男女の友情②
本来であればここらで一度、私の身の上について述べておくのがよろしいのだろうが割愛する。特筆すべきことなぞないからだ。ただ一介の高校教師であり、その奥ゆかしい魅力が作用して、表立って騒がれることのないナイスガイであるということだけ理解してくれればよいだろう。
そんな私であるが、生徒からの相談事を受けることがままある。どうにも生徒達にとって私という教師は声をかけやすい存在であるらしい。そのことについては誇らしく感じる。思えば様々な相談事を受けてきたものだが、その多くについては進路や家庭環境、そして学校生活についてであり、およそ教師に対しての相談として捉えやすいモノばかりであった。
だから、その日に私が受けた相談事というのは少々趣が異なるものであったと言える。
「寅ちゃん」
「びっくりしたじゃないか」
ホームルームを終えて職員室へともどる途中、背後から声をかけられて振り向く。そこには一人の女生徒がいた。目の大きく幼さを残す風貌に、活発さを印象づける力強い笑み。しかし刺々しいものがなく柔和さを感じさせる雰囲気は、人として好感を覚えさせるものがあった。
猿渡奈海。私が担任を受け持つクラスの生徒である。
きっと駆けて追ってきたのだろう、息を弾ませている。
「一応に伝えておくが、廊下は走るなよ」
「だって急がないと寅ちゃん、職員室に入っちゃうじゃん」
彼女は息を整えつつ、私を咎めるようにして答えた。それならば教室において声をかければ良いではないかと思いはしたが、言わずにおいた。私は彼女が落ち着くまでの間に身を構えておく。人に聞かれたくない話だというのは間違いないだろう。
「寅ちゃんに相談があるんだけど」
「わかった、聞こう」
「ここじゃ喋れないから」
「職員室の応接間とかは駄目なのか?」
「無理、筒抜けじゃん」
彼女ははっきりと言う。応接間というが実際は間仕切りで区切られただけの空間であり、確かに聞き耳をたてれば他の教師にも話が聞き取れることは想像に難くはない。そこまで過敏な対応が必要な案件なのだろう。
「学校の誰にも聞かれたくないから……喫茶店とか駄目かな?」
「勘弁してくれ」
学外において女生徒と密会するなぞ、如何わしいことしか想像できない。「私の立場というのも考えてくれるとありがたい」と彼女に伝える。案の定、彼女は大したこだわりもなくそれを了承してくれた。
「それじゃあ屋上とか」
「馬鹿者、立ち入り禁止だ」
「えー」
不服そうにぶうたれる猿渡を嗜める。まず誰もいないような所に二人きりというのがよろしくないのだ。私としては第三者が常駐している場所が望ましい。よって妥協案を提示する。
「保健室はどうだろう。養護教諭がいるにはいるが、事情は理解してくれるはずだ」
「うーん、あの先生か」
この学校における養護教諭は女性の年長者だ。その落ち着いた佇まいと職業柄により私以上に、相談事に適任である人材と言えるはずだった。そのことを理解しているのだろう、猿渡は「わかった、そこにする」と頷く。
私は彼女といったん別れると職員室へと戻り、素早く支度を整えて保健室へと向かった。中に入ると養護教諭とたのしげにお喋りをしている猿渡がいた。「おそーい」と私を咎めてくる。やかましいと一言、返させていただいた。
私は養護教諭へと向き直り事情を説明する。場所を借りたいと申し出ると快く了承をいただけた。ありがたい話であるが、悪戯の様に「外に出ていましょうか?」と笑いかけてくるのには参る。お茶目な年長者というのは中々に御しがたい。
「それで、相談とはなにか?」
私は誤魔化すようにして猿渡に問いかけた。
「寅ちゃんは恋をしてるんだよね?」
「ああ」
「それって、どんな気持ちなの?」
彼女の質問に少しだけ呆気にとられてしまった。ここまで他人に聞かれたくないと大言していただけに、もっと違う方向の問題があるのかと危惧していたからだ。それがまさか色恋沙汰であるとは予想しなかったのである。しかし相手は思春期の、それも花の女子高生である。その感性は決して間違いではないと自らを叱責する。
