恋せぬ賢者⑪
後日、鈴木の奴が「ようラブラビット、近況をおしえろ」と催促するものだから会合が開かれた。どこから聞きつけたのか辰村嬢も参加している。
場所は例によって居酒屋「あんたが大将」の店内である。
「時代はまさにミュージカルなのです」
「そいつなら、すでに二度も三度も通り過ぎていったように思うが」
「また戻ってきたのか、随分とカマッテちゃんだ」
飲み干したジョッキをいささか乱暴に置いて豪語する辰村嬢に対して、私と鈴木がそのように返答すると「お二人はひねくれています」と不満をあらわにされる。若輩をいじる行為は普段においてされる側なので、これが存外に楽しい。だが程度が過ぎるとハラスメントなので抑えることにする。
「それであれか。いまだに、その『ツレ』というのに袖にされているのか?」
「察しが良いな」
ふてくされる辰村嬢をよそに鈴木の事情を聞く。仲の良い友人とやらは相変わらず忙しそうにしているらしく、飲みに出るのも憚られるのだという。仕方ないので私に声をかけたという次第だった。「貴様が声をかけてくるのは大抵、暇を持て余したときだ」と言うと、「違いない」と奴にしては珍しく悪気があったように苦笑する。べつに責めているわけではないので気にしなくてもよい。だがこいつが、他人にどう思われるかよりも自身がどう在るかを気にする性質だというのは、長年の付き合いでよく分かっているつもりだ。無駄な反省を促す気もないため、話題の切り上げを示すように話の向きを戻す。
「それでミュージカルがどうしたというのだ?」
「今更に水を向けられても話す気にはなれません」
ふくれつらな辰村嬢であったが話さないという選択肢はなかったようで、追加の麦酒を大将から受け取ると、自ら口を開き始める。近頃において亀の団および関係する各所にミュージカルブームというのが到来しているらしい。
原因は私にある。
先日の宴会での一件以降、私は二代目ラブラビットとして幾つかの活動をした。告白する勇気を持たぬ男がいれば場を整えて応援してやり、彼との素敵な思い出を求める女がいれば後ろで踊ってやった。その活躍が知れわたったのである。
世間は言う「怪人ラブラビットが再来した」と。
実のところ、私の活躍が全てにおいて成功だったというわけではない。私の未熟さゆえか、元より男女の仲というモノは儚い砂上の楼閣なのか、現在においても鋭意対処中という案件は多数ある。とはいえ私が関わることで事態が悪化したかというと、これがそうでもなかった。かつて世間にてフラッシュモブでプロポーズするという大規模なパフォーマンスが流行った折に、なかにはその派手さから男女の仲をこじらせる事案もあったという。それを知る私としては戦々恐々だったのだが、大道芸人が一人踊り狂うぐらいであれば、案外と受け入れられるものらしい。何事も加減というモノは大事である。
なにより私においては常に相手を「楽しませる」ことに重きをおいていた。そうなるとそうそう邪険にはされないということは、人の世も捨てたものじゃないと私を感心させる。
「そのようなわけで現在、亀の団には空前のミュージカル熱が発生しているのです。おかげさまで『クリスマスにおいても歌い踊るのはどうか』との要望が多くて、企画する身としては頭を悩ませているところです」
「クリスマスというと。ははあ、アレか」
鈴木が問うと辰村嬢はジョッキを傾けつつコクリと頷いた。
鈴木のいうアレとは亀の団における恒例行事をさす。彼らは毎年クリスマスイブにおいて駅前を大行進する。それは結成時より続く伝統行事だというが、内容はろくでもないと有名だ。そもそも亀の団という組織が人々の口の端に上るのも、この行動に起因すると言ってもいい。
「毎年これにだけ力を注ぎこむような人達もいるわけですから、これが中々。今からでも初代団長のところに行って、こんな慣例をつくった責を問いただしに行きたいくらいです」
「こいつは何かしないのか?」
鈴木が私を指しながら尋ねる。
「ラブラビットの復活を大々的に示すためにも、お兄さんには一肌脱いでもらうつもりでした」
「ちょっと待て、初耳だぞ」
寝耳に水な言葉に問い詰めるも、辰村嬢はどこ吹く風と飲酒を続けている。
「ラブラビットと亀の団の邂逅を再現しようとしたのですが、結成当初ならいざ知らず、現在の団員の規模を考えると現実的ではないため断念しました」
「そうか大変なのだな」
鈴木が辰村嬢を労う。そしてグラスを仰ぎながら「しっかしまあ――」と呟いて、そのまま彼女をジロジロと眺めはじめた。
「なんです?」
「なんでまた真緒みたいな娘が亀の団長をやっているのかと思ってな」
