第17話 たすけて

 ファーストフード店の前では、遠巻きに見る野次馬に囲まれ、髪を振り乱した女が銃を構えて立っていた。彼女の目線の先には、妙齢の女性が一人へたりこんでいる。


「よくも……よくも私の恋人を殺してくれたわね……!」

「し、知らない! あなたなんて知らないわ! 本当よ!」

「うるさい! 今すぐ地獄へ送ってあげるわ!」


 女の指が引き金にかかる。だが弾が放たれる寸前で、野次馬の集団から飛び出た屈強な男のタックルが、彼女の体を弾き飛ばした。


「ああああ良かった! なんとか間に合うた!」


 太陽である。彼はすぐに態勢を整えると、狙われていた女性の前に立ちはだかった。


「バカなことはやめぇ! 君のそんな姿を見たら、お母さん泣いてまうぞ!」

「な、何よアンタ……!」

「僕は警察や! でも今はンなこたええねん! お母さんや、お母さん! 名前言うてみぃ!」

「お、お母さんの、名前……?」


 その言葉に、地に伏した女の耳がぶくぶくと粒に変わっていく。元々粒子化が始まっていた左腕は、既に肩まで侵食がおよんでいた。

 戸惑う女は、瓦解していく自分の体を為すすべなく見下ろし、悲鳴をあげた。


 ――これでいい。


 太陽は己の罪悪感と戦いながら、唇を引き結んだ。


 ――同じ要領で次から次へと質問をあびせれば、彼女もやがて無害な粒の塊と化するだろう。そうすれば、市民の安全は守られる。こうするしかないのだ。


「今のうちに、ここを離れてください!」


 太陽が対処している隙に、青鳥は被害者を立ち上がらせ逃がそうとする。

 この場所でID喪失者が出現したと知った二人は、記憶を呼び戻すより先に事件の始末をすることを選んだのだ。


 その際に青鳥は、撃滅機関員の一人として、彼女の手を引いて避難せよと太陽に言われたのである。


 彼は任務を遂行するつもりだった。強く、そう思っていた。


 だから、見落としてしまったのかもしれない。


 ――肩を抱いたその女性の指からは、粒がこぼれ落ちていた。


「プロトタイプを発見。至急、確保に移ります」

「……え?」


 機械的な言葉が女性の唇から紡がれた次の瞬間、青鳥の全身にバチリと電撃が走った。とても立っていられず、彼は崩れるようにその場に倒れる。


 しかし太陽は気がつかない。青鳥は声を上げることすらできなかったからだ。


「お母さんの名前、分からんか? ほな自分の名前は言える? 住んどる所でもええで」

「あああ、ああああああああ!」


 太陽が女を粒子化させていく中、彼女は一際大きな絶叫を上げる。それは青鳥を取り巻く状況を撹乱させ、どこからともなく現れた人たちは、自由がきかなくなった彼の体を何の障害もなく運んでいった。


「だ……れか」


 遠くなる意識を離すまいと、声を絞り手を伸ばそうとする。だが実際は、掠れたような音が漏れたのと、人差し指が少し動いただけだった。


 次第にぼやけていく視界の中に、青鳥はこの一週間ですっかり見慣れた二人の老人の顔を、見た気がした。










「おい、あれ」

「ああ」


 時間は数分前まで遡る。

 見慣れたバイクがファーストフード店の裏に止まっているのを見つけたウサギは、ブレーキを踏んでカメに声をかけた。どうやら、彼らより先に駆けつけた警察関係者がいるようだ。

