第50話 ウイルス
まず異常事態に気がついたのは、太陽だった。
「……なんや? いきなり生命維持装置が止まったけど……」
太陽は、この事件の主犯格とされる男の生命維持装置を確かめる。そして事態を把握すると、すぐさまウォッチを起動させた。
「鵜森さん、大変です! ヤツが……
――散々スリープ世界と現実世界を混乱させた哀れな男は、百三十三歳にて寿命を迎えたのである。
「よし、あとちょっとだな」
夥しい数のスリープ者を続々と各本体に戻しながら、ウサギは呟いた。焦る必要は無いのだが、生身の人間が電子世界に長居するのは賢明ではない。出来うる限りの速さで、ウサギは作業をしていた。
時刻は十一時四十五分。いつの間にやらこんな時間だ。
『ウサギさん』
「あれ、鵜森ちゃん」
手を止めることなく、ウサギは顔を上げた。まあ、彼女の姿自体は見えないのだが。
「なんか用?」
『うん、特に問題は無いだろうが、一応知らせておこうと思ってね』
「何を?」
『君達がさっきまで交戦していた男だが、ついさっきスリープ装置の中で息を引き取った』
その言葉に、ウサギの心臓が跳ねた。
「……死因は?」
『寿命だよ。とはいえ、このタイミングでの死だ。嫌な予感は拭いきれない。無理を言っているのは百も承知だが、作業を終えたら一刻も早く戻ってきてほしい』
「おう、わかった。あと五分もしねぇ内に片付くから、そっちで歓迎パーティーの準備でもして待っててくれ」
明るく返し、ウサギは作業に集中する。だが、またしても次の通信が入った。
『ウサギさん!』
北風である。珍しく、その声は切羽詰まっていた。
「どうした、北風ちゃん」
『スリープシステム内でウイルスが発見されました! 至急検出し、対応をお願いします!』
「ウイルス? いや、オレそんなの認識してないけど……」
『だから問題なんです! スリープシステムであるウサギさんが認知できないということは、つまり……!』
ウサギの体が勝手に動く。何かを察知したカメが、横飛びに身をかわしたのだ。
「――ほう。管理者権限を持ったウイルスとは、笑えないな」
視線の先にあったのは、人の形をした影。データの残り滓が集まり淀んで出来上がったようなそれは、先ほどまでウサギが立っていた場所でガツガツと何やら食んでいた。
咀嚼する口の端から溢れたのは、電子世界を構成するプログラムコードのかけら。
「おぉん!? 何あれ!?」
おののくウサギだったが、その疑問はカメの脳が答えてくれた。
システムそのものとなったウサギが感知できず、人型で、スリープシステムを攻撃するウイルスの正体とは――。
「――ピエロの亡霊?」
一度は中枢システムと化したピエロが、現実世界への復讐に執着するがあまりその身をウイルスに変えてしまった。
カメは、そんな仮説を組み立てていたのである。
いや、そんな事ってあるの!?