鈴木の疑問は私にとっても共感するものである。確かに辰村嬢のような華やかな乙女が、亀の団などというけったいな組織の長にあるとは想像しにくい。そも、このような場末の飲み屋で私達のような酔っ払いを相手にしていること自体がイメージにそぐわない。同年代の女子達と陽光あふれるカフェテラスにいるほうがよほどシックリくる。辰村嬢は「よく言われますよ、それ」と辟易するように答えた。
「それで、どういう経緯で?」
「団長になった理由は分かりませんね、前団長の指名でしたので、きっと私がなったら『チグハグで面白そう』とかそんな理由だと思いますよ。なんで亀の団に入団したのかと言われると……まあ、ちょっと憧れていたのですよ」
「憧れ?」
「ええ。春子さんたちの馴れ初めなんかは元より知っていましたし、それにじいちゃんがラブラビットとして活動していたと聞いてからは興味が尽きませんでした」
「なんだか師匠の正体を知らなかったみたいな言い草だが」
「ずうっと黙ってたんですよ。わざわざ周囲に口止めまでして」
「恥ずかしかったのだろうさ。可愛いじいさんじゃないか」
鈴木が笑いながら言うと、彼女は首をふる。
「そういうわけじゃないと思います」
「どういうことだ?」
私が問うと、辰村嬢は口にするかどうか迷ったような逡巡を見せ、やがて口を開いた。
「じつは私の両親って駆け落ち婚なんですよ、それも特殊な。全然、愛し合ってもいない二人がランデブーしたんです」
そのあまりにヘンテコな告白に、私と鈴木は互いに顔を見合わせてしまう。その対応を見て当然だと言うように頷いてから辰村嬢は詳細を語る。
ときを遡ること二十余年、辰村嬢の両親にはそれぞれに懸想している相手がいたという。実の親とて人間であるからそのようなこともあるだろう。二人は思慕の念を順当に膨らませてゆき、いざその想いがハジけるといった段にて、その問題が起こった。
「その両親の好きだった相手同士をくっつけちゃったんです。他ならぬ『ラブラビット』ことウチのじいちゃんが」
「それは……何とも言い難いな」
「そのはねっかえりで駆け落ちか?」
鈴木の問いに辰村嬢が頷く。
どうにも失恋のヤッケパチで互いに好きでもない相手と懇ろな関係になったという「もうこいつでいいや」という心境であったらしい。
「幼少期からずっと聞かされていましたよ。『父さんと母さんは互いに想いあっていたんじゃない』『私達は契約結婚だった。人と人との関係はそういう形もある』ってね。おかげ様で私は恋愛というものにドライな娘に育ちました」
辰村嬢はそこでいったん言葉を区切ると、「お二人だから話すのですけどね」と前置きをして告白する。
「じつは生まれてこの方、私は恋愛をしたことがないのです。他人をどうしようもなく求める感情というのがまったくピンとこないのです。亀の団に入団したのもそんなところが理由としてあったのかもしれません。あんな風に人生の迷子のような集団に身をよせるのは、中々に心地がいいのです」
自嘲するように語ってから、絶え間なく辰村嬢はジョッキを呷っている。今更ながらに気づいたが彼女はどうにも飲み過ぎているらしい。抑えるように進言するべきだったが、彼女の気勢は徐々に調子よくなっていき、口を挟む隙が無い。
「まあ私もこの歳になりまして、あの両親が口では言いあっているだけで、互いをそれなりに憎からず想ってるんだなってのは気づきましたよ。ええ気づいてしまいましたよ。やっぱり積年の情というものは偉大なんでしょう。確かに娘としては両親の仲が良好ということには安堵します。けれど、その照れ隠しを真に受けて育ちきった子供の気持ちも考えてみろってんだ」
辰村嬢はもはや恨みがましい態度を隠さずに述べていく。
「じいちゃんもじいちゃんです。あんなひねくれたバカップル相手に勝手に負い目を感じて、隠居ジジイを気どってるんです。なんですかそれ、なんなら私はそんな負い目の産物なんですよ。じいちゃんが他人の恋路に茶々いれて、うちの両親に地獄みせなきゃ、私は生まれてさえこなかったっていうのに。そこを後悔されたら私の立場ってなんなんですか」
そこまで語ってから辰村嬢は「ああもう、腹が立つ腹が立つ」とひときわ豪快にジョッキを傾ける。ゴキュリゴキュリと喉を鳴らす音がこちらにまで聞こえてくるほどだ。空になったジョッキをカツンと甲高く机に反響させる。
そして彼女は据わった酔っ払いの目をして、高らかに言い放った。
「私だって恋がしたいっ。私は恋がしてみたいなーっ」
やがて机に突っ伏して動かなくなった。
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