男女の友情④

 ここで少しだけ時間を遡り、状況を語る。

 私は仕事を早めに切り上げると、校外に出て真っすぐ駅へと向かった。

 新月の彼女と再会することを目的としてである。

 生徒達の苦言はあったが、目的がどうであれ帰宅するには電車を使うほかない。偶然に出会ってしまう分には仕方なかろうという魂胆である。詭弁であるが、理屈は通る。それならば決行を躊躇する理由なぞない。

 私は意気込んで駅構内を行く。

 その日は時間がまだ早いということもあり、人の入りは疎らであった。すれ違う人々と肩をぶつけぬように配慮して歩く必要もない。麗らかな帰宅時間といえよう。

 しかし、それは私が自動改札をくぐり抜けようとした際に起こった。


「お願いしたいことがあるのだけれど」


 唐突に呼び止められて足を止める。ふり返ると一人の女性がいた。

 とても魅力的な女性だ。駅内の様々な人物が彼女を注視している様子がありありと分かるほどに、色香を周囲へと振りまいている。そして彼女のことを私は知っていた。

 その人は太陽の女性である。

 私が電車内にて社会の窓を全開にしていた際に、腹を抱えて笑っていた人物だ。そこまでされて印象に残らないはずがない。いくら絶世の美女とはいえ、そのような相手に好意的に対応できるほど、私も大人ではなかった。知らず、声も固くなる。


「あの、なにか?」

「失せ物を一緒に探して欲しいのよ」


 彼女は私の様子に頓着することなく告げる。その一方的な物言いに、呆気にとられてしまった。このままふり返り、彼女に関わることなく改札を通り抜けても構わないだろう。だが困っているという人間を放っておくのは心苦しい。

 どうしたものか迷っていると、横から割り込むようにして声が聞こえてきた。


「ふむ、いったい何をお探しなのですかな?」

「そうね、お財布かしら」

「それは大変ではないか、手伝いましょう」


 隣の改札口を通り抜けようとしていた男性がそう申し出てくる。

 少々恰幅の良い、年配の紳士だ。

 話しつつも、さりげなく私達を人の流れより誘導し、往来の邪魔にならない場所へと導いてくれた。私達がいたのは人通りが少ないとはいえ、駅の改札口である。立ち止まって話しこむべき場所ではない。私は自らの迂闊さを恥じるとともに、彼に好感を覚えた。


「わかりました、私も手伝います」

「助かるわ」


 老年の紳士にだけ面倒事を押し付けるわけにはいかぬと、私も参加する旨を告げる。すると太陽の女性がフワリと微笑んだ。その笑顔に思わずほだされそうになるものの、首を振って耐えた。私には心に決めた人がいるのだ。

 三人で探し始めると失せ物はあっけなく見つかった。

 なんのことはない。彼女が通ってきたという道筋をたどったならば、落ちていただけのことである。時間にして数分の出来事だ。しかし新月の彼女と出会った電車の時間はとうに過ぎている。こればかりは仕方ない、今日はご縁がなかったということであろう。

 そのように落胆していると、太陽の女性が私と紳士の前に立ち、礼を述べる。私達は滞りなく、それを受けた。


「そろそろいい時間だから、ホームに向かうといいわ」

「それはどういうことでしょう?」


 太陽の女性が私に意味深長なことをいうものだから尋ね返すと「いいからいいから」と私の背を押してくる。その様子は楽しげで、これから遊園地に向かう幼子のように、ワクワクとした期待に満ちた目をしていた。


「あなたは運命の出会いというものを信じるのかしら?」

「それはもちろん」

「それならば早く行かなくちゃ。また愉快なモノを見せてくれることを期待しているわ」


 奇妙な言いぐさである。以前にも、私が彼女を楽しませることをしたかのような。

 社会の窓を開いていた私のことを、彼女はそれほどまでに楽しく観覧していたのだろうか。ならば、何とも変わった趣味をお持ちだというほかない。

 結局のところ彼女は何者なのだろうか。

 人とは少々異なる性格を持っていることは間違いない。常人であれば、ほぼ初対面である人間に失せ物探しを頼むような真似はしないだろうし、こんな気安い応対をすることだってない。不可思議なのは、それをあまり不快に思っていない私の気持ちであった。

 美人で更には他人の懐に飛び込むのが上手い女性。

 まさに魔性と表現するほかないが、どうにもそれだけではない気もする。まるで彼女とは何度も顔合わせしているかのような、謎の親近感を覚えていた。

 云々と不思議を感じていたならば、ついには太陽の女性におされて、改札をくぐりぬけてしまった。私はふり返り、彼女と紳士に別れを告げる。二人とも快く手を振ってくれた。

 気を取り直して階段を上り行く。

 そうしてたどり着くのは広大な空間をもつ駅のホーム。寒風吹きすさび、電光が煌々と照らすその場所で、私は懐かしの旧友と、新月の彼女に再会した次第だった。

 ここからは時間は現在へと戻して、述べる。

 新月の女性。名を藤枝千鳥さんというらしい。

 楚々とした魅力を持った女性で、なんと私の旧友と、小学生来の友人だという。いわゆる幼馴染といったものだ。それは大変ご苦労したことであろうと、彼女を労ったならば、困ったかのように苦笑していた。なんと奥ゆかしいことか。

