った食器は一緒に洗う方が合理的だと思い、待つことを決めた。

 すると突然、玄関のインターホンが鳴った。しかし動く気なんてさらさらない青葉は、居留守を使うことにした。しかし、一定の時間を置いて、何回も何回も呼び鈴が鳴らされる。あまりにしつこく鳴らしてくるので、流石に急用か何かだろうと思い、玄関へ向かった。


「今思えば、玄関へ向かってる最中も鳴り続けていましたね。そこからもうちょっと気味が悪かったですよ」


 大瀧の家の玄関は半分ガラス張りになっていて、インターホンを押している人物の状態が少し見える。怪しかったら無視をしようと思い、間隔がないくらい連打される音ににうんざりしながら目を凝らしてみた。

 そこには、赤っぽい服を着た、青葉と同じ背格好くらいの少女が立っていた。その時は誰かが訪ねてくる予定はなかったし、幟の姉の#朝凪__あさなぎ__#は滅多に赤い服を着ない。

 悪戯にしちゃかなり悪質だ、チェーンはつけたまま、玄関を開けて怒鳴ってやろうか。でも開けた瞬間何か飛んできたらな……色んな対処法を考えながら、青葉はもう少し玄関へと近づいてみた。ですが、ドアノブに手を掛けると同時に、あれほど鳴っていたインターホンがぴたりと止んだ。でもその代わり、今度はドアを叩いてきた。

 だんだんだんだん。

 コンコン、なんてものじゃない、掌で扉を叩いているような音だった。青葉はそのまま逃げるように離れた。ドアノブから手を離したのは、音に驚いたからではなかった。

 だんだんだんだんだんだんだんだんだんだんだんだんだんだんだんだんだんだんだんだんだんだんだん……。

 音がするたび、叩かれていたところが赤く染まっていったから。その子のものなのか、それは掌の形をしていた。子供の手は紅葉のようだとはよく例えられるが、まさにそんな形の。そして、それはどんどん数を増やしてきた。

 青葉は全身からぶわっと、変な汗が出てくるのを感じた。そしてその音は突然ぴたりと止んで、今度はドアノブをがちゃがちゃがちゃと忙しなく鳴らしてくる。

 苛付きよりも気持ち悪さが勝ち、青葉は後退りしながら階段を上り、二階の自室へと駆け込んだ。鍵をかけ、ベッドの布団を頭から被り、向こうが飽きるまで待つことにした。でも、いつまでたっても止まない。

 がちゃがちゃ、

 がちゃがちゃがちゃ、

 がちゃがちゃがちゃがちゃがちゃ……。

 ああ、五月蠅い五月蠅い五月蝿い五月蝿い五月蝿い五月蝿い五月蝿い五月蝿い五月蝿い五月蝿い……。

 必死にぎゅうっと目を閉じ、音を掻き消そうとした。何分くらいたっただろうか。その音は突然消えた。諦めたのかと思ったのだが。

 ぺた。ぺた。ぺた……。

 今度は階段を濡れた素足でゆっくりと上ってくるような音が聞こえてきた。当然、幟が出かける前に全部窓も勝手口も閉めていったし、玄関なんて論外。どうやって家に侵入してきたというんだ。

 青葉は最大限存在を消そうと、唇をかみ締め、目を閉じ、身を縮こめた。全身が震え、奥歯はガチガチと鳴っていて、ドアの向こうにまで聞こえてしまうんじゃないかと思うくらい、心臓がばくばくと脈打っていた。跫音は青葉の部屋まで一回も止まらない。

 ぺたり。

 跫音が、止まった。よりにもよって、青葉の部屋の前で。青葉の部屋は突き当たりだ。その音が止まっても、目は開けてはいけない気がして、そのまま閉じていた。しかし、その気配はないのでそっと、目を開けてみることにした。目の前は、暗かった。当然だ、布団の中にいるわけだから。

 青葉ほっとできたのも束の間、足首に違和感を感じた。不思議に思った青葉は、左足を見た。そこには、真っ赤な手。青葉の左足首をぎゅうっと、握っている。一本一本の指が痛いくらい左手首に食い込んでいて。それに少し生暖かくて、湿っていた。

 すぐさま恐怖はぶり返してくる。ああ、もうだめなんじゃないか。しかし、まだ死にたくないという気持ちもあった。


「……て……」


 壁伝いから来たような、薄い声が聞こえた。何を示す言葉までは聞き取れなかった。ゆっくりと、足首から声の方へと目線を外した。

 ガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガン……。

 青葉の本能が頭がくらくらするぐらい騒がしい警告音を立てていた。


「……っ……!」


 思わず目を見開くと。暗闇しかない場所に、少女の顔。青葉の胸にぴったりと引っ付く形で、こちらを見上げていた。

 暗闇でもすぐわかってしまう程、青葉を見上げている顔は、不気味なまでに無表情。


「……ネットで一番怖い顔というのは無表情だと読んだことがあるんですが、同感だとあの時は思いましたね」


 思考がフリーズし、声が思ったように出ない。そして青葉の喉元に、にちゃ。粘着性のあるものが触れた。その瞬間、青葉の中の何かが切れた。


「あぁぁああああああ!」


 布団ごと投げるように、少女の手を振り払った。掴んでいた力を考えたら、足をもがれるかとは不安だったが、その時はアッサリ離れた。

 青葉はベッドから離れられたが、腰が抜けて、床にぺたんとそのまま座り込んだ形になってしまった。日差しをたっぷり浴びていたはずのフローリングが、恐ろしいまでに冷たく感じる。そして周りは静まり返っていて、逆に不気味さが蔓延っていた。

