男女の友情⑥
甲高い金属音が軽快に鳴り響く、その鋭い音により私は我にかえった。どれほどの時間を呆然と過ごしていたのかは判別がつかない。
気がつくと私はベンチに腰かけていた。そして目前には緑色の網掛けがあり、その向こうで金属バットを構えて打席に立つ人物がいる。
鈴木である。
彼女は迫りくる速球を見事にとらえてはポンポンと打ち返している。ここは飲み屋街からほど近い場所にあるバッティングセンターであった。私達以外には客は誰もいない。千鳥さんも牛尾氏も既に帰路についた後である。
「まったく寅次郎は本当に分かりやすいな」
「何を理解したのだという?」
「貴様、千鳥にフラれて落ち込んでいるだろう?」
「分かっているのであれば、もっと労わりの気持ちをみせたらどうだ?」
「やだよ面倒くさい」
そこまで語ると鈴木は会心の一打を披露する。芯をとらえた打撃は、白球を気持ちよく遠方へと飛ばしていく。的にこそ当たらなかったが、あれは本塁打であろう。
「いい娘だろ、私の自慢の友人だ」
「そのことについては手放しで賛同しよう」
「そして私はその百倍いい女だ」
「おまえは早急に自己評価を改めた方が良い」
「ふむ、おどけたらすぐに反応する。相変わらず寅次郎は面白い」
そこでふと、鈴木は飛んでくる白球を顧みずに、こちらへと視線を向けてきた。相手のいなくなった機械の投手が、カシャンカシャンと空虚にも投球を続けている。
奴は珍しいことにも、穏やかに微笑んで尋ねてきた。
「ずいぶんと久しぶりだったが、どうだ、元気にしていたか?」
「それなりに暮らしてはいたさ。お前こそ、余計な虎の尾を踏んで困窮していたりはしないだろうな?」
「鋭いな。社会に出てからというもの、踏んで踏んで踏みしだいてきたぞ。まあ今は粗方に落ち着いている、近いうちに新しい尾っぽを踏み抜くだろうさ」
その様は容易に想像がついた。よく言えば正義感の強い、有体に言って融通が利かないこいつの性格は、いらぬ苦労を多く抱え込むことだろう。
「お前も変わらんな、無鉄砲すぎる」
「生来のものだ、これはもうどうしようもない」
鈴木はそこで呵々として笑う。
「千鳥や、貴様のような奴がいてくれるからこそ、私は私らしくやっていけている。ありがとうな、感謝するよ」
そこまで喋ると奴は投手の相手に戻る。軽快な金属音が再び鳴り響き始めた。
こいつはいつもそうであった。
一般的に照れて言い難いことを、必ず面とむかって堂々と述べてくる。それはひとえに奴の美徳であり、見習うべき事柄である。だが、受ける方としては小恥ずかしくて仕方がない。したがって奴のいけしゃあしゃあとした厚顔に、若干腹が立つのだ。
「特に千鳥だな、あいつは良い奴だ、かまってくれるからな。寅次郎も、もっと私をちやほやしろ」
「誰がするものか」
「あん、喧嘩売ってんのか?」
理不尽な物言いである。しかし、奴も本気で言っているわけではないようで、その後は白球を打ち返す作業に没頭していた。カシャカシャとした機械音と甲高い金属音ばかりが聞こえてくる。冬の夜の渇いた空気が残響を際だたせていた。それを耳にしながら私は不思議と穏やかな気分になる。
しばらく後、それまで黙々とバットを振っていた鈴木が問いかけてきた。
「寅次郎、千鳥が好きか?」
「ああ」
「今日、初めて言葉を交わした相手に、どうしたらそこまではっきりと好意を示せるのかは疑問だが、それでこそ寅次郎だ。今更、口は挟まんよ」
「貴様こそ喧嘩を売っているのか?」
「いやなに、私が言いたいのはな。貴様の恋、諦める必要はないと思うぞ」
「どういうことだ?」
「あいつに想い人がいるなんて話は聞いたことがない」
白球が全て投球されつくし、鈴木はケージから出てきて私の対面へとよってくる。そのまま私に金属バットを手渡してきた。
「お前が知らぬだけではないのか?」
「もちろん、その可能性もある。しかしな、これでも互いに寝小便をしていた頃からの付き合いだ、あいつのことはよく分かっている。貴様のこと、満更ではないようだぞ」
鈴木は自身のスマートフォンを取り出すと画面を見せつけてきた。千鳥さんからのメッセージである。そこには次回、牛尾氏ともう一人の当事者と面会する際に、私も同席するように頼んで欲しいという旨の文面があった。確かに何も感じぬ相手にこのような依頼をする必要はあるまい。
「千鳥さんの想い人は、私だという可能性があるのでは?」
「初対面の相手にベタ惚れするような阿呆は、寅次郎以外に私は知らないな」
鈴木は呆れたように「少なくとも千鳥はそんな娘じゃない」とつけ加えてくる。その言い草にムッとするも、私も同意見なので黙っておく。
「あいつな、最近、変なんだよ」
そこで鈴木は困りごとを相談するような口調で語る。
曰く、千鳥さんが急に兎と亀について興味を持ちだしたこと。その理由もまた知らないという。曰く、彼女が恋をしたということ。鈴木と千鳥さんは頻繁に交流を持っていたらしく、何の兆候もなく彼女が恋におちたのだ。自分ならば彼女が誰に心奪われたのか気づけたはずだという。しかしそれが分からないのだ。
「寅次郎、貴様。怪奇現象に悩まされたりしていないか?」
「なんだ急に」
「いやなに、後ろに時折、変な影がチラついていてな。おかしなことに、それが千鳥も同様なんだよ。別に悪意があるわけではないようなんだが――」
「おいやめろ」
唐突にオカルトな方向へと話題の舵をきった鈴木を、私は慌てて諫める。こいつがその手の話題をするときには、碌な目にあったことがない。偽幽霊達の悲劇を私は忘れたわけではない。
「まあとにかくだ。千鳥には私も親心のような感情を持ち合わせている。どこの馬の骨とも分からん何某よりも、貴様の方が私も幾分に安心できようというものだ」
「それは光栄なことだな」
私は鈴木から受け取った金属バットを掲げると、ケージの中へと入り、打席に立つ。傍に立つ機械に硬貨を投入したので、じきに白球が打ち出されるはずだ。
「お前のその気持ち、非常にありがたい。だが、一体なにを企んでいる?」
「友人の善意を邪推するとは無粋な奴だな、貴様は――」
鈴木の言葉の途中に、機械投手より速球が放たれてきた。私はそれに狙いを定めて、勢いよく金属バットを振りぬく。
「ただまあ、貴様が関わると愉快なことになるだろう、という確信は持っている」
じつに楽しそうに笑う鈴木の声が聞こえてきた。私はというと白球が金属バットをかすめて腹に直撃し、悶絶して蹲っていた。
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