社会の窓から始まる恋⑧

「──とまあ、このようにして現在に至ります」


 ここで話の時系列はもどる。

 BAR「ラブラビット」の店内で、私は師匠を前に、話をそのように締めくくった。

 礼節を欠かさぬよう事細かに説明したが、時計を見ると、少しばかり話が長くなってしまったようである。しかし師匠は余分な言葉は挟まず、最後まで私の語りを聞いてくれていた。


「お話は分かりました。しかし、あちらのオーディエンスはどういったわけで」


 私と師匠はバーカウンターを挟んで対面しており、彼は私を超えた後方、つまりはテーブル席が並ぶ方へと視線をよこして尋ねてくる。

 そこには多勢がおり、めいめいが思うさまに酒盛りを楽しんでいた。その中の一人が、私達の話が一区切りついたことを察して声をかけてくる。


「なんだ善之助。せっかく新規の客を多く連れてきてやったというのに、景気の悪い顔だ」

「うちは息の長い常連相手に開いてるような店だからな。嬉しくないとは言わんが、今来店されたなら、どうしたものかと考えるぐらいはする」

「私はその中でも一番の古株のつもりなんだがなぁ。それにここの客層からして賑やかなのを嫌うのはおらんだろう」

「全員がお前のようにお祭り好きというわけでもない、まあ、それが多いことは否定できん」

「なら問題はないな」


 そう言って、少年のように二カリと笑う御仁。

 牛尾団吉氏である。

 今回、私が師匠に協力を要請することを知ると、同伴を申し出てくれたのである。

 彼だけではない。

 テーブル席を見渡す。


「いやだわ、年甲斐もなくはしゃいでしまって。でも美味しいお酒ね」

「や、やるなご婦人。もう一杯いこうか」

「望むところです」


 悪友、鈴木と私の同僚であり牛尾氏の奥方である春子先生がいる。

 互いにグラスを傾けあい飲み比べの様相を呈しているが、一切の酔いを感じさせない春子先生が空恐ろしく感じられる。


「何をもって、映画が成功したと成すのか。私はやはり売り上げだと思う。これほど分かりやすい指標もないだろう」

「は、資本主義の犬め。それでは流行り廃りが関係して、絶対的な評価にはならん。いつどの時代の人間が視聴しようとも伝わる芸術性。それを定める有識者の批評の目こそが、映画の価値であろう」

「二人の意見はもっともであり、その折衷こそが正しい評価だと思う。何事もグレーゾーンをカバーしている作品は妥当だ。両極端な作品を見てみろ、まるで拝金主義と芸術主義を押し付けられたような気分になるぞ」

「よく分かりませんが、私は見ていて楽しいのが一番だと思います」

『そうですね。おっしゃるとおり』


 かつて私が縁をとりもった3人の男とマドンナ嬢がいる。

 映画論についてとうとうと語り合っているが、その実、中身がないのは丸わかりである。マドンナの言に、信念なく主張を捻じ曲げる男たちの様は、鳥頭の風見鶏である。


「あ、犬塚君のお姉さん。それは何を飲んでるんですか」

「うーん、なんだろう分かんないや。果実系のお酒?」

「一口ください」

「いいわよー……と、担任の先生が凄い顔で見てるから、また今度ね」

「こら、何を馬鹿を言って困らせてるんだ。すいません。犬塚君も、こんな妹だがよくしてくれると嬉しい」

「いえ俺……僕の方こそ猿渡さんにはお世話になりっぱなしで──」

「何をしゃちほこばってるのよ大地」

「姉さん、うるさい」


 我がクラスの生徒である犬塚と猿渡がいる。

 夜の店についてくる言い出したときは断固拒否したが、屁理屈をこねるようにそれぞれ成人した兄姉を伴ってきたのだ。家庭での話であると言われると、担任教師としても強く言い辛いところがある。せめて未成年飲酒が横行されぬよう目を光らせている。

 その他にも、私が以前より声をかけてきた多勢が、こぞってこの店に集合している現状なのだ。扇動したのは、辰村嬢である。私のあずかり知らぬところで、片っ端から呼び出していた。それ自体は別に構わぬが、未成年の学生までをも夜の店に誘うのは遠慮してもらいたい。本人は「頑固ジジイの頭をかち割るためにも数の力を借ります」なんて豪語していたが、おそらく、祖父の店の経営のプラスになるような打算が半分、そしてもう半分は単なる嫌がらせであろう。

 彼女もまた、こちらが談話する空気に変わったことを察して寄ってくる。


「それでじいちゃん、この話にのるの、のらないの。こんな大勢が加勢してくれるんだから、これは盛り上がるわよ。かつての血が騒がないの。情けない」

「阿保娘が。それで挑発したつもりか?」


 祖父からの思わぬ罵りに「なっ」と言葉を詰まらせた辰村嬢は彼に食いかかろうとするも、牛尾氏によって抑えられる。そんな孫娘の様子を無視して、師匠は私の方へと向き直った。


「安田先生、あなたはこの先、クリスマスにおいて騒動が起きるからそれを阻止したいと、そしてそのために怪人『ラブラビット』として立ち回るので、私に師事したいと。そういうことでよろしいですかな?」