 ウサギはハンドルを握ったまま、カメに尋ねる。


「どうする、他行く?」

「その方が良さそうだな。なんせ僕らは繁忙期だ」

「りょーかい。そんじゃこの辺りだと……」


 ゴーグル内のセンサーを確認したウサギだったが、次の目的地を言うより先に首を傾げた。


 未だ、この地点の点滅が消えていなかったのである。


「……北風君、更新忘れてる?」

「ハン、ウサギの息子でもあるまいし、まさか」

「オイオイ、ちょっと行ってみようぜ。ヤベェ事になってるかもよ」

「まあ反対はせんよ。アクセルを踏むしか能の無い、タガの外れたバイクに乗るのが少し先に延びるというだけの話だからな。こちらとしても願ったり叶ったりだ」

「すげぇよく喋るよね、オメェ。ついでに差し歯が地の果てまで飛んでけばいいのに」

「まぁそう言うな。僕もしょっちゅう、お前の背骨が重ねた湯飲みに変わればいいと考えてるよ」

「どう生きてたらそんな発想にいたれるの? お前まさか食事の時までオレへの嫌がらせ考えてるの?」


 いつも通りのやり取りも、胸に渦巻く嫌な予感を中和させるためである。足は重たかったが、可能な限りの早足で二人はファーストフード店の入り口へと向かった。


 植木に身を潜め、慎重に顔を出す。そこで見た光景は、二人にとって予想だにしないものであった。


「今のうちに、ここを離れてください!」


 事の端末を見守る野次馬に囲まれていたのは、撃滅機関の新人、青鳥である。署内で事務仕事をしているはずの彼が、何故か現場でオバさんの肩を抱いてしゃがみこんでいた。

 ウサギはポカンと口を開け、言う。


「……なんでアイツがここに?」

「分からんが、太陽君が別の女を片付けていることが関係しているのかもしれんな」


 カメが指差す先には、痛々しげに顔を歪ませる太陽の姿。その足元には、着々とその身を粒子化させる女が喚き転げている。

 ウサギは眉間に皺を寄せ、どうしてこうなったかを考えていた。


「人数が足りねぇから青鳥まで駆り出されたのかね? ……でもこれマズイだろ。アイツを通して比丘田は情報を得てんのに」

「いや、近くにいる事自体は、むしろ僕らにとって好都合かもしれんぞ。いずれにしても、この光景はあの女の目から比丘田に入るんだ。回収が済んだらすぐに青鳥君の目と耳を塞ぎ、留置所に連れて行こう」

「オーケー」


 ウサギは頷く。さて、できるだけ快適に拘束ライフを送れるようにするには、青鳥にどんな音楽をかけてやるのがいいだろう。そんな能天気なことを思っていた時である。


 突然、青鳥がその場に倒れこんだ。


「青鳥!?」

「待て、様子がおかしい」


 飛び出そうとしたウサギの足をカメが払った。なんとか両腕をついて膝から転ぶことを免れたウサギであるが、六十過ぎにこの仕打ちである。

 もちろん憤った。


「痛ぇだろがよ!」

「落ち着け。こういう時はまず戦況を見るのが先だ。闇雲に姿を現す事が致命傷になる場合もある」

「うるせぇな、ウダウダしてる間に青鳥が殺されたらどうすんだ!」

「バカ野郎。逆に、比丘田に操られた青鳥君にお前が殺される可能性は頭に無いのか?」


 あり得るかもしれない極論を叩きつけられ言葉を失うウサギに、カメはなおも強い口調で言う。


「……見極めるぞ、ウサギ。Aを飲め。そして何が見えるか僕に教えるんだ」


 カメの言葉が終わるより先に、ウサギは錠剤を噛み砕いていた。少しずつクリアになる世界で、彼はまず青鳥に目を凝らす。


「……青鳥は薄目を開けて呼吸をしている。オバさんの手に何か握られてる所を見ると、多分それで動きを封じられたんだろうな」

「じゃあその女も比丘田側の人間なのか」

「おう、多分そう……いや、待て。あのオバさんもID喪失者だ。反対側の手が粒子化してる」


 カメはウサギの肩を掴み、身を乗り出した。しかし並の視力では全く見えず、諦めてまた植木に体を隠す。


「他に何が分かる」

「オバさんが顔を上げた。こんな時に一体何を見て……おい、嘘だろ。野次馬じゃねぇぞアレ。――アイツら全部ID喪失者だ!」

「何!?」


 錠剤で強化されたウサギの視力だからこそ、得られた事実だった。野次馬の内、数人が音もなくオバさんと青鳥に近づいている。その数人も、彼らを囲う野次馬も、みんなどこかしら体の一部から粒を零していた。

