第18話 自我

 薬品と埃っぽい匂いが混ざり合った、息苦しい空間。その冷たい床の上で、青鳥は意識を取り戻した。


「ここは……」


 言いかけて、首を振る。――ここがどこか、本当は分かっている気がした。身を起こそうと体をよじると、手足の拘束具が金属音を立てた。


「おはよう、実験体0021」


 老いた男の声がする。しかしそれは、聞き慣れた明るい声でも、嫌みったらしい声でもない。じっとりと粘りつくような、知らない声だった。

 いや、それよりも老人の言葉の意味である。声のする方にこそ顔を向けることはできなかったが、青鳥はしっかりとした口調で問いかけた。


「……実験体とは、オレのことですか」

「ああ、その通りだよ。もはやこの施設内の実験体は、君しかいない」

「何故、そんな名で呼ぶんです。オレには家族があって、仕事もある。名前だって……」

「おや、まだ受け入れてなかったのかねぇ? とっくに気づいていたかと思ったが」


 パチン、と指が鳴る。同時に、転がったままの青鳥の目の前に、あるデータが展開された。


 ヒトの身体構造とDNA情報、細胞数、必要最低知識内容、筋肉量、視力、クローン元データ。


 ――そこに表示された人間は、青鳥と全く同じ姿をしていた。


 驚きに目を見開く青鳥に、老人の声は残念そうに言う。


「……組織化する機械に、バグが発生しさえしなきゃなぁ。今ここで、君と同じヒトを作ってやれたのに」

「あ、アンタ、何言って……」

「ああ、できないことはないんだ。でも、自分と同じ姿のヒトが作ったそばから壊れていくのは見たくないだろう?」

「アンタの言ってることが、よく……」

「何、まだ信用できない? それならほぉら、思い返してみるがいいよ。君の生きてきたその道筋を」


 展開されていたデータが消える。言われるがまま、青鳥は今まで生きてきた自分の人生を、頭の中でなぞろうとした。


 だが、すぐにその作業は頓挫する。――空っぽだったのだ。小さい頃に好きだったもの、食べたもの、行った場所、親の顔、友人の名前。それらあって当然の思い出は、まるきり彼の中に存在していなかった。


 ――しかし、今回は事前に覚悟ができていた。


 青鳥は、青ざめながらも唇を噛みしめ、襲い来る虚無感に耐える。


 ここに来る前に、彼は大雑把ながらID喪失者について太陽から知らされていたのだ。

 それが無ければ、恐らくここで発狂し、我を失って粒子化していただろう。


 深呼吸をし、自分の体を見る。まだ、粒になっている箇所は無い。


 思い出せ。ただ、やたらやかましくて鬱陶しいジイさん達と共に過ごした一週間だけを。

 確かに、自分が存在していたあの一週間を。


「……粒子化はしないようだねぇ、ここまで自身の在り方を揺さぶられておきながら。おお、なんて素晴らしい。生き長らえてきただけはあるということか」


 カツンカツンと、老人の靴が床を鳴らす。


「何が良かったのだろうねぇ。名前をつけられた事か? それともボードゲーム? ともあれ、粒子化していない個体が残存していて助かったなぁ。まさか遺伝子再構成システムにバグが発生して、人の形を完全で保てなくなってしまうとは思わないものでねぇ。……人の自我を楽しむ時間を、少し長く取りすぎてしまったということか」

「自我……?」

「そう。自分はこういう人物であるという意識。これが何に依存して形作られるものなのか、君は答えられるかい?」


 青鳥の前に、黒い靴が現れる。見上げると、一人の老人と目が合った。

 その目は、夢でも見ているかのように蕩けていた。


「自我とは、すなわち欲望だ。暴力的で、他を押し退けてでも叶えたい、原始的で利己的な本能だ。……ああ、スリープの中で何度も夢想したよ。自我が解放された世界を。完全に自我が認められた世界を。ほら、普通の人間は、特にこだわりもなく、激情に突き動かされることもなく無難に生きていくものだろう? むしろそれが落ち着いた大人の姿であると褒め称えられる始末だ。……だめだねぇ、それじゃ生きている意味が分からない。アレがしたい、コレが欲しい、この動物本来が持つ剥き出しの衝動――それこそが、人間を人間たらしめる自我だというのに」

「あまり……言っている意味がわかりません。その自我が、オレらを作ったことと、どんな関係があるっていうんです」


 老人の背後には、大仰な機械が見える。そして、大量の粒が入った巨大なビーカーのようなものも。


 あの中身が、きっとかつての自分だったのだ。そんなおぞましい考えを、青鳥は必死で追い出そうとしていた。


「……どうしてオレらを作ったか、教えてください。どうせオレは今からアンタの実験台に戻されるんだ。冥土の土産に、それぐらい教えてくれたっていいでしょ」

「本当に興味深いねぇ。聞けば自分を保っていられるかどうか分からない情報に、なおも足を突っ込むとは。……いやぁ、答えは実に単純明快なんだ。ただ、私は見たかっただけなんだよ」