 唐突に私の首筋がねじり切られるかの如く、痛みを覚える。酔った顔に凶悪な笑みを張り付けた、件の女が私の首根っこをつかんでいる。


「やめんか」

「貴様も、もっと苦労するがいい」


 なんと浅ましい言動か、千鳥さんとは比ぶべくもない。

 仕方ないので、この猟奇的な女についても語る。とはいっても、人となりは先に述べたとおりである。そして酒癖が悪い。名を鈴木陽子という。私とは大学生来の悪友であった。

 奴は黙っていれば異性からの人気もでようという容貌を、何処吹く風とばかりに歪ませて、呵々大笑する。酔っ払いの笑い声はうるさい。


「それで寅次郎、何処に行くつもりかい?」


 駅を出て適当な店を探す中で、鈴木が私に問いかけてくる。どうやら選択権は私にあったらしい。とはいってもこの辺の酒場はあまり詳しくはない。ここは素直に要望を聞いておくことにした。


「希望はあるのか?」

「あるぞ」

「どんな?」

「大衆酒場だな」

「漠然として分からんな」


 どこの店に入ろうとも、大抵そこは大衆酒場であるはずだ。これは何処でもいいということかと思案していると、千鳥さんが声をかけてくる。


「すいません、私の希望なんです」

「ふむ、詳しく教えてください」


 彼女が言うならば無下にする理由はないと、慌てて問いただす。すると首根っこに更なる痛みが走った。ええい、しつこい。


「亀の団って知ってます?」

「はい。話に聞いたことぐらいは」


 ラブラビットと亀の団。それは我が街における有名な与太話であった。与太話ならばそれらしく出まかせであれば良いものを、実話であるから馬鹿馬鹿しい。


「諸事情ありまして、それをちょっと調べているんです」

「だからこうして私が千鳥と一緒に飲み歩いているわけだな」

「なるほど」


 つまりは各酒場に散らばっているという伝え話を集めているということであろう。


「寅次郎のことだから、そんな馬鹿げた話、よく知っているだろう」

「何を言うか、私だって詳しいわけではないぞ。話も一つしか知らん」

「それじゃ伝え話がある店は何件くらい知っている?」

「三、四件ほどなら見当がある」

「ほら見たことか」

「助かります。私達は一件も知らなくて困っていたのです」

「……お役に立てたようで何よりです」


 どうにも私が酔狂な人物だと誤解されている流れだが、ムキになって否定するのもいただけない。今後の節度ある態度により、インテリジェンスに富む私の人間性というものを千鳥さんに訴えるしかない。

 そうして私が先導して、私達は一つの店にたどり着いた。店名を「あんたが大将」という、特に行きつけでもない店だ。店の名物である大将と、それを慕った常連客の集まる古き良き居酒屋である。私が知り得る中で最も酔狂が集まる店がここだ。古く良くはあるが客層がちと風変りが多いために、件の与太話を聞くという目的には最適な店であるといえる。ちなみに私は常連客ではない。


「いらっしゃい。女の子連れとは珍しいね」


 だというのに店の大将は、私のことをよく見知った人物であるかのように、来客の挨拶をしてくる。こういうマメなところも店が繁盛している所以なのだろう。くりかえして述べるが、決して私は常連客ではない。

 先に注文は麦酒でよいかと千鳥さんに確認していた私は「とりあえず生、三つ」と大将に声かける。すると「あいよ」と威勢の良い声が返ってきた。


「雰囲気ある店だね、寅次郎らしい」

「寅次郎さんは常連客なのですね」

「いえ、そこに座りましょうか」


 悲しいかな誤解が生まれている。私は着席を促すことによってお茶を濁した。この店にはカウンター席しか存在せず、都合よく座席が三つ空いていたところへと滑り込む。千鳥さんを中心として右に鈴木、左に私といった順だ。

 麦酒がすかさずに到着して、乾杯の音頭を取る。発砲する黄金色の液体を喉奥に流し込むと、さしあたって私が知る与太話の一つを披露することとなった。

 私が臨場感あふれるように語ったならば、鈴木が楽しそうに笑いながら、千鳥さんが興味深そうに話を聞いてくれる。そんな具合なものだから、私も興がのって調子よく語りつくしてしまう。女性二人から軽い拍手を受けて、満足した私が麦酒を口につけると、ふと左隣から「懐かしい話ですな」と声をかけられた。


「あなたは――」

「いや、また会いましたな」


 そこには、お猪口をなめるように嗜む一人の男性がいた。

 朗らかに笑むその人は、つい先刻まで一緒に失せ物探しをしていた老年の紳士であった。

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