恋せぬ賢者①

 諸君、恋なんぞまやかしである。

 私は教壇の上に立ち、開口一番にそう告げる。

 皆々、何事を話し始めたのかと訝しげな顔をしているが、私は構わず続けた。

 学生の本分は言わずもがな勉学である。

 だからといって諸君らにそれのみを押しつけるつもりはない。学生生活での経験もまた、諸君らの将来において貴重な財産になる。大いに生徒間での交流をはかるべきだ。その中で恋愛というものに戯れるのもまたよろしかろう。そこを否定するつもりはない。

 しかしである。

 自らは世界で一番の恋をしているという幻想は、早々に打ち捨てておくことを強く勧める。繰り返して述べるが、そんなものはまやかしである。

 私の過去において「こいつ絶対、私に気がある」と宣い、毎日のように送られてくる男からのメッセージを見せびらかす女がいた。また、おもだった友人関係の中で己のみに届いた念押しの業務連絡をもって、自らは彼女にとって特別な存在であると豪語するトンチンカンもいた。

 あえて罵ろう。

 阿呆であると。

 惚れた相手の迷惑も考えずに、頻繁に連絡を取るような男がいるものか。それは都合の良い女だと備蓄のような感情を抱かれていたに違いない。また、惚れた相手に業務連絡するだけの女がいるものか。それはそいつが特別に信用の足らん男なだけのことである。

 諸君らにおいては刮目せよ。

 夢幻に惑わされてはいけない。

 恋愛とはかくも無情なものである。

 私はそう言葉を締めくくった。


「それで寅ちゃん。今度はなんて言われてフラれたん?」

「私には男としての魅力が皆無であるそうだ」


 私の言葉に思うところがあったのだろう、生徒が質問してくる。普段はぼんやりと眠たそうな顔を見せるノッポの男子に大いに感心する。その顔がニヤニヤと勘に障る笑みを浮かべているのは無視した。

 私は昨日の出来事について語る。

 その日、私はいわゆる合同コンパといわれる会合に参加していた。要するに意見交換の場であるはずなのだから、私は高々と持論を述べていたのである。教育論から始まり、この国の政治について。それなのにどうしたことか、私の話はその場において敬遠されてしまった。そうなるとするべきことは酒を飲むことしかなくなる。


「あー今回もいつもの発作かー」

「ねー」

「今回いつもにましてヤバくね?」

「そうかも。普段ならあんまり人の悪口は言わない人だし」


 姦しい女子の一団が私に話しかけてくる。


「ほら寅ちゃん、元気出してよ」

「私達は知ってるよ、寅ちゃんの魅力」

「そうそう、そこはかとなくいい感じ。私だったら付き合っちゃうかもなー」

「あ、不純異性交遊の現場だ」

「お馬鹿、今は嘘でも元気づけないといけないところでしょ」

「おいそこ。いま嘘といったか?」

「いやいや、そんなことないよ」


 聞き逃せない台詞が聞こえてきたので確認するもはぐらかされてしまう。するとそれまで大人しかったノッポの男子が急に立ちあがり、私に声をかけてきた。


「よし寅ちゃん。今度、他校の綺麗どころと合コンするんだ、寅ちゃんも行こう」

「ちょっとそれ、クラスの女子の前で言う? 最低じゃん」

「へっ。そうなのか?」

「不潔です」


 眼鏡の女子が辛辣なほどに言い放つ。その声音は冷徹であり底冷えしそうなほどだった。教室の空気が瞬間冷却されたものの、あたふたと慌てふためくノッポの姿をみる周囲が、ニヤニヤと微笑ましいものでも見るように生温かくなっていく。


「ほらー委員長が泣いちゃったじゃん」

「泣いてません」

「え、いや。さっきのはジョークというか冗談で、寅ちゃんを元気づけたかったというか――ごめん泣くほど嫌だったとは思わなかったから」

「だから泣いてません」

「ええい、やかましい」


 私は騒がしくなってきた教室を落ち着かせるために一喝した。

 その行為は教師としての責務である。断じて甘酸っぱい空気を感じ取り、嫉妬から邪魔をしたわけではないことを、ここに申し述べておく。

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