「実際分からん。確かなのは一つ、コイツは明確な悪意をもってシステムを破壊しているという事だけだ」
「うおおおおヤベェじゃんよ! どうしたらコレ止まるの!?」
「色々試しているが、流石元スリープシステムだっただけはあるな。打つ手は無いと見切った方がいい。可能なら、とっとと意識をシステムから切り離して逃げるのが上策だよ」
「ダメだって! まだ人が残ってんだよ!」
言い合っている間に、くるりとウイルスはこちらに顔を向ける。そこに目と耳と鼻は無く、大きく開いた口だけが次の獲物を狙っていた。
「……カメ、説得できそう?」
「……アレが聞くと思うか?」
「おっしゃる通りで」
飛びかかってきたウイルスを紙一重で避け、ウサギは意識をスリープ者の返還に集中する。戦闘はカメに任せるのだ。
残るスリープ者は三百四十人。三分もあれば送り返せる数だ。ただ、それまであの凶暴なウイルスの破壊から、彼らの住む仮想空間を守りきらねばならない。
口を開けたウイルスが、仮想空間の表層に向かう。それを見たカメは、硬質化した拳でヤツに殴りかかった。
……花井浩太、ザイラン・ヒューベスト、台南星海、津沼陽氷……。
ウイルスがカメの腕を食いちぎろうと歯を立てる。一瞬全身を粒子に変換させ、カメは腕を引き抜いた。
……高木勇、片山喬、石上崇弘、安村誠子、花谷達未……。
仮想空間の一部が荒々しく剥ぎ取られる。周りのプログラムコードも一気に破壊された。
……山村類、進ノ先堤、修正、追いつかない、稲村康、若狭文香……。
ウイルスは破壊の限りを尽くしながら、残された人を探しているようだった。カメがウイルスの周りに棘だらけの壁を出現させるも、ものの二秒で破壊される。
……優先順位変更、遊具に隠れている、牧口美妃、春口沙恵、腰越亜津……。
一瞬、敵の動きが読めなくなった。思わず制止したカメに、死角からウイルスの牙が迫る。
だがその口が彼の首をちぎる前に、バイクを創造したウサギがアクセルを回した。
……桑名一貴、杉澤光雄、笹尾佳子、車剛……。
あと少しだ。あと少しなのだ。
ウイルスはバイクより速い。しかし、こっちだって伊達に乗り回してはいないのだ。カメと役割を交代し、ウサギは残るスリープ者に意識を向けさせないようウイルスを撹乱することにした。
追いついたウイルスにバイクを噛み砕かれる。ガクンと車体が傾いたが、その反動を利用しウィリーもどきでウイルスの体をタイヤで擦ってやった。
が、ヤツには傷の一つもつかない。腹立つ。
その時、急にウイルスが頭を上げた。かと思うと、凄まじい速度で急降下を始める。
ヤツの狙いは、地上で身を寄せ合ってこちらを見上げる十人あまりの人間であった。
「……ッ!!」
二人の脳は咄嗟に、全ての力をスリープ者の意識送還に集中させた。バイクが消え、ウサギの体は宙に投げ出される。それでも二人の神経は、スリープ者を送り返すことに注ぎ込まれていた。
ウイルスの牙がその身に触れる寸前、最後の一人が本体に送られる。際どいところだった。
だが、二人には息つく暇さえ与えられない。
これを好機と見たのか、はたまたウイルスの本能なのか。敵は身を翻すと、落ちてくるウサギに襲いかかってきたのである。
勿論、ウサギは避けようとした。ところが、自分の落下するちょうど後ろの辺りに、まだスリープ者が数名残っていることに気づいてしまったのである。
自分が避ければ、ウイルスの標的は彼らに変わるだろう。
この時、二人は選ばなければならなかった。残る僅かなスリープ者を見捨ててもウイルスから逃げるか、もしくは自らの命を犠牲にしてでもスリープ者を送還させるか。
「……ウサギ、分かっているな?」
「おう、警察ってのは民間人を守る組織だ」
声には出さず、二人は脳内で言葉を交わす。
長い付き合いだ。そして今では同期までしている。
選ぶべき道なんざ、もう分かりきっていた。
「だが」
ウサギの口が動く。同じ結論にたどり着いたウサギとカメは、同じ体で、同じ答えを叫んだ。
「――お前と心中するのも、真っ平御免だね!!」
ウサギとカメは、持てる力の全てを使って残るスリープ者を全員送還した。それから体に触れるか触れないかという所まで迫ったウイルスの前に、煙幕と壁を具現化させる。コンマ数秒の時間稼ぎだが、十分だった。
地面に叩きつけられる前に体をひねり、うまく着地する。便利な体だ。ここまで無茶してもどこも痛くならない。
そのまま、煙幕と一緒に出していたバイクで距離をとった。
ウイルスは世界を壊しながら、信じられない速さでウサギに狙いを定める。
次こそは逃げられない。だが、それも織り込み済みだった。
「――今だぜ、青鳥」
ウサギは、外の世界の部下に命令を下した。
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