社会の窓から始まる恋⑨

「安田先生。とりあえず、職員室で踊りだすのはやめてください」

「おっと、これは失礼」


 職員室にて業務に専念していると、同僚の体育教師から指摘を受ける。

 どうやら移動する際に無意識にステップを踏んでいたようである。

 体育教師は「いったい今度は何をしでかすつもりなのやら」とぼやいて去っていったが、心なしか機嫌が良いように見える。何かいいことでもあったのだろう。

 師匠に協力を要請した日より、幾日。私は忙しない生活を送っていた。

 日中においては仕事に勤しみ、業務後になるとBAR「ラブラビット」にて師匠からみっちりと指導を受ける日々。その厳しさは以前の比ではなく、そのおかげか私の技量はメキメキと上達している。現在であれば、往来の人々の目に留まるぐらいわけはない。それぐらいの自信がある。しかしその強引な修行の弊害として、無意識のうちに身体が特定の動作を取ることがあった。これついては慣れていくしかないと割りきる。

 合わせて、関係者各位との連絡も怠らずとりあっている。

 連日のようにBAR「ラブラビット」にてどんちゃん騒ぎをする阿呆どもの集会を眺めては、こやつらの肝臓はいったい何でできいるのかと呆れはてるばかりである。私は弁えた男であるので、仕事に支障が出ない程度にしている。杯を交わさないというのはコミュニケーションに齟齬が生じる場合があるため、あくまで仕方なくである。あくまで。

 そのように予断なく事態に備え、気の抜けない日々を送っている折である。

 私は、いつものようにデスクから立ち上がった。


「一服ですか? ――って安田先生は吸いませんでしたね」

「ええ、ちょっとコーヒーでもと」


 近くに座る年配の同僚教師に言づけて私は渡り廊下へと向かう。

 暗い校内の中、そこには飲料を売る自動販売機らが並べられていた。その内の一つに硬貨を投入すると「こんばんは、おつかれさま」と挨拶をされる。


「こんばんは。あなたたちはすごいな、こんなに寒い中でも文句も言わずに仕事をしている」

「商品を一つ選んでね」

「おお、そうさせてもらおう。さて──」



 目当ての品はもちろん『BLACK RX』である。

 かつて、この頼れる仕事の友を喪失するという憂き目にあった私は、何もせずに同じ轍を踏むことはしなかった。予め事務職員に要望を出していたのである。事務職員はそれを業者に伝え「希望者がいるのであれば」と、晴れてRX撤廃計画は無期延期と相成った。正義は勝つのである。

 私はRXを購入するボタンに狙いを定めると、ふと思いつく。

 いつもならば、ここらで犬塚なり猿渡なりのアクションがあるはずだった。

 これまで経験した時間において、今この時間こそが彼らの告白の時であったからだ。

 今回においては私が必死に遅延工作を働いているためにその可能性は低い。だが『運命』だということなら避けようはない。今日この時こそが彼らにとっての『運命の時』であるならば、ここらで彼か彼女が私の横を走り抜けていくかもしれないのだ。

 そうなると購入するべきはRXではなく、あったかいココアなのではないか。

 験担ぎの意味合いもあり、そんなことを考えてしまう。

 そのように逡巡していると、時間が来てしまったのだろう「お釣りをお返しするね」と硬貨が返却される。悩みすぎたかと思い、返却口へと手をさしのべていると「こんばんは。良い夜ね」と挨拶をされる。今度は私の横合いからであった。


「羊か。びっくりした」

「もう、前も言ったでしょう。気軽に『羊ちゃん』って読んでくれると嬉しいって」


 気配を感じさせずに出現した女性は、羊である。

 相変わらず魅力的な容貌に軽薄な笑顔を貼り付けて、楽しそうにしている。


「では羊ちゃん」

「なあに寅ちゃん」


 満足げな彼女の様子に、これで良いかと肯く。彼女には少なくない恩義を感じているので、許容できる範囲には彼女の意向にそう行動をしたいと思う。

 彼女はしばしニヤニヤと私の姿を眺めていたかと思うと、こちらに近づいてくる。


「随分と楽しそうなことを企んでいる様子で」

「やはりお見通しだったか」


 彼女は私が「あの日」において成そうとすることを指摘する。

 彼女には詳細を語ってはいなかったが、案の定、隠し事は無意味であるらしい。


「そんことないわよ。何もかも事前に知っていたら、当日に楽しめないじゃない。『大勢を集めて、なんか楽しそうなことしてるなぁ』ってことぐらいかな。全部終わったら、何をしていたのか事細かに観させてもらうわね」

「プライバシーにも配慮してくれると嬉しいが」

「うふふ、善処します」


 期待できない返答である。


「千鳥さんの様子はどうだろうか。変わりはなく?」

「問題はないみたいよ、私が顔を出すと熱烈に歓迎してくれるわ」


 来たる「あの日」に向けての分担として、千鳥さんには「エアーマット」の準備をお願いしていた。どうやら彼女にはイベント遊具のレンタルにアテがあるらしい。それならばと依頼したのだ。当然、私とは別行動になる。できることならば私とて、彼女と行動を共にしていたい。しかし、元より年末のこの月は互いの都合が合わない日が多く、唯一の接点であった駅のホームでの邂逅も、諸々の準備のために実現できていない状態である。通話やメッセージにて連絡は取り合っているため、全くの無接点という訳ではないが、やはり顔を合わせてこそ得られる交流というのもある。

 故に現在は、時間や距離というものが意味をなさないらしい羊に、千鳥さんの近況を尋ねるぐらいでおさめている。


「私、彼女も好きよ。可愛いもの」

「ほどほどにしてくれると助かる」


 愉悦の笑みを浮かべる羊に、やんわりと釘を刺す。そしてふと、これも良い機会かと思い、以前から気になっていたことを彼女に聞いてみることにした。


「羊ちゃんよ」

「なんだい、寅ちゃんよ」

「前から思っていたのだが『運命』を変えるという大それたことを、一個人が気軽に行っても良いのだろうか?」

「良いんじゃない?」


 返答はなんとも軽い肯定の言葉である。


「しかし我々の為そうとすることは、多くの人間の恋路に関わることにある。大仰に言ってしまうのなら、多勢の『運命の人』を変えてしまうことに繋がりかねん。そのような大きな責任を取り切れる自信は、はっきり言ってないのだ」


 運命の相手が変わる。

 それが幸運なことなのか悲運なのか、人によって異なるであろうが、私であれば絶対にお断りの行為である。それを他人に了承もなく、ましてや意識すらさせずに強いるというのだから、抵抗はあって余りある。さらに突き詰めて考えてしまえば、未来の世代に波及しかねない大問題であるとも捉えられる。将来に生まれてくる子供たちが、必ずしもセワシくんであるなど、誰も保証できないのだから。

 そんな戸惑いを素直に表明したのだが、羊は変わらずあっけらかんとしていた。


「寅ちゃんは真面目ねえ」

「それが唯一、突出したアイデンティティであると自覚している」

「あらもっと色々あるわよ、お馬鹿なところだとか」


 失礼な羊の言を聞き流しつつ、先を促すと彼女は「そんな小難しい話を一生懸命考え込んだって、今更よ、今更」と説明してきた。


「今更とは?」

「だって私が散々に弄ってきた後だし」


 彼女はサラリと、とんでもないこと宣う。


「そもそも『あるがままの原初こそを尊ぶ、それ以外は認めない』という話だったら、人類なんて一人も残しちゃいけないわよ。今までどれほど滅亡したことか。滅ぶたびに『いい加減にしろ、何回目だよ』って思ったものよ、いやほんと」


 羊曰く。

 人類が滅亡するたびに、運命を操作して、無かったことにしているとのことである。

 理由は単に、彼女が人類を気に入っているからという、極めて個人的な好みの問題である。人類の存亡は、彼女のご機嫌次第だと、ケロりとした顔で語られても困る。

 彼女は「つい最近だって『世界一優しい武器』とやらで全滅したのは、誰だったかしら。忘れたとは言わせたくないけど、忘れてるんだから本当に癪にさわる」とプリプリとお怒りである。世界一優しいのに滅亡するとはこれ如何に、と疑問に思わなくはない。

 

「まあ、そのような具合だから。今更に寅ちゃんが気に病む必要なんてないわよ。あるがままなすがままのナチュラルなものなんて、この世に存在しないわよ。私というモノがある限り。だったら何をしようがお構いなしってものでしょう」

「それはまた、どう反応したら良いか。悩ましい」


 改めて彼女という存在が埒外であることを認識するとともに、これ以上この問題については触れないことにする。彼女の言う通り、私が気を揉んでも詮無い話である。

 私はそれまで寒い中を立ちっぱなしで会話していることを思い出し、せめて少しでも暖を取ろうと自動販売機に硬貨を再度投入する。そして取り出し口より暖かいココアを手にすると、羊へと手渡した。彼女はそれを受け取るとニコリと微笑み、ここを去る気配を見せる。

 その前に、もう何度目かも分からない、いつもの台詞を発してきた。


「寅ちゃんは寅ちゃんらしく、好き勝手に振る舞えばいいの。愉快なモノを見せてくれることを期待しているわ」

「どうしてそこまで私を見てくれるのか、疑問ではあるがありがたい」

「あら、そんな認識じゃダメよ。寅ちゃんのことを応援してる存在なんて、私以外にもたくさんいるんだから。色んなところに目を向けて見てくれる人っていうのは、お返しのように見られているものよ。あなたみたいに路傍の石コロどころか、冷たい鉄の塊にすら真正面にして話をする人は、特にね」


 そうして彼女は去っていく。最後にチラリと自動販売機の方に目を向けてだ。

 どうやら私のたわいない戯れはお見通しであるらしい。

 私が「恥ずかしいところを見られてしまったな」とぼやいていると、自販機氏から声をかけられる。


「やったー大当たりー」


 どうやらおまけで、もう一本購入できるようである。

 私は当然のようにRXの購入ボタンを押すと、ガタンと重量のある音が聞こえた。取り出し口に手をさしのべていると「今日のあなたの運勢は──」と声が聞こえる。どうやら吉凶まで占ってくれるらしい。商品を提供してもらうばかりかケアサービスまでとは、心遣い痛み入るばかりだ。

 ふと、思いついて尋ねかける。


「あなたもまた応援してくれているのかな?」

「──もちろん! 全て上手くいく。あなたならできるよ、私が保証するっ!」


 思わぬ会話の符合に目を丸くした。

 驚き過ぎて思わず、中に誰か潜んでいやしないかと疑い見てしまった。

 もしかしなくても偶然の合致であろうが、ここまでタイミングが良いと嬉しくなってくる。「はは、そうかそうか、そう思ってくれているか」やはり自販機氏は、私の心の友であるらしい。我々の間には幾度時間を繰り返されようとも、切っても切れない絆がある。こんな健気な彼のことを、いったい誰が「ただの自販機」だと軽んじることができるだろうか。そんな奴がいたらちょっと心の疲れを疑う。

 そう思って、取り出した缶のパッケージには堂々と『おしるこ』と記載されていた。

 どうやら業者が間違えて商品を投入してしまったようである。

 心の友による心ない仕打ちでは、断じてない。

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