第49話 システムとなる

 光が消えたということは、きっと現場にいる太陽か誰かが個人回線を切ってくれたのだろう。一仕事を終えたウサギは、腰に手を当てて息を吐く真似をした。


「さて」


 しかし、まだやる事は残っている。仮想空間に集められたスリープ者達の後始末だ。

 いや、その前に……。


 ウサギは、おかしな挙動をするプログラムコードに目をやった。制御していた中枢システムが無くなったので、早速その影響が出ているのだ。

 放置しておけば、三十分も経たぬうちに仮想空間にまでこの不具合は及ぶ。そうなれば、世界から投げ出されたスリープ者の意識は、跡形も無く電子の海に散ってしまうだろう。


 それを防ぐ方法は、一つしかない。


『うまくいったかしラ? ウサギちゃん』


 妙に高く艶めかしい声がシステム全体に響いた。火鬼投である。


「おうよ、バッチリ」

『スゴいわネ。それじゃ、早速次のお願いなんだケド』


 ウサギの頭上に、メッセージウィンドウが出現する。それは、スリープシステムにおける中枢を司るデータコードだった。


 火鬼投は事も無げに言う。


『ウサギちゃん、今からアナタには、スリープシステムそのものになってもらわなきゃいけナイワ』


 ――そうだよな。やっぱそうなるよな。


 ウサギは、ブルリと身震いした。……生身でシステム化されるのだ。恐ろしくないわけがない。

 だけど、それを年下に悟られるのはもっと恥ずかしかった。


 そんな見栄だけを胸に、ウサギは何事も無い風を装い軽い調子で返す。


「オッケー。どうすりゃいい?」

『カメ、アンタなら分かるでショ。直接コードをいじって、ヤツのIDと名前が書いてある箇所を全てウサギちゃん名義に変えてしまうノ』

「はいよ。しかし、できるが大変面倒な作業だぞ。サル、貴様も手伝え」

『アタシだって手伝いたいケド、こっちも忙しいのヨ。それに、外からのコマンドは受け付けないみたいだシ』

「チッ、口ばかりで使えんサルだ」

『アンタ外に出てきたら覚えてなさイ』


 悪態をつきながらも、カメはウサギの手を使ってどんどんコードを書き換えていく。手際のいいその作業は、それでも数分に及んだ。


「……これでいい」


 全ての書き換えが完了した。変更を確定する前に、カメはウサギに忠告する。


「いいか、データ変更が確定した瞬間、お前はシステムそのものになる。つまりこの世界でやりたい放題やれるわけだ。だからしっかり意識を保ち、決して美女だらけの南国楽園を作ったりフレンチフルコースを堪能したりするんじゃないぞ」

「後半お前の願望混じったね?」

「全能感というものは、大変危険な魔法の杖だ。理性という脆い鎧なんざ簡単に吹き飛び、ささやかな欲望がモンスターへと成長する。あるいは、魔法の杖に引きずられていいように支配されるかだな。ピエロはシステムになってから時間が浅かったが、もう何日か経ってたらどうなっていたのだろうね」


 怖いことを考える男である。ウサギが神妙に頷いた後、カメは手を動かしてデータを更新した。


 途端に全身が貫かれるような衝撃が走り、ウサギはその場にひっくり返る。脳に大量の情報が流れ込み、まるでこのスリープシステム全体が自分の体となったような錯覚を抱いた。


 ああ、世界の一部が壊れている。直さなきゃ。……直ったな。これで良しだ。うわ、悪いこと考えてるヤツいるじゃん。直接データいじって修正しとこう。こっちでは子供が泣いている。肉体年齢は五十歳か。一応近くの男性を動かしておくとして……。いや、それよりあちらでは……。


 スリープ世界の管理人となったウサギは、数多の見えない手で機械的に仮想空間の修復と安寧を紡ぎ始める。何故なら自分はスリープシステムの中枢なのだ。順当な行動である。


 しかし突然、勝手に動いた右手が自分の頬を張り、ウサギは正気に戻った。


「ハッ! オレは何を……」

「ほーらまったく、言わんこっちゃない」


 呆れたようなカメに、ウサギは目をパチパチとさせた。……どうやら自分はピエロとは違い、システムに支配される側だったようである。言いたかないが、ヤツと脳を同期していて本当に良かった。


 バツが悪い思いをするウサギを一切フォローすることなく、カメは言う。


「ボサッとするんじゃない。早いとこ、彼らを元の体に戻してやるぞ」


 それは、スリープシステムだからこそ行使できる、強引な解決策であった。










 その男は、生まれる前から監視されていた。


 というのも、野放しにしておくにはあまりにも危険な能力を持っていたからである。専用の錠剤が無いと発露しないとはいえ、念には念を入れる必要があると周りは判断したのだ。

 “ どんなに危険な能力や人に劣る所がある人間であろうと、生は平等に与えられるべきである ”。それが、今やDNAすらコントロールできるようになった人間が、多様性を残すために定めた法であった。


 男は真っ当な善人となるべく、ロボットによる手厚い教育を施された。

 悪い思想を植え付けられていないか、彼の脳は頻繁にスクリーニング検査が行われることになった。


 すると、いつしか男はこう思うようになっていたのである。


「ああ、なんて息苦しいのだ。もっと自由に生きられればいいのに」


 何故、こんな社会になったのだろう。不自由の原因を考えた男は、それを社会が抱く犯罪への異様な忌避感であると断じた。すると次に湧いてきたのが、犯罪者の監獄であるスリープへの怒りである。


 ――あんなものがあるから、人は犯罪と向き合えない。


 ならば、生まれる前から犯罪者の扱いを受ける自分が、社会を変えてやろうではないか。

 こうして男は、スリープシステムに対するテロを計画するに至ったのである。


 だが男は逮捕され、スリープに入れられた。男は最後まで、スリープは不当な抑止力であると訴え続けていた。


 悪夢の中にいても、それは変わることはない。むしろ憎悪は募る一方であった。スリープに入れられる際に抵抗した事で機械に障害が発生したのか、多少の信号を外に向けて発信できるようになっていたのも悪かった。


 百年。それは、男が逮捕されてから外に向かって信号を送り続けた時間である。来る日も来る日も、彼は悪夢の中で絶叫しながら、自分に応える声を待っていた。


 そしてある日、とうとう受信者が現れたのだ。

 その相手は、どういう因果か、あれほど憎しみをたぎらせたスリープシステムだった。



 ――貴方は、人間になりたいのですか?



 一世紀の時を経て、やっと男は再び革命を起こす手立てを得たのである。











 だからこそ、失敗するわけにはいかなかった。


 現実世界に出て行く比丘田に、できるだけ丈夫な自分のクローンを作るよう頼んだ。しかし、その際に能力で怪しまれないよう、引き渡すデータに細工をしたのは慎重過ぎたかもしれない。


 その後、比丘田が自分のクローン素体を間違えて実験に使用したと聞いた時には、心底がっかりしたものだ。やはり、自分以外の人間はアテにしてはいけない。そう自身を戒めた。


 それ故に、自分の体が唯一生き残っていたと知った時、男は初めて神の存在を感じたのである。そして、この革命を執行することは絶対使命であるとの確信を、より深めた。


 自分の思想こそ正義だ。

 自分の理想こそ社会のあるべき姿だ。


 それを他の者に阻まれてなるものか。

 やっと、やっとここまで来たというのに。


 バイクに縛り付けられた男は、百年間そうしていたように、叫んだ。


 ――なんとしてでも、スリープを破壊せねば。


 男の歪んだ執念は、体の一部を変質させ、電子の世界に同化していったのである。

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