第9話 北風は考える

「……比丘田の痕跡が掴めません」


 複数展開されたモニターの前で、相変わらず抑揚の無い北風の一言が漏れる。彼の椅子の背もたれに肘を置いていた太陽は、その言葉に肩を落とした。


「比丘田ンとこで働いとったヤツらも、今は清廉潔白そのもんか。アカンなぁ、このままやとじきに民間の被害者も出るで」

「ID消失者には、必ず拳銃が持たされていますからね。その可能性も大いに考えられます」

「今回アイツが使てたバイクは?」

「盗品でした。防犯カメラにも犯人の映像は残されていません」

「なんやもう。完璧やな」


 手近な椅子を引き寄せ、太陽はどさりとその身を投げる。天井を仰いでみたが、そこに何の答えが書かれてあるわけでもない。


 焦っていた。一ヶ月経って犯人の手掛かりすら掴めていないこともそうだが、このまま手をこまねいていては何かとんでもないことが起こるのではないか。そんな嫌な予感が、太陽の胸中にうずまいていた。


 だからといって、捕まえた犯人たちを尋問して踏み込んだ話を聞こうものなら、途端に粒子化してしまうのである。まったく、どう手を施していいやら分からない、まさにお手上げ状態であった。


「……太陽さん」

「なんや」


 ふと、モニターから目を離さずに北風が言った。その声には、珍しく緊張が漂っている。


「妙だとは思いませんか」

「妙て?」

「これ」


 北風は、太陽にも見えるようにモニターを向けてくれた。そこには、この一ヶ月で逮捕されたIDを持たない人間たちの犯行映像が流れていた。


「……どいつを見たらええんや」

「全部です」

「僕、そんなぎょうさん目ェついてないで」

「犯人の出現について疑問があります。あたりの防犯カメラを全て確認していたのですが、なぜか犯人が現場に向かう姿を見つけることはできませんでした」

「へぇ」


 それは奇妙な話である。今や防犯カメラは街中に設置されており、映らないでいるほうが難しいほどだ。だというのに、ID消失者はどうやってその目を潜り抜けたというのだろう。


「……突然、その場に出現したっちゅうわけか?」

「もしそうだとしたら他の人が気づいたでしょうから、違うでしょう。あるいは……」


 言い淀む北風に、どうやら何か心当たりがあるようだと太陽は判断した。殆ど表情が変わらない部下だが、数年面倒を見ていれば、なんとなく様子がおかしいのは分かるものである。


