第3話 始まりの事件

「またID消失者が?」


 メガネをかけた真面目そうな青年は、殆ど変わらない表情を驚きで少し歪めた。それにウサギは、ヒラヒラと片手を振って返す。


「おうよ。だからって別に罪を犯してる訳じゃねぇ。普通の人間として丁重に扱ってやってくれ」

「食い逃げはやりかけたがな」

「アレはお前の奢りって事で終わったろ! 蒸し返すんじゃねぇ!」


 カメの余計な一言に、ウサギは声を荒げる。対するメガネの青年は、二人のやり取りを邪魔しない程度にしっかりと頷いた。


「事情は分かりました。同じ案件としてこちらで処理し、引き続き調査します」

「すまねぇな、お前ばっかり頼っちまって」

「これも仕事の内ですから」


 そう言ってデータ入力をする彼の名は、北風一二きたかぜいちじ。二十五歳の若き警察官だ。もっぱら事務仕事を得意としているが、最近は直属の上司と共に、一時的に撃滅機関によって捕らえられた犯罪者達の調査を担当していた。


 一時的に――である。以前は、このような犯罪が起こること自体、皆無だったのだ。それが、ここ一ヶ月ほどで、立て続けに軽犯罪を犯す者が増えてきている。


 共通点は二つ。

 一つは、皆一様にIDを失っている点。

 もう一つは、ある日突然、枕元に一発の弾丸が入った銃が置かれている点である。


 この奇妙な事件の皮切りとなったのは、一人の犯罪者の出現だった。









 一ヶ月前の事である。

 二人の老人は、己らに割り当てられた部屋で退屈を持て余していた。


 ここは撃滅機関。犯人逮捕専門の部隊である。


 華々しい響きであるが、犯罪発生率が毎月ゼロを更新する現代日本において、犯罪者ありきのこの部署はただの閑職であった。


「暇だねぇ!」


 ふいに声を荒げた金髪老人の名は、宇佐木飛雄うさぎとびお。通称ウサギ。六十二歳のスピード狂である。陽気に若者に絡み倒しては、鬱陶しがられるのが日課だ。


「うるさいな。トリ頭でお馴染みの鶏でも、もう少し空気を読んで鳴くだろうよ」


 それに対して嫌味ったらしく返事をした黒髪老人の名は、亀野高良かめのたかよし。通称カメ。六十三歳のサディストである。ネチネチと若者に絡み倒しては、不評を買うのが日課だ。


 遅くとも五十歳を超えればスリープ装置に入り、残る寿命を快適な夢の中で過ごす人ばかりのこの時代。六十歳を過ぎてなお現実世界にしがみつく二人の存在は、紛れもなく異端であった。

 しかし人権や個人の自由が何より尊重される現代日本では、そう簡単に二人を警察機関から追い出すことなどできない。加えて、上記の通りの若者絡みである。


 “ 老害 ” として閑職に追いやられた二人は、撃滅機関の名の下に、安穏とした余生を過ごしているのであった。


 ウサギは腰を痛めないよう、よっこいしょと立ち上がり、立てた指を一本一本折っていく。


「筋力補助、骨密度アップ、痛風、ひざ関節、目の疲れ、疲労回復……あと何飲まなきゃいけなかったかね」

「知らんよ。僕ぁ、お前の医者でも親でも愛人でも無い。それでも強いて言ってやれる事があるとするならば、さっき上げたリストの中にボケ防止の薬が入ってなかったという所かな」