 その映像は、カメには見えない。だが、脳内で十分過ぎるほどにイメージできたようだ。

 冷や汗を流しながら、彼は呟く。


「どうして、ここにこんな人数のID喪失者が……!?」

「知るかよ! それよりどうする、青鳥がさらわれるぞ!」


 青鳥の体は、既にオバさんの手から数人のID喪失者に委ねられていた。太陽は別の女を粒子化するのに必死で、背後の計略に気づいていない。


 いよいよ焦れったくなったウサギは、今度こそ右足に力を込め走り出そうとした。

 無論それを悟らないカメではないので、ウサギが後ろでまとめた長髪を手綱のごとく引っ張り、食い止めたのであるが。

 首をグキリとやりかけたウサギは、カメを振り返った。


「お前もういい加減にしろよ!?」

「落ち着けと言ってるだろ。……お前は今僕の目なんだ。目の役割はなんだ? 飛び出してコロコロ転がることか? そのままぐちゃりと潰されることか?」


 カメの切れ長の瞳は、どこまでも冷たかった。その眼差しは、ひたすらに真実だけを要求している。


「――脳は僕がやってやる。お前という目は、大人しくひたすら僕に情報を与えることに注力したまえ。それすらできないスットコドッコイではないだろう?」

「……クッソ、勝手な事言いやがって……!」


 乱暴な正論にウサギは舌打ちをすると、先ほどよりは冷えた頭で青鳥に目を向けた。


「今の青鳥君は敵か、味方か? そもそも僕らが助け出すに値する者か? そうだとしても、今ここで助けに行くのが正しいのか? ……さぁ教えろ、ウサギ。僕という脳に、情報を送るんだ」


 つらつらとのたまうカメを無視し、ウサギは青鳥の行方を見守っていた。スローモーションのように流れる映像の中、青鳥から送られる情報を探す。


 ――青鳥よ、一つでもいいから何か示してくれ。オレらに、お前を助け出す理由を。


 目が乾くのも厭わず、殆ど祈りに近い思いを込めてウサギは青鳥を見続けた。


 その願いが通じたのだろうか。ふいに、青鳥の人差し指が跳ねた。


 すぐさま顔に目をやると、唇がかすかに動いていた。ウサギは急いで、昔カッコ良さそうだからと身につけた読唇術を頭の倉庫から引っ張り出してくる。

 青鳥の唇の動きに合わせて、ウサギは言った。


「だ……れか」

「なんだ?」


 唇の動きは、ここで止まった。青鳥は完全に気を失ってしまったのだ。


 だが、ウサギはカメに向かって言葉を続けた。


「……たすけて」


 カメの顔色が変わる。彼は、ウサギが読唇術を使えると知っている。だから、本来であればウサギの言葉はそのまま青鳥の言葉であると認識するはずだった。

 ……二人が恐ろしく長い付き合いで、嘘すら見抜けるような仲でなければ。


「……本当に、そう言ったのか」

「言ったよ」

「……」


 ウサギの揺るぎない返答に少し考えたカメだったが、やがてフンと鼻を鳴らした。


「まぁいい。騙されてやる」

「可愛くないねぇ、オメェってジジイは」

「愛嬌なんざ必要か? 花も恥じらう乙女じゃあるまいに」


 相槌の代わりにカメを軽く小突いたウサギだったが、その倍の威力の蹴りをくらい、ちょっとよろめく。それでも、ウサギはニヤリと笑った。


「――カメよ、これでオレらの部下は助け出されるな?」


 錠剤の効果は切れ、ウサギの見る世界は元通り何の変哲も無いスピードに戻る。そんな少しぼやけた視界の中に、相変わらず嫌味ったらしい相棒がいる。


「……まあ、雑務を押し付けられる人間が減るのは、僕も御免被るところだよ」


 ウサギの視界に収まるカメは、そんな彼を小馬鹿にするかのように、皮肉混じりに返したのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る