執心
何かスピカ姉(ねえ)に呼ばれてきたんだけど……何これ? あーうん、不知火稲風しらぬい いなかぜ)だけど、え、新聞部の取材? 怖い話をしたら解放するってアンタらどこの治安警察だよ……。
北欧にはどんな怪談があるって? あの周辺には幽霊なんて滅多に出ねえんだぜ。出るとしても、ご近所の島国の妖精とか小人とかだし。そ-いうのなら別に怖くなんかねえだろ? だから、日本の怪談に出てくるような恐怖を与えるのは全くと言っていいほど思いつかない。去年の夏までは。
夏休み、稲風は祖母の実家があるノルウェイに行った。夏といっても、それほど暑くない北欧の夏。日本の北海道のようなものだ。
「いや、僕は北海道に行ったことないから、あくまでイメエジだけど」
そんな北欧に住んでいる従姉のパールの別荘に、稲風は一人で向かっていた。何でも、デンマアクに静かなところに別荘を建てたので遊びに来いとのこと。
「あそ、遊びにぐらい行ってあげなさい」
別荘なんて知ったこっちゃねえとすぐに断ろうとしたが、それを皿を洗いながら聞いた姉のスピカにせっつかれ、一応暇だから行くことにした。ちなみに前述の台詞は誤植ではない。
「にしても、遠い……」
ボヤいてしまうほど遠かった。しかも道が舗装されていないので、自転車に乗ってくればよかったという後悔もできない。本当にここでいいのか分からないくらい、深い森。これなら何処に建てても静かだ。
キキキキ……ギギキ……
茂みの方から、プラスチック同士が擦れあうような、不愉快な音が聞こえてくる。何かの生き物の鳴き声だろうか。それとも、誰かが外で何か作っているのか。試しに後ろを振り向いてみるが、もちろん誰もいない。気味が悪くなって、稲風はさっきよりもペースを上げて目的地に向かった。一瞬、ちらりと若い女がいる気がした。
その別荘は従姉の一軒家と変わらなかった。二階建てで水色の壁、別荘には勿体ないくらいだ。
「よく来たねー、いなちゃん!」
「お邪魔しやーす」
従姉に引っ張られるように別荘の敷地を跨いだ。オランダせんべい(こんな名前だが制作しているのは日本)があったので、つまんでおく。
「そういや、ここ来る時に変な音聞こえました」
「音? 動物の鳴き声じゃなくて? どんな音?」
「こう……ギギギとか、キキキとか。何か変な音だったス。アンタの弟の音痴の方がマシなくらいな」
従姉の顔からいつもの能天気さが消えた。まるで、目の前で事故の瞬間を見てしまった時のような。
「いなちゃん、それマジなの? 嘘じゃないよね?」
突然両肩をがっちりと捕まれ、まるで尋問されているかのような口調で問い詰められる。いつ聞いた、何処で、本当に、何かの見間違いでは。同じようなことをがくがく揺らされながら聞かれる。
「そ、そんな嘘ついて何になんすか?」
「……モオンナ様だ……いなちゃん、あなたモオンナ様に魅入られちゃったんだよ!」
何それ。どうしようといった感じで、従姉は一人であれやこれやぶつぶつ呟いている。何が何だかわからなかった。もう帰っていいすかと聞こうとしたら、
「いなちゃん、今日は絶対帰っちゃだめだよ! ぜったいね、いーい?」
「あなたの家族にはあたしが連絡しとくから!」
そう一言、稲風に言い放った彼女の顔は、今まで見たことないくらい険しいものだった。
従姉の話を聞くと、モオンナサマというのは、結婚前か死産で亡くなった若い女の執念の集合体が悪化したものらしい。しかも幽霊というよりは、もうタタリガミのようなもので、若い男や子どもに憑くらしい。アヤカシに類するものは妖精くらいしか出ないこの国では珍しいと。
そしてそれに狙われたヤツは、キキキキ……ギキキ……という音を聞いた翌日、忽然といなくなるという。そして二度と戻ってこない。
それにしても、自分がそんなものに魅入られてしまったと思うと、複雑で仕方がなかった。こんなつむじまがりに目を付けるとは、物好きもいたものだ。それでは従姉の弟であるアゲートは平気なのだろうか。単にタイプじゃないとか。そう思うと少しだけ溜飲が下がった。モオンナサマとやらも見る目があるかもしれない。
ちなみにその弟を見かけないと思ったら、サッカーしに行っているらしい。その時だけはあの騒がしさが恋しかった。
とにかく一人にするわけにはいかないと、従姉はずっと稲風の傍にくっついていた。
「……これじゃアンタの方がモオンナサマじゃねえの? っていいたくなるくらい。厄日だと思ったね」
