第10話 老害、ちょっと暴れる

 スリープ管理局。ここは、脆い肉体の束縛から解放され、来たる寿命まで幸せな夢を見ることができる世界への入り口。

 そんな文字通り夢のような場所に訪れんとすべく、一人の男が管理局の窓口に居座っていた。


「酒池肉林!!」

「……」

「満漢全席美女軍団!!」

「……」

「四方八方巨乳天国!!」

「申し訳ありませんが、スリープ時の内容をこちらで決定することはできない決まりとなっておりまして……」

「なんでだ! オレァ欲望にまみれて死にたいぞ!」


 鼻息荒く吠える金髪老人に、窓口の女性は途方に暮れて虚空を見上げた。何を言っても、このジイさんには通用しないのである。

 老人は机に頬杖をついて、彼女に言う。


「姉ちゃん、何もオレは無理難題を言ってるわけじゃねぇんだ。ちょっと夢の内容を操作してくれって話だよ」

「だからそれができない決まりなんです」

「後ろにさぁ、いっぱい装置あんじゃん? あれをちょちょーっといじってくれりゃいいワケ。分かる?」

「ですから……!」


 ラチがあかない。段々と苛立ってきた女性職員は上司を呼ぼうと振り返ったが、その上司も厄介な訪問者の対応に追われていた。


「幻想図書館の夢を見たい」


 黒髪の老人は、切れ長の目を細めて男性職員に言い放つ。


「現実では、あれに所蔵された本には指一本触れられない、そうだろ? だからこそ、夢の中では書物を読むことができると期待しているんだ。スリープに入る僕の脳と幻想図書館のデータを繋げて、一言一句違うことのない情報を同期させてくれたまえ」

「いや、うちはあくまでその方の脳内にある情報のみを利用した夢を自動的に構築する仕組みとなっていましてですね」

「いらんいらん。なんなら僕の思い出なんぞ、全部取っ払ってしまっても良いぐらいだ。その代わりありとあらゆる本のデータをこの脳に突っ込んでくれ。最高の夢とはまさにこのこと、万々歳さ」


