最終話 なんて世界は

「……えーと、うん、それは大根。野菜の仲間。……え? 大根役者は人間じゃないのかって? それはものの例えってヤツで……」


 とある部署の一角にて、少女を膝に乗せてデジタル絵本の読み聞かせをする若者が一人。しかし進行は捗々しくなく、しょっちゅう「これはなんだ、あれはなんだ」と手を止められては、その物の説明に時間を費やしていた。


 そんなことをかれこれ一時間もしているのである。流石に少々疲れたような青鳥に、少女は釣り目がちのあどけない顔を向けた。


「……まだ今日のノルマは終わっていない」

「ノルマって言っちゃった。子供がそんなん覚えなくていいから」

「青鳥、次はこの本を読みたい。わたしは狼が出てくるシーンが一番好きだから、そこだけ何度も読んでほしい。心を込めて、ガォーッと言うんだ」

「それも散々やったよね?」

「理由は分からないが、やってくれるととても楽しいと感じる」

「この子、オレの上司より人使い荒い……」


 ブツブツ言いながらも、青鳥は心を込めてガォーッと言ってやる。

 目を輝かせて絵本に見入る大人びた口調の少女を横目で見ながら、ソファーに座るガタイのいい男は口元を綻ばせた。


「まるで、ほんまもんの兄妹みたいですねぇ」


 温かな太陽の言葉に、その向かいに座るカメはフンと鼻を鳴らした。


「実際、そう間違ってはいないだろうよ。なんせ彼女もクローン素体からできているんだ」


 絵本に夢中になっている彼女の名は、ネズミ。元スリープシステムの人工知能であり、クローン人間を再利用した肉体にその魂を宿らせている、人造人間だ。


「……それでもまさか、粒子化途中で殺されたクローン人間の死体を使うとは思いませんでした。ましてや、それがちゃんと機能するなど」


 これは、コーヒーに口をつける北風の言である。


「奇跡は起こるものですね」

「そりゃそうや。それ言うんやったら、システムに意思が芽生えたこと自体、ありえへんミラクルやったけどな」

「……人工知能のネットワーク構造や自動選択機能は、人間の脳の神経構造によく似ていた。原因があるとするなら、そこだろうな」


 しかし、何にせよ奇跡であることに変わりはない。そうカメが締め括ろうとした所、「あ!」という嬉しそうなネズミの声に言葉を遮られた。


 彼女の視線の先を追って部屋の入り口に目をやったカメは、ドアに隠れて立っていた人物にため息をつく。


「……鵜森君」

「いや、ネズミがお利口さんで過ごしているかどうか、どうしても気になってしまって……!」


 慌てて弁解をする鵜森の姿に、以前の落ち着いた様子は影も形も無い。


 要管理対象として、二十四時間の監視下に置かれているネズミである。昼の勤務時間はヒマな撃滅機関が担当することになったが、夜までは面倒を見きれない。

 そこで、その任務を進んで引き受けたのが、鵜森だったのだ。

 その結果がこれである。最初こそ厳しく当たっていた彼女であったが、今ではいっそ情けないほどに親バカっぷりを発揮していた。


 ドアにしがみつく鵜森に、カメはシッシッと片手を振る。


「見ての通り、青鳥幼稚園は絶賛営業中だ。昼は君の出る幕ではないよ。仕事に戻りたまえ」

「一回だけ! 一回だけギューってさせてくれ!」

「ダメだ、仕事中だ」

「適切なスキンシップは情緒の安定にも繋がるので私周辺の円滑な業務を望むのであれば一刻も早く彼女との抱擁を認めるべきだと」

「君、だいぶ形振り構わなくなってきたな」


 だがカメが制止するより先に、青鳥の膝から降りたネズミが鵜森に飛びついた。鵜森は彼女を全身で受け止め、その頬に顔を寄せる。


 微笑ましい公私混同に、また太陽はへにゃりと笑った。


「まるで、ほんまもんの親子みたいですねぇ」

「その太陽さんの論でいくと、オレ鵜森さんの子になるんですが」


 つい青鳥はツッこんだ。まぁ時々メンテナンスなどの相談に乗ってくれている点を考えると、お世話になっているお姉さんぐらいの位置付けではあるかもしれない。

 そう青鳥が考えていると、また新たなる訪問者が現れた。


「あらン、お邪魔だったかしラ」


 妙に高く艶かしい男の声に、ドアの前にいた鵜森は「う」と顔をしかめる。火鬼投だ。

 彼は鵜森を見下ろすと、困ったように言う。


「ンもう、いいこト? あくまで今のネズミちゃんは執行猶予中なのヨ?」

「わ、わかってます……」

「いくらその意味をよく知らなかったとはいえ、この子が犯した罪は消えやしない。その辺をしっかり理解・反省させて、二度と同じ過ちを犯さぬよう鵜森チャンが厳しく見てあげないト」