そして夜、稲風は二階にある空き部屋へと案内された。窓にはためこんだと思われるびっしり新聞紙と、仕入れ先は聞きたくないお札が張られている。部屋の四方には、塩が盛られていた。洋室にお札(難読漢字)と塩の山というのがミスマッチすぎで、逆に違和感ありありだ、不気味としか言いようがない。
「これもってて、お守りだから。いざとなったら、『助けて』って祈るんだよ?」
付け足すように従姉がいう。
「今日は、お風呂勘弁してね。それと、朝六時がすぎるまで何にも喋るんじゃないよ、出ないでね。私も、あなたのこと絶対よばないし、この扉も開けない。いいね、絶対だからね」
「……わかった」
稲風は赤い袋に入ったお守りを握り締め、頷いた。北欧で、この季節といえば白夜が見える。祖母の家があるノルウェイでも見られる時はあるけど、ここの方がちゃんとと思っていたので少し残念だった。
テレビは見てもいいということで一応つけたが、気休めにもならなかった。眠くなってきたのでテレビを消し、布団に包まりうとうとしていると、窓からカリカリという爪で引っ掻いているような音がしてきた。最初は小さいものだったが、時間がたつにつれ、「開けろ」そう言っているような乱暴なものになっていった。寝袋に包まり、眠りに集中しようと目を閉じる。
カリカリカリ……
ガッ――がりがりガリガリ……ガリガリガリ……
ばんっばんばんばんばん。
間違いない。今、窓の外には【モオンナサマ】がいる。
開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ……。
そう、外のヤツが自分に言っている。幸い、窓は新聞紙とお札でビッシリなので外の景色は見えない。コンコンとドアを叩いている音がした。タイミングがタイミングだったので稲風は身震いした。部屋の隅にある盛り塩を見ると、てっぺんの上の方から黒く変色していた。思わず声を出しそうになるが、唇を噛み、堪えた。
「いなちゃん、寝た?」
従姉の声だ。しかし、彼女ではないとすぐわかった。お守りを握り締め、救援信号を送る。大方身近な声を聞かせて、油断させて扉を開けさせようとしているのだろう。でも、何度も聞いているからこそわかる。違うと。ここで扉を開けてしまったら、間違いなく消えてしまうし、従姉がしてくれたことは全部パーになってしまう。化け物のせいで死にたくなかった。
とても夜が長く感じられた。実際、睡眠という睡眠は取れていなかっただろう。気づいた頃にはあの音はすっかり消えていた。テレビをつけてみると、時計は六時半になっていたので少し安心する。部屋の塩を見ると、あの時よりもっとまがまがしい黒色に変色していた。
部屋を出ると、何でか、従姉と来ていたらしい一番の上の兄(以下、雪之丞)が抱きついてきた。従姉にいたっては号泣。雪之丞は泣くというか、半ベそだ。
「よかった……いなちゃん、生きてた~!」
「勝手に殺さないでほしいすね」
一階へ行くと、すぐ二番目兄と、スピカも来ていた。
「よかった稲風くん、無事だったのね!」
姉も、半分涙目だった。鍛吾はまあ、いつもと変わらない感じだ。アゲートはウロウロして、鬱陶しい。
「んな大袈裟な……」
「稲さん、ホラー体験したのにいつもと変わんない」
アゲートが不思議そうに言われ、これでも結構疲れていると言い返そうとしたが、疲れて言い返す気もしなかった。みんな、自分のことを気遣ってくれたのだろうと解かっているので皮肉を控えるくらいの神経はある。
「さて、こっからがヤマや」
その発言に、稲風は意味が解からず、兄の方を向く。
「は? 鍛吾兄今何つった?」
「稲風くん。モオンナ様は、まだあきら、諦めていないのよ」
間髪をいれず、ちょうど背後にいたスピカの声色が珍しく低く、思わずゾッとした。
「だか、だから、パールちゃんは私達をよん、呼んだのよ」
にこりと微笑む姉の爆弾発言に、いつもの笑顔すらも恐ろしく感じた。みんなは黙ったままだった。
そして、稲風の兄弟達が乗ってきたという車に、運転席に雪之丞。助手席にスピカ、そして後部座席に従姉、稲風、鍛吾といった席順で乗った。アゲートは後ろの荷物を入れるスペースに寝っ転がっている。狭いけどあくまで俺が真ん中なのか……と内心思ったが、そんなことを言っていられる状況ではなかった。
「稲くん、いい? アンタはずっとうつむいていなさい。窓の外はいいと妾(あたし)らが言うまで見ちゃだめよ」