 こちらもこちらで全く話が通じない。業を煮やした男性職員が、彼ら撃滅機関の上司にあたる人間に連絡をしひとまず連れ帰ってもらおうかと考えていた時だった。


「おまっ……カメじゃねぇか!」

「そういうお前はウサギ!?」


 二人が、互いの存在に気づいた。席を立ち、顔面ギリギリまで近づいてガンを飛ばし合う。


「まさか同じタイミングでスリープしに来たとはな……。オレの金魚のフンも大概にしなきゃだぜ?」

「ハッ、それはどっちだ、糞みたいなツラぶら下げて。その顔で毎日お散歩できるなんて、心底尊敬に値するよ」

「おおおんムカつくヤツだねぇ、お前は! やい姉ちゃん! 頼むからこいつとだけは並んで寝かせないでくれよ!」

「こちらからお願いしたいくらいだね。貴様と同じ空気を吸おうものなら夢にバカが感染してしまう」

「しませんー! バカは空気感染しないんですぅー! はい知能指数5、小学生からやり直し!」

「これはものの例えというものだ。君こそ専属教育ロボットに育て直してもらえばどうだ」

「なにおう!?」


 売り言葉に買い言葉で、ウサギはカメに掴みかかる。そのまま殴り合う二人は、勢いあまって窓口を乗り越え、職員専用スペースまで入り込んできた。

 慌てて止めようとする職員らであるが、それぐらいで二人が鎮まるはずもない。


「バーカバーカ、アーホアーホ!」

「やぁこの期に及んで自己紹介か? 僕は亀野と申します」

「ここで! くたばれ!」

「おっと」


 こうなるともう業務どころではなくなってくる。職員らは総出で、このハタ迷惑な二人を引き剥がしにかかった。


 しかしここでようやく、男性職員の呼んだ応援が到着する。


「ええ加減にせぇよ老害共が!!」


 床が揺れるような怒声と共に、がっしりした体格の男が参上した。その光景に、二人のみならず職員らも釘付けになる。


「やっと年貢の納め時だのスリープに入るだの聞いた思たらこれですか! 皆さんに迷惑かけて何してはりますのん!?」

「や、太陽君、これには訳があってだな……」

「どうせアレコレ文句垂れてたんでしょ! もうあきません、帰りますよ!」

「嫌だ嫌だ、オレはまだ酒池肉林してないんだ」

「来世でやりぃ、来世で!」


 まだまだ暴れ足りない二人の首根っこをまとめてひっ掴み、太陽は一度職員に向かって敬礼した。


「ほな、失礼します」


 引きずられていくジイさん二人の後を追うように、小柄な部下が走っていった。










「で、どうだった?」

「対応データの抜き取りは完了しました。ありがとうございます」

「なんの。このオレの手にかかりゃ、ヤツらを引きつけるのなんてお茶の子さいさいだ」

「ああああもうほんま心臓に悪い。二度とやりたない」


 場所は変わって撃滅機関の部屋である。傷だらけの顔に笑みを浮かべるウサギとカメの隣で、疲れた様子の太陽がその身を椅子に投げ出していた。

 カメは北風の手に握られた瞬間記憶装置に目をやり、彼に話しかける。


「僕らが職員の気を引いてる隙に、忍び込んだ北風君がスリープサーバに瞬間記憶装置を差し、データを抜き取る……。そういう手筈だったが、ちゃんと痕跡も消してきたか?」

「はい」

「まぁ君なら抜かりなくやるだろ。どっかのウサギと違ってな」

「ううん? いっちゃう? 第2ラウンドいっちゃう?」

「やめてくださいジイさん方。ほんまもう……これで何も成果無かったら僕らただの重罪人ですよ」


 いくら犯罪の根元を突き止めるためとはいえ、元よりスリープ装置のデータを抜き取る時点で罪は確定、スリープ行きなのだ。

 そして、大基幹システム管理者に黒幕がいるという説。これも反逆罪にあたる。

 更にいえば、二十年前に完璧に裁かれた比丘田が関与してるだろうと考えること自体、ご法度だった。


 一度に三つも罪を重ねてしまった現状に胃をキリキリさせる太陽に、ウサギはヘラヘラ笑いながら言う。


「大丈夫だって! バレなきゃ無実だ」

「その発言してる時点で警察ちゃうんですって」

「警察とは、市民の安全を守る組織だろ? だからオレらの行いは肯定される」

「誰に?」

「オレに」

「オレに!?」


 暴論もここまでくると爽快さすら感じる。太陽は腹を括り直すと、北風の方を見た。ちょうど彼は、撃滅機関のコンピュータを使いデータを確認しているところだった。


「どうや、北風。何や分かるか?」

「夢の全貌を見ることはできませんが、夢を構成するキーワードはいくつか抽出できるはずです。比丘田の情報であれば、この列のどこかに……」


 突然、迷いなく動いていた北風の手が止まる。同時に、画面を覗き込んでいたカメの目も大きく見開かれた。

 ウサギと太陽が二人の異常を尋ねる前に、北風は震える声で呟く。


「……なぜ? そんなはず……」

「北風、どうした? 何見つけたんや」

「太陽さん、やはりこれは、何かがおかしい。何か妙なことが起こっています」

「なんや珍しいな。お前がちゃんと答え言わんとか……」


 北風の後ろから画面を見る。プログラミング言語がずらずらと並ぶ中、ウサギと太陽は年若い彼の指差す箇所を追う。


 そこに書かれていた文字を、太陽は無意識に口にしていた。


「――NO DATA?」


 北風は頷く。


 これは、つまり、どういうことか。

 目を背けたくなるような恐ろしい事実に冷たくなっていく指先を感じながら、太陽はまばたきをする。


「いないんだよ、太陽君」


 カメの声がする。人一倍我の強い彼は、動揺を隠さんと無理矢理笑っているようだった。


「比丘田風蘭は、スリープ装置にいない。何をどうやったか夢の世界を後にして、我々の生きるこの世界に再び舞い戻ってきたんだ」


 椅子の背もたれをギュッと掴む。今更ながら、とんでもない事件に首を突っ込んでしまったのだと、太陽はようやく自覚したのである。

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