社会の窓から始まる恋⑪

 その日の駅前広場は幻想的な活気に満ち溢れていた。

 右を見ればジングルベル、左を見ればホーリーナイト。

 静謐で穏やかな雰囲気を醸し出しつつも、その実、ソワソワとした熱気に包まれている。「あの日」特有の空気がそこにあった。子供連れの家族たち、仲睦まじい恋人たち、そして彼らの幸せな時間を支えるイベントスタッフや商業施設の従業員たち。多くの笑顔と期待によって彩られている。

 実に結構なことである。

 誰もが羨む絵に描いたような幸せの光景は、自らもそうありたいと正しい感情を喚起させてくる。それこそが健全な人間の思考であり、羨むからこそ台無しにしてしまおうと考える輩がいれば不健全だ。まったくもって言語道断。しかし気持ちは理解できるので情状酌量の余地はあるかもしれない。

 そして本日において、そんな不健全の権化のような者達がいる。

 名を「亀の団」という。正式名称は長い上に無意味なので割愛する。

 彼らは今日というこの日に、多くの人々の混乱を引き起こそうと悪巧みしているのだ。

 戒めなければならぬ。

 べつに正義感から言っていることではない。

 彼らという『馬鹿者』たちがいるのであれば、正しく導く必要があるからだ。

 私がそのように腹を決め、黙して待機しているとふと天の様子が目に映る。

 快晴の夜空だ。

 かつてはこの澄んで雲一つない空を憂いたこともあったが、今はそのようなこともない。ただこちらを見守ってくれるように微笑む、真ん丸な月に感謝するばかりである。月光は柔らかくこちらを包んできている。その恩恵にどれほど勇気付けられてきたかは、はかりようもないため分からない。

 すると駅前広場の様子がザワザワと騒々しくなる。どうやら時間になったようだ。


 そうして、彼らは来た。


 地響きのような唸り声を発し、口にするのも憚れるような内容の合唱をまき散らしてやって来る、悪夢のような集団。全員が全員、股間を輝かせて行進する彼らの様子は、慈愛に満ち溢れた本職の聖職者であろうとも苦笑するに違いない。生真面目な者であれば、この世の終わりの光景と見間違えてしまうかもしれん。なんと罪深い。

 彼らは困惑する民衆を押しのけて、広場を占拠すると、手際よくビール箱による金字塔を積み上げる。そしてそれを中心に取り囲むようにして配置についていた。本来であれば、ここで登壇するのは彼らの長であった。彼らは救世主を待つような気持ちで待機しているのであろうが、生憎、それは実現しない。彼らの長といえば、すでに我々の手の内だからだ。

 どうやら準備は完了したようである。 

 私は満を持して、彼らの前へと躍り出た。


「紳士淑女諸君」


 大声を張り上げて金字塔上へと登場した私の姿に、大勢が何事かと目を丸くしている気配が伝わってくる。亀の団は想定外の事態に、それを遠目に窺っている往来の一般人たちは、私の常ではない異様に。

 私の姿と言えば、なんとクラシカルな燕尾服である。

 そこへ兎耳というジョークグッズをつけていた。

 不審者だと言う他はない。

 周囲の悪ノリに流されるような形で承諾してしまったが、これは少々恥ずかしい。しかし、大勢の注目を集めるという目的には合致しているので、この勢いのままに進めるしかない。私は未だ群衆が呆然としている間に口を開いた。


「恋とはなんて馬鹿らしい。諸君らは恋という素晴らしいモノに身を焦がしたことはあるか、私はある。というか真っ最中である。私は恋をしているのだ。愚かしいと笑わば笑え。しかし、誰もが羨む世界で一番の恋をしているのだ。これに勝る喜びなぞない。諸君らにおいては刮目せよ。馬鹿者だけが勝ち取れる至上の喜び、それこそが恋だ」


 私の口上に、地上にのさばる有象無象どもより「引っ込め」とヤジが飛び出し始める。確かに彼らの立ち位置を鑑みると、私の主張は受け入れられるものではない。そんなことは百も承知だ。よって彼らの注目を維持するために、次の一手を投入する。

 私が手をあげて合図を送ると、広場にそれまでとは趣の異なる音楽が流れ始めた。

 曲名は「雨に唄えば」という。

 すでに私の十八番として我が物とした名曲である。

 広場のスピーカーより流れる、讃美歌やキャロルとは違った比較的ポップな曲調により、群衆は何事が起きたかと混乱していた。そんな中、私は踊り始める。

 ビール箱の金字塔の上でパフォーマンスをするというのは、もしかしなくても曲芸の域であるが、これまでの血を滲むような修行の成果がそれを可能とする。ときには壇上でアクロバティックな動きを披露して観客の度肝を抜いた、ときにはワザと足場を崩して危機的状況を演出したりもした。

 多勢の注目を集めるには、おおよそ三種類の方法が有効であると考えられる。

 一つには権力だ。人は偉い人にこそ、その耳を傾ける。

 二つには恐怖心。自らを脅かす対象にこそ、人は視線を逸らさない。

 そして三つには、享楽にある。楽しいもの喜ばしいものにこそ、人は注目する。

 私はその三つ目の力を借りて、群衆の興味を惹きつけようとしていた。

 結果は成功である。

 曲が終わり、息を切らした私は、多くの拍手喝采によって受け入れられた。見渡すと先ほどにヤジをかけてきた者ですら、芸の報酬とばかりに手を叩いている様子が見える。楽しければ仔細は構わぬのが人というものである。全くもって救いがたく、そして素晴らしい。

 私は優雅に一礼をすると、口を開く。


「私は諸君らを否定したいがために、発言しているのではない。ただ諸君らにとって有意義な提案があるからこそ、こうしてこの場に立っている。どうか最後まで聞いていただければ幸いだ」


 観衆を沸かせたことにより、その場の発言権を得た私は、改めて名乗りを上げる。


「申し遅れたが、私の名はラブラビット。かの有名な怪人『ラブラビット』その二代目である。『恋する兎』は自身の恋の成就のため、そのついでとして諸君らに『運命の出会い』を届けにきた」


 そのようにして、奇怪な夜の幕は開ける。

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