恋する馬鹿者②

 ここで一度、私の身の上について述べておくこととする。

 性は安田、名を寅次郎という。高等学校において数学教師をしている一介の教師である。社会へと身を躍らせてより四年、まだまだ溢れ出る仕事への情熱は衰えてはいないが、諸々の処世術というものにも慣れて、若干の余裕をみせることができるようになってきたナイスガイである。

 自分が生徒たちに慕われているという自負はある。もちろん全員に対して好意的に受け取られているという自惚れを持たない様に気を付けてはいる。だが担任を受け持つクラスをはじめ、年若い少年少女達と問題なく交流できているはずだった。きっと他の教師よりも彼等に年が近いからであろう。人によっては、いっそ舐められていると表現できなくもない。しかし私はそんな彼等との距離感を単純に嬉しく感じていた。

 気楽で良いではないか。

 物事をしかつめらしく複雑怪奇にしてからあたる人間もこの世には多いことだが、私は単純明快を良しとする。そんな私であるが、どうにも苦手であると言い切れることが一つある。それは異性との付き合い方であった。

 モテないのだ女性に。

 私の沽券に関わるので言い訳をさせてもらうが、身なりや風貌が悪いわけではない。巷でよく槍玉にあげられる清潔感というものも職業柄、非常に気を付けているところである。常日頃から生徒達に清く正しい生活を指導する立場として、本人が汚物であるなど、話にもならない暴挙なのである。

 ではどうして私は異性の気をひけないのか。親しい友人や同僚たちからは口を揃えてこう言われる。「性格が面倒くさいのだ」と。どうにも私は理屈屋らしい。私としてはスマートなインテリを気取っているつもりであったのだが、女子生徒達からは「うざい」だの揶揄されることは多い。まあ女子生徒に異性として人気が出るのは問題であるし、教師としての正しい指導があったからこその反発だと理解しているので殊更にそれを嘆くことも改めるつもりもない。ただそのことが大いに裏目に出る形になったようだ。

 しかも問題は私の性格に関わることである。

 成長しきった我が心身を改めることなど難しい。何より私は自身の在り方というものが気に入っていないわけではないのだ。できうることなれば在るがままの私を受け入れて欲しい。そんな我儘な欲求がある。

 彼女はどう思うであろうか。

 やはり私のような男は眼中にないのだろうか。

 そんな乙女のような思考が脳内を満たす。


「ええい気色の悪い、男児なればもっとハキハキせんか」


 己を叱咤するように口に出せば、隣の自動改札をくぐった男性が私から離れた位置へと移動する。私はそれを尻目に駅のプラットホームに立った。そして待つのは彼女と出会った電車と同じものだ。

 生徒たちの苦言をよそに、私は計画を実行することにしたのだ。

 時刻は夕暮れをとうに超えて宵の口といった頃、寒風吹きすさぶひらけたホームには帰宅者が多く含まれており、たくさんの人々で溢れかえっていた。この中からたった一人の、それも幾刻も共にしなかった女性を見つけることなど不可能に近いだろう。それでも私は無駄な行為をしている自覚はなかった。いつかは出会うことができるだろうと根拠不明な自信に満ち溢れていた。

 ふと、視線を感じたような気がして顔をそちらに向ける。すると確かに一人の人物が線路を挟んだ向かいのホームからこちらを見ていた。


「あれは――」


 一瞬、私が新月に例えた彼女が立っているかとも思いドキリとしたが、そこにいたのは別の女性であった。だが、全くもって関連を感じさせない相手というわけでもなかった。

 そこにいたのは私が太陽と称した女性であった。

 私が新月の彼女と出会ったときに、同じ場所にいた女性である。彼女のことはよく覚えていた。こんなにも魅力を溢れさせている人を忘れてしまう方が難しいだろう。事実、向かいのホームにたむろしている男性たちがチラチラと彼女の様子を窺っていることは、少し離れたこの位置からはありありと伝わってきた。男性ばかりではない、ともすれば同性からの視線さえ集めているようであった。

 彼女はその日本人離れしたプロポーションにてシナをつくり、確かに私と視線を合わせて微笑んでいた。そのはっきりとした目鼻立ち、そして本当にそれはタンパク質で出来上がっているのかと疑問に思うほどの艶やかな茶髪。その色素の薄い髪の色はホームを照らす電光を反射して、角度によってはキラキラと輝いているような錯覚すら起こす。私の頭部のようにガシガシと手すきの悪いものとは確実に違っていた。


「不思議な人だが――」


 私を見つけて楽しそうに笑う彼女を確認して、呟く。あんな美人から微笑みかけられるのは、それは悪い気はしない。以前までの私であれば、その興奮によりころりと倒されていたことだろう。だが私には心に決めた人がいるのだ。その一念をもって彼女の蠱惑的な表情をふりきった。だが、なんの反応もしないのは味気ないのでニコリとお返しのように微笑んでおいた。極めて紳士的に笑いかけたつもりであったが、自信はなかった。

 そんな偶然の邂逅もあり、これはもしかしたら新月の彼女とも会えるのではなかろうかと期待する。そうしてジッと待っていると、電車がやって来る。

 勇みこんで扉の中へと足を踏み入れるも、そこには多くの人々が移動する目的のためだけに各々の時を過ごしていた。当たり前のことである。私のような目的をもつ者は稀であろう。鼻息を荒げて彼女を探していたのであるが、ついぞ新月の彼女の姿は見つからず、私は肩を落として帰路についた。

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