 『彼女』が来る前に外に出なければ。青葉は手と膝を使って、後ずさるように床を這い出した。左手を床に付いた瞬間、足を動かそうとするとが滑りかけた。慌てて右手をつき、何とか転倒だけは防いで。何かと思い、自分の左足を見た。

 ――血だ。

 ペンキみたいな、

 赤い赤い赤い赤い赤い赤い赤い赤い赤い赤い赤い赤い赤い赤い赤い赤い赤い赤い赤い赤い赤い赤い赤い、血。

 視線を、布団の方へと戻した。布団と一緒に、床へ放り出され、横たわっている少女。仰向けに横たわっていたが、首だけは、青葉を恨めしそうにじぃっと。瞬きすらせず見つめていた。

 そして、青葉がガラス越しに見た赤い服は、上半分だけが赤かった。それは綺麗な染め物のような。その赤色を出しているのは、少女の体液で。左肩から下は、無残にも原型を留めているとは言えなかった。


「う……うう……」


 奥歯が震えて、悲鳴と言う悲鳴さえも上がらない。吐き気がするくらい、怖くて怖くてたまらない。早く部屋のドアノブを探さなければ。

 青葉を恨めしそうに見ているその顔から、目を離してはいけないと本能が悟っていたので、手探りでドアノブを探した。絶体絶命なのに、周りの壁を意味もなく叩いている自分が、不思議と滑稽だと感じた。そして遂に、金属の冷たい温度が掌に伝わってきた。青葉は必死に空けようと回して。


「え……?」


 右に捻っても、左に捻っても、ドアは開かなかった。

 がちゃがちゃ、がちゃがちゃがちゃがちゃがちゃがちゃがちゃがちゃがちゃがちゃがちゃがちゃがちゃがちゃ!

 何回開けようとしてもあかない。


「マジ、で……」


 もう、何だか判らない。もうだめだという気持ちからか、青葉の目線はドアノブに向けられていた。昨日の掃除で磨いたばかりの金色のドアノブは、赤い血で汚れている。もう外には出られないと言う絶望感が、青葉をゆっくり支配していった。自分はもう、殺されるしかないのかと。

 再び放り投げた布団の方を見ると、彼女はもう青葉のすぐ傍まで来ていた。少女は地面を這う蛇のようにずるずると躰を引きずるように動く。赤い跡が、彼女の足取りを表すかのようにべったりと付いていた。相変わらず顔だけ……未だに青葉を見たままで。


「な……何なんだ……もう……」


 逃げるといっても、すぐ後ろは壁なわけで。逃げようにも、ただ躰を限界まで丸めて縮めるしかできなかった。とうとう、真っ赤に染まった手が、青葉のすぐ傍までやってきた。もう振り払える体力もない。彼女は足を掴むと、どんどんどんどん躰を起こしていく。まがまがしい動き。青葉の首に、濡れた手がかかった。


「あ……」


 じわじわと手に力が入ってくるのがわかった。首がギリギリと音を立てている。ああ、彼女は自分を殺そうとしているのか。だんだん苦しくなってきた。躰が震えて抵抗という抵抗が出来ない。できることは、大嫌いな涙を零すことだけ。


「本当に、怖かったですね。朝凪さんや幟さんが怒った時より数倍も」


 ぐいっ。

 顔が一気に近づいてきた。

 くぱぁ。

 洞穴のような口が開いた。肉同士がすれあう音もして、食べられるのかと思ったくらいだった。


『ドウシテ』

『タスケテ』

『カエシテ』


 薄れていく意識の中で、そんな言葉が聞こえた。それも、一人の声ではなく、老若男女の。

 涙まじりの声。悲しそうな声。憎憎しい声。怒りの声。何かを求める声。

 何十人のも人間が、一斉に叫んだような声でした。

 そして、目の前が暗くなった。


「……葉っ、青葉、起きろ!」


 幟の大きな声で、青葉の意識が浮上した。


「うう……」

「どうした、青葉」


 珍しく、いつものお茶らけた感じではない声色。薄っすらと視界が戻ってきた。そして、幟の、火傷の痕が残った浅黒い顔が見える。


「ど、したって……?」

「血まみれじゃねぇか。何があった?!」


 勢いよく起き上がると、辺りはちょっとしたスプラッタ映画の撮影現場のようになっていた。フローリングの床、新調したばかりのベッド、ドアノブ。……少女が這ったところも。更に青葉の部屋着にも、べったりと、紅葉色の、手の痕が。


「……っ……」


 しばらく呆然していたが、少しずつ恐怖に遅れ、涙がこみ上げてきた。何も解ってないであろう仕事着のままの幟に、全てを話した。チャイムを鳴らして勝手に入ってきた少女のことも、最後に聞こえた不思議な声も。その間、幟は青葉を落ち着かせるためか、ずっと頭をなでててくれていた。


「……此処で終われば、心霊番組によくあるような怪談話になるんですが。一応、補足みたいなものもしておきますね。実はその日は、隣町で無差別爆破事件が起こっていた時なんです。最近までテレビ番組や新聞でも取りざたされていましたから、知らない人の方が珍しいでしょうけど……。何でも、四人の男達が町のお祭りの準備の最中に乱入してきて、片っ端から自爆していったらしいですね」

「きっと、彼女と彼らは、別に怖がらせたかったわけでも怒っていたわけでもなかったんですよ。誰でもいいから、伝えたかったんです。無念と、救済を」


 語り終えた少女の後ろの壁に、あんな手のような紙魚はあっただろうか。

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