一番上の兄が口を開いた。言われた通り、分厚いタオルを顔にかけて稲風はうつむいた。ついでに目も瞑っておく。来る時もそうだったが、自分らの家までかなり遠い。しかも今は目を瞑り、足の先を見ている体勢になる。しかも不安や恐怖もプラスされ、より一層遠く感じる。車が発進し、十分くらい過ぎた頃のこと。
コツ、コツ、コツ……。
車の窓を叩く音。ノックしているのだろうか。
「見ちゃダメよ。妾達に音は聞こえても、姿はアナタにしか見えないんだから」
従姉が耳元で呟く。どうやら音は聞こえているらしい。鍛吾が裾を掴んできた。怖いのか、それとも自分を守ろうとしてくれているのか。
キキキキキ……ギギキキ……
「うっ」
すぐ傍に「いる」んだと悟り、恐怖から両耳を手で塞ぎ、その音を聞かないようにする。当然、目は閉じたまま。すると、スピカがぼそぼそと何か言い出した。耳を閉じていたから、何を言っているのかまでは判からない。
キキキキ……ギギギギギ……。
黒板をプラスチックで引っ掻くような、不愉快な音。怯えている標的に笑っているのか、それとも怒っているのか。それすらも解からない嫌な音が、耳を塞いでいるのにも関わらず聴覚を犯していく。すると突然、真冬でも味わったことないくらい躰が冷え込んでいった。それは内側からではなく、外側からじわじわと内側へといった感じだった。
思わず耳にあった両手を両腕へと移動した。隣にいた従姉がそれに気づいたのか、声を掛けてきた。
「どうしたの?」
寒くて声が出ず、首を左右に振ることしか出来なかった。そして俺は何を思ったのか、懐にしまってあったお守りを取り出し、握り締めた。すると、鍛吾兄が隣で息を呑む気配がした。
必死になって握り締めていた。中にある硬いものが折れてしまうのではないかと思うほどだ。お守りを握り、しばらくすると、さっきの悪寒が落ち着いてきたのでほっと溜息をついた。お守りの効力に感心する。稲風は安心感と好奇心から、うつむいたままではあったが、目を開けてしまった。横目で窓の外が見えてしまう。……眼中に入った赤いお守りが、あの塩のように黒く変色していた。
鍛吾はこれに息を呑んだのか。掌にあるお守りを穴が開くほど見つめていると、鍛吾の方の窓に何かがいた。いや、中を覗いているのか、鍛吾も稲風同様うつむいているらしい。少しうなだれているのが横目で見えた。国境まで来る時には、もう疲れ果てていて、もう何も喋りたくなかった。
「よく耐えたねー」
車から降りると、従姉にバンバン背中を叩かれて少し痛かった。みんなに礼を言い、それから従姉弟と別れて兄弟達と家に帰った。
「これなんやけど……」
「へ?」
その途中、背をつついてきた鍛吾が差し出してきたのは。稲風が持っていたものと同じ、赤いお守りだった。
「パールさんが、念のためにちゅうてな」
聞く前に言われたので貰うことにした。
「鍛吾兄、車の中で何か見た……? ずっとうつむいていたけど……」
今思えば、意地の悪いことをしたと思う。兄は少し戸惑った様子を見せながらこくりと頷いた。
やはり、稲風がお守りを出した時あたりらしく、窓の外に気配を感じたという。そして見てしまったらしい。恐ろしく髪の長い、血走った眼の若い女が窓から車内を舐めるように覗いていたのを。一目でモオンナサマだと解ったらしい。そして、突然鍛吾の方に向き、じぃと見つめられたそうだ。
鍛吾と稲風は兄弟の中で一番似ているので、おそらく間違えたのだろう。その時にちょうど息を呑み、そのままうつむいたらしい。しばらく経つと、また車内を見回していたという。
「たぶん、君には気づいとらんかったみたいやな。……それに国境を越えてまで憑いてくるもんやないみたいやし」
「うん……」
相槌を打って、そういえば、黒くなってしまったお守りは……探してみるとすぐ見つかった。やはり墨の中に突っ込んだかのように黒ずんでいる。ついでにお守りの中を取り出してみた。中には、真っ二つに折れた黒い札と、一枚の四つ織りになった紙があった。見ると、
「ナンデキヅイテクレナカッタノ」
そこには赤い字で書かれていた。新しく貰ったお守りを、もう一度握り締めた。
青年が語り終えると、キキキキキ……何かをひっかくような音が聞こえた気がした。
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