第4話 撃滅機関の初仕事
「IDが割り振られてねぇって……そんじゃこいつは、今までどうやって生きてきたんだ!?」
ウサギが尋ねる。それもそのはずだ。個人に割り振られたこのIDは、現代日本において戸籍以上に強力な存在証明を意味する代物なのである。これが無ければ、完全管理社会において、就職はおろか、日々まともな食事にありつく事すら難しくなるだろう。
それが無いままに生きてきたなどとは、にわかには信じられない。カメも、ウサギの隣で首を傾げた。
「あり得んな。どこかしらでミスが発生してるんじゃないのか?」
「ほいたらどこで、て話です。情報は膨大、目視で一つ一つ当て嵌めるんはナンセンスでしょ」
「まさか、それをオレ達に……!?」
文字通り脱兎のごとく逃げ出そうとしたウサギを制し、太陽は否定する。
「やからこそ、俺は撃滅機関に来たんやないですか」
「やからこそ?」
「お二人には、コイツを捕まえてもらいたいんです」
真剣な目で、太陽は二人に言った。突然の思わぬ真っ当な申し出に、ウサギとカメは目をひん剥いて驚く。
「……本気で言ってる?」
「どういう風の吹きまわしだ。二枚舌ですらもっと建設的な嘘をつくぞ」
「本気も本気、大真面目です。犯罪者がすっかり根絶やしにされた今、我々警察官ですらその登場にビビってまう事態になってるんです。そこで上司どもは思い出しました。ああ、撃滅機関っちゅうふざけたヤツらがおったなぁ、と」
「ふざけてない、カッコいいんだ」
ウサギが噛み付くが、太陽はケロリとしたものである。
「とにかく、今ヤツを捕まえられんのは、お二人しかおらんいう話です。どうか、ご出動願います」
「……」
黙ってしまったウサギとカメに、太陽は腕組みをしたまま返事を待つ。やがて、ウサギはふと顔を上げた。
「……出動していいって事はさ、バイクも支給されんの?」
「勿論」
「人体強化錠剤は?」
「ウサギさんはA、カメさんはCでしたね」
「おおおおおおやったぜ!! ひっさしぶりのお空だ!! カメ!! ひと暴れすっぞ!!」
「ジイさんはオモチャ如きで大喜びできて羨ましい事だな。ひと暴れは結構だが、その前に太陽君から情報を貰わなきゃいかん」
どうやら乗り気になってくれたようだ。太陽はホッと一息をつきつつ、空中に事件データの展開をした。
「これが事件の概要です。場所及び経過は、見て覚えてもろて……」
「ジジイの記憶容量ナメんなよ! 五秒で忘れるわ!」
「知恵袋にでもためといてください」
「アホは無視しろ。僕が覚えるから、早く説明を」
「わかりました。今回お二人にお願いしたい最大の目的は、犯人の安全確保です」
「は?」
犯人自身の安全確保という点に、二人は訝しげな顔をする。
……捕まえるべきは、凶悪な犯罪者じゃないのか?
対する太陽は、そんな二人に向かって困り顔でため息をついた。
「そんなヤバい人やったら、こんな悠長に放置しませんて」
「それもそうだが、ならヤツは一体何をしたんだ」
「したんやのうて、してるんです」
「というと」
太陽はもう一度ため息をつくと、データの一部を指差した。そこには、とある店の中で怯えた顔をする男が一人。
「立て籠もり」
その言葉を聞くのも、ウサギとカメにとっては随分久しぶりの事だった。
「……犯人は、自分の頭に銃を突きつけてフードショップに立て籠もりよったんです」
つまり、我が身を人質にした立て籠もり犯というわけである。肩透かしをくらったウサギとカメは、お互いの顔を見合わせたのだった。
「犯人に告ぐ! 今すぐ無駄な抵抗をやめて出てきなさい!」
屁っ放り腰な三流文句が響き渡る中、一人の中年は拳銃を自分の頭にあてたまま、ひたすら果物を貪り食べていた。ここ数日、まともな食事をしていなかったのである。いずれ自らが辿るだろう残酷な運命を考えると涙が出たが、それでも食べる事はやめられなかった。
「犯人に告ぐ――!」
外にいる警察共は、馬鹿の一つ覚えのように同じ文言を繰り返している。
とても聞いていられなかった。IDを持ち、安穏と管理された人間達の言う事など。
勢いよく食べるあまりバナナが喉に詰まりそうになったが、水で飲みくだして、また物を口に運ぶ。どこまでこの状況を続けられるか分からなかったが、男自身それは考えないようにしていた。生きていられるのなら、何でも良かったのだ。
しかし、終焉というものはいつも突然襲い来るものである。
「おっじゃまっしまーーーーーす!!!!」
えらく明るい声と共に、窓ガラスが砕ける音が男の耳をつんざいた。驚きのあまり腰を抜かしそうになったが、今の自分には強力な武器がある事を思い出す。男は手にした拳銃を、今しがたとてつもなく派手な登場をした大型バイクに突きつけた。
「だ、誰だお前は!」
「よくぞ聞いてくれた! オレは国家権力の隠し玉兼鉄砲玉! 撃滅機関のウサギだ! 今からお前をお縄にするぜ!!」
「お、お縄……だと!?」
やたら元気なジイさんの言葉に、死ぬまで悪夢を見せられるスリープ装置を連想して青ざめる。男は逃げようとしたが、その前に思いの外機敏な動きで大型バイクは彼の行方を阻んだ。
尻もちをつく男に、ウサギと名乗るジイさんがバイクから顔を出して言う。
「このオレから逃げられると思うなよ! 悪いようにはしないから、そのオモチャも寄越しな!」
「な、な、なんで……!」
震える手で、男は老人に拳銃を向ける。しかし、その武器で人の命を奪う勇気は男には無かった。
「……ス、スリープ装置に入るくらいなら……!」
男は自分の頭に銃口を押し当て、引き金に手をかける。金髪の老人がバイクから飛び降りて駆け寄ってきたが、その前に男は人差し指に力を込めた。
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