恋する馬鹿者①

 諸君、恋は素晴らしい。

 私は教壇の上に立ち、開口一番にそう告げる。

 皆々、何事を話し始めたのかと訝しげな顔をしているが、私は構わず続けた。

 私は運命の出会いというものを果たした。これは私の半生において類を見ない経験であり、これまでの恋愛遍歴というものが正しくオママゴトであったことを痛感した。

 あんなものは恋愛などではない。

 常々において機嫌を窺い、喜ぶことをしてさしあげて、見返りのように愛をもらう。そんなものは契約だ。義務的な仕事である。そうではないのだ。喜びは分ちあうものであろう、慈しむ心を自然と湧き上がらせるからこその愛なのだ。

 真実の愛とはかくも高潔なものなのである。

 私はそう言葉を締めくくった。


「それで寅ちゃん。今度はなにがあったん?」

「よくぞ聞いてくれた」


 私の言葉に感銘を受けてくれたのだろう、生徒が質問してくる。普段はぼんやりと眠たそうな顔を見せるノッポの男子に大いに感心する。その顔がニヤニヤと勘に障る笑みを浮かべているのは無視した。

 私は昨日の出来事について語る。

 その日、私はいわゆる合同コンパといわれる会合に参加していた。要するに意見交換の場であるはずなのだから、私は高々と持論を述べていたのである。教育論から始まり、この国の政治について。それなのにどうしたことか、私の話はその場において敬遠されてしまった。そうなるとするべきことは酒を飲むことしかなくなる。

 その帰りのことであった。

 私は彼女に出会った。

 あの一言により渇いた私の心がどれほどに救われたか。私は一瞬で彼女に心奪われた。


「今回いつもにましてヤバくね?」

「ねー」

「寅ちゃん、それでなんて言われたん?」


 姦しい女子の一団が私に尋ねてくる。


「社会の窓が開いていることを指摘された」

「社会の窓って……なにそれ?」

「なんだ知らんのか?」


 確かに死語の類だったかもしれない。私の同年代においても知っている者は少なかろう。私は変に遠回しな言い方をやめて、もっと直接的に表現することにした。


「ズボンのファスナーのことだ」

「は?」


 姦しかった女子の一人が意表を突かれた様に声をあげる。


「チャックが開いていると、そう指摘されたのだ」

『はあ?』


 今度は教室中の人間が示し合わせたように声をそろえてきた。そのまとまった圧に若干押されそうになるも、足に力を入れてこらえる。


「なんだ、いきなり」

「えっと寅ちゃん、それだけのことで好きになったの?」

「ああそうだ」


 今度は眼鏡で大人しい風貌をした女子が手をあげて発言してきた。それに答えると次々に意見が飛び交い始め、教室の中はザワザワとした喧噪に包まれる。


「ヤバい。やばいって、今回はまじでやばい」

「え、初対面でしょう。知り合いとかじゃなく?」

「寅ちゃん先生ー、それで相手の人はどこのだれか突き止めてるん?」

「いや、咄嗟のことでな。私も声をかけきれなかった」

「良かった」

「なー、担任がストーカーで捕まるなんて見るに堪えない」

「これがなきゃ本当にいい先生なのに」

「ほんとほんと」

「それなのでな。私は今日から同じ電車にて彼女を待ちかまえることにしたのだ、よって放課後において私は早く下校したがるからな、悪く思わんでくれ」

『やめろ』


 再度、教室中から声をそろえられた。

 我がクラスのことながら、この統率力は感嘆に値する。

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