恋する馬鹿者⑪
「なんちゅう歌を」
「噂には聞いていましたけど凄いですね」
大通りからやってきた団体を臨み、私達は憮然として立ちつくすことしかできなかった。彼らこそは悪名高い「亀の団」である。初めて目撃したのだが間違いはないだろう。その口ぶりから千鳥さんも存在を知っていたようだ。
人数が非常に多い。概算するのも馬鹿らしく思えるほどの人々が列をなしてこちらへとやってきている。やはりというか成人男性の割合が多いのではあるが、意外なことに妙齢の女性たちもちらほらと見受けられた。阿呆に貴賎はないらしい。
彼らは説明するのも憚れる歌を合唱していた。その内容は怨嗟にまみれており、直接的に世のカップル達を呪っている。世の汚れを知らないお子様たちが涙目になること請け合いだった。悪ガキたちは笑いこけていた。
そしてなによりの特徴として、彼らは共通する風貌をしていた。
全員が社会の窓を全開にしているのである。
そうなると中身が丸見えになりそうなものだったが、どうしたことか窓の中が光り輝いて判別できないのである。どうにも光源を仕込んでいるらしい。それは駅前のイルミネーションに負けず劣らず目立っており、汚い電飾である。猥褻物陳列対策としてなのか、それとも単に阿呆のなせる業なのか、判断に苦しむところだ。
とにもかくにも社会の窓を開き輝かせて行軍してくる変態達なのである。
けったいであるとしか言いようがない。
「彼らはどうです。俗っぽいと思われますが」
「私には何も見えません!」
少々意地悪な気持ちが湧いて出てしまい、千鳥さんに尋ねたならば、強めな語調で返されてしまった。耳まで真っ赤にした彼女は居た堪れないようだ。自省する。
そうして周囲の真人間の方たちと大人しく様子を窺っていたならば、彼らは素早く大広場を占有してしまう。そのままモミの木の横にビール箱を金字塔のように積み上げて、即席のお立ち台を設えてしまった。そこへと一人の人物が危なげによじ登り、拡声器を片手にこちらを睥睨する。
「諸君、恋なんて馬鹿らしい」
彼女は開口一番にそう吐き捨てた。
それは奇しくも私の考えを真っ向から反対するかのようで、少々むっとしつつ発言者へと注視する。
「諸君らは恋という、しょうもないモノに身をやつしたことはあるか、私はない。そんな不確かな事柄に従事するほどの余裕なんぞないからだ。恋の炎とはよく言ったものだ、いつかは消える。太陽ですら五十億年後には消火するというのに永遠の愛などと宣う輩に私はほとほと感心する」
年若い女性であった。どこかしらに幼さを残す風貌と華やかな出で立ちから、きっと女子大生なのではないかと予想する。そのような花も恥じらう乙女が発する台詞としては、その主張はあまりにも異様である。
「結果、残るものは何だ。焦げた我が身と、焼け野原のみである。これをしょうもないと表現して何が悪い。諸君、私はなにも恋する人間を否定したいわけではない、馬鹿らしいと嘲笑しているのである」
その後も彼女の主張は続く。それは多くの人間たちの心へと訴えかけた。彼女の仲間たちは言わずもがな、それ以外の者も多くが足を止めて彼女の叫びに耳を傾けていた。拒否反応により唾棄を示す者、賛同し拍手を起こす者、面白半分に彼女を讃える声援を送る者。誰もが彼女を見る。このとき彼女は間違いなく場を掌握するカリスマであった。
そしてどうしたことか、私は彼女を見たことがあるような気がするのだ。だが、何処の誰なのかはついぞ分からなかった。
そうして頭をこねくりまわして煩悶としていると彼女と目が合った気がする。その瞬間に彼女はニヤリと嫌らしく笑んだ。
「酒は飲んでも飲まれるな、恋は落ちても溺れるな。恋という感情がいったいあなたに何をもたらしてくれた。目を開け、そしてついでに社会の窓を開け、諸君。その先にこそ、あなたの求める真実がある。そうは思いませんか、そこのお兄さん」
突如にして指名され、呆気にとられる。辺りを見回して、人違いなのではなかろうかと確認するも、彼女のご指名は私であった。即座に拡声器に連結されたマイクを抱えた輩が私のもとへとやってきた。
「私は純粋にデートを楽しんでいるだけなので、まきこまないで欲しい」
「おや、それは羨ましいですね。それでお兄さんは隣のその綺麗な人をどう思っていますか。そしてその気持ちはいつまで続きますか?」
その挑発するような言い草に、少々カチンときた。
丁度良い、彼女の主張には私としては色々と思う所があった。折角のご指名なのであるから、好き勝手に持論を述べても文句は無かろう。
私は軽く息を吸い込んでから、口を開いた。
「貴女の言うことには一理あると思っている、確かに永遠不変なものなんて胡散臭い。諸行無常というならば恋の炎もいつかは消えるだろう。ただ――」
私の言葉に周囲が少しだけ騒めく。こいつは一体何を言い出すのだろうかという戸惑いと期待の視線がヒシヒシと感じられた。だが躊躇はしない。これでも教師である、曖昧な言葉が誰の胸にも響かないことを私は知っている。
「――ただ、消えた跡に何を残すかこそが大事である。焼け野原、結構ではないか。確かに灰まみれの大地に絶望する者もいよう。だがそこに新緑が芽生えることがある。それはやがて立派な緑地へと繋がる。それは燃え盛ったからこそ生まれるものだ、そんな尊いモノをしょうもないと断じるのは業腹だ」
言葉を述べつつ、自分がどんどんと調子づいてくることが理解できる。だから止せばいいのに続きの言葉を言い放ってしまった。
「人、それを愛という」
日常生活で「愛」という単語を使う奴を私は見たことがない。これは後々に、羞恥の感情をもって後悔する事柄で確定である。しかし今更に口を閉ざすことなぞ出来ようもない。
「私は彼女と一緒にそんな大地を臨んでみたい。それこそが私が彼女に抱く気持ちである。無論、その気持ちは太陽が消火するよりも永く続くに違いない」
そうして私が語り終えると、辺りは静まり返っていた。誰もが呆気にとられて私を見ている。これは如何なものかと、隣にいる千鳥さんへと視線を向けた。
彼女は今まで見たこともないほどに赤面して俯いていた。決して私と視線を合わせてくれようとはしない。私は彼女のその様子を見て「あ」と自らの発言に気づいた。
彼女を愛していると公言したにも等しいのだ。
それも大衆の面前である。
それと気づいたと同時に周囲が急に騒がしくなった。私に感嘆の意をこめて拍手を送る者、「勇者」と讃嘆する者。だが大半は「大馬鹿者だ、こいつ」と笑いこける者ばかりであった。
そんな祭りのような喧噪に包まれる人々とは対照的に、お通夜のように静まり返る集団がいた。「亀の団」の面々である。彼らはゆらりと幽鬼のように体を揺らすばかりで何も言葉を発することがない。ゆらりゆらりと風に吹かれる花々のようにそよぐ社会の窓の光が、ただただ不気味であった。
「うらやましい――」
そしてその中から、ポソリと誰かが呟いた声が聞こえてきた。
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