「寅ちゃん?」
「ああ、すまん。教師の、それも異性の私に相談するからにはもっとこう、違う問題があるのかと身構えていてな。少し驚いた」
「私は大真面目だよ」
「そこを疑う気はない。しかし良かったのか、私で?」
同年代のそれも同性の友人たちの方が有意義な意見をくれるだろうと確認してみると、彼女は「真面目だからこそ、友人達には知られてはいけない話もある」と私を諭してきた。その不可思議な言葉に教師としての未熟を痛感する。情けないばかりであるが、私にとって摩訶不思議な生態がそこにあるらしい。
有体に言うと女子高生はわからん。
「それでどんな気持ちなのかな?」
「どうと言われてもな――」
そのようなことを考えたことがなかったために言い淀む。だからこそ「相手のことを考えるとドキドキする」なぞと答えてしまった。しかし猿渡は大真面目な顔をして頷く。
「つまりドキドキしなければ恋ではないと」
「一概にそうとは言えないのではないか?」
あのような適当な答えで、彼女の決断を後押ししてしまうとなると流石に心苦しい。よって私は猿渡に詳細な説明を求めた。すると彼女なりに伝えられる範囲で事情を説明してくれる。曰く、彼女はとある生徒からの好意に気づいてしまったらしく、彼を今までと同じ気持ちで見ることが出来なくなってしまったらしい。そしてその感情が一体何であるのか判断しかねているというのだ。
「それは恋ではないか」
「わからないから相談してるんだよ」
「わからないという、お前が私にはわからん」
猿渡の事情については理解をしたが、肝心の彼女の気持ちを全く解することが出来ない。私は頭上に多くの疑問符をテンコ盛りにしながら尋ねた。
「もう一度、教えてくれ」
「うんとね。まず彼は私が好きなの」
「そこが勘違いという可能性は?」
「そんな寅ちゃんじゃあるまいし」
「話が進まなくなるから流すが、それで?」
「私は、そうなんだって思って、それで彼のことが妙に気になっちゃって、ああ今までの友達としての関係は無くなっちゃうんだなって、そう思ったら、段々と彼のことが頭から離れなくなっちゃって――」
「ふむ」
「この気持ちは何なのかなって困惑しているの」
「だからそれは恋だろう」
「だから違うんだって」
彼女が何を言っているのかが、私にはわからない。未知との遭遇である。それなので再度、一から説明してもらった。しかしいくら繰り返そうとも「それは恋だろう」「いや違うんだって」という二言の結末から抜け出すことが出来ない。
まるで寸劇をしているかのような気分になってきた。
猿渡からは見えない位置にいるが、私達のやりとりを傍観している養護教諭の様子が見える。彼女は口元を抑えて細かく震えていた。あれは笑いを堪えているに違いなく、私としては彼女に助けを求めたい気持ちで一杯だった。
そんな私の気持ちが伝わったのか、年配の養護教諭は「御免なさいね」と猿渡に断ってから意見を挟んできた。
「猿渡さんがどうして恋ではないと思うのか、安田先生に教えてあげてちょうだい」
「あ、はい」
そうして猿渡は一度黙考すると考えがまとまったのか開口する。
「私の気持ちが、彼やそれこそ寅ちゃんの気持ちと一緒だなんて思えないの」
「そうなのか?」
「うん」
その言葉を発した際の猿渡は思いつめたような顔をしていた。
「彼は本気なんだなって、本当に私を大事に想ってくれているってのがわかったの。だからこそドキドキして、彼が心から離れなくなる。それでも彼や寅ちゃんみたいな気持ちが私には湧いてこなくて、同じくらいの気持ちを持てないというか、だったら友達のままが良かったとか考えちゃって――」
最後にすがるような顔をして猿渡はこちらを見る。
「恋に恋してるって言うのかな、そんな気がしてならない」