「はい、重々承知しております」

「ならイイんだケド」


 相変わらずの高圧的な態度である。それを見た青鳥は、頬杖をついたまま呆れ顔で物申した。


「……そんな事言って、最後まで鵜森さんとどっちがネズミの面倒をみるか争ってた癖に」

「お黙りクローン! 分解するわよクローン!」

「それは嫌だクローン」

「ソレ語尾じゃないわヨ! キィィィムカつくッ!」

「まぁまぁ。で、何の用事なんです?」


 とりなすような太陽の質問に、火鬼投は咳払いをしクールダウンする。


「……新しいスリープの内容で、ちょっとネ。ホラ、犯罪者の夢の内容っていうノ? 懲罰である悪夢を全てシステムに依存させるんじゃなくテ、人間も関与するべきじゃなかって提議してみようと思うのヨ。そこで、実際にシステムに入ってたウサギちゃんとカメに、意見を聞きたいんだケド……」

「それは構わんが、今ウサギは席を空けているぞ」


 実際カメの言う通り、ウサギは部屋にいなかった。珍しいことではないが、今日の不在はいつもより長い。


「……何しに行ってるノ?」

「それは帰ってくれば分かること……お、噂をすればだ」


 騒がしい足音が近づいてくる。それから殆ど火鬼投を押しのけるように、勢いよくジイさんが部屋に突っ込んできた。


「ウサギ!」

「おうよネズミ! いい子にしてたか?」


 そう言ってネズミに笑いかけたウサギの右手には、とある証書が握られている。


 彼はそれを手にしたまま、まっすぐ青鳥の前まで来ると、眼前に突きつけた。


「やったぜ青鳥! やーっとオメェのID申請が通ったよ! これでどこへ行ってもドヤ顔で飯を食えるぜ!! 喜べ!!」


 明るい声が室内を満たす。対する青鳥はというと、ぽかんと口を開けて目の前の証書を見つめていた。


「……え、嬉しくねぇの?」


 これは彼の無反応を心配したウサギの言である。証書を下ろし、青鳥の顔を見た。


「……いや、嬉しいです。嬉しいのですが」

「が?」

「……なんですかね。こういう時って、どう反応していいか分からなくて……」


 所在無げな声である。実際、彼の記憶の中にその手の情報はインプットされていないのだ。


 喜ぶべきなのだろう。笑うべきなのだろう。

 だが、自分の中でこの素晴らしさの実感がわかない内は、無理矢理そうやって喜ぶのも失礼な気がした。


 そんなことをごちゃごちゃ考えている青鳥に、ウサギはニヤリとする。


「……実はそう来ると思ってな、もう用意は済んでるんだ」

「用意?」

「こちらをご覧ください!」


 ウサギの声と共に、カメがパチンと指を鳴らす。


 その瞬間、部屋を埋め尽くすほどの風船と紙吹雪が青鳥の視界をジャックした。


「な、なんですかコレ!?」


 リアル過ぎる映像と演出に戸惑う青鳥をよそに、紙吹雪をかき分けて一枚の段幕が出現する。そこに書かれていた文字を、彼は小さな声で読み上げた。


「……“ 撃滅機関員・青鳥セイヤ、正規ID取得記念パーティー ” ……?」

「ピンポーン!!」


 パァン! とウサギはクラッカーを鳴らす。正解の合図だ。


「こんだけ派手に祝ってやりゃ、流石のオメェもこれがいかにめでたいことかよく分かンだろ! そういうワケで、ただ今より記念パーティーを開催します!!」

「ちょっと、今業務中なんだケド!?」

「あ、僕が事前に許可出しました」

「太陽ちゃんコラ!!」


 火鬼投のツッコミにも臆さず、太陽は朗らかに笑ってVサインを作っていた。もう片方の手には、ポテトや唐揚げの乗った大きなプレート。既に祝う気満々である。

 その隣には、腕を数本増やした北風が、ドリンクやケーキの皿を持って立っていた。


「いやアンタも!?」

「私は太陽さんの部下なので、彼の指示には従います」

「っていうかその腕! コンプレックスなんじゃ!?」

「そういう指示だったので……」

「ああ、何事かと思ったけど、これはめでたい話だね。良かったら私も混ぜてくれないかい」


 宙を舞う紙吹雪を掴もうと懸命に手を伸ばすネズミを抱っこした鵜森は、頬を緩ませて青鳥に言った。


「え、えっと、光栄ですが」

「青鳥、これはきっと楽しいことだ。食べたことのない食べ物がある。あれの名前はなんだ。あの飲み物の名前も。早く教えてくれ」

「これね、フライドポテト。こっちはオレンジジュースだよ」

「ウサギ! ここにあるもの全部、わたしが食べていいのか!」

