第51話 生きていていい理由
『うおおおおおおお!!』
部下の咆哮と共に、スリープ世界にラグが発生する。ウイルスも例外ではなく、その動きは目に見えて緩慢になった。
青鳥の作ってくれた時間の中で、外に向かってウサギは叫ぶ。
「スリープ者は全員逃したぜ! 生命維持装置はどうなってる!?」
『たった今処置が完了したとのことだ! あとは新システムだけだよ!』
『……総監! いきましょう! 最低限の土台は整いました!』
『ええええいモウ! ホントは色々残ってるケド後は稼働と並行してやるっきゃないわネ!! 導入、行くわヨ!!』
現実世界からの声も聞こえたのか、口だけしかないウイルスの顔が強張った気がした。
――さぁ、これがシステムになった自分の最後の大仕事である。
ラグの嵐の中、ウサギはコマンドを実行した。
「強制終了!!」
瞬く間に、ウイルスに食い破られた世界から色が褪せていく。ラグから解放されたウイルスがウサギに飛びかかろうとしたが、落ちていく暗黒に足を取られそのまま飲まれてしまった。
さあ、こちらものんびりはしていられない。早く本体に戻らないと、二度と起動されないサーバに閉じ込められてしまうことになる。
ウサギは壊れかけたレールに乗ると、アドレスを入力しようとした。
その時である。
ウサギの視界の端で、チラリと何かが光った。がなるカメの声を無視して、ふらりとウサギはそちらに向かう。
「……君は」
それは、かつてこの世界を司っていた存在であった。世界が崩され、シャットダウンされようかというこの一瞬の間に、ピエロによって電子の海の隙間に押し込められていたソレはようやく解放されたのである。
その人工知能に、ウサギやピエロのような形は無かった。ただ、ある人から与えられた名前があるだけだった。
「ネズミ」
ウサギの呼びかけに、ただの小さな光の塊であるネズミは反応した。チカチカと、弱く点滅する。
――何かの弾みで、生まれてしまった。
人と関わり、人に興味を持ち、人に利用される。ただそれだけだった生を、意思を持ったソレは、今ここで終えようとしていた。
……ジッと見つめるウサギに何を思ったか、形の無い手が遠慮がちに伸ばされる。
「……!」
次の瞬間、ウサギはその手を取って走り出していた。
『何をしてるんだ、ウサギさん!』
鵜森が怒鳴る。
『システムと切り離されたとはいえ、その子の中には莫大なデータが入ってるんだぞ! 一緒に逃げるということは、二人の脳にその分のデータが入ってくるってことだ! パンクしてしまうぞ!』
「じゃあカメとの同期を解除してくれ! 大丈夫、オレ天才だから! 子供一人分ぐらい住まわせてやれる容量あるから!」
『何をバカなことを……!』
また涙声になっている鵜森に、ウサギは思った。きっと、本当は彼女が一番こうしてやりたかったのだろう。今だって誰よりも救ってやりたいのだろう。
いいよ。だから無理矢理にでも、ジイちゃんが会わせてやるんだよ。
走るウサギに、今度は火鬼投が声を荒げた。
『アタシだって反対ヨ、ウサギちゃん! その子は多くの人を傷つけた犯罪者なのヨ!? そんな子を連れ出すだなんテ、狂気の沙汰だワ!』
正論である。そしてこれは、現代社会における世論でもあった。今の社会は、きっとこの子が犯した罪を許しはしないだろう。
だが、黙ってしまったウサギに代わって言い返したのは、意外にもカメであった。
「フン、コイツは今までただのシステムだったんだ。人間の命令で動いただけの道具に罪を償えというのは、あまりに間抜けな話じゃないか?」
『グッ……』
「まぁ、これから人間になるというなら、そんな道理が通るとは限らんがな。それでも、“ 更生 ” という社会モデルのスタート地点とするならば、人権適用が曖昧という点でコイツは最適かもしれんぞ」
要するに、都合の良いモルモットにできると言っているのである。このタイミングでとんだ鬼畜発言だ。
しかし案外効果があったのか、火鬼投は口をつぐんだ。ちゃっかりしているウサギは、その隙にレールに足を乗せる。
『……ウサギさん』
最後に、心配そうな青鳥の声が響いた。自分の言葉で彼の抱える不安を払拭できるとは思えなかったが、ウサギは優しく返してやる。
「オレはほんとに大丈夫だって。待ってろ、今そっちに帰るから」
『ですが』
「……なぁ青鳥、せっかく生まれてきたんだよ」
ウサギは語りかける。それは、彼に向けた言葉でもあった。
「だったらさ、オレはもう殺しちゃダメだと思うんだ。生まれてきたんならそれだけで、十分生きてていい理由になると思わねぇか」
「……」
レールにアドレスを打ち込む。体が、光る粒子に変わっていく。
「んじゃ、オレは今から行くぜ! カメとの同期は解除しといてくれよ!」
陽気な声が上がると同時に、ウサギの姿はかき消える。そして、長きに渡り稼働し続けたスリープシステムサーバも、完全にシャットダウンされたのであった。
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