第52話 思い出
そうして回線を通ったウサギの意識は、元の体に戻った。だが、彼を待っていたのは慣れ親しんだ仲間達ではない。
地獄であった。
――頭がガンガンする。情報が氾濫する。命の危険を感じた脳が本能的に世界を閉じようとしているのにも関わらず、別の意識が容赦なく領域を侵食してくる。
自我と自我が混ざり込み、壊れていく。強烈な吐き気と全身から吹き出る汗は止まることなく、体は熱を持っているのに異様に寒かった。
目は開いている。そのはずなのに何も見えない。ただ、声だけが聞こえてくる。
「やめろ、僕との同期を解除するな! 本当にアイツが死んでしまうぞ!!」
その声は、カメのものに似ていた。
「いいから空のサーバにこのまま繋げ! 鵜森君、君の錠剤能力を使えば混濁した意識を切り離せるな!? ウサギ、僕が分かるか!? もう少しだけ耐えろよ!!」
……なんか、アレだな。こいつがこんなに焦るのっていつぶりかな。
あ、オレが比丘田に撃たれた時か。案外最近だったわ。ごめん、カメ。
普段は嫌な奴なんだよな。ほんと、嫌な奴なんだけどな。
ぼんやりとするウサギは、未だ同期され共有される記憶の底に、意識ごと落ちていった。
ヤツとの出会いなど、もう覚えていない。
「またオメェと組むのかよ」
「そう言うな。少なくともお前の思う百倍は僕の方がウンザリしているんだ」
「まぁ、相手がオメェならオレも運転に気を遣わなくていいから楽なんだけどな。今日も一緒に音速の向こう側見ようぜ」
「頼もしい言葉だ。お前を逮捕して本部に突き出せば僕の災厄も終わるだろうか」
口数は多いわ、皮肉屋だわ、いちいち全てが苛立たしい。
笑うとなれば口をヒン曲げたやり方しかしないし、もっとちゃんとした笑い顔を思い出そうとすると……。
「おい、嫁がスリープに入ったんだとな」
「……」
「で、お前は何をしているんだ」
真っ暗な部屋の中、法で定められた規定量以上のアルコールに囲まれて、ウサギはだらんと横になっていた。そういえば、もう一週間も職場に顔を出していない。
「いつにも増して酷い顔だな。嫁の後でも追うつもりかね」
「……あー、追っちゃおうかな」
その時は、本気でそんな事を思ったのだ。光を背負った男に顔を向け、力無くへらりと笑ってやった。
別に、決して、断じて、止めてくれる事を期待したわけではない。
だが、まさか自分の言葉を聞いた瞬間、ヤツが未だかつて見たことの無いほどの満面の笑みを向けてくるとは思わなかった。
「そうか!」
なんとその声は、ウキウキしていた。
「いやぁー、職場のヤツらには止められたんだがな、絶対必要になると思って持ってきていたんだ。ほら、スリープ装置に入る為の書類。筆記用具もあるぞ!」
「……」
「良かった良かった! これでお前は大好きな嫁の夢を見られるし、僕はアホみたいな速度出すバイクに乗らずに済む! ……ん? 何をしている、ウサギ。善は急げだ、早く書けよ」
「……」
ウサギは立ち上がった。栄養が足りていないので、足に力が入らない。が、構わない。今はそんなことどうでもいい。
助走をつけて、ウサギは薄情者の顔面を張り飛ばした。
「何をする! それが見舞いに来てやった同僚にする仕打ちか!?」
「はぁぁん!? 傷心中の同僚にスリープ勧める男に言われたくねぇわ!」
「いや、まずお前がスリープに入ると言ったんだろ。背中を押してやっただけだ僕は」
「真に受けんなや! そういう時は寄り添ってオレの涙が枯れるまで慰めるもんなんだよ!」
「なんで僕の貴重な時間をそんなことに使ってやらないといけない……?」
「心底不思議そうな顔やめろ!!」
濁った空気が立ち込める部屋の中で、久しぶりに大声を出したウサギはガラガラの喉でカメと言い合いを続けたのである。
そして翌日、出勤した。元気になったとかそういう理由ではない。口喧嘩の決着が一日でつかなかったからだ。
ヤツはいつも誰よりも早く出勤する。その事をよく知っていたオレは、ドアを開けるなり開口一番言ってやったのだ。
「オレは! 絶対オメェより先にスリープに入らねぇからな!!」
一晩考えて、練りに練った決め台詞だった。多分ポーズもカッコよかったと思う。
コイツが現実社会に折れてスリープに入るその瞬間、オレは横で鼻をほじって欠伸してやるのだ。あー、お前あの時なんか偉そうな事言いましたよねー、でも結局オレより早くスリープ入っちゃうんですねー! と。最高。想像するだけでニッコリできる。
だというのに、肝心のカメは朝ごはんのハンバーガーを頬張りながら、訝しげに返したのである。
「え、何の話だっけ……?」
「ムカツクゥゥゥゥーーーーーーー!!!!」
ムカツク。
分かっててしらばっくれてくるの本当にムカツク。
そうだそうだ、そういう理由もあったんだったな、オレがスリープに入らねぇ訳は。
どうでもいいからすっかり忘れてたよ、ほんとどうでもよかったから。
「ウサギ」
意識の向こうで、ムカつくあいつが自分の名を呼ぶ。
思い出を脳の奥底にしまい、ウサギは声のする方に顔を上げた。
「はいよ、カメ」
返事があったことに戸惑ったのか、カメは何か言いかけていたのを中断した。
なんだよ。はっきりしねぇヤツだな。
ヤツの反応に焦れていると、一言、ぶっきらぼうな声が落ちてきた。
「……そろそろ帰ってこい」
予想外の彼の言葉に、ウサギは驚いた。が、すぐに肩の力が抜けたように笑み崩れると、よっこいせと立ち上がる。
「おう」
そしてようやく目を開けて再会した現実の世界は、ひどく眩しく見えたのであった。
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