 老人は、笑っていた。


「――強烈な、 “ 人間らしい人間 ” というものを」


 その一言に、青鳥は訝しげに目を細めた。


「人間らしい人間……?」

「そう。ヒトの意識は、様々なもので構成されている。いわゆる自我は常識や社会のルールといったもので隠され、表出することはない。……だが、人間の魅力はここ自我にある。私はそう思った」


 そして、それを人々に思い出してもらいたかったんだ。

 美しくシステムに統制され、美しく生きるだけの人々に。


「――モノを食べたい。ヒトを愛したい。コレを殺したい。たった一つの欲望とそれを決定的に叶える手段のみをヒトに与えた時、ヒトはがむしゃらに実現に向かって動く。その時に彼らが取る行動は、限りなく自我を表出させた “ 人間 ” であるのではないか? ……私は、その鮮やかな人間の姿を堪らなく見たかったんだよ」

「……そんなもの……この施設に引きこもって一人で見りゃ良かったでしょう。どうして被害が及ぶかもしれない外でやったんですか」


 青鳥の腕に、ぼたりと雫が落ちる。見ると、恍惚とした老人の口の端からは、だらだらと唾液が滴っていた。

 自分の論に、理想に、酔い痴れる老人は、滔々と続ける。


「勿論、問題提起の為だよ。システムに押さえつけられ、人間は人間らしく生きられなくなった。雨の中で踊る人間を、許容できなってしまった。――自由が消えたんだ。しかし、洗脳された人々はそんな社会に疑問を抱くこともない……。だから私は、人々に自我の劇を見せることで、自我を表出することの素晴らしさを知らしめてやったんだ。一人でも多くの同志が、自我に目覚めるようにねぇ」


 青鳥は、頭を殴られたようなショックを受けた。


 ――この老人の独り善がりな欲望の為に、自らは作り出され、同胞は絶望の内に散っていったというのか。


 胃が焼けるような感情が、青鳥に湧き上がった。叫び、滅茶苦茶に暴れてやりたかった。

 しかしどうすることもできない。自分の手足は拘束されているのだ。


 老人は、青鳥の頭を黒い靴で踏みつけた。


「さあ、冥土の土産はここまでだよ。実験体0021には、今後クローンを作る際の素体になってもらわねばならない。……君の構成データを抽出し、システムに上書きする。そうすることで、また私はクローン人間を作り続けることができるんだ」

「……ッ!」

「次から作るクローンは、今までの試作品のようにすぐ瓦解するようなものにはしないよ。綿密な過去を持たせ、強烈な悪意や願望を持った大いなるクローン人間を作るんだ。欲望を満たす為に、彼らは自我を露わにして、平和ボケした人の中で踊り出すだろう。それに感化され、人々はようやく目を覚ますんだ。……想像するがいい。私のクローン人間を先頭に歩く、欲に満ちた目の民衆の姿を」

「……アンタ、 おかしいですよ」

「ははは、私から言わせれば、それは世間一般の普通と呼ばれる人々の方だ。――喜ぶといい。君は他の実験体と違い、こうして私の役に立つことができるのだから」

「誰が!!」


 青鳥の目に怒りの炎が宿った。動かない手足などクソ喰らえと言わんばかりに身を起こし、老人の足に噛みつく。老人は、短い悲鳴をあげた。


「な、何をするんだ!」


 即座に蹴飛ばされ、踏みつけられる。だが、青鳥も負けてはいない。なおも足に噛みつき、それがダメだと分かれば体を使って絡みついてその体を引き倒そうとする。

 鼻血で顔を汚しながら、青鳥は怒鳴った。


「誰が! オレを人間扱いしやしねぇヤツの為になりたいもんかよ!!」

「私の一言ですぐに壊れる実験体風情が、生意気に人間だと? 馬鹿げたことを言うな! 従え! お前はただの素体で、クローン人間のバケモノだ!」

「うるせぇー! 誰がバケモノか! こちとらちゃんとした名前があんだよ! そんでもうそろそろ帰らねぇとアホほどたまった事務仕事が今日中に片付かねぇんだよ!!」


 老人とは思えない力が、青鳥の髪の毛を掴む。そのこめかみに銃口が当てられても、彼は折れなかった。


「オレの名前を間違えるな! オレは……オレは撃滅機関の青鳥セイヤだ!!!!」


「よく言ったぁーーーーーー!!!!」


 天窓がぶち破られると同時に、やたらデカい声が天井から降ってきた。思わずそちらを見上げた老人と青鳥が見たものは、大型バイクの車輪。


「時間稼ぎオールオッケー超サンキュー! 撃滅機関、悪を退治しに参上だ!!」

「つまり神妙にお縄についてスリープに戻りましょうとそういう話だ。科学者の風上にも置けん亡霊よ、うちの部下をさらった罪は重たいぞ?」


 テンションの高い金髪の老人と、温度の無い目をした黒髪の老人。


 ド派手に現れたるは、青鳥の上司である、悪名高い撃滅機関の老害共であった。

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