 そこで、太陽は北風の椅子を掴むと、勢いつけてグルリと回した。

 小柄な北風は椅子から転がりそうになりつつも、どうにかしがみついて耐えた。


「何するんですか」

「休憩や、休憩! ジュース奢ったる!」

「いや、私は結構です。時々五分程度の仮眠も挟んでいますし……」

「休憩にかこつけてお前の話聞いたるんや。察せぇ」


 なおもモニターにかじりつこうとする北風を引きずり、太陽は部署を立ち去っていったのである。










 まあ、ここならええやろ。


 その部屋に人がいないことを確認した太陽は、適当な椅子を北風に差し出した。北風は最初は断ったものの、圧の強い太陽に根負けし腰を下ろす。

 彼のメガネの奥にある目を見据え、太陽は早速本題に入った。


「北風、何に気づいた?」


 対する北風は、一つ頷くと、張りつめた雰囲気のまま声を潜めて言う。


「……今から私が太陽さんにお伝えする話は、あくまで推測とはいえ、法に抵触するものです」

「わかった。口外はせん」

「ありがとうございます。では、結論から申し上げます」


 メガネを押し上げると、北風は太陽に顔を近づけた。太陽も息を殺し、彼の発言を待つ。

 しかし彼の発想は、太陽の予想の遥か上をいく突拍子の無いものだった。


「――この件、私は、大基幹システムを操れる人間が絡んでいると見ています」

「なるほど、大基……大基幹システム!?」


 北風の言葉におののく太陽だったが、そこにニュッと二つの影が割って入ってきた。


「声が大きいぞ、太陽君」

「そうだぜ、こういう話は密やかにしめやかにされなきゃエライことになんだから」

「なんやねんアンタら!?」


 二人の間から顔を突き出していたウサギとカメに、思わず太陽はツッコミを入れる。だが、二人とも憮然とした顔で反論してきた。


「なんやねんとはなんやねん。ここはオレらの部署だよ」

「自分の部署内で交わされる会話に混ざって何が悪いというんだ。嫌なら出て行くがいい。まあついていかないとは一言も言ってないし言うつもりもないが」


 そう、ここは撃滅機関の部屋だったのである。普段は若者絡みに留守にしていることが多い二人であるが、最近は出動命令があるので部屋に滞在するようになっていたのだ。


 僕が浅はかやった、と頭を抱える太陽に、北風は落ち着いた顔で立ち上がる。


「ウサギさん、カメさん、勝手に部屋をお借りしてすみませんでした」

「かまへんかまへんやで」

「なんやその関西弁」

「太陽君も大概だけどな。転勤に次ぐ転勤であちこちの方言が混ざっているからか、純粋な方言ではなくなっているようだ」

「うっさいなぁ。どうでもええでしょ」

「それより、大基幹システムがなんだって?」


 ワクワクした目で北風に迫るウサギを、太陽はげっそりとした顔で押しのけた。自分のミスとはいえ、聞かれてしまったからには巻き込まない訳にはいかない。


「……ID喪失者の事件です。北風が調査した結果、大基幹システムを操作できる立場の人間が絡んどる可能性があると分かりました」

「おや、そんな若い身空で北風君はスリープを望むのかい。少し生き急ぎ過ぎじゃないか?」


 これはカメの皮肉であるが、あながち的外れな指摘でもなかった。


 大基幹システムとは、スリープ装置などといった、現代日本の人間社会を維持するにあたり必要不可欠なシステムを根底で支配する超巨大情報処理装置のことを指す。それに直接関与するエンジニアや指示を出す人間は、システムによって選び抜かれた者が厳重な管理のもとで担当していた。


 現代日本は、この大基幹システムに大きく依存していた。むしろ、このシステムの上に人間が生きていると言い換えても相違ない。よって、この大基幹システムに疑問を抱くことは大いなる混乱を引き起こすとされ、法律で固く禁じられていたのだ。


「まるで宗教のようなもんだ」


 大基幹システムについて、カメは語る。


「人の心に根を張り、生活に表れ、無意識下で盲信する。それが無いと不安で夜も眠れやしない。だけどそんな日など訪れないから、今日も明日もいたいけな子供は安眠できるんだ。悪いものじゃない。ああ、決して悪いものではないさ。だが、既に僕たちはその柱が存在しなかった遠い昔、どう生きていたかなんて忘れてしまっている」

「オメェは話が長いね?」

「アホにも分かりやすいよう至極丁寧な優しい説明をしているだけだというのに、まったくこのウサギときたら」

「で、どうして北風君はそんな罰当たりな推理に至っちまったんだ」


 カメの話を最後まで聞かず、ウサギは北風に問いかける。それに北風は、顔色一つ変えず無愛想に答えた。


「推理も何も、ただの穴埋めです。ID喪失者は皆、犯罪を起こすまで防犯カメラにその身を映すことはなかった。しかし、突然その場に現れたわけでも、喪失者たちが防犯カメラの位置を知っていたわけでもない。ならば、この防犯カメラに細工を施せる者がいたと考えるのが自然でしょう」

「……防犯カメラにめちゃくちゃ詳しいヤツが黒幕なのかもよ?」

「だとしてもです。防犯カメラについてそこまでの詳細を知り、かつ比丘田の技術を踏襲する人物がただの一般人に存在するとは思えません」

「おい太陽君、君の部下優秀なんだが」

「おおきに」


 即座に論破されたウサギは、悔しさ半分と感心半分で太陽に絡む。その隣では、カメが興味深げに顎に手をあてていた。


「……ですが、そうなると余計に黒幕の意図が見えなくなります」


 どこか呑気な空気の中、ぽつりと北風は言う。


「黒幕がシステム側の人間だとして、こんな事件を起こす意味がわからない。拳銃を持たせた人間を放置するなど、コントロールを自ら手放す真似をして」

「おお、いい目の付け所をしてるな。スリープで寝んねさせるには惜しい人材だ」

「黙ってろよ、カメ。今北風君が話してるだろ」


 ウサギの叱責を受けふざけて口にチャックをするカメに、しかし北風は真剣な目を向けた。


「黒幕はシステム側として仕事をする中で、人間の在り方に疑問を抱いたんでしょうか。例えば、ID社会に警鐘を鳴らすなど」

「それをするぐらいなら、実存する適当な人間のIDをシステムから消去するのがよっぽどいいな。ツブ人間を作るより手間がかからず、ショッキングな効果が期待できる」

「加えて、拳銃を持たせる必要もない」

「然り。この事件は、まるで夏休みの自由研究のような朗らかさがあるんだ。カマキリの頭を外して逃したらどうなるのかな、といった類のな」

「お前、嫌味挟まないと死ぬの?」


 呆れたようなウサギの言葉を最後に、場は沈黙した。議論が行き詰まってしまったのである。


 大基幹システムの関係者であれば、うかつに手は出せない。

 とはいえ、見過ごすわけにもいかない。


 せめて、比丘田への取っ掛かりが見つかればいいのだが――。


「あ」


 ウサギが、ポンと手を叩いた。


「ひとつあるじゃん。比丘田に接触する方法」


 その方法は、この場にいる全員が気づいていたことだった。ただ、重罪であることと、あまりにも馬鹿馬鹿しい内容であるが故に、今まで誰も口にしなかったのである。

 だが、そんな三人の心中など知らず、ウサギは意気揚々と言ってのけた。


「スリープにいる比丘田の夢を見に行きゃあいいんだよ! そんなら、どっかに手掛かりが見つかるんじゃねぇか!?」


 ところが、それしか糸口を得る方法は無さそうなのである。

 ウサギ以外の三人は顔を見合わせると、諦めるように首を横に振ったのだ。

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