「いらねぇんだよ、ボケ防止は!」

「確かに、既にボケてしまっている場合では意味が無いもんな。安心したまえ、進行を遅くする薬もあったはずだ。処方してもらってこい」

「それもいらねぇんだよ!お前ホント腹立つな!」


 老眼鏡をかけて分厚い本を読むカメに、ウサギは近くにあった書類を投げつける。書類は空中でバラけ、ハラハラとカメの白髪混じりのオールバックに降り注いだ。

 それを鬱陶しそうに手でよけつつ、一枚だけ摘んで内容を確認する。


「……昨日のスリープ者は二十五人か」

「あれ、多いな。そんじゃまた、追加で生まれてくるのか」

「便利な世の中だねぇ。減ったら増やしゃいいんだから」

「生命の誕生を蔑ろにすんじゃねぇや。理由はどうあれ、生まれるってのは素晴らしいことだ」

「流石、六十過ぎても現実にしがみついている老害が言うと説得力が違う」

「そりゃオメェもだろうがよ!」


 ウサギはもう一度何か投げつけてやろうとしたが、あいにく近くに軽くて肩に負担なく投げやすそうな物は見当たらなかった。

 苛々とため息をつき、仕方なしにカメにくるりと背を向ける。その背に、カメは声をかけた。


「おい、どこ行くんだ」

「ジジイが長い事椅子に座っていられると思うなよ! オレァちょっと遊んでくるぜ!」

「待て待て。また若者にちょっかいを出しに行く気か」

「止めてくれるなクソジジイ」

「誰が止めるか。僕も行くんだよ」

「ついてくんじゃねぇよ。老々介護のつもりか?」

「反吐が出るな。僕だって、未来ある若者にハッパをかけに行きたいのさ」

「お前影でなんて言われてるか知ってる? 腹黒イヤミクソジジイだってよ」

「まったく、センスのかけらもありはしないな。そういうお前こそ、チャラ絡みウザクソジジイと呼ばれて久しいだろ」

「嘘だね! お前がつけたんだ」

「現実に生きているのに現実を見られないとは、大層耄碌したもんだ。毎日届けられるこのスリープの申込書に、とうとう署名する時が来たんじゃないか」

「お前の名前でも書いとけ!」


 言い争いつつ出て行こうとした二人だったが、ちょうどいいタイミングでドアが外側から開き、足を止めてしまった。彼らを遮るように立っていたのは、まさに働き盛りといった精悍な男である。


「なんや、お出かけですかい」


 砕けた妙な関西弁に、ウサギとカメは顔をしかめた。無理もない。この男は、常日頃から暇を持て余したこの部署に、厄介な案件ばかり持ち込んでくるのである。

 それが犯人逮捕ならまだいい。しかし、この平和な日本においてそれは無く、大抵は面倒な事務仕事や雑用ばかりだった。


 ウサギは顔をしかめたまま、後ろの男に言う。


「良かったな、カメ。ヘルパーさんが来てくれたぞ」

「君にはあれがヘルパーに見えるのか?脳だけじゃなく視力までやられているとは知らなかった。おい太陽君、即刻コイツを隔離病棟へぶち込んでおいてくれ。そうすれば、この僕が珍しく丁寧にお礼を言ってあげよう」

「アンタらええ加減にしとかな、しばき倒しますよ」


 なおも言い争う二人に、太陽と呼ばれた男は呆れ顔で吐き捨てた。


 彼の名は、寺津太陽てらつたいよう。三十三歳。北風の上司で、妙な関西弁を操る刑事である。世話焼きな性格に上から目をつけられ、老害と避けられるウサギとカメのパイプ役を押し付けられた哀れなる苦労人だ。

 しかし最近は開き直り、少しでも自分の負担を減らすべく仕事を積極的に振りだしたのは、ジジイ二人にとって閉口であった。


 仕事なんざ真っ平御免であると言わんばかりに、太陽の横をすり抜けようと画策するウサギとカメであったが、彼はあっさり二人の首根っこを掴んで部屋に戻した。


「……まあ、話だけでも聞いたってください」


 差し入れもありますから、と、男は手に持ったコーヒーを二人に押し付ける。それを渋々受け取りながら、ウサギは吠えた。


「書類整理はイヤだぜ! オレのお手手はバイクのハンドルを握るためにあるんだ!」

「ちゃいます、ちゃいます。それはまた後日で、今日持ってきた話は全くの別物です」

「別物とは?」


 カメがずいと太陽に寄る。どうやらいつもと纏う空気が違う彼に、多少の興味をそそられたようだ。結局の所、退屈なのである。

 ようやく聞く気になってくれた二人に、太陽は少々声を潜めて言った。


「――実は、犯罪者が現れたそうなんです」


 その一言に、老人二人は目を見開いた。犯罪者という名称を聞くことすら、数年ぶりだったのだ。


「……いや待て。それにしちゃ、鷹揚すぎやしないか」


 カメが突っ込む。隣では、ウサギも後ろに束ねた金髪を揺らしてうんうん頷いている。それに、太陽は短く刈り込んだ短髪をかいて困ったようにため息をついた。


「おっしゃる通り。現れたらしいて情報だけです」

「なんだ、仮にも警察が頼りないな」

「ああもう耳痛い。やからこそ、“ 撃滅機関 ” のお二人に出動を願いに来たんやないですか」


 そう言うと、太陽は空中にペンライトをかざした。スイッチを入れると、それはプロジェクターの働きをし、白い壁に犯罪者の情報を浮かび上がらせる。


「彼の名は、不明」


 そこに映っていたのは、40代半ばぐらいのでっぷりした冴えない男だった。


「出身地、職業、年齢、全て不明」

「あれ、じゃあIDの照合がまだだって話か?」


 ウサギが割り込む。太陽は、首を横に振った。


「IDの照合は済んでます」

「そんならどこの誰だか分かるだろ」

「それが、無かったんですわ」


 たくましい男は、難しい顔をして唇を指で撫でた。


「……この人間には、生まれてこの方IDが割り振られてた形跡がなかったんです」

「……はぁぁ!?」


 太陽の口から出た意外な言葉に、仲の悪さを自称するウサギとカメは、つい声を揃えて同じ反応をしてみせたのだった。

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