「勿論! ちゃんと青鳥におめでとうって言ってから、いただきますするんだぜ!」

「青鳥、おめでとう! いただきます!」


 あまり祝ってもらっている気はしなかったが、夢中でハンバーガーにかぶりつくネズミに「まぁいいか」と思った青鳥である。


 で、残るは火鬼投だ。険しい表情を浮かべる彼に、ポテトをかじりつつカメは言う。


「……別に帰りたきゃ帰っても構わないが?」

「こっ……こんな楽しそうなの見て、帰れるワケないでショ! 青鳥ちゃん、アタシもお祝いしたげるワ!」

「うわ、オカマがこっち来た!」

「ちょっと何ヨその反応! 嫌がるならもっとしてやるわヨ!?」


 ぎゃーぎゃーとやかましくなった撃滅機関の部署内で、カメは少し離れた椅子に腰掛けて食を楽しむことにした。この歳になっても健啖家でいられるのは、食べるのが好きな彼にとってとてもありがたいことだった。


「カメさん」


 しばらく食べていると、太陽がやってきた。どうやら、一人輪から外れているのを気にしてくれたらしい。


「なんだ」

「あっちで食べませんか? 皆盛り上がってますよ」

「フン、僕は騒がしいのは苦手なんだよ。だからここで十分だ」

「そうですか」


 椅子を持ってきて隣に座る。居座るつもりのようだ。


「……青鳥が来て、ネズミの教育係まで任されて、カメさん、ますますスリープに入れんようになりましたね」

「構わんよ。元々入るつもりも無いからな」

「どうしてです?」


 率直な太陽の問いに、カメは首を傾げて考える。

 普段だったら跳ね返していただろう問いに答える気になったのは、陽気な場の空気に珍しく心が解けていたからだろうか。


 コーヒーの入ったカップを持ち上げ、彼は言った。


「……スリープに入るということは、即ち理想の世界へと赴くことだ。つまり僕にとって、そこは鳥がさえずり緑に溢れ、静かに本を読むことができる場所となる」

「はい」

「だがな。だからこそ、僕はそこに行けないんだ」


 一際大きな声がする。火鬼投が持っていた皿をネズミが横取りし、その弾みで青鳥の頭にケーキが落下したのだ。青鳥のあまりの惨状にウサギが笑うと、つられて火鬼投や北風、しまいには鵜森まで謝りながら笑っていた。


「なあ、ほら見ろよ」


 カメの目は、そんな光景に囲まれるウサギに向けられている。


「――あの死ぬほど鬱陶しいアホが紡ぐ世界が、僕の理想の世界に存在するわけないだろう?」


 その声は、太陽が知らぬ柔らかな響きだった。


「……ええ」


 太陽は微笑む。


 その心得たような顔を見たカメは、今自分が言った内容を痛烈に後悔した。


「いや、待て、忘れろ、太陽君」

「ええですねぇ……ほんまええ話聞きました」

「あれか? 金か? 金で解決するか? いいよいくら欲しいんだ」

「金で買えないものってあるんですね」

「お、生まれて初めて君に悪感情が芽生えたぞ。こんな祝いの席で大変なことだ」

「ウサギさーん! 今そっちにカメさん連れて行きますわ! いっぱい話したってください!」

「馬鹿の善意ほど迷惑とはこの事だな! ウサギ! 僕はもう帰るぞ!」

「え、なんでだよ。オメェがいねぇとつまんねぇじゃん」

「なんで今日に限ってそんな……オイ太陽君! 太陽! その顔をやめろ!!」


 ウサギの周りにできた輪の中に、無理矢理カメが連れて来られる。ケーキまみれの青鳥はカメに向かってお礼を言い、そんな彼を火鬼投がからかう。嗜める太陽に北風は新しいケーキを勧め、鵜森はネズミの汚れた口元を拭いてやっていた。


「……本当に」


 その賑やかさに、カメは閉口したフリをする。


「……ここは頭痛がするぐらい、馬鹿げた世界だよ」

「まったく」


 迷惑そうなカメに、ウサギはいつも通り愉快そうに笑う。脳の同期が無くても大体何を考えているのか分かる自分が腹立たしく、カメはウサギに軽い蹴りを入れた。


 そこからまた小競り合いに発展し、太陽が力づくで止めに来るのだろう。そして最後は二人で正座し、共に説教を食らうのだ。


 ――ああ、彼らと見るこの不完全な世界は、なんと手放し難いほど美しいのだろう。


 少し先の未来に想いを馳せるカメの頬に、ウサギのビンタが飛んできたのであった。




 撃滅機関の老害共 完

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