その様子に、私は今一度言葉をよく考える。思春期らしい考えすぎの、だがしかし人として、彼女は実に真っ当な疑問にぶつかったというのが私にも理解はできた。ここばかりは先程の様に適当に返答をするわけにはいかない。
「最初に結論から言っておくが、それは恋だと私は思う」
「けど――」
「まあ聞け。納得できないんだろう、もしくは不安なんだろう。それはな、間違いじゃない。だからな、自分は本気になれない嫌な奴だとか、責めるのは止めておけよ。碌なことにならん。それよりも自分の気持ちにもっと正直に向き合え。私と同じ気持ちになる必要なんぞない」
「そうなの?」
「当たり前だろう。お前がそこまで思い入れができないと感じるなら相手に諦めてもらえ、受け入れてやってもいいなと思うなら応えてやれ。それぐらい気軽に考えるのがよかろう」
「そんなの相手に失礼じゃない?」
「そんなわけあるか。周囲の事情とか、ましてや『担任と同じくらいの気持ちになれないから』などと、ふざけた理由で判断される方がよっぽど失礼だ。お前の人生だ。お前だけの価値観で決めろ、それならば私が保証してやる、お前は間違ってはない」
そこまで言ってから私は彼女の様子を窺う。彼女は目を丸くしていた。それは意想外なことを言われたという様にキョトンとしている。やがて彼女は笑みを浮かべて頷いた。
「うん、わかった」
「ただし、よくよく考えろよ」
「あはは、わかったってば」
笑いながら答える猿渡に疑問の視線を投げかける、彼女は終始「あはは」と誤魔化すような笑いを繰り返していた。不安である。
「あっ寅ちゃん、他の人に喋ったら絶交だかんね」
「やれるもんならやってみろ」
担任と絶交する生徒なぞ聞いたこともない。
そうしてふざけた様な笑みを浮かべたまま、猿渡は保健室を後にする。それはまあきっと、照れ隠しなのだろう。思えば相当に赤裸々な会話をしていたものである。私はというと、自分の対応を不安に思い、養護教諭の意見を聞きたく考えて、その場に留まった。
「お疲れさまでした」
「あれで良かったのでしょうか」
「ええ、何も問題はなかったと思いますよ」
「私にはよく分かりません」
「私だったら気恥ずかしくてあんな物言いできませんから、安田先生は百点満点の対応をしたと思います」
「それは褒められた気がしません」
「若さっていいですねえ」
しみじみと呟く養護教諭は、私に湯飲みを渡してくれる。熱いお茶が私の困惑した気持ちを解きほぐしてくれるのを実感した。それと同時に肩肘が強張っていることに気づく。どうやら知らずに力み過ぎていたようである。よくよく再認識したが、女子高生という生き物は私には理解できない生態をもつ。いっそ神秘である。これは慣れないな、というのが率直な感想であった。
ゆっくりと猿渡とのやりとりを思い出す。思い起こされたのはどうしてか、彼女の「だったら友達のままが良かった」という言葉であった。
想われた人間というのはあんな風な考えを持つのか、というのが私にはちょっとした衝撃でもあった。振り返れば私の人生、思いを募らせれば一直線過ぎたのかもしれない。想われた方の都合なぞ考えた試しは無かった様に思われる。
馬鹿みたいに好きだと叫ぶだけが好意の伝え方ではない。
まずはお友達からという様に、そうした恋の模様もあるのかもしれない。
熱いお茶を堪能しながらにそんなことをぼんやりと考える。
「恋愛というものは難しいですね」
「結局は馬鹿みたいな理由で決着がついてしまうのですけどね、だからこそ傍から見る分には面白いのです」
私はそんな養護教諭の言葉に賛同しつつも、どうしても伝えたかったことを述べる。
「そういえば、あなた。笑いすぎでしょう」
「あら御免なさい」
お茶目な年配の御仁はこれだから御しがたい。
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