社会の窓から始まる恋⑫

「馬鹿者だけが恋をする」


 私が群衆に向かってそう呼びかけると、おおよそ疑問の様子をもって反応された。したがって詳細を話すべく、続きを急ぐ。


「人というものは有史以来、多くの生命の誕生をつなぎ、その種を保ってきた。その過程で生じるものは何か、無論恋だ。生命の連鎖が続く限りには、人は恋をすることから逃れることはできない生き物なのだ」


 口上を述べつつ、群衆に紛れている要員を確認する。

 亀の団の長である辰村嬢は、私の対面になる場所にて、いそいそとビール箱による即席お立ち台を設えている。そして今からスポットライトを浴びることになる、主役二人は何も知らずにそれぞれに割り振られた仕事に没頭している。一人は辰村嬢の補佐として傍に控え、一人は私から見て右後方にて荷物持ちだ。


「それなのに。恋をすることができない苦しみは、私にもよく理解できる。自らは生命として欠陥のある不出来なモノなのではないかと思い詰める心理も、よく分かるのだ。かつての私は恋の一つもまともにすることが敵わない賢者であった。だからこそ、思う。諸君らは何を賢しらに頭でっかちしているのか」


 準備が整いつつあること確認しつつ、私は声を張り上げる。


「諸君らは阿呆である。ひいては馬鹿者だ」


 強い言葉に、聴衆はどよめきを起こす。

 嗚呼、嘘偽りのない気持ちとはいえ、なんという主張であろうか。

 しかし止めることなぞできはしない。

 何故なら私こそが『恋する馬鹿者』であるのだから。


「でなければこのように、社会の窓を光らせて行進する真似なんてできようはずがない。そうでなくとも、我々は生まれてきた限りには、誰か馬鹿者の血を継承しているはずなのだ。血に勝る因縁というのも中々ない。カエルの子はカエルだ。私が保証しよう、諸君らは馬鹿者である──つまりは恋ができるのだ。諸君らは、あなたはっ。世界で一番の恋をすることができる」

「意義ありっ」


 私が調子良く、演説を切り上げようとしたところで物言いが入る。そこには不安定なお立ち台に乗り、拡声器を脇に抱えた亀の団長。辰村真緒嬢の姿があった。


「あなたの言うことは全て机上の空論だ、理想論だ。夢空想を語るだけで、おまんまが食えるものか。私たちに、恋ができる? はんっ、適当なことを。それこそ夢物語だ。長年において熟して発酵したモノがどれほどのエグ味を持つか、知らないからそんなことを言えるのだ」

「あなたは本当に良いものを口にしたことがないようだ。ながく寝かしつけた食物というのはアクさえどうにかすると、それは奥深い旨味を持つ」

「食物の話をしているのではない。とにかく、私たちに恋ができるはずなどないのだ。違うと言うのなら証明してみせてもらいたい」

「いったい、何をすればいいという?」

「かつて、あなたの様な者がいた。我々の先達に恋を説き、そしてそれを見事に実証してのけた。我々を恋に導いたのだ。そう、あなたの先代である。あなたもかの怪人を名乗るのであれば行動によって立証してもらいたい」

「つまり?」

「私たちに恋をさせろ」


 辰村嬢が啖呵をきると、周囲から視線を受けるのを感じる。

 その色は疑惑と、そして期待だった。

 かつては耳にしたことのある、有名な「亀の団とラブラビット」の逸話。馬鹿馬鹿しくも痛快なその与太話の再現を、果たしてお目にすることができるのか。そんな色の視線を、広場中を埋め尽くす群衆から向けられる。

 

「造作もない」


 私は言った。自信満々にいっそ安請け合いのように。

 徐に金字塔から降りた私は、目的の人物の方へと歩み寄る。

 もしかしなくても、これは茶番である。最初から仕組まれた狂言である。その証左に先程より私との掛け合いを演じた辰村嬢といえば、ニヤニヤと堪えきれない笑みをしている。楽しそうで何よりだ。

 そうして私は当初の予定通り、とある人物へと声をかける。そいつは訳がわからないといった顔をしたまま群衆の前へと、舞台上へと押し上げられたわけだ。


「諸君、しかと見届けろ。今からこの娘の恋を成就させる」


 私が群衆へと向かって宣言すると、件の娘は慌てて私に抗議の声をあげてきた。

 そいつは我がクラスの生徒で、名を猿渡奈海という。


「ちょい、ちょっと寅ちゃん。私、なんにも聞いてないんですけど」

「当たり前だ。関係者各員には『絶対に秘密だ』と厳達してある」

「仲間外れ反対っ」

「なに、難しいことを申しつけるつもりはない。お前はここで自らの思う様を体現すれば良いだけだ」

「心の準備とかあるんですけど」

「いつぞやにも言っただろう。『女は度胸』だ」

「初耳だよっ」


 はてそうだったかと軽く思い起こしてみるも、現在において注力すべきことではないため、思考を中断する。とは言っても、後のことは本当に簡単だった。猿渡の前に『運命の人』をホイと立たせれば良い。そこに私の労苦なんぞはない。あとは群衆と一緒になって、若者たちの恋の行方を観戦するばかりなのであるが。

 しかし、だ。

 それで本当に良いのだろうかと、疑問がよぎる。

 思い起こされたのは、かつての師匠の言葉であった。『人々に助力するのであれば施される喜びよりも打ち克つ楽しみを』と、自らが恋する人々への全てを取り仕切っていたことを悔いていた。はたして私が猿渡の『運命の人』を選定するような体を取るのが、今後の彼らのためになるものか。

 そんな風に思った私は、勢いのままに行動した。


「この中に一人『運命の人』がいる。我こそはと思う者は名乗りをあげろ。そいつこそがこの娘の想い人だ!」


 したがって本人たちの自由意志のもとに行動させる。

 無責任と責めるなかれ。楽しければ仔細は構わぬのが人というものである。

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