「ええ」

「分かりませんな」


 師匠は首を振って否定的な態度を示す。私は説明が足らなかったかと思い口を開きかけたが、師匠によって「私が分からぬのはあなたの目的です」と制される。


「目的──ですか」

「ええ」


 私の目的と言えば、先程師匠が述べた通りである。

 より具体的に言うならば、クリスマスに起こるであろう悲劇を回避したいのである。羊曰く、あの高架橋の上から誰かしらが落下する未来は確定していると言うのだ。

 一応、回避に至るロジックは整えてはいる。

 繰り返す時間を経て、気づいたことの一つに『エアーマット』というものがあった。

 それは三度目の騒動において初めて目にしたもので、駅前広場に設置されていた。イベント用遊具で、例え誰か一人が落下してきたとしても、ゆうに被害を抑え込んでくれるだろう巨大さである。少し考えてみると、それはかつての千鳥さんが用意したものだろうと推察できた。なるほど誰かが落下する未来が覆せないのであれば、落下しても大事にならぬ救護策を用意することは有効であろう。自らがそこに飛び降りることを画策したのであろう彼女であったが、残念ながらそれは叶わなかった。

 エアーマットは幽鬼達の波に圧され、流されてしまったからである。

 結果は言わずもがなだ。

 ではどうするか。

 私が出した結論としては幽鬼達を鎮めることであった。

 幽鬼達の騒動を抑えることによって、『エアーマット』という救護策を有効にしようと考えたのだ。

 そのためのラブラビットだ。

 かつて師匠が初代ラブラビットとして一組の男女を導き騒動を収束させたように、わたしも多くの人間たちの恋を昇華させて、騒動を鎮静化させようという魂胆である。

 そのように具体的な道筋を示すことはできる。

 それをもって師匠に納得してもらおうかと思ったが、何かが違う気がした。


「安田先生の目的は、おそらく様々な方法で達成できることでしょう。怪人『ラブラビット』として振る舞う必要はありません」

「それは──」


 さすがは師匠だと、舌を巻く。私の浅い思惑なぞ、見透かしているようである。

 確かに。私のこれまでの説明において、怪人「ラブラビット」がいる必要はない。騒動を収集したければ、あらゆる手を使って亀の団の行進自体を中止に追い込めばいいだけだ。

 私にはまた一つ、目指すべき目的があった。


「当初から疑問に思っていたことがあるのです」


 それは初めてラブラビットの逸話を聞いた頃からの疑問である。

 怪人ラブラビット。またの名を『恋する兎』という。『恋する兎』は他人の恋の成就させるという。周囲の恋愛を応援することこそが目的だと、これまで幾度も聞いてきた。

 しかしそれでは──


「どうして『恋する兎』なのに、自身が恋をしないんです?」

「それは──」


 師匠が困惑するように言葉を紡ぎかけるも、私はその先を制した。

 いや分かっているのだ。怪人『ラブラビット』とは、ただ本人が属するBAR『ラブラビット』という店の名前にあやかっただけであり、店の名前の意味するところが『恋する兎』だというだけのことだとは。そんなことは少し推察すれば事足りる。

 それでも気になるもんは気になった。

 道理が通っていない気がしたのだ。

 故に宣言する。


「私は来たるクリスマス──いえ『あの日』において、正しく『恋する兎』になろうと画策しております。私の恋を成就させるのです」


 優先するべきは自分である。

 何が悲しうてよそ様の恋愛に悲喜交々ひきこもごもしなければならぬか、そんなことより私は千鳥さんとの輝かしい未来を夢想したい。


「そのために、私は『ラブラビット』として動きたいと思います。私と千鳥さんの恋を、亀の団の幽鬼どもに見せつけてやるのです。悔しさからほぞを噛み身動きが制限されるのならよし、感化されて各々の恋に励むならなおよし」

 

 私の言を受けて、傍に控えていた辰村嬢が声をかけてくる。


「それ、逆に暴動起きません?」

「そのときは、師匠達の方式を見習って、ほれサクラでも用意して場を誤魔化すことにする」

「いや、私と家内は別にそういう仕込みをしていたわけでは──」


 牛尾氏がしどろもどろに反論を試みているが、尻すぼみだ。きっと自身の馴れ初め話を大ぴらに語りたくないのだろう。昭和の男というのは、こういうときにこそ頼りない。

 私もべつに、牛尾夫妻の恋にやましい打算が絡んでいたと述べるつもりはない。ただまあ、師匠からしてみれば、ただの出来レースだったのだろうと推測するばかりである。都合のいいことに、私にも確定する恋にはあてがある。

 そいつらは担任の目を盗んでいかに素行不良に走ろうかと企んでいる最中である。


「かつて師匠は言ったのです。周りの些事にこだわらない馬鹿な恋愛を見てみたいと」

「そのような?」

「ええ。そこで私は思ったのです」


 私は自らの思いの丈を語り切る。


「馬鹿者たちから始まる恋。目にもの見せてくれます」

「面白いじゃないですか」


 師匠は